忖度、勘違い

 美嶽セメントに到着すると、生長に呼ばれて圭亮がいなくなった。

「さて、今日の取材予定を確認しておきましょう」

 西脇が言うと同時に、菊本が「コーヒーを煎れて来ます。砂糖とミルク、要りますか?」と言って会議室を出て行こうとした。

「悪いね」、「いつものやつ」と今度は西脇と藤代が同時に答える。

 菊本がコーヒーを持って戻ると、「東野正純の姿を最後に目撃した主婦の話を聞いてみてはいかがでしょうか?」と藤代が言った。

「ああ、良いですね」

「他に取材したいところはありませんか? 正直、何もなくて」

「昨晩、美嶽社長から宝来宗治の叔母が町にいると聞きました。例の刀と槍について、何か知っているかもしれません」

「分かりました。調べておきます。しかし、西脇さん。何時までこちらで取材が出来そうですか?」

「取材先が無くなってきましたし、これ以上、動きがないようなら、現地取材を続ける意味はないでしょう。今日一杯、様子を見て判断します」

「そうですか。折角、鬼牟田先生と西脇さんに足を運んで頂いたのに、力不足で、何か申し訳ありません」

「藤代さんが謝ることはありませんよ。強いて言えば、未だに事件を解決できないでいる鬼牟田先生のせいでしょう。はは」

「そんなこと言うと、鬼牟田先生が可哀そうです。警察が解決できない事件を、ちょっと現地で見聞きしただけで、解決しろというほうが酷です。そんな急には事件を解決出来ないでしょう」

 西脇はにやりとしただけで何も答えなかった。

 一時間ほど、圭亮は帰って来なかった。待ちくたびれた頃、「お待たせしました」と例のごとく、コーヒーを片手に会議室に戻って来た。

「先生。何か新しい情報がありましたか?」

「警察では例の不審者について調べているようです」

 碇屋象二郎は恭一が殺害された日の夕刻、港で兄と話し込んでいた見知らぬ男を目撃している。

「ああ、あの不審者ですか。何か分かったのですか?」

「今のところ、それらしき人物は浮かび上がっていないようです」

「不審者の情報が集まらなかったのですか?」

「いえ、それが、逆に意外に情報が集まったものですから、ひとつひとつ確認して行くのに手間取っているようです」

 陸の孤島のような町とは言え、実際に孤立している訳ではない。住人以外の人間が少なからず町にやって来る。余所者は目立つ土地柄なので、聞き込みをすると、結構な数の不審者情報が集まった。それをひとつひとつ裏を取って確認して行く。大変な作業だ。「不審者を見たという情報があって確認してみると、保険の勧誘員だったりしたそうです。他にも、日中、神社の近くで怪しい人物を見たという証言がありました。碇屋象二郎さんの話では不審者は黒い服を着ていたということでしたが、その人物は赤茶色の上着を着ていたそうです。象二郎さんが不審者を見たのは夕方です。黒っぽく見えたのかもしれないと聞き込みを行ったところインターネットの勧誘員だったそうです」

「警察も大変ですね」

「そうなのです。このインターネットの勧誘員、胡散臭いところのある人物で、パソコンに疎い老人を騙してインターネットに加入させ、歩合を稼いでいるふしが見受けられるようです。聞き込みを行っている時に、偶然、その人物を見つけ、職質をかけたところ、碇屋恭一さんが殺害された日の昼間、町でインターネットの勧誘をやっていました。ですが、港には行っていないし、碇屋恭一さんにも会っていないと証言しています。午後の四時過ぎに、柳井にある会社に戻ったことも確認できています」

「それはご苦労なことですね」そう口ではいいながら西脇は不審者の話に興味を失ったようだ。「さて、それじゃあ、先ずは目撃者の主婦から話を聞きに行ってみましょうか」

「主婦? 誰から話を聞くのですか?」

「さあ、行きますよ~」西脇は圭亮を引きずるようにして会議室を出た。圭亮は「あっ! まだコーヒーを飲み終わっていません」と悲しそうな悲鳴を上げた。

 名前を斉藤由美子と言った。

 夕食の買い物を終え、愛車を飛ばして帰宅途中に、東野家の坂を上って行く正純の後ろ姿を見たと言う。待ち合わせの斎藤家に向かう途中、東野家の前に車を停め位置関係を確認した。

 圭亮を先頭にぞろぞろと車を降りる。

 二車線の農道が分岐した坂の上に東野家はあった。一段、高い場所にあることから、かつてこの辺りを支配した一族の家であることが分かる。辺り一面、田畑から山まで東野家の持ち物だ。白塗りの塀で囲われた巨大な民家で、農道から分岐した坂は東野家の門前で行き止まりになっている。

 圭亮が辺りを見回しながら言った。「後藤さんはここに車を停めていた訳ですね」

 後藤が車を停めたであろう場所にワゴン車を停めた。東野家に続く坂道と農道が交わる丁字路に車を停めたようだ。

 美嶽家からやって来ると、車を停めた場所から運転席側、対向車線を挟んで坂道が東野家に伸びている。

「ここに車が駐車してあると、一旦、対向車線に出て追い越さなければなりませんね。美嶽家で体調を崩して休んでいた訳ですから、後藤さんは車を出て正純さんが家に帰るのを見送っていた。どこに立っていたのでしょうね」

「車を出たところに立っていたとすると、道の真ん中に立っていたことになりますね」

「運転席の窓を開けて見送れば十分だったでしょう?坂が反対側ならともかく、車を出る必要はなかったのではないでしょうか」

「その辺、主婦に確認してみましょう」

 俯瞰的演繹法という、自らネーミングした推理手法を得意とする圭亮は物事を推理することは得意だが観察することは苦手だ。細かく観察するより、ざっと位置関係を把握することで推理を展開する。一通り位置関係を確認すると斎藤家へ向かった。

 斎藤家は東野家から農道をさらに一キロほど行った場所にあった。

 斎藤由美子は縦と横が同じに見える小柄で小太りの主婦だった。顔も丸顔、しかも丸眼鏡をかけているので全身、丸い印象だ。玄関先でインタビューをすることになった。脇にサボテンが置いてあって、「おや、サボテンですね~」と圭亮が触ろうとすると、「それ、造花なんですよ~貰い物だったんですけど、造花だって全然、気が付かなくて、大きくな~れって、何年も水をやっていたんですよ~はは」と言ってケラケラと笑った。

 明るい女性だ。

「東野正純さんを目撃した時のことを教えて下さい」

 西脇の言葉でインタビューが始まった。

「あの日のことですか~前の晩に娘から、最近、お夕飯、スーパーのお惣菜ばっかり。手抜きだって言われちゃって~いいのよ。食べたくなければ食べなくても~って言ったけど、娘の言う通り、最近、ちょっと面倒で手を抜いていたのは事実だったの。旦那は黙々と口を動かし続けるだけだから腕の振るい甲斐がないし。それで、いいわよ~明日は、あんたの好きなデミグラソースのハンバーグを食べさせてあげるよ~と娘に見得を切ってしまったの」

「それで?」

「丸正で食材を買い揃えた後、家に帰ろうと車を飛ばしていました。国道から農道に出て一本道です。ご覧の通りの田舎でしょう~道の両側は田圃ばかりで、人が飛び出してくることなんてありません。買い物に時間がかかり過ぎちゃって~辺りが薄暗くなり始めていました。運転はあまり得意ではありませんが、ちょっと飛ばしても大丈夫かな~と思ってアクセルを踏み過ぎちゃいました」

「それで?」話が長い。語尾を伸ばす癖があるようだ。

「農道の先に黒塗りの高級車が停車しているのが見えました~丁度、丁字路の箇所に停められていて、坂を登ると東屋の屋敷があります。東屋を訪ねてきたお客さんが丁字路に車を停めたのでしょう。たまに車が停まっていることがあるのです。車線を塞ぐように停車してあるので、対向車線に出て追い越すしかありませんでした」

「それで?」何とか話を巻こうとする。

「停車した車の横に、緑色の服を着た人が立っていました。黒塗りの高級車に緑色の服と言えば美嶽家の後藤さんだ~って直ぐに分かりました。うちは弟が美嶽セメントで働いていますし、夫の会社も美嶽セメントの下請け会社ですからね~美嶽家とは浅からぬ縁があります。いえ、狭い町ですから、町民の半分は美嶽セメントの関係者と言っても良いでしょう。後藤さんが誰かを連れて東屋を訪ねて来たのだと思いました」

「それで?」なかなか話が進まない。

「危ないなあ~って、車をぶつけないように、追い越しました。あの辺りは見晴しが良い場所ですし、車の量も少ないですからね。対向車はいませんでした。後藤さんが道路に立って東屋の方を見ていました。視線の先に坂道を登って行く正純さんがいました」

「東野正純さんが坂を登って行くのを見たのですね?」

「はい。見ましたよ~」斎藤由美子が答えると、「すいません。ちょっと良いですか?」と圭亮が口を挟んだ。

「あら? さっきから思っていたのですが、あなたのお顔、どこかで見た記憶がありますの」

「はあ。たまにテレビに出ていたりします」

「あら? 芸能人なの? 俳優さん――じゃないわよね? 歌を歌っているの?」

「いえいえ。ニュース番組に出ています。ところで、後藤さんは何処に立っていました? 道の中央ですか?それとも路肩ですか?」

「何処って車を出てドアをしめて、そこに立っていましたよ~そこで東屋の方を見ていました」

「道の中央に立っていた訳ですね。危ないな」

「そうなのです~怖い、怖い。でも、まあ、対向車がいませんでしたから大丈夫でした。私~安全運なのですよ~」

「東野正純さんが坂を上って行く姿を見たとおっしゃったそうですが、正純さん、どんな格好をしていましたか?」

「格好? そうですね~背広を着ていたんじゃないですか~背広の上下をぴしっと着て歩いていたような気がします。夕方で暗くなりかけていましたからね。どんな色をしていたのかって聞かれると、正直、よく覚えていないのですけどね~いや、ちょっと待って。黒っぽい服だったような気がします。そうそう。だから、よく見えなかったのよ」

「東野正純さんは黒の背広の上下を着ていたと。そうですね?」

「そう言われちゃうと、自信がないかなあ~黒っぽい服だったと思うの。だから背広だと思っちゃったんだと思う。コートを着ていたのかな~」

「はっきり見えなかったのに東野正純さんだと分かったのですか?」

「だって、それは・・・」斎藤由美子が圭亮を睨みつける。「ニュースで正純さんが行方不明だって言っていたし~後藤さんが彼を家まで送って行ったのでしょう。そう聞いたから正純さんだって分かったのよ」

 斎藤由美子は気分を害してしまったようだ。「もうこれくらいで良いかしら~」とインタビューを切り上げてしまった。人の好い圭亮は「お気に障ったようでしたら謝ります。すいません」と恐縮しきりだったが、時すでに遅しだ。

 車に乗り込むと直ぐに西脇が圭亮に尋ねた。「どういうことです? 鬼牟田先生」

「どういうことって・・・」

「あの主婦を疑っているのですか?」

「いえ、そんな。斎藤さんの証言を疑っているだけです」

「平凡な主婦が偽証をしていると考えているのですか?」

「偽証だなんて。後藤さんは丁字路に車を泊めていました。夕方の時間帯です。家路を急ぐ車が通る時間だった。町からやって来ると左手に車が泊めてあり、右手に東野家の門に続く坂道があることになります。すれ違う時に、どうしても左手の車に注意が向いてしまいます。ましてや車の傍に後藤さんが立っていました。人を撥ねたら大変ですから、左手方向に注意が向いて、右手の坂道には注意が散漫になります」

「まあ、そうですね」

「後藤さんは目立つ緑色のジャージ姿です。左手の車に注意が向いている上に緑色のジャージ姿の後藤さんです。必然、運転手の関心は左手に集中します。反対側はほとんど見ていなかったのではないでしょうか」

「それでは、何故、坂を上る正純の姿を見たと彼女は証言したのでしょうか?」

「それは多分、美嶽家の今井町に於けるステータスのなせる業でしょう。美嶽セメントは町の重要な産業として雇用を生み出し、税収をもたらし、町の経済を支えています。住民は多かれ少なかれ、美嶽家の恩恵に預かっています。彼女の弟は美嶽セメントに勤めていると言っていましたし、ご主人は美嶽セメントの下請け会社に勤めていると言っていました。心のどこかで美嶽家の機嫌を損ねたくないという思いがあったはずです」

「だから嘘をついた」

「いえ。嘘をつているという自覚はないと思います。彼女の立場になって考えてみると、丁字路で美嶽家の車を目撃した。目立つ格好の後藤さんが側に立っていた。美嶽家の車だということは直ぐに分かったはずです。その後、東野正純さんを送って行ったと聞けば、ああ、そうだったのか最初は思ったでしょう。やがて、正純さんを見たような気がすると思い始め、それが東野正純さんを見たに変わるまでに、そう時間はかからなかった。偽証した訳ではないと思います。忖度。勘違い。そんな感じです」

「なるほど。となると、東野正純を最後に見たのは後藤だということになりますね」と言うと、西脇は藤代に向かって尋ねた。「藤代さん。碇屋恭一殺害時の後藤のアリバイってどうなっているのでしょうか?」

「後藤のアリバイですか⁉流石に、そこまでは・・・」

 刑事ではないのでアリバイまで分からないだろう。西脇と圭亮は美嶽家に宿泊している。後藤とは初日に玄関先で挨拶をしただけだが、一つ屋根の下だ。

「そうですか。今晩、美嶽家で直接、後藤に聞いてみるしかないですね。でも、先生。やっとエンジンがかかってきたみたいですね」

「エンジンってそんな。僕は車じゃありませんよ。車がで待っているような人間です」

「褒めた僕が馬鹿でした・・・ふう」

「まあまあ、西脇さん。宝来宗治の叔母さんという人の居場所が分かりました。行ってみましょう」藤代がとりなす。

 居場所は直ぐに分かった。宝来宗治の叔母は地元で有名人のようだ。

「宝来家は町で最も古い家系で、先祖は徐福だとあちこちで言って回っているそうです。徐福が何なのか知りませんが」

「ああ、徐福だったら」圭亮が直ぐに反応する。「徐福は中華の大地を始めて統一した秦の始皇帝が不老不死の仙薬を求めて、東の海の果て、つまりは日本に派遣した人物です。徐福の渡来伝説というのは日本各地にあって、徐福の墓もあります。秦の始皇帝ですからね。紀元前の人物です。先祖が徐福だとすると、宝来家は弥生時代から続く家系になります。町どころか日本でも屈指の古い家系じゃないでしょうか」

「へえ~世が世なら――が口癖で、何か気に入らないことがあると直ぐに、世が世なら、あなたたちはうちの使用人じゃないと言うので、皆に嫌われているようです」

「これは気を引き締めて話を聞きに行った方が良いですね」

 宝来家は神社に程近い場所にあるが、宗治の叔母は美嶽家の前の坂を下った場所にある家に住んでいた。嫁に行き、沖原美鈴というのが今の彼女の名前だった。沖原家には母屋に納屋があり、生垣に小さな畑のある庭のある旧家だった。柴犬を飼っていて、鎖につながれていたが西脇たちが訪ねて行くと猛烈に吠えた。

「大丈夫ですよ~怪しいものではありません」圭亮が近づくと、柴犬は狂ったように吠えた。

「先生みたいな巨人が近寄って来ると怖いのですよ。きっと」

「どなた?」騒ぎを聞きつけて主らしい男性が顔をのぞかせた。アラフィフといった年齢だろう。角刈りのごま塩頭、四角い顔、太い眉毛、こんがり茶色に焼けていてトーストを思わせた。

 サクラ・テレビの人間であることを伝えると興味を抱いた様子で「こちらに沖原美鈴さんという方がいらっしゃるとお聞きしました。亡くなった宝来宗治さんについて、お話をお伺いしたいのですが」と告げると「母ちゃんにお客さんか。珍しい。喜ぶとは思いますけど、気を付けて下さい。何せ気難しい人間だから」と言われた。

 応接間に通され、沖原美鈴と会った。

 話は良いが撮影はNGということだったのでカメラマンの菊本は暇そうだった。八十過ぎだが頭はしっかりとしていた。一見、気難しいお婆さんには見えない。だが、口角から綺麗に伸びているほうれい線が気難しさを漂わせていた。

「沖原さん。宝来宗治さんのことをお伺いしたくて参りました」

「宗治? ありゃあ、ダメだ。あんなやつに家を継がせたもんだから、何もかも美嶽に奪われてしまいよった。父上も総太郎もクズだった。宝来家の男はクズが遺伝するのだ」

 手厳しい。親族とは言え容赦なしだ。美鈴は宝来良蔵の子で総太郎の妹、総太郎が宗治の父親だ。

「宝来家は古よりこの地で栄え、この地を支配してきた。時代と共に、権力者は移り変わったが、この地を実質的に支配してきたのは宝来家だ。それが、戦後の農地改革で一気に没落してしまった。父上の代に美嶽の買収が始まった。宝来家が所有する農地と山林が次々と買い叩かれ、家財を売りつくし、丸裸になった。わずかに残った田畑さえも、宗治が二束三文で売り飛ばしてしまった。そのことで宗治は恨んでおったがな」逆恨みだ。

 日本刀と槍のことについて聞きに来た。「ところで――」と西脇は話題を変えようとするが、まるで聞いてくれなかった。

「うちは美嶽の真治に恨まれとった」美嶽真治は美嶽家の先代だ。「あれの実家はうちの小作農でな。貧乏を絵にかいたような家だった。骨が砕け、肉が落ちるほどに働いても、無一文と変わらない暮らし振りだったな。ある年、不作で税が払えなくなった。真治の祖父は泣く泣く、税の代わりに娘を父上に売り渡した。当時、真治はまだ子供だった。母に代わって面倒を見てくれていたのがその娘よ。叔母に当たる。父上は娘をさんざん弄んだ挙句、女郎屋に売り飛ばした。そんな時代よ。

 その真治が美嶽の当主に見込まれ入り婿となった。美嶽家の当主となったのよ。真治は叔母の行方を捜し求めたらしいが、行方は知れないままだった。真治たちが生きて行くために犠牲になったのだろう。小作農の貧困は珍しくもない時代だったからな。だが、真治はうちを恨んだ。だから、うちの財産を根こそぎ奪い去って行った。兄上もひどかった」先代、宝来総太郎のことだ。「宗治は若い頃、真治にひどく殴られたことがあった。なんぞ真治の気に障ることをしでかしたのだろう。人相が変わるほど殴られた。兄はそれを黙って見ておった。これで宗治に障害が残れば、一生、安泰だと考えていたのだろう。殴り殺されたら殴り殺されたで、たっぷり賠償金をふんだくってやるとでも考えていたに違いない。ははは」何が面白いのか美鈴は声を立てて笑った。

 このままでは何時まで経っても日本刀と槍のことが聞けない。西脇は美鈴が笑った隙に「宝来家に本物の日本刀と槍があったという話を聞いたのですが本当でしょうか?」とねじ込んだ。

「そんなもん、あったに決まっておる」と美鈴は答える。

「あったのですね!」

「太閤殿下に取り上げられるまでは、うちのような物持ちは皆、持っておったわ」

「いえ、そんな古い話じゃなく、明治維新の頃に奇兵隊に加わろうとして、宝来家の当主がこしらえたものだそうです」

「明治の御一新じゃと。爺様が曾爺様の頃か?さあて、蔵の中にそんなものがあったかもしれんが覚えておらん。蔵のあった場所に出来たのが美嶽のセメント会社だ。蔵を売った後、宗治が蔵の中のものを管理しておったが、置く場所がないんで、皆、宗治が処分しよった」

 美嶽セメントのある場所に宝来家の蔵があったのだ。

 宝来家は昔、美嶽セメントのある辺りに蔵を構える大地主だった。広大な敷地は蔵ごと美嶽家に売り払われた。敷地の一角、外れの外れにわずかばかり残った土地に今の宝来家が建っている。かつて、この場所には山申神社の参拝客向けに茶屋が建てられていた。外界に通じる山道の入り口に当たり、江戸期には旅籠が併設され、結構な賑わいだったそうだ。

 海岸沿いに国道ができてから山を越えて行く旅人が激減した。参拝客が減ると茶屋も旅籠も消滅してしまった。

 美嶽家が宝来家の土地を買い取った時、この地を宝来家のために残した。「あんな狐や狸が住むようなところ」と美鈴は言う。以来、宝来家は町外れの辺鄙な場所に、押し込められるようにして暮らして来たのだ。

「宗治は世捨て人みたいなもんだった。はよ、直樹が帰って来てくれんかな。あれだけは父親に似んで、宝来の男にしてはまともな人間だった。母親もろくでなしだったから、誰に似たのやら。父親なんぞ、早うに山に捨てておけば良かったものを」

 沖原美鈴は寂しそうな顔をした。

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