イタコの末裔

 夢を見た。

 森の中のようだ。見知らぬ男だ。若い男が首を吊っている。木の枝にロープを結んで首を吊っているのだ。だが、死んではいない。自分を見下ろしながら何か言っている。怒っているようだ。首を吊っているのに、激しく両手、両足を動かし、身振り手振りを交えながら何か叫んでいる。必死で何かを伝えようとしている。

――やめろ!そんなことすると死んでしまうぞ‼

 男の元に駆け寄って、木の枝から男を担ぎ下ろそうとするが手が届かない。早くしないと死んでしまう。必死に手を伸ばす。指先が男の靴に触れる。もうちょい、あと少しだ。だが、届かない。

 足場になるようなものはないか。辺りを見回す。だが、森の中だ。何もない。

――そんなことは良い。俺の話を聞け!

 男はそう叫んでいるような気がした。どうすれば良いのだ。

 軽くジャンプをしてみた。男の足首がつかめた。やった!掴んだ、と思った。だが、逆効果だ。体重をかけてしまった。男の首が絞まる。男がじろりと睨みつけてきた。両目が真っ赤だった。

 悪い。御免。慌てて手を放す。

 そこで目が覚めた。

 冬だというのに、びっしょり寝汗をかいていた。

「シャワーでも浴びるか」西脇は仮眠室を出た。

 社員食堂で朝食を済ませ、職場に顔を出すと、ディレクターの寺井が来ていた。「西脇さん。またお泊りですか?」呆れたように言う。

「何故、局に泊ったと思うんだ?」

 シャワーを浴びたから寝癖はついていないはずだ。シャツも着替えてある。

「だって、西脇さん。その恰好。シャツ一枚で出勤して来たって言うのですか?」

「ああ、そうか」上着とダウンはデスクの後ろのポールハンガーに掛けっぱなしになっている。

 西脇は日頃、寺井のことを「あいつは気の抜けたビールだ。キレがない」と言っている。天然パーマでジャガイモのような顔、鷹揚で間の抜けたところがあって、他人を蹴落とすような性悪さがない。「もっと小狡くになれ!」と何時も言っているが、今日は鋭いところを見せてくれた。「いいね~」と西脇は寺井に親指を立てた。

「宮崎さんが何か、話があるようですよ」寺井が言う。

「宮崎が? 何だろう?」

 もう出勤しているはずだと言うのでアナウンス部に顔を出す。宮崎が来ていた。デスクの横に新人っぽいアナウンサーを立たせて、椅子に座ったまま話をしている。口調は穏やかだが、若いアナウンサーの恐縮した様子を見れば説教をしていることは一目瞭然だった。パワハラにならないギリギリの線を狙っている。こういうところが宮崎を敬遠したくなる原因だ。

「宮崎ちゃん。何か用だって~」

 新人君の為に助け舟を出してやった。西脇に気が付くと、「あっ! 西脇さん。わざわざお越し頂いて恐縮です」と宮崎は立ち上がって挨拶した。世慣れたものだ。

「宮崎ちゃん、早いね~」

「サラリーマンですからね。出番がない時は、定時に出勤するようにしています」

「偉いね~サラリーマンの鏡だね」

「西脇さん、ちょっとこちらへ。例の生首事件に関して情報があります」宮崎は西脇を会議室へ引っ張って行った。

 何処も似たような窓の無い会議室だ。向かい合って腰をかけると、宮崎はテーブルに肘をついて体を乗り出した。

「アナウンサーなのに事件の情報を取って来てくれたのかい? 流石、独立しようっていう人は違うね~」

 宮崎は苦笑いをしただけで肯定も否定もしなかった。「東野正純ひがしのまさずみという人物が行方をくらましていることはご存じですよね?」

「東野正純?」

「今井町の農協で組合長を務めている東野正一さんの弟です」

「というと東屋の三男坊?」

「東屋? ええ、そうです。次男坊を正明まさあきさんと言って、大学卒業後、上総証券に就職していて、今は東京本社勤務です。僕の大学時代の友人が正明さんと知り合いだったので連絡を取ってもらいました。色々、話を聞いて来ました。西脇さんに伝えておこうと思い、朝から探していたのです」

「サンキュ~助かるよ」

「鬼牟田先生に教えてあげて下さい。是非、鬼牟田先生の推理をお聞きしたい」

「分かっているよ」

 皆、圭亮の推理を聞きたがる。

 宮崎が得意満面の表情で語り始めた。「東野家の三男、正純さんは正明さんほどの頭は無かったようで、地元の大学を卒業してから定職につかずに実家で家事手伝いをしていました。生首事件の被害者、碇屋恭一氏の弟さんと同級生で幼馴染だそうです。碇屋恭一氏の生首が発見される三日前、正純さんは美嶽家を訪れています。美嶽家というのは――」と説明しようとする宮崎に「今井町でセメント会社を経営している家だよね」と口を挟むと「流石に西脇さん。よくご存じだ」と軽くいなして話を続けた。

 美嶽家は代々、かつては振袖神社と呼ばれた山申神社の禰宜を勤めて来た家柄だ。生首が見つかった神社だ。今井町の北西の山裾の小高い丘にある。山王権現を祭ってあり、今井町を見下ろす大笠山おおかさやま山系を崇めるために建立された神社だ。その大笠山山系に連なる三本松という山腹の丘まで山道が続いているが、神社はその登山口辺りにある。

 古くは三本松を越えて他郷へ旅する際に、神社で道中の無事を祈ったものと思われる。今は海岸沿いを国道が走っているため、山を越えて旅をする者などいなくなってしまった。参拝客のいない寂れた神社となってしまっている。

 山申神社から山裾を西に回った今井川の上流部分の丘の上に美嶽家がある。

「ほう~神社に所縁のある家なんだ~」

「神社の縁起として聞けたのは、大体、こんな内容でした。鬼牟田先生の推理の参考になりますかね? ちょっと脱線しましたが、事件前に東野正純さんは美嶽家を訪ねました。振袖祭りで行われる青年団の催しへの寄付を申し込む為でした」

「振袖祭り?」

「振袖祭りは毎年立春の日に、今井漁港にある長福寺で行われる立春際です。今井漁港から長福寺まで旧街道沿いを夜店が延々と続くそうで、夜店を目当てに参拝客が訪れます。今井町にとって一年で最も賑やかな時期だということです」

 もとは立春祭だったものを、昭和の初めに振袖祭りと名付けた。ネーミングから振袖を着た若い女性の参拝客が増え、良縁を祈願する祭りと宣伝をするようになってから、参拝客が急増した。正月から間もない時期とあって、箪笥に仕舞い込む前に若い女性が振袖を着て訪れるのだ。

「振袖祭りで行われる青年団主催のダンス大会への協賛、要は金を無心する為に、東野正純さんは美嶽家を訪れました。そこで、急に頭が痛いと言い出した。頭痛薬をもらって暫く休んだところ、頭痛が良くなったと言うので、美嶽家の車で家まで送ってもらいました。その後、行方をくらましています」

「家に戻っていないのですか?」

「それがよく分からないのです。家に戻ったのか、家には戻らずに、また何処かに行ったのか。東野家は坂の上にあって、坂道の手前で車を降りたそうです。坂道を上る東野正純さんの姿を美嶽家の運転手と近所の主婦が目撃しています」

「不思議ですね~かき消すようにいなくなった訳だ」

「東野正純さんの失踪が例の生首事件と関連があるのか、その辺、鬼牟田先生の意見を聞いてみたいですね」

「了解。で、他に情報はないの? そうそう、美嶽の社長さん、郷土歴史家だって聞いたけど」

「美嶽社長がですか⁉ それは知りませんでした。美嶽家の先々代が小麦の売買で巨利を得て、それを元手に始めたのがセメント会社だそうです。当代の社長は婿養子だそうで、奥さんは絶世の美女と評判の女性だそうです。娘さんが一人いて、これまた母親譲りの美少女だという噂です。そうそう――」

 何か思い出したようで、宮崎はにっこりとほほ笑んだ。上品な顔立ちだが、笑うと途端に野卑に見える。

「娘さん。この春に大学を卒業予定だそうですが、町の有力者の子弟たちがこぞって結婚相手に名乗りを上げているそうです」

「ほほう~面白いね」

「行方不明の東野正純さんもその一人のようです」

「被害者の碇屋恭一も独身だったよね」

「港を牛耳る碇屋の長男ですから、花婿候補の一人だったかもしれませんね。ざっとこんな感じですけど、お役に立つでしょうか?」

「うん。参考になったよ。出来れば今の話、細かいところまでは覚えきれないから資料か何かにまとめてくれれば助かるのだけどね」

「ああ、それだったら、正明さんとの会話をボイスレコーダーに録音してあります。音源をコピーしてお渡しできます」

 長々と説明してくれたのだ。宮崎の手柄と言えた。「だったら最初から音源を聞かせてくれれば良かったのに――」とは言えなかった。


「音源はメールで送っておきます」と宮崎が言っていたので、席に戻ってパソコンを立ち上げてメールを開くと、藤代からメールが入っていた。


――美嶽セメントの社長、美嶽貴広みたけたかひろ氏に確認を取ったところ、近日中に東京に出張する用事があるそうです。是非、お会いして話をしたいと言うことです。

 こちらを出発するのは明日の午前で、明後日の午後二時からなら時間が取れるということでした。都内に宿泊予定で、できればホテルでお会いできないかと。西脇さん。ご都合、いかがですか?


 ありがたい。直接、会って話ができるということだ。美嶽社長が宿泊予定のホテル名が記されてあった。

 取材相手について調べておこうと、美嶽セメントのホームページに見に行ってみる。製品は西日本を一帯に広く販売されている。販路を関東地区へ拡大しているのだろう。資本金は一億円、山口県にはセメント会社が多いが、大手セメント会社からの出資はないようなだ。恐らく同族会社なのだろう。北九州、広島、大阪に営業所があり、年間の売上高は百五十億円、二百名以上の従業員を抱える非上場企業だった。

 早速、明後日の午後二時、ホテルを訪ねる旨、藤代に返信した。

 後は圭亮だ。テレビ出演を決めた時、退路を断つ覚悟で勤めていた商社を退職している。一時期、暇を持て余していたようだが、名前が売れたお陰で最近は忙しそうだ。雑誌のコラムの連載や企業から講演依頼が舞い込んで来ている。又、出版社より、国際経済に関する本を出さないかと打診を受けていると聞いた。

 まあ良い。忙しかろうと、引っ張り出すまでだ。どうしても都合が悪いようなら、スタッフを連れてインタビューの様子を録画させてもらいに行く。それを後で圭亮に見せれば良いし、そのまま番組で使うこともできそうだ。

 我ながら良いアイデアだと、ほくそ笑んだ。


 圭亮に夢の話をした。

 木から首を吊っている人物が文句を言っている変な夢だ。

 美嶽社長との会談のことを伝えると圭亮が飛んできた。商社を退社した時、海外駐在で蓄えた貯金で、圭亮は都内に事務所兼用の住居としてマンションを購入している。サクラ・テレビから利便の良い場所を選んでくれたので、テレビ局まで地下鉄で三十分程度だ。電話で済む話だったが、宮崎からの情報もある。来てもらえば情報交換ができそうだった。

 長い体を折りたたむようにして、何時もの会議室に現れた。エレベーターホールで買ったのだろう。また片手に缶コーヒーを持っている。コーヒー好きのくせにブラックコーヒーが苦手で、何時も甘ったるい缶コーヒーを買っている。

 打ち合わせを始める前に、雑談のつもりで夢の話をした。話を聞いた圭亮は「西脇さんはイタコの末裔ですからね」と言った。

 西脇自身は東京生まれだが、祖母は青森県の出身で、祖母の祖母がイタコだったという話を母親から聞いたことがあった。以前、そんな話を圭亮にした。

「だから何です?」

「夢で、誰かが何かを伝えようとしているのかもしれません」

「勘弁して下さい。僕にそんな能力はありません」

「分かりませんよ」圭亮は嬉しそうだ。

「すいません。鬼牟田先生の貴重な時間を浪費させてしまいました」

 圭亮が苦笑いしながら言う。「いえ、そんな。昨日も今日も、一日、暇でした」嘘がつけない。正直な人間だ。

「夢の話はともかく――」西脇は振袖村の話を始めた。

 藤代から聞いた話に宮崎から送ってもらった東野正明との会話を録音した音源データを聞いてもらった。

 圭亮は目を輝かせながら話に聞き入っていた。

 話が終わると「西脇さん。振袖村という閉鎖された場所に碇屋、東屋、西ノ庄という村の実力者ですか。そして、殺されたのは碇屋家の跡取り息子、これはもう金田一耕助の世界ですね~サタデー・ホットラインの金田一耕助としては張り切らざるを得ません。はは」

「是非、張り切って推理して下さい。先生、何か分かりましたか?」

「そうですね~」と言うので期待して答えを待ったが「全然、分かりません」と答えた。

 西脇がずっこける。「何も無いのですか?」

「はい。気になることだったら、いくつかあります」

「教えて下さい。こちらで調べられるようなことなら調べてみます」

「碇屋恭一氏は食堂で食事をした際に、に会ったと言っていたそうですね」

「ああ、そのこと。事件と関係があるのでしょうか?」

「分かりません。でも、例えばマコさんという女性の知人でもいるのかなと思いました」

「マコをマゴと聞き間違えたということですか?」

「タマゴと言ったのを聞き間違えたのかとも思ったのですが、タマゴに会ったりしませんからね。会ったという動詞を使ったからには人でしょう」

「じゃあ、タマコさんだった可能性もある訳ですね。他にはどうです?」

「東屋正純さんが行方不明だという話も気になりました」

「彼が犯人なのでしょうか?」

「東野正純さんが姿を消したのが、生首が発見される三日前。生首を発見したお年寄りたちは毎朝、散歩で神社にお参りをしていたと聞きました。碇屋恭一さんの死亡推定時刻が何時なのか分かりませんが、前日の早朝から生首発見当日の朝までに殺害されたと考えて間違いないでしょう。いずれにしろ、東野正純さんが失踪した後です。狭い村のようなので、身を隠すのは大変でしょう」

「と言うことは?」

「いえ、それだけです。現時点で、事件に関係あるのか無いのか分かりません」

「分からないのかいっ! ~って突っ込むところでしょうけど、止めておきます。で、先生、美嶽社長との面談、大丈夫ですよね?」

「はい。万難を排して駆けつけます」

「大袈裟な。良いのですよ。忙しいなら。インタビューの様子は録画しておきますので」と西脇が言った時、「大変です!」と久美が血相を変え、ノックもせずに会議室に飛び込んで来た。

「どうした? 先生と打ち合わせ中だよ」西脇がやんわりと注意する

「ごめんなさい! でも、寺井さんが直ぐに西脇さんに伝えろって。大至急だって言うものですから」

「寺井が? で、何?」

「テレビを見て下さい。私が説明するより、その方が早いと思います」

 会議中なのでテレビは消してあった。久美がリモコンでテレビをつける。

――が見つかった山口県今井町の山林で本日午後、男性のものと見られる遺体が発見されました。今井町では三日前から男性が一名、行方が分からなくなっており、事件との関連性を調べる為に男性の行方を探していました。

 西脇が顔色を変える。

 慌ててズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、七件の着信履歴が残っていた。藤代からの電話だった。圭亮との打ち合わせ前にマナーモードにしてあった。直ぐに折り返し電話をかけた。

「ああ、西脇さん。良かった。つかまった。大変なことになりました」

「すいません。鬼牟田先生と会議中でした。今、テレビをつけたところです」

「森で首を吊っていたのは東野正純のようです」

「東野正純⁉ 誰が? どうやって遺体を発見したのですか?」

「今井町では今日、山狩りが行われていて、警察官が大勢、やって来ています。山狩りの部隊が遺体を発見したようです」

「山狩り? 東野正純が山に逃げ込んだという情報でもあったのですか?」

「いいえ。東野正純を探していた訳ではなく、碇屋恭一の胴体部分を探していて、東野正純の遺体を見つけたようです」

「ああ、そうか」

 碇屋恭一の胴体部分は未だ見つかっていない。生首が発見された神社は山裾にある。当然、山中に胴体部分が遺棄された可能性が高い。胴体部分を探して、神社を中心に山狩りが行われていたのだ。

「西脇さん。東野正純が碇屋恭一を殺害し、それを苦に自殺したのでしょうか?」

「まだ分かりません」

「そうなると、この事件も一件落着ですね。不謹慎ですけど残念です。折角、こうして西脇さんと共同戦線を張ることができたのに」

 藤代との共同戦線はともかく、これで鬼牟田圭亮との取材旅行は無くなりそうだ。報道局長に話をする前で良かった。

 電話を切ると、圭亮が怯えた表情で「西脇さん」と名前を呼んだ。

「何です? 先生。そんな不景気な顔をして」

「気がついていないのですか?首吊り死体ですよ?」

「どうやら首を吊ったのは東野正純のようです。やつが犯人で決まりでしょうね」

「違いますよ。ほら、西脇さんの夢。首を吊った男が何か話しかけてきたっていうやつです」

「あっ・・・」西脇は絶句するしかなかった。すっかり忘れていた。

「東野正純さんは西脇さんに何かと訴えたかったのかもしれません」

「そんな馬鹿な。変なこと言わないで下さい」

 圭亮は会議の冒頭、言った言葉を繰り返した。「分かりませんよ。西脇さんはイタコの末裔なのですから」

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