血塗られた伝説

 丸顔で人の良さそうな顔をした紳士が出迎えてくれた。

 社長だと言うので、でっぷりと太った中年の紳士を想像していたのだが、中肉中背、威圧感は感じられなかった。にこにこと満面の笑みを湛え、商店街の親父といった雰囲気だ。特徴的な太い眉毛が意思の強さを現している。

「どうも、はじめまして。美嶽貴広です。テレビ、何時も拝見しております。今日はよろしくお願いします」

「サクラ・テレビの西脇です。今日はお忙しい中お時間を頂き、また貴重なお話を聞かせて頂けるそうで誠にありがとうございます」

 こういうところ、西脇は如才がない。

 藤代を経由して面談の約束を取ってもらい、美嶽セメントの社長、美嶽貴広を訪ねてホテルに来ていた。

 東野正純の首吊り死体が発見されたことから、犯人は東野正純で犯行を苦に自殺したと判断した他局は、事件は既に終わったものとして報道を減らしている。だが、西脇は「事件はまだ終わってはいない」とスタッフに言い続けていた。

「碇屋恭一氏の胴体部分が見つかっていません。東野正純氏が犯人だと決めつけるのは時期尚早なような気がします」と鬼牟田圭亮が言っているのだ。

 藤代からも「まだはっきりとはしませんけど、県警は東野正純が犯人だとして、事件に幕引きを図るつもりはないようです」という内部情報があった。藤代個人も「東野正純は犯人ではないと思います」と言っていた。無論、そこには願望が込められている。

「何故、そう思うのです?」と聞くと、「関係者から話を聞きましたが、そういう性格ではないのです。万に一つ、かっとして殺してしまったにしても、首を切り落とすなんて出来る訳がない。そういう人間だというのが関係者の一致した意見です。それに――」と言って、やや躊躇った後で「刑事の感ならぬ、記者としての感ですかね。はは」と言って笑った。

 宮崎も西脇の意見に同調した。

「あれから正明さんと連絡を取ったのですが、彼も弟さんが碇屋恭一さんを殺害したなんて信じられないと言っていました。碇屋恭一さんは筋金入りの不良で腕っ節の強い漁師です。やわな弟さんでは歯が立たない。隙を見て襲い掛かったとしても、とてもとても適わない――と言っていました。それに、何があったとしても弟は自殺なんてしない。弟にそんな勇気なんてないと言っていました」と情報をくれた。

「東野正純が犯人でないとすると、一気に連続殺人事件の可能性が高くなる。今週も今井町の事件で行くぞ!その線で進めてくれ。他局を出し抜くぞ‼」西脇は寺井に発破をかけた。

 こうして予定通り、美嶽貴広との面談がセッティングされたのだ。

「美嶽社長、こちらが鬼牟田圭亮先生」

 そう紹介すると圭亮は「初めまして、鬼牟田圭亮です」と右手を差し出した。貴広は一瞬、躊躇った後に、がっちりと圭亮の右手を握り返した。

 海外生活が長かったせいか、圭亮は人と会うと握手を求めてしまう。握手に慣れない日本人は怪訝な表情をしたり、女性だと明らかに戸惑いの表情を浮かべたりする。

 流石に小なりと雖も会社の社長だ。宿泊先はリビング・ルームと寝室が分かれたスイート・ルームだった。

「美嶽社長。今日のインタビューの様子を番組で使わせて頂くかもしれません。予め許可を頂いておきたいのですが、よろしいでしょうか?」と尋ねると貴広は「あ、え、ええ。はい。私などがテレビに出て良いのですか?」と困惑した。

「勿論です。立派な会社の社長さんじゃないですか」

 そう答えながら、西脇は引き連れてきたクルーに撮影機材を運びこませた。リビングのソファーを中心にカメラや録音機材のセッティングが始まった。

 久美が「失礼します」と貴広の上着の胸元にピン・マイクをつける。話をすれば良いだけだと思っていたようで、インタビューがテレビで流れるとは考えていなかった様だ。

 撮影準備が終わると、「では、鬼牟田先生、お願いします」と西脇がインタビュアーとして圭亮を指名した。

「えっ⁉」圭亮が飛び上がる。

 こちらもインタビュアーをやらされると聞かされていなかった。「僕がインタビューするのですか?」と泣き出しそうだ。

「他に誰がいるのです?うちの番組に出ているのは鬼牟田先生だけでしょう」

 西脇が切り捨てる。「ぼ、僕なんかがインタビューしたら、後で使えなくなってしまいますよ」と圭亮が泣き言を言うのを「ダメならバッサリ切りますから――」と身も蓋もない返事だった。

 インタビューが始まった。明るすぎるほどの証明が美嶽貴広を照らす。

「美嶽社長は、ええっと、先日、山口県で起こった殺人事件の、あの~その~生首が置かれていた神社や今井町の歴史に、あの~お詳しいとお伺い致しました。今日は、ええっと~町の歴史や神社の縁起みたいなものを、あの~教えて頂きたいと思います」

 圭亮のたどたどしい質問に、緊張の面持ちで貴広が答える。「はい。先ず申し上げておきたいのは、私は土地の人間ではないと言うことです。小倉の生まれで、家内と結婚して今井の町に移り住みました。旧幕臣の子孫が長州に住んでいるのが面白くて、土地の歴史を調べているうちに、すっかりはまってしまいました。私の家系は農家なものですから、先祖が幕臣だった訳ではありませんが」

「はは。なるほど。小倉は譜代の小笠原氏ですから、小倉出身の美嶽さんは旧幕臣の子孫だという訳ですね」圭亮の大好物、歴史の話だ。一気に緊張が和らぐ。

「今井の町は、昔は振袖村とか振袖の里と呼ばれていました。三方を山に囲まれ、前は瀬戸内海とまるで陸の孤島のようなところです。山の上から町を見下ろすと平地が振袖の形をしていることから、昔の人は村を振袖村と呼びました。もっとも私なんかが見ると、町の中央を流れる今井川に沿って細長く平地が広がっているだけで、褌の形にしか見えません」

「褌ですか!?」圭亮が笑った。

 これで二人共、緊張が解けた。

「今井川は昔、振袖川と言っていたそうです。振袖の町は平安の昔から三つの家により支配されてきました。今井川から西側、西ノ庄と呼ばれる一帯を支配する宝来家、今井川から東側一帯を支配する東屋、そして港を支配する網元の碇屋家の三家です」

「最初の犠牲者、碇屋恭一さんは碇屋の関係者だとお聞きしました」

「はい。恭一さんは碇屋家の跡取り息子でした。碇屋家は振袖港を代々、差配して来た網元です。大網化して行く漁業の拡大に合わせて肥大化し、網元としての地位を確立しました。漁業は今でも今井町の産業の柱のひとつです。

 漁協の組合長を務める父、信雄さんが通風を発症し、最近はあまり漁協に顔を出さないため、恭一さんが代理を勤め、漁協を切り盛りしていました。恭一さんには、弟の象二郎しょうじろうさんと、娘と同級生の妹の美羽みうさんがいます」

 噂の美人の娘さんだ。

「そして、先日、遺体が見つかった正純さんの実家が東屋こと東野家です。今井川から東側一帯の田畑に山林を領するかつての地主でした。今でも町一番の富農です。当主の正一さんは今井町農協の組合長を勤めています。正明さんと正純さんという弟さんがいて、正明さんは東京の大学を卒業した後、証券会社に就職し、東野家を離れています。正純さんは地元の大学を卒業してからずっと家事手伝いをしていたようです」

 要は無職のごく潰しだということだ。この辺りは既に情報を仕入れてある。圭亮は貴広の話に聞き入っているようで「もうひとつ、西ノ庄、宝来家はどうなっているのですか?」と目を輝かせながら尋ねた。

 インタビューだということはすっかり忘れているようだ。

「振袖三家の最後の一家、宝来家は今井川から西側一帯の農地と山林を所有する西の大庄屋でした。往時には東屋をしのぐ勢力を有し、振袖村全体を手中に治めていたこともあるそうです。ですが、盛者必衰の理通り、代々、放蕩者が続き、由緒ある家系も今は見る影もありません。当代の宝来宗治ほうらいむねはるさんの子、直樹さんは出来の良い若者で、凋落を続けた宝来家も直毅さんの代になれば持ち直すのではないかと期待されていました。直樹さんが子供の頃に両親が離婚しており、お母さんが家を出て行ってしまいました。父子家庭でした。直樹さんは地元の大学を卒業した後、町役場に就職し、働きながら父親の面倒を見ていました。それがある日突然、失踪したのです」

「えっ⁉ 行方不明になった若者が他にもいたのですか?」

「一カ月くらい前のことです。直樹さんは役場を定時に退勤した後、家に戻りませんでした。父親の携帯電話に、生きて行くのに疲れたという遺言ともとれる短いショート・メッセージを送り、行方をくらましたのです。失踪というと、事件みたいですけど、二人を知る村人は皆、直樹君が宗治さんを捨てて家を出ただけだと言っています。単なる家出です。まあ、正直、宗治さんは怠け者で自己中心的、良い父親とは言えない人ですから。直樹君、よく今まで我慢したと思います。村人はトラブル・メーカーだった父親に愛想を尽かして家を出たのだと噂しています」

「その後、家には戻っていなのですね」

「はい」と貴広が頷くと、「ふうむ・・・」と圭亮が考え込んだ。

「先生、先に進めて」と西脇がカメラの後ろから小声で注意する。

「あっ、すいません。昔ながらの伝統ある町だということが、よく分かりました。そう言えば美嶽さんのご実家は神社と関係が深いとお聞きしました」

「私は入り婿ですので、厳密には家内の実家になります。没落した宝来家の田畑、山林、家財の一切を買い取って大きくなったのが美嶽家です。美嶽家は振袖神社と呼ばれた今の山申神社の禰宜を代々勤めて来ました。先々代の利三は先見の明のある人で、明治の世になると大阪に出て小麦の売買で巨利を得ました。振袖村に戻ると宝来家の田畑、山林、家財を買い取り、山林に眠っていた石灰岩に注目し、セメント会社を興しました。

 跡を継いだ先代の真治も傑物でした。農家の次男坊で、もとは美嶽家に仕える下男に過ぎなかったそうです。立志伝中の人物、利三に一心不乱に仕え、その才を愛でられました。そして、ある日、利三に、お前に力をやろうと言われたそうです」

「力ですか」

「真治は利三に請われて美貌の一人娘、静の婿となりました。娘と結婚させることで、真治に美嶽家の全てを継承する権利を与えたのです。利三の言う力です。真治は利三の期待に応え美嶽家を発展させました」

 美嶽家の当代、貴広も入り婿だ。しかも、奥さんは美人だと言う。つまりは貴広も真治に力を与えられた人間だということになる。そのことを圭亮が言うと、貴広は「はは」と笑って「私なんかは不肖の婿ですから、先代はきっと泉下でオカンムリだと思います。あんなやつに娘をくれてやるのではなかったって」と謙遜した。

 馴れ初めを聞いてみると、プライベートは話したくないようで、妻は大学のゼミの後輩なのですと軽くいなされてしまった。

「脱線しましたね。神社の歴史というと、どうしても外せない出来事があります。今日の会談が決まってから、郷土史をおさらいしていて、今回の一連の事件との恐るべき符号に気がつきました。今日はそのことを、どうしても話さなければと思いやってきました」

「どうしても外せない出来事ですか?」

「時は源平の昔に遡ります」

「おおっ!随分と昔の話ですね」

 歴史好きの圭亮が身を乗り出す。

「平氏一門に名を連ねていた高階経章という貴族が、平家の没落と共に兄、泰章の荘園だった西ノ庄にやって来ます。兄は悪大弐と渾名された十人力の強者でしたが、経章はあまり壮健な性質ではなかったようです。一ノ谷から屋島、そして壇ノ浦へと続く平家の都落ちに、途中でついて行けなくなり、兄の荘園に残りました。西ノ庄で兄の帰りを待つことにしました。何時の日か、平家が源氏を滅ぼし、都に凱旋する日がやってくると信じていたようです。

 そして、壇ノ浦の戦が起こります。ご存知の通り、平家はわずか一日にして滅亡してしまいます。戦後、源家による平氏の落人探しが始まりました。何時、振袖の村に源家の追及の手が伸びてくるか分かりません。当時、宝来家は甚兵衛じんべえ、東屋は利右衛門りえもん、碇屋は嘉平かへいの三人が当主を勤めていました。平氏の落人を匿っていると、源家よりどのような罰を下されるか分かりません。三人は額を寄せ合って、都の貴人をどうすれば良いか相談しました。

 実はこの三人、それぞれ胸に一物を抱えていました。

 荘園領主だった泰章は壇ノ浦の戦で平氏と共に海の藻屑と消えたはずです。宝来甚兵衛は経章さえいなくなれば荘園を我が物にできると考えました。碇屋嘉平は経章が都より連れてきた美人の奥方に懸想していました。美人の奥方を我が物にするためには経章の存在が邪魔だったのです。そしてもう一人、東屋利右衛門です。こちらは経章が都より運んできた珍しい家財を残らず渡すので、仲間に加われと甚兵衛と嘉平に言われ、二人の悪巧みに加わりました。利右衛門は奥方に付き添って来た若い婢女をもらい受けたいと条件を加えたようです。そこで――」

「そこで?」

「時は初夏、三人は暑くなって来たので、納涼の夜船を仕立てました。夕涼みでもいたしましょうと経章を誘い出します。何も知らない経章は喜んでやって来ました。夜の海の船上で、獲れたての珍味でもてなし、酒を飲ませて経章を酔いつぶしてしまいました。もともと壮健の性質ではない経章は酒が強くなかったみたいです。そして、残酷なことに、経章が寝入ると、足に錨を縛り付けて、生きたまま海に放り込んでしまったのです」

「まあ――!」

 話に聞き入っていたアシスタントの久美が悲鳴を上げた。西脇が久美を睨む。久美がばつの悪そうな顔をした。

「そして三人はそれぞれ望みの物を手に入れました。ところが、話はこれで終わらないのです。死んだと思われていた泰章が生きていたのです。壇ノ浦の戦で重傷を負って海に落ち、潮の流れに乗って何と豊後の地、今の大分県まで流されてしまっていたようです。

 泰章は生きていました。泰章は源家への復讐を誓い、当時、鉄輪と呼ばれていた別府の湯で養生し、体が回復するのを待っていました。ようよう傷が癒えた泰章は、荘園で待っている弟のことが気になりました。泰章がひょっこり振袖の里に戻って来ました。ところが、振袖の里に経章の姿はありません。

 近くにいた農民を締め上げると、経章が都から連れてきた婢女が東屋にいると言います。泰章は東屋に乗り込みました。そこで、利右衛門を捕まえると庭に連れ出しました。そして、利右衛門の首に縄を巻きつけると庭の木の枝にかけて吊り上げ、本当のことを言わないとこのまま縊り殺すと脅しました。

 利右衛門は三人の企みを白状しました。そして、命だけはお助けをと命乞いをしましたが、泰章は許さず、利右衛門をそのまま縊り殺してしまったのです」

「何と、東屋利右衛門は縊り殺されたのですね!利右衛門の子孫にあたる東野正純氏は首を吊った状態で死んでいました」

 圭亮の言葉が、静まり返った室内に響き亘った。

「正純君が自殺したことを聞いた時は驚きました。でも、まだ続きがあるのです。怒りに燃えた泰章は刀を腰に、槍を手に、今度は碇屋に攻め込みました。気の荒い漁師たちも、悪大弐の敵ではありません。あっという間に蹴散らされ、泰章は嘉平の首根っこを押さえ込みます。知らぬ存ぜぬと不敵に笑う嘉平に、あの世で経章に詫びよと言い放つと、血刀一閃、首を刎ねてしまいました」

「碇屋の子孫、恭一氏も首を刎ねられています!」

「それでも泰章の怒りは納まりませんでした。まだ宝来家の甚兵衛が残っています。嘉平の首を片手に、村を駆け、泰章は宝来家に押し入ります。嘉平の生首を片手に家に押し入ってきた泰章を見て甚兵衛は肝をつぶしました。屋敷内を逃げ回る甚兵衛を追い回すと、泰章は槍で串刺しにしてしまいました。

 復讐を果たし、振袖の里を立ち去る時、泰章は嘉平の生首を神社に供えて姿を消したと言い伝えられています。神社に嘉平の首を供えることで見事仇を討ち果たしたことを鬼籍に入った経章に知らせたかったのでしょう。あの神社、かつては振袖神社と呼ばれていましたが、以降、誰ともなく、生首神社と呼ぶようになりました」

「碇屋恭一氏の事件そのものですね。恐ろしいくらいに符号している。生首神社!何とも薄気味の悪い名前です」

 圭亮の頭脳は活動を始めていた。俯瞰的演繹法を駆使して結論を導き出そうと動き始めていたのかもしれない。

「生首神社では、いかにも印象が悪いので、神社は今、山申神社と呼ばれています。神社で祭ってある祭神の一人、猿神から来ています。山申神社の「しん」の字は干支の「申」という字を書きます。山猿という意味です。町では子供が言うことを聞かないと猿神様がやって来て、首根っこを引っこ抜くぞと脅かす習慣があります。これは泰章の故事と地場の猿神信仰が混同したものと思われます。

 今井の町は、振袖村とか振袖の里と呼ばれていたと最初に申しましたが、実は江戸時代までは近隣の村人から生首村とか生首の里と呼ばれていたそうです。

 土地の者はそう呼ばれるのを嫌がっていたようです。明治二十二年施行の市制と町村制が施行された際に今井町と名づけました。振袖村という愛着のある村名を捨て、まったく新しい町名を選んだのです」

「・・・」衝撃だった。美嶽貴広の話に、一瞬、我を忘れた。

 沈黙が部屋を支配した。慌てた西脇が「先生。鬼牟田先生」と小声で注意した。圭亮が我に返る。「源平時代の出来事が、江戸時代まで土地の人々を苦しめた訳ですね」

「はい。それと、高階泰章の復讐事件は我が家にも関係があります。ちょっとした後日談があるのですが・・・」

「何です?教えて下さい」圭亮が身を乗り出す。

「うちに伝わる家伝なのですが、碇屋嘉平に略奪された経章の奥方は子供を身ごもっていました。経章の子です。やがて玉の様な女の子を出産しました。奥方は出産がもとで亡くなったと言います。子供は直ぐに養子に出され、その子の子孫が美嶽家だという言い伝があります」

「美嶽家は平安貴族の血を引く、歴史的な名家なのですね」

「私は婿養子ですから平安貴族の末裔ではありませんが、妻や娘はそうなります。最も家伝なんて大抵が後世の作り物ですから信用できませんが」

 そう言いながら、貴広はどこか自慢気だった。

「美嶽さん。今、お話になられた高階兄弟と振袖村の三家をめぐる血生臭い話なのですけど、町の人は皆、その伝承を知っているのでしょうか?」

「そうですね。先ほども言いましたが、土地には子供が言うことを聞かないと、猿神様がやって来て首根っこを引っこ抜くと脅かす習慣があります。町の人間なら、多かれ少なかれ伝説を知ってはいると思います。でも、まあ、細かいところまでは知らない人がほとんどだと思いますが、ただ――」

「ただ?」

「振袖村の歴史については、お恥ずかしい話、今井町の歴史という小冊子をまとめて役場や図書館などの公共施設に置いてもらっています。それに自費出版ですが、ちょっとした郷土史の本を出していて、そこにも書いてあります。本を町の図書館に寄贈してありますし、うちの会社の受付にも置いてあったりしますので、それを読んだ人は知っていると思います」

 圭亮の考えていることが何となくわかった。村の歴史を知っている何者かが伝説をなぞらえて殺人を行っている。しかも被害者は伝説の犠牲者の子孫たちだ。八百年以上も前に騙まし討ちにあった高階経章の怨霊が現代に蘇って、自らを陥れた者たちの子孫を呪い殺している。きっとそんなことを考えているのだ。

「鬼牟田さん、そろそろお時間です」

 一時間の予定だったが、すでに時間をオーバーしていた。西脇が声をかけた時、がちゃりとドアが開いて若い女性が部屋に入って来た。部屋に大勢、人がいることに驚いて、入り口で立ち往生してしまった。

「あっ、娘の奈保子なおこです」貴広が紹介する。

 この春に大学を卒業予定で、父親の東京出張に同行し、東京観光を楽しんでいるのだと言う。美人だ。母親の美貌を受け継いだのだろう。噂通りだ。柔和な顔立ちで、見れば見るほど引き込まれる美しさだ。

 如才のない西脇が声をかけた。「お嬢さん、すいません。今、終わりましたので」

「私のことは気になさらずに続けて下さい」

 どこかおっとりして見える。その辺りは父親の貴広の遺伝だろう。

「でも、ご予定がおありでしょうから」

「父はこの度の打ち合わせを非常に楽しみにしておりました。仕事そっちのけで、昨日まで郷土史を調べなおしていてくらいですから」奈保子が笑う。

 笑顔もまた魅力的だ。

「あ、あの、最後にひとつだけ」珍しく圭亮が強引に会話に割り込んだ。「伝説では三人目の犠牲者がいます。宝来さん・・・でしたっけ?西の庄屋さんは、息子さんが行方不明になっているとお聞きしました。他にお子さんはいらっしゃらないのでしょうか?」

 西脇は一瞬、奈保子が眉をひそめたのを見逃さなかった。

「娘さんが一人、いますが、村にはいません。宗治さんは離婚されていて、娘さんは奥さんに引き取られて村を出ています。今は確か関西方面にお住まいだと思います」

「そうですか・・・」と圭亮が呟いた。

 伝説に基づいて殺人事件が起きているのだとすると、次の犠牲者は宝来家の関係者だということになる。それを圭亮は心配しているのだ。美嶽社長の予定もあるが、今週の番組の放送が明後日に迫っている。美嶽社長のインタビューの様子は是非、編集して番組で流したい。

「先生、そろそろ」西脇はインタビューを打ち切った。

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