幕切れ・エピローグ

 サクラ・テレビの会議室でビデオ会議が開催された。

 浅井と約束した生長を交えての情報交換だ。結局、ビデオ会議が開かれたのは、週末のサタデー・ホットラインの放送が終わり、翌週になってからだった。圭亮の話によると金曜日の午後に須磨がマンションを訪ねて来て、捜査状況を教えてくれたということだった。

 ギブ・アンド・テイク、圭亮の推理で捜査に進展があれば、須磨は捜査状況を教えてくれることがある。だが、テレビで放送できる内容は須磨により制限される。実際、週末の放送でも「警察発表以外の情報を放送するのは止めて頂きたい。まだ捜査が終わっていません。山口県警の捜査に支障が出るようなら公務執妨害に問われる可能性があります」ときつく言われていた。

 圭亮以上に世間ずれしている西脇だ。須磨の忠告を無視して、現時点で圭亮が抱えている捜査機密をすっぱ抜けば番組が世間の注目を浴びることは分かり切っていた。その効果は如実に視聴率に現れるだろう。だが、それは一時的なものだ。

 ここで警察に恩を売っておけば、長期的な友好関係を構築できる。圭亮を通して捜査情報を得ることができるようになるはずだ。大事なのは、他局に先んじて特ダネを流すことだ。一日でも良い。他局を出し抜くことができれば、それだけで視聴率は跳ね上がる。泣く泣くそう判断して週末の放送では圭亮が掴んだ情報をリークすることを見送った。

 ただ、元は取っておきたい。

 圭亮の出張旅費を負担しているのはサクラ・テレビだ。会議室に置かれたパソコンの画面には圭亮だけが映っていたが、会議室の隅には西脇がいた。カメラの死角になるようにビデオ会議に参加して会話を聞かせてもらっていた。

「それくらい、多めに見て下さい。大丈夫です。一言もしゃべりませんから生長さんたちには分かりませんよ」と嫌がる圭亮を押し切った。

 新幹線の中で、ざっとだが圭亮の推理は聞いていた。だが、詳しいことが分からない。今日はその点がクリアになるはずだ。

「鬼牟田さん。お久しぶりです。色々、お世話になりました」生長の言葉で会議が始まった。「どう進めましょうか?」

「鬼牟田さんにお任せします」

「では、先ず、僕が推理した今回の事件の全容を時系列に沿ってお話します。訂正や補足があればお願いします」

「良いですね。お願いします」

 圭亮は大きく頷いてゆっくりと話し始めた。「事件の発端は宝来直樹氏の失踪でした。宝来直樹氏が実は宝来宗治さんと美嶽瑠璃子さんの間に出来た子供だった。そのことが事件の遠因になっています」

 一昨日、美嶽瑠璃子が連続殺人事件の実行犯として自主して来た。圭亮の予言が見事、的中した訳だ。現在、柳井警察署で取り調べが行われている。

 こうして、世間を騒がせた生首村の連続殺人事件は幕切れを迎えたのだった。

 生長が早速、補足をする。「美嶽瑠璃子さんの供述によると、大学一年生の夏休みに実家に帰省した際、年老いた両親のことが心配になり、神社に両親の健康を祈願に行きました。美嶽家は山申神社の禰宜を起源としていますから山申神社にお願いすれば先祖様のご加護があると思ったそうです。ご存じの通り、日中でも人気の無い神社です。偶然、彼女の姿を見かけて、こっそり後をつけていた宝来宗治に襲われ、そして子供を身籠ってしまったということです」

「そういう事情があったのですか・・・」

「妊娠が分かった時には、既に中絶は無理だったそうです。当時の美嶽家の当主、真治氏は瑠璃子さんの妊娠を知り、そして相手が宝来宗治だということを知って烈火の如く怒った。美嶽真治氏の実家は、もとは宝来家の小作農です。宝来家には積年の恨みがあった。宝来家に押しかけた真治氏は宝来宗治を殴り続けた。瑠璃子さんが必死に止めに入りました。怒りのおさまらなかった真治氏は宗治に向かって宝来家の血を美嶽の家に入れることなど絶対に許さない。生まれてくる子供はお前が育てろと言い渡したそうです」

「瑠璃子さんは、どういう経緯であれ、授かった子供を降ろしてしまうことができなかったのでしょうね。それで中絶が無理な時期になるまで父親の真治さんに妊娠のことは話さなかったのではないでしょうか」

 西脇は瑠璃子の意思の強そうな顔立ちを思い出した。

「お腹が目立ち始めるようになると学校を休学して子供を出産しました。産まれた子供は直ぐに宝来宗治に預けられ、宗治は鬼牟田さんが大阪でお会いになられた木村由希子、旧姓は梅本というそうで、梅本由希子と結婚した。宗治と瑠璃子さんの子供、直樹氏を育てるために、美嶽真治氏が二人の結婚を仕組んだことは鬼牟田さんのご推察通りです」

「僕の推察ではなく、木村由希子さんが言っていたことです。僕の推察を続けましょう。宝来直樹氏の出生の秘密は守られたままでしたが、ある日突然、直樹氏が失踪しました。これが今回の一連の殺人事件の発端となった訳です」

「宝来直樹氏の失踪事件についても、美嶽瑠璃子さんから供述が取れています。町に遊びに行った奈保子さんが、帰りのバスでたまたま直樹氏と一緒になりました。もともと顔見知りです。仲も良かった。バス停に迎えに行った瑠璃子さんは二人が一緒にいるのを見て焦りました。デートをしていたと勘違いしたのです。世間では直樹氏を奈保子さんの花婿候補などと言いはやしていましたが、二人は腹違いの兄妹です。二人を結ばせる訳には行かない。バス停が港にあることから、運悪く、碇屋恭一も二人を目撃していました。碇屋恭一は宝来直樹氏に出し抜かれたと勘違いしたようです」

「不幸な偶然が重なった訳ですね。奈保子さんは直樹氏のことを、どう思っていたのでしょうね」

「それは分かりませんが、心配になった瑠璃子さんは翌日、宝来直樹氏に電話をかけた。話があると言うと、直樹氏は仕事が終わってからお邪魔すると答えました。瑠璃子さんは後藤に頼んで、直樹氏が勤める役場に迎えに行ってもらいました。美嶽家に来てもらい、瑠璃子さんは直樹氏に美嶽家と宝来家は過去の因縁があって、奈保子さんとの交際は認められないと告げました。それを聞いた直樹氏は悲しげな笑顔を浮かべて、分かっています。僕と奈保子さんの間には何もありません。昨日は偶然、バスで一緒になっただけです。僕は母に捨てられた子です。奈保子さんに相応しい訳がないと答えたそうです」

「直樹氏は全てを知っていたのでしょう」

「瑠璃子さんもそう思ったそうです。丁度、直樹氏の携帯電話が鳴り、すいませんと電話を取りました。やがて電話を切ると、正純からでした。何か急な用事があるようです。今日は、えらく人気者だと言って笑ったそうで、自転車を置いてきたからと、再び、後藤さんに車で役場まで送ってもらいました。部屋を出る時、直樹氏は背を向けたまま小声でお母さんと呟いたそうです。ひどい母親で御免なさいと言って、瑠璃子さんは取調室で泣いていました」

 こういう話に圭亮は弱い。話題を逸らすかのように言った。「宝来直樹氏は碇屋恭一と東野正純に殺された。実際に手を下したのは碇屋恭一でしょうが、東野正純は直樹さんを呼び出しています。共犯と言えるでしょう」

「宝来直樹氏の事件に触れる前に、先ずは東野正純の殺人事件を紐解く必要があります。鬼牟田さんのお考えをもう一度、お聞かせ下さい」

「東野正純さんの殺害は計画的なものではなく突発的に起こったものでしょう。直樹氏は東野正純からの電話を受けて、美嶽家を後にした。そして、その日に失踪した。宝来宗治を見捨てて家を出たのなら、それはそれで良い。ですが、もし何かあったのだとしたら――」

「胸騒ぎがしたと美嶽瑠璃子さんは供述しています。直樹氏が失踪した翌日に宝来宗治が訪ねて来て言ったそうです。直樹を何処に隠したと。それで美嶽瑠璃子さんは直樹氏の失踪を知りました」

「そうですか。瑠璃子さんは直樹氏の失踪に東野正純が絡んでいると疑った。そこで、正純が振袖祭りの寄付をせがみに来た時、彼を問い詰めたのではありませんか?」

「その通りです。何も知りませんと東野正純はしらばくれましたが、あの日、瑠璃子さんは直樹氏が東野正純からの電話で呼び出されたことを知っています。そう告げると東野正純の顔色が変わった。知らない!俺は関係ないと怒鳴り始めたので、危険を感じた後藤が背後に回って羽交い絞めにすると柔道の絞め技で一瞬にして締め落としました。そして、後藤は正純を後藤の部屋の地下室へ運びました。後藤の部屋には地下室があって、物置として使っています。美嶽家の家財を整理、保管してあって、中央部分に天井からボクシング用のサンドバッグを吊り下げてありました。日頃、後藤のトレーニング・スペースになっています」

「そこに日本刀があったのですね?」

「地下室には宝来家が金に困って売り払った家宝が保管されていました。碇屋恭一殺害の凶器となった日本刀もありました。先代が宝来家の敷地の一部を買い取った際、蔵にあったものを一緒に買い取ったそうで、その中に、日本刀と槍があったそうです。先代にお前にやると言われ、後藤は宝物のように大事にしていたそうです。痛みのひどかった日本刀と槍を独学でこつこつと修復したようです」

「すいません。話が逸れてしまいました。地下室で、東野正純を縊り殺したのですね。よく分からないのは、東野正純を縊り殺したのが瑠璃子さんだったのか後藤さんだったのかです」

「美嶽瑠璃子さんの供述によれば、彼女自身だと言うことです」

「彼女が⁉ 小柄な女性がどうやって東野正純を縊り殺すことができたのですか?」

「後藤は地下室の天井から吊り下がっていたサンドバッグを外してロープを掛け、意識のない東野正純の両手を後ろ手に縛り、首にロープをかけた。そして、喝を入れて東野正純を目覚めさせた。後藤は瑠璃子さんの運転手として美嶽セメントに行くことが多い。瑠璃子さんの仕事が終わるのを待っている間、受付にあった美嶽貴広さんが書いた『今井町の歴史』を何度も読み返していました。高階泰章が使った残酷な拷問手法を知っていたのです。この時点で、東野正純を殺害する明確な意図はなかったようです。ただ、彼の口を割らせようとしただけに過ぎない。宝来直樹氏がどうなったのか、それを知りたかった」

「そこで、東野正純はとんでもない話をしゃべり始めたという訳ですね」

「東野正純は気の弱い若者でした。拷問を受けると、直ぐに全てを白状しました。宝来直樹氏を殺害したことをべらべらとしゃべり出したのです。碇屋恭一に命じられ、直樹氏を漁港にある碇屋家の納屋に呼び出した。直樹氏が奈保子さんに近づかないように、ちょっと焼きを入れてやるという話だったのに、恭一はいきなり暴行を始めた。東野正純は成すすべなく見守ることしかできなかった。そう言っていたようです。すると、直樹氏が恭一を挑発するようなことを言った。どうせ結婚なんて出来ない。そう言ったそうです。それを聞いた恭一は我を失い、納屋にあった船舶修理用のスパナを手に取って直樹氏を殴り殺してしまった」

 西脇が見た夢だ。あの夢は冥界の宝来直樹からの哀訴だったのだろうか。

「直樹氏の言った、どうせ結婚なんてできないとは、碇屋恭一と奈保子さんが結婚できないという意味ではなく、自分と奈保子さんは腹違いの兄妹なので、結婚などできないという意味だったのでしょうね」

「ああ、そうか。そうですね。恐らくは。直樹氏を殺害してしまい、途方に暮れる東野正純に、遺体は海に捨てる。二度と浮かび上がらないようにしておく。心配するな。二、三日したら、これで、あのアル中の親父に遺書らしきメッセージを入れておけ。その後、携帯は始末しておけと、恭一は直樹氏の携帯電話を東野正純に渡しました。なかなかの策士ですね。悪知恵が回る。自分は暴行に加わっていない。恭一の言われた通りにやっただけだと東野正純は弁解を繰り返しました。東野正純の告白を聞いていた瑠璃子さんは突如、後藤からロープをひったくると全体重をかけてロープを引っ張りました。あっという間に東野正純は縊り殺されてしまいました」

 いつの間にか主客が転倒し、生長が事件の経緯を説明している。

「後藤さんは直樹氏が瑠璃子さんの子供であることに気がついたのでしょうね。瑠璃子さんには、まだ直樹氏の復讐を果たさなければならない人物がいる。碇屋恭一です。歯車は動き出してしまった。ここで捕まる訳には行かない。後藤さんに協力を求めた。後藤さんが断るはずがない」

「はい。東野正純の遺体は後藤が処理しました。後藤が東野正純を送る振りをして東野家に行った時、車内に遺体はありませんでした。後藤は東野家の前で車を停め、目撃者が通り過ぎるのを待った。幸いに直ぐに車が通りかかってくれた。しかも坂道を上る東野正純を見たとまで証言してくれた」斎藤由美子だ。

 斎藤由美子を呼んで再度、事情聴取を行うと、はっきりと後ろ姿は見ていないと証言を変えたようだ。「その間、遺体は地下室に置きっぱなしだったのです。人々が寝静まるのを待って後藤は遺体を担いで裏山に向かいました。殺害した時と同じ状態で遺体を木に吊り下げておくことにしたのです。恐るべき体力に怪力です」

「伝説を知っていた後藤さんは、東野家の末裔は木に吊るされてこそ相応しいと考えたのでしょう。そうすれば高階経章の加護があるはずだと思った。それに、瑠璃子さんを嫌疑の外に置くために女性の細腕では絶対、無理な状況を作り上げておく必要があった。捜査をかく乱するつもりはなかったと思います。全ての罪を自分で背負おうとした。後藤さんはただ瑠璃子さんを守りたかっただけだと思います」

 これも西脇が見た夢の通りだ。自分のことながら少々、気味が悪くなった。

 圭亮は淡々と話しを続ける。「その為にも、東野正純氏の遺体は見つかってもらわねばならなかった。誰にも気づかれずに朽ち果ててしまえば、折角の細工が無駄になってしまう。だから、遺体が吊るされていた場所は地元の人間ならよく知っている山菜がよく取れる場所だったのです。遺体を見つけてもらいたかったのでしょう」

「碇屋恭一氏の殺害について、鬼牟田さんのお考えをお聞かせ下さい」

「漁協に碇屋恭一を訪ねていったのは、恐らく後藤さんでしょう。恭一が言ったマゴとは後藤さんのことです。後藤さんは何時も緑色のジャージを着ていました。緑色のジャージが後藤さんのアイコンとなっていた訳です」

「アイコンですか?」

「その人を特徴付けるシンボルとでも言いましょうか。そんな後藤さんが緑色のジャージ以外の服を着ると、意外に人は後藤さんだとは思わないものです。反対に多少、体格が違っていていても緑色のジャージを着ているだけで後藤さんを連想してしまうでしょう」

「馬子にも衣装ですね」

「その通りです。碇屋恭一は何時もと違う格好をした後藤さんと出会った。そこで、食堂の女将さんに、馬子と会ったと気取った言い方をしたのだと思います。後藤さんから、自分と会ったことは、誰にも言うなと釘をさされていたのかもしれません」

「後藤は今井町にやってきた時に着ていた衣装を引っ張り出して着ていたようです。人知れず碇屋恭一を誘き出すために変装をしようと考えた。知恵を絞ったのでしょう。そして、碇屋恭一は策略に乗せられ、のこのこと夜の神社に誘い出された」

「奈保子さんを口実にしたのでしょうね。碇屋恭一はこの時点で東野正純が全てを白状して、殺されてしまったことを知らなかった。奈保子さんが夜の神社で会いたがっている。誰にも言わないで来て欲しいと言われれば、碇屋恭一は何の疑いも抱かずに、のこのことやって来たでしょう」

「鬼牟田さんの推理通りです。この日、残業する夫、貴広さんのために夕食を届けた瑠璃子さんと後藤は午後八時半頃に美嶽セメントを後にしました。そこから車で直接、山申神社へ向かったのです。神社で碇屋恭一が待っていた」

「殺害の経緯がよく分かりません。後藤さんは日本刀を持って来ていたはずです。それで碇屋恭一さんの首を切断した。東野正純を伝説通り木に吊るしたからには、碇屋恭一も当然、日本刀で首を刎ねなければならない。そうすることで、伝説通りとなる。高階経章のご加護があるはずだ。そう考えていたのでしょう」

「美嶽瑠璃子さんの自供によると、後藤は護身用にドスと呼ばれる短刀を瑠璃子さんに渡していました。刑務所を出た後、護身用に持っていたものでした。何せ殴り殺したのがヤクザです。何時、お礼参りに遭うか分からない。後藤は碇屋恭一を自分で殺害するつもりだった。その為に、日本刀を持って来ていた。ですが、境内で恭一の人影を見つけるやいなや、瑠璃子さんはドスを抜いて懐に飛び込んで行きました。咄嗟のことに、碇屋恭一は瑠璃子さんを避けることが出来なかった。気配を感じた時には胸を差されていました。碇屋恭一は懐に飛び込んできた瑠璃子さんを突き飛ばしました。後藤は瑠璃子さんを助け起こすと、そろりと日本刀を抜き放ち、一刀のもと、恭一の首を刎ね飛ばした」

「これも西脇さんが見た夢の通りです。僕は西脇さんの夢から、犯人が二人いる。二人が共謀して殺人を繰り返しているのではないかと考えました」

 そう言えば夢では最初、女性が現れ、やがて猿神へと姿を変えた。最初の女性が瑠璃子、猿神が後藤だったのだ。更に圭亮が言う。「二人が美嶽セメントを出たのが大体、八時半。奈保子さんがガレージに車が戻ったと証言したのが九時頃。美嶽セメントから美嶽家まで車でなら数分でしょう。九時に着いたとすると、車で移動したにしては時間がかかり過ぎています。今になって考えると、そのわずかな時間のズレが犯行時間だった訳です。もっと早くそのことに気がついていれば・・・」圭亮が顔を歪めた。

 ほぞを噛んだのは西脇も同じだ。あの時、後藤のアリバイを説明した時、圭亮は何かを思いついた様子だった。西脇は圭亮の思考を遮ってしまった。紡ぎかけた推理の糸を切ってしまったのかもしれない。

「そうですね。瑠璃子さんは自分が碇屋恭一を殺害した。後藤は後始末をしただけだと供述していますが、生首の切断面から生体反応が出ています。首を切られた時、碇屋恭一は生きていた。碇屋恭一を殺害したのは後藤です。恭一殺害後、二人は家に戻っています。恭一に突き飛ばされた時、瑠璃子さんは足を挫いてしまった。それを心配して家に戻ったのです。そして、家人が寝静まってから、後藤は碇屋恭一の遺体を処理するために外出しました。それまで、碇屋恭一の遺体は神社に放置されていた。まあ、真冬の神社を夜中に参拝する者などいないでしょうから、遺体は発見されなかった。それこそ、高階経章の加護かもしれません。はは」と生長が自嘲気味に笑った。

 そう言えば初めて瑠璃子に会った時、足を引きずっていた。あれは碇屋恭一に突き飛ばされた時、足を挫いたからだったのだ。

「後藤さんは恭一の生首を拝殿に供えると胴体を持ち去ったのですね。しかし、一刀のもと、首を切り落とすなんて、後藤さんは相当な腕前ですね」

「後藤は柔道、剣道、空手の有段者です。鹿児島の生まれで、剣術は示現流を学んだようです」

「示現流に二の太刀はありません。一の太刀に全て込めます。ああ、そうか。一の太刀を繰り出す時に怪鳥の鳴き声のような掛け声を上げます。その声を宝来宗治さんが聞いたのですね?」

「正直、宝来宗治の殺害については、まだよく分かっていないのです。瑠璃子さんは、私がやりましたと自供しているのですが、女性に壁越しに人の体を串刺しにすることなど、とうてい、不可能です。しかも、証言があやふやで信用できません。宝来宗治の死亡推定時刻に家にいたことは、通いの家政婦が証言しています。恐らく後藤の単独犯だと思われます」

「後藤さんは何と言っているのですか?」

「美嶽瑠璃子さんが自首したことを知った後藤の反応が凄まじかったのです。取調室が壊れるくらい大暴れしたかと思うと、あの野獣のような男が人目も憚らずに大声で泣き出しました。事件について、全ては自分がやったと、こちらも自供しています。ただ、あの通り、口下手な男ですから理論騒然と話すことができません。自分がやった。瑠璃子さんは関係ないの一点張りです」

「お互いに犯行を自供している訳ですね。後藤さんは瑠璃子さんを守るために必死だった。今、彼は瑠璃子さんを守ることができなかことを、警察に自首させてしまったことを後悔しているのでしょう。全てを背負うつもりだったのに。では、宝来宗治の事件について、僕の推理をお話しましょう」

 圭亮がすっかり冷たくなったコーヒー・カップに口をつけた。西脇は「僕が煎れなおして来ましょう」と言いかけて慌てて口を噤んだ。

 会議には出ていないことになっている。

「宝来宗治はあの夜、坂下の酒屋まで酒を買いに行き、帰り道、動物の咆哮に似た不思議な声を聞きました。鳥の鳴き声だろうくらいに考えたのでしょうが、その夜に神社で碇屋恭一が殺害されたことを知り、示現流の掛け声を思い出した。そして、碇屋恭一殺しと後藤さんを結び付けた。どこかで後藤さんが示現流の鍛錬をする姿を見たことがあったのでしょうね。それだけではありません。直樹氏が宗治を残して家出したことに納得が行かなかった宗治は、碇屋恭一の殺害と美嶽瑠璃子さんを結びつけて考えた。直樹氏の実の母親が瑠璃子さんだということを知っているのは宗治だけです。彼だけが想像できた」

「宝来宗治は美嶽瑠璃子さんを強請ろうとしたのでしょう」

「そうだと思います。怖かった美嶽家の先代はもういない。何も知らない貴広さんに全てを話すと言えば、いくらでも金は出すと思ったのでしょう。たまたま瑠璃子さんが会社に行って不在だった。後藤さんは適当なことを言って宗治を追い返した。後藤さんはこの先、美嶽家の疫病神となりそうな宗治を放ってはおけないと思った。後藤さんは槍を持って一人で屋敷を抜け出すと宝来家へ向かった」

「流石に日中、槍を持って出歩くと人目に付くと思ったのでしょうね。山の中をかけて宝来家へ向かったようです。その姿を弘中俊文に目撃されています。彼はまた天狗に会ったと言っているようですが」

「天狗少年ですね。彼も天狗の正体が後藤さんだということに気が付いているはずです」

 圭亮の言葉に生長が頷く。「時間的に後藤が宝来家を訪ねたのは碇屋象二郎が宝来宗治を訪ねた直後のようです。宝来家に着いてみると、碇屋象二郎がいる。見えない場所で成り行きを見守っていると、宝来宗治は居留守を使って象二郎を追い払った。家にいることは分かっています。象二郎が去った後、宝来家を訪ねる。象二郎が戻って来たと宗治は警戒したでしょう。後藤は、俺だ。金を持ってきたと言って、ドアを開けさせた」

「そして殺害されたのですね」

「鬼牟田さん。宝来宗治がドアを開けるなり、後藤は槍を持って部屋に踊り込んだ。その姿を見て宗治は殺されると思った。慌てて逃げ出した。庭から逃げようとしたのでしょう。宗治の後を後藤が追う。庭のガラス戸に辿り着き、戸を開けて逃げようとしたが鍵がかかっていた。そう、碇屋象二郎に居留守を使う為に、ガラス戸に鍵をかけたのです。後藤は宗治に追いつくと首根っこを捕まえて壁へ投げ飛ばした。宗治が壁に張り付く。そこに渾身の力を込めて槍を突き出した。槍は宗治の薄い棟板を貫いて板壁に突き刺さった。現場の状況から、宗治殺害の様子はそんな感じだったのではないでしょうか。宝来家に槍を残して帰ったことが、随分、心残りだったようです。槍はどうなった? ちゃんと保管してくれと、後藤が心配していました」

「槍を残して帰らないと伝説が成立しませんからね。槍を残しておくことは、後藤さんにとって苦渋の決断だったことでしょう」

「結果的に後藤逮捕の証拠となったのが唯一と言って良い遺留品の槍でした。槍から指紋を採取できたのは鬼牟田さんのお陰と言って良い。ありがとうございます。後藤が槍を持ち去っていたら、犯人が後藤だということを示す証拠は見つからなかったでしょう」

「あれは西脇さんが見た夢のお告げです」

 どうせ、生長は夢のお告げなど信じていないのだろう。「さて」と話題を変えて言った。「鬼牟田さん。何故、後藤は碇屋恭一の胴体部分を持ち去ったのでしょうね。碇屋恭一の胴体部分は今も見つかっていません。後藤は碇屋恭を殺害したことを認めるものの胴体部分をどこに隠したのか白状しません。どうにも理解できません」

「ふ~む」と圭亮が考え込む。ややあって、「ひとつは美嶽瑠璃子さんが付けたドスの傷跡を隠したかったからでしょう。非力な女性の力では碇屋恭一に致命傷を与えることはできなかった。だから日本刀で首を切断した。胴体に首を切断した刀とは違う傷跡が見つかれば、犯人が二人いたことが分かってしまうかもしれなません。後藤さんはそれが怖かった。犯人は自分一人で良かった」と答えた。

「それは分かります。美嶽瑠璃子さんが自首した今となっても、後藤は碇屋恭一の胴体を何処に隠したのか言いません。何故でしょうね?」

「難しい質問ですね」圭亮がまた考え込んだ。

 動作を止める。俯瞰的演繹法だ。圭亮の頭の中で仮説がふつふつと泡のように湧き上がり、渦巻き、結論を導き出そうとぶつかりあっているのだ。

 新幹線の車中のように長考する時があるが、今回は直ぐに結論に辿りついたようだ。圭亮が口を開いた。「これは単なる仮説です。宝来直樹氏が原因かもしれません。直樹氏の遺体は碇屋恭一により海に沈められ、未だに発見されていません。誰にも供養もされずに朽ち果てようとしている。それが後藤さんには許せなかった。碇屋恭一の胴体も同じように、人知れず朽ち果てなければならない。それが後藤さんの狙いかもしれません。後藤さんは東野正純の遺体を背負って山を走り回ったような人です。それが碇屋恭一の胴体を隠すのに車を使っています。それだけ見つかり難い場所まで運んだということでしょうね」

「なるほど、宝来直樹氏の遺体が見つからない限り、後藤は碇屋恭一の胴体をどこに隠したのか口を割らないという訳ですね。確かに、鬼牟田さんの説は一理あるような気がします」

 会議室に沈黙が訪れる。事件の全容は明らかになった。名残を惜しむかのように生長が尋ねた。「後藤にとって、美嶽瑠璃子さんはどういう存在なのでしょう?」

「愛しているのでしょうね。男女の愛情とかではなく、そう、家族愛のようなもの。後藤さんは家族の愛情に恵まれなかった人です。それが美嶽家で、家族の一員として迎えられ、大切に扱われた。後藤さん、食事は何時も自室に運んでもらって食べていました。使用人としての立場をわきまえようとしていたのかもしれませんが、わざわざ食事を別にする方が面倒くさい。わがままを聞いてもらっていただけです。そのことが後藤さんにも分かり過ぎる程、分かっていた。瑠璃子さんに限らず、美嶽家の人々は後藤さんにとって何ものにも代え難い、命がけで守らなければならない、大事な、大事な存在だった。きっとそうだと思います」

「・・・」生長は何も答えなかった。

「じゃあ、また」と生長と浅井が名残惜しそうに挨拶をしてテレビ会議は終わった。

 会議を終えた圭亮は、ぐったり疲れ切った様子だった。無理もない。

「先生。お疲れ様です。コーヒーを煎れてきます。暖かいコーヒーでも飲んで、元気を取り戻してください」

「ありがとうございます」

 西脇は会議室を出た。今日は久美に頼まなかった。自らコーヒーを煎れて会議室に戻った。美味しそうにコーヒーを啜る圭亮に西脇が言った。「先生。今度の事件、何だか源平の昔の事件の焼き直しのような事件でしたね」

「僕もそう思います。宝来直樹氏が現代の高階経章だった。美嶽奈保子さんの子供だったのですから、高階経章の子孫になりますしね。現代の高階経章が殺害されたことで、この事件が始まった」

「そして、宝来家、碇屋家、東野家の子孫が殺害された」

「西脇さん。週末の番組、どうなるのでしょう?」

「ダメでしょう。うつろい易い世の中です。近日中に、警察から事件の概要が発表され、週末には皆、忘れています。世間の関心は次の何かに移っています」

 西脇はお手上げの仕草をして見せた。

「そうですね。良かったです」

「良かっただなんて、随分ですね。先生」そうは言ったが、西脇にも圭亮の気持ちが分かった。今井町であれだけ瑠璃子たちの世話になった。美嶽一家が世間から好奇の目に晒されるのは耐え難かった。「まあ、無駄にはしません。悔しいが別の報道番組に今回、取材した結果を引き渡すことになります。報道局長はご満悦です。週末にうちの番組で特集を組みましょう。ああ、それに藤代さんがローカルニュースで特集を組んでくれるそうです。うまく行けば週末まで話題を独占できるかもしれません」

「そうですか」と圭亮は上の空で答えた。

「先生。覚えています?」

「何をです?」

「瑠璃子さんが事件について言ったことを」

「事件について? どんなことです?」

「あの子があんなことにならなければ――そう言ったのです」

「そんなこと、言いましたか?」

「ええ。あの子って誰だろう? 随分、被害者と親しかったのだな。碇屋恭一のことかな? 東野正純のことかな? 宝来宗治はないよなって考えたので覚えています。あれ、宝来直樹のことだったのですね」

 傍若無人に見えて、意外に細やかだ。ひょっとして西脇は圭亮よりも観察眼に優れているのかもしれない。

「瑠璃子さん、気がついて欲しかったのかもしれませんね。自分の犯行だということを。捕まるのなら僕らが良い。そう考えたのかも・・・僕はそれに気づけなかった。僕がもっとしっかりしていれば・・・」

 圭亮が顔を歪める。心優しい圭亮は美嶽家の人たちを思い、心を痛めているのだ。事件を解決することは、時として加害者家族を地獄に突き落としてしまうことになる。そのことを改めて思い知らされ、圭亮は苦しんでいた。

 西脇は話題を変えた。「ところで、先生。どうでした? 初めての取材旅行は」

「今井町、いや振袖町はいい町でした。空気が澄んでいて、山も海も近い。瀬戸内の温暖な気候で、こちらほど寒くありませんでしたね。そう言えば――」

「そう言えば、何です?」

「そろそろ振袖祭りの季節じゃないですか? もう終わっているのかも」

「そうですね。藤代さんに聞いてみましょうか。美嶽社長、奥さんが殺人を犯したとなると、これから大変でしょうね」

「美嶽社長は大丈夫ですよ。奥さんの陰に隠れるてしまっていますが、なかなかの人物だと思います。厳しかった先代社長に見込まれた人です。きっと、この難局を乗り越えてくれるでしょう」

「奈保子さんは? 人生、これからという時期なのに、お母さんが殺人者になってしまいました。それに、無二の親友のお兄さんを殺している。美羽さんとの関係にヒビが入ってしまうかもしれませんね」

「あの二人の仲は永遠だと思いたいですね」圭亮は優しい。

「奈保子さんの苦しい時期に力になってあげられなくて残念ですね。先生」

「僕がいなくても碇屋象二郎さんがいますよ」

「碇屋象二郎? 彼が? 奈保子さんと親しいなんて聞いていませんよ」

「何でしょう。ふとそんな気がしたのです。彼、なかなか骨のある人物のように思えました。残念ながら、僕は西脇さんみたいにイタコの末裔ではありませんから、僕の感なんて当たるとは思えませんけど。はは」

 圭亮は寂しそうに笑った。

  

エピローグ


 高階泰章は山の上から振袖の村を見下ろしていた。

 この地で、唯一の縁者だった弟の経章を失ってしまった。泰章は経章と賢子の間に女の子が誕生し、村のどこかですくすくと成長していることを知らなかった。平氏一族は既に滅び、経章をも失い、流石に剛毅な泰章も天涯孤独となった身の上に一抹の寂しさを感じていた。

 山の上から振袖の村を見下ろしていると、急に源家への反抗が空虚に思えてきた。平氏一門の端くれとして戦ってきたが、もう十分、平家への義理は果たした。

(どこに行くか――)

 泰章の脳裏に、壇ノ浦の戦の後、海流に流されて漂着し、傷の治療のために逗留した鉄輪の湯が浮かんだ。既に源家の世となった。平家の落ち武者の詮索は、今後、益々、厳しくなって行くだろう。東へ向かうのは危険だった。

(西へ行こう。九州の地に――)

 源家の追求から逃れるためなら、地の果てまででも落ち延びてやる。そう覚悟を決めた。

「あの、もしや泰章様ではございませぬか?」

 後ろから声をかけられた。振り返ると、ぼろきれの様な若者が平伏していた。長旅で苦労してきたと見える。

「何者じゃ?」

「私は経章様の従者で逸造と申しまする。経章様の命を受け、泰章様を探して、西国を旅して参りました。壇ノ浦の戦の後、泰章様の所在探し求めて、南の果て、薩摩の国まで旅しましたが、ついに所在を掴むことができず、こうしておめおめと戻って来たところです。ここで泰章様とお会いできましたのは正に奇跡でございます。経章様が泰章様を案じておいでです。何卒、このまま振袖の里にお戻り下さい」

 若者は弟の命で泰章を探していたという。そう言えば顔に見覚えがあった。

「逸造とやら、うぬは長旅から戻ったばかりで何も知らぬようじゃな。経章は既にもう、この世の者ではないわ。今更、里に戻っても仕方ない」

 泰章は逸造にかいつまんで経章が西ノ庄の主甚兵衛、碇屋の嘉平、そして東屋の利右衛門の悪計により謀殺されたことを伝えた。そして、経章の仇は泰章が討ち果たしたことを伝ええた。

「私めが、もう少し早く、泰章様を探し当てて、ここにお連れすることができましたなら、或いは経章様がかような悪巧みにのせられることはなかったやもしれません。全ては、わたくしめの・・・わたくしめの力が及ばなかったせいでございます」逸造は泣き始めた。

 泰章は逸造がひれ伏したまま肩を震わせて泣くのを見下ろしていた。

「もうよい、過ぎたことよ。経章の仇はわしが討ち果たした。経章も草葉の陰で喜んでおるだろう。逸造よ、立て。お主が見てきたという南の果てまで行くぞ。薩摩の国まで参るのも悪くはないかもしれん。ついて参れ!」

 泣き伏す逸造の頭の上から泰章が怒鳴るように言った。

「はっ!」逸造が涙を流しながら立ち上がった。

「これからは、藤原の姓を名乗ることとする。後藤原、いや、後藤を我が姓とする!」泰章はそう言って、豪快に笑った。


                                     了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生首の神饌 西季幽司 @yuji_nishiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ