契約結婚

 浅井刑事が木村由希子に電話をかけて面会を手配してくれた。

 新大阪駅まで足を運んでくれるという。大阪駅で途中下車するだけで良い。駅構内にある喫茶店と時間を指定してくれた。やはり浅井刑事が感じたように、何か伝えたいことがあるのかもしれない。

 早朝、今井町を発った。

 奈保子が「ええっ! 事件が解決していないのに、もう帰っちゃうのですか~」と心底、がっかりした様子だった。貴広も「もう一日、出発を延ばしてはどうですか?」と言ってくれたし、瑠璃子も「まだまだレパートリーがありますのよ。お客様に料理の腕を振るうことなんて滅多にありませんのに」と残念がってくれた。

 だが、皆、警察の事情聴取に呼ばれたまま帰って来ない後藤を案じていることが見て取れた。後藤は黙秘しており、この為、拘留が長引いている。身柄は柳井署に移され取り調べが続いていた。

 一緒にいてあげたかったが警察からの依頼がある。「すいません。週末の放送がありますので、そろそろ東京に戻らないといけません。宿泊費や食費など、遠慮なく請求して下さい」と言って美嶽家を後にした。

 藤代と菊本が最寄りの徳山駅までワゴン車で送ってくれた。

「藤代さん。これで終わりではありませんよ。むしろ、これからが本番です。お互い、もうひと踏ん張りしましょう」

「分かりました。西脇さん。暫くこちらに張り付いて情報を集めます。お互い頑張りましょう」

 珍しく西脇が感傷的だ。藤代は家族を残してホテル暮らしをしながら取材を続けている。その大変さが理解できるのだろう。

 新幹線に乗り込む。何時もは直ぐに高いびきの西脇だが、今回、休養は十分だ。「どうでした? 宝来直樹犯人説の改訂版は?」と聞いてみた。

「ええ、まあ」と誤魔化したところを見ると、納得していないのかもしれない。朝から一緒だが、生長と連絡を取った形跡がなかった。宝来直樹犯人説の改訂版は、まだ生長に伝えていないようだ。あながち的外れな推理だとは思えないのだが、何か考えがあるのだろう。

「先生。もう事件の謎が解けていて、犯人が分かっているんじゃないですか?あとひとつ、ピースが埋まっていないからまだ真相は話せないとか、最後に事件関係者を集めて事件の謎解きをしましょうとか、名探偵はとかくもったいぶるものですから」

「嫌だなあ~西脇さん。僕は名探偵なんかではありません。なんとなく、こう、ぼやっとしたものがあるのですが、はっきりとしない。そんな感じですかね。うまく言えないのですけど」

「ふ~ん。そんなものですか」

 新幹線は山陽道を走って行く。トンネルが多い。トンネルを抜けると景色を楽しむ暇もなく、次のトンネルに入る。圭亮が物憂げな顔をしているので、聞いてみた。「先生。折角、生長さんや浅井さんと仲良くなれたのにお別れで寂しいですね」

「はい。お二人といっぱい話をしました」圭亮は素直だ。「そうそう。浅井さんから聞いた話ですけどね。生長さん、一年前に奥さんと離婚したそうです。結婚して十年以上、捜査で家を空けることが多かった生長さんを文句ひとつ言わずに支えてくれていたのに、ある日、突然、離婚を切り出されたそうです。あなたを待つことに疲れた。毎日毎日、無事に家に帰ってくるのを待ち続ける日々がもう嫌だというのが離婚理由だったそうです」

「忙しい上に身の危険が伴う刑事さんですからね。奥さんは大変でしょうね」

「それが、奥さん、いや元奥さんから最近、携帯にメッセージが来るそうです。お仕事お疲れ様ですとか、あまり頑張り過ぎないように頑張って下さいといった簡単なメッセージだそうです。生長さん、携帯電話は通話だけだったそうですが、浅井さんに聞きながら慣れない手つきで一生懸命、返事をしているそうです。結婚している時に、こうしてマメに連絡をしていれば良かったと後悔していたと浅井さんから聞きました」

「微笑ましい話ですね。復縁があるかもしれませんね」

「浅井さんもそう考えていて、二人をひっつける作戦を練っているそうです。でも、浅井さん自身も大変なのですよ」

「大変? 何かあったのですか?」

「浅井さん、大学時代に知り合った恋人がいました。サークルの後輩だったそうです。彼女が大学を卒業したら結婚するつもりだったようです。それが、夏休み、彼女が島根県の実家に戻っていた時、大型台風が直撃して裏山が崩壊し、家屋を飲み込んでしまいました。未明のことで、一家三人、全滅でした」

「そんなことがあったのですか⁉ 彼にも辛い過去があったのですね」

「浅井さんが言っていました。そう人に思われているのが辛いと」

「どういうことです?」

「浅井さんが地元に戻って警察官となり、遠距離恋愛になってから二人の関係はぎくしゃくしていたそうです。最初は、電話をしても留守電で応答がないとか、メッセージを送っても返事が来ないとか些細なものでしたが、その内、同級生や後輩から、彼女に関するよくない噂を耳にするようになったそうです。よくある話ですが、浮気をしているという噂です」

「遠距離恋愛だと、そういうことがありますね」

「噂を聞く度に、相手の男性が違っていたそうです。それほど親しくなかった後輩から、先輩、彼女とは別れた方が良いですよと忠告される始末でした。そんな時に事件が起きました。浅井さんを苦しめているのは、その知らせを聞いた時の自分自身の反応です」

「どんな反応です?」

「ほっとしたそうです。これでやっと彼女と別れることができたという安堵感を覚えたそうです。浅井さん、警察官なのに何てことを考えるのだと猛烈な自己嫌悪に陥りました」

「警察官だって人間です。仕方ないのではありませんか」

「僕もそう言ったのです。でも、浅井さん、頭じゃ分かっているけど、なかなか気持ちの整理がつかない。そう言っていました」

「浅井さん、先生に悩みを打ち明けることが出来て少しはすっきりしたんじゃないですかね」

 長大な体躯に優しそうな風貌のせいか圭亮には何処か頼りになるイメージがある。人は圭亮を前にすると、つい心を開いてしまう。

「ありがとうございます」


 新大阪駅に着いた。

 駅構内の喫茶店で木村由希子と会うことができた。由希子は先に着て待っていた。

「赤いハンドバックをテーブルの上に置いておきます」と目印を教えてもらっていたので由希子のことが直ぐに分かった。

 四十代の小柄な女性だった。

 圭亮の顔をテレビで見て知っているとのことで「鬼牟田圭亮です」と名乗ると「何時もテレビで拝見しています」と言って笑った。

 笑うと八重歯がこぼれて若く見える。

 顔なじみの圭亮が質問をすることになった。宗治が殺害されたことへのお悔やみを述べると「もう長いこと会っていませんので、殺されたと聞いても何の感情も湧いてきません。娘の養育費をただの一度も払ってくれませんでした。はっきり言って良い父親、良い夫ではありませんでした」と言って笑った。「今の主人に出会うことができて本当に幸せでした。子供が一人いて彼は宗治との間にできた娘の綾も実の子同然に可愛がってくれています。本当に良い人に出会うことができました」

「それは良かったですね。ところで――」と本題に入る。「お宅に日本刀と槍はありませんでしたか?」

「刑事さんからも聞かれましたが、私には分かりません。宝来家と言えば昔は蔵持の大地主だったそうですが、私が嫁いだ頃にはすっかり尾羽打ち枯らしていて、何もかも美嶽の家に売り払った後でした」

「直樹さんが行方不明になっています。彼が今、何処にいるのかご存じありませんか?」

「直樹・・・」宝来直樹の名前が出た途端、由希子の顔色が曇った。「直樹が今どこで何をしているのか、私は知りません。家を出てから、何度か手紙をくれました。ですが、宗治への複雑な感情があったので、返事を出しませんでした。その内、手紙が来なくなりました。諦めたのでしょう。あの子にとって、私は母親ではなくなった。そういうことでしょう。あの子には悪いことをしたと後悔しています。ですが、幼い子供を二人も抱えて、生きて行くことに自信が持てなかったのです。あんな父親です。苦労の連続だったことでしょう。よく今の今まで頑張って面倒を見てきたと思います。あんな父親、早く捨ててしまえば良かったのに。今、何処でどうしているのか知りませんが、あの人から解放されて、ほっとしていることでしょう。そっとしておいてあげて下さい。それに・・・」

 由希子は躊躇っているようだ。何か話そうか話すまいか迷っている。そう見えた。浅井の感が当たっていたのかもしれない。

「虐められている子がいると助けてあげる。直樹さんはそんな正義感の強い若者に育ったようです。憧れの存在だという後輩もいました」

「そうですか。立派に育ってくれて・・・すいません」由希子はバッグからハンカチを取り出すと、目頭を押さえた。やがて顔を上げると、決心したように話を始めた。「私の実家は宇部市で小さな部品工場を営んでいました。豊とは言えないまでも何不自由の無い生活をしていました。ところが、バブル崩壊のあおりを受けて倒産し、父親が多額の借金を抱えてしまいました。私は高校を中退すると働きに出なければならなくなりました。ですが、私一人の稼ぎでは、とても借金を返すことなど出来ません。このままでは家族がばらならになってしまう。そんな危機感がありました。でも、私にはどうすることも出来ませんでした」

 一家離散の危機にあったのだ。

「その頃、父親の知り合いから不思議な申し出がありました。ある男と結婚してもらいたい。もしその男と結婚してくれるなら実家の借金は全部、肩代わりする。勿論、男と会って気に入らなければ断ってもらって構わない。そんな内容でした。当時、私は十八歳になったばかりでした。でも、首を括るしかないと嘆く父親と高校には行かずに働くと言う弟のために、その男に会うことにしました」

 その男が宝来宗治だった。

「宗治は当時、地元の大学に通う大学生でした。実家は町で指折りの由緒ある名家だと聞きました。垢抜けて見えて性格も優しそうでしたので、正直、十人並みの容姿の私には良縁と思いました。多少、変わっていましたが、これも一種の見合いと割り切って結婚の承諾をしました。すると、話はとんとん拍子に進んで、一ヶ月後には結納が終わり、二ヵ月後には籍を入れていました。あまりに慌ただしかったのですが、あの当時は結婚なんて、そんなものだろうと疑問を持ちませんでした。ところが、結婚が決まってから、宗治を紹介した知人から驚くべき事実を知らされました」やはり裏に何かあったのだ。

 由希子の顔色が赤く染まっていた。興奮しているのだ。長い間抱え込んできた秘密を暴露できる喜びに打ち震えている。そんな風に見えた。

「どんな事実を知らされたのですか?」

「宗治に子供がいて、生まれたばかりの赤子を私の子供として育てることが結婚の条件だというのです。実の母親については聞かないでくれ。実家の借金は全て返済の手筈が整っている。このまま結婚して欲しいと言うのです。結婚を承諾してから、蝿のように煩く毎日、取り立てに来ていた借金取りが家に姿を見せなくなっていました。私に選択の余地などありませんでした。宗治と結婚し、赤子の母となりました」

「その赤ちゃんと言うのが――」

「はい。直樹です。一体、誰が産んだ子なのか宗治は何も話してくれませんでした。赤子の出自に関することを、ちょっとでも話題にすると宗治は烈火の如く怒りました。俺の子供だ。それで良いだろうと怒鳴り散らすだけでした。激しい怒りの裏には、誰かに対する怯えがあったように思います。ある時、それを話せば殺されると震えていたことがありました」

 宝来直樹の母親は木村由希子ではなかった!

「宗治は大学を卒業し所帯を持っても働きに出ようとはせずに、家でぶらぶらしていました。宝来家の暮らしを支えていたのは、町内に所有している小さなアパートからの家賃収入と数年前に脳梗塞を起こし、半分、寝たきり状態にあった義父の年金だけでした。宝来家の暮らしを支えていたアパートは、どうやら宝来家の所有物ではないようでした。誰かが赤子のために宗治に与えたものではないかと、そう思っていました」

 やがて、その謎の人物が誰なのかはっきりとする。

「ある晩、宗治と義父の総太郎がこそこそと内緒話をしているのを聞きました。本人達は内緒話をしていたつもりかもしれませんが、私には筒抜けでした。いざとなれば、直樹を餌に美嶽家からいくらでもふんだくることができる。そう宗治と総太郎が小声で話しているのを耳にしたのです。今度こそあの鬼に殴り殺されるとか、あの女が戻ってきたと言った言葉が途切れ途切れに耳に入りました。私、直樹の出自の謎が解けたと思いました」

 丁度、当時、美嶽家の一人娘、瑠璃子が町に戻って来たことが噂になっていた。由希子は直感した。どういう事情があったのか知らないが、直樹は瑠璃子と宗治の間に出来た子だと。

「当時、鬼のように恐れられていた宝来家の当主、真治さんは不思議なことに私に優しかったのです。町で会った時には、何時もにこにことほほ笑みかけてくれました。でも、それは私にではなく、私が連れ歩いていた直樹に対する笑顔だったのかもしれません」

 やはり孫は可愛かったのだ。

「私の結婚を仕組んだのも真治さんだったと確信しています。あれだけあった父の借金を肩代わりできる人など、そういないでしょう。宝来家の生活の糧だったアパートを手配したのも真治さんでしょう。直樹が飢えることがないように配慮したのです」

「・・・」由希子の衝撃の告白に圭亮は言葉を失っていた。

「長女の綾が生まれる頃には宗治との関係は冷え切っていました。宗治との離婚が決まった時、神戸で仕事を世話してくれ、住むところを見つけてくれたのが結婚を仲介してくれた知人でした。多分、真治さんが私たちの離婚を知り、知人を通して暮らし向きが立つように取り計らってくれたに違いありません。真治さんがいる限り、直樹が不幸になることはないだろうと安心していました」

 だから直樹を残して町を去ったのだ。

「今の主人と知り合う前ですけど、こちらに来て生活に困った時には、不思議なことに、何時も誰かしら手を差し伸べてくれる人がいました。運が良いと思っていましたが、それもこれも、真治さんが私のことを心配して見守ってくれていたからだと思います。短い間でしたが、直樹を育てたことに恩義に感じてくれていたのでしょう。真治さんが亡くなってから、そういうことは無くなりました。真治さんはやっぱり、たいしたお方だったのですね」由希子が懐かしそうに言った。


 圭亮は新幹線の座席に座ったまま動かなかった。新大阪駅を出てから、ずっと同じ姿勢のまま座り続けていた。

 移動時間は睡眠時間だと割り切っている西脇だが、木村由希子から聞かされた話が衝撃的過ぎて眠ることが出来なかった。宝来直樹の母親が誰だったかについて話し合いたかったが圭亮が黙り込んだままなので声をかけることが出来なかった。

 体は動いていないが、脳味噌はフル稼働しているはずだ。体は脳味噌に血液を送り続ける為に活動を停止している。圭亮自らが命名した俯瞰的演繹法が発動したのだ。何か鍵になることを見つけ出すと圭亮の脳味噌は暴走を始めてしまう。今回は木村由希子の話が俯瞰的演繹法を発動させるトリガーになった。

 傍目に、ぼうっとしているように見えても圭亮の頭の中では幾つもの推論が飛び回り、ぶつかり合い、離合集散を繰り返している。やがて、いくつもの推論が結び付き、ひとつの結論へと帰結する。うっかり思索を遮ってしまうと、折角、つむぎかけた推理の糸がぷっつりと切れてしまうらしい。一度、切れた推理の糸は二度と、もとに戻らないことがある。

 木村由希子がもたらした情報は圭亮の脳内で次々と反応を起こし幾つもの仮説を生み出し続けている。そして、数多の仮設は結論を導き出そうと竜巻のように渦巻いているに違いない。

 こういう時は圭亮の思考を遮ってはいけない。西脇は経験からそのことが良く分かっていた。だから、一人、悶々と圭亮が正気に戻るのを待っていた。

 新幹線が静岡を通過した頃、初めて圭亮が「今、どの辺でしょうか?」と言葉を発した。どうやら結論にたどり着いたようだ。

「静岡を過ぎた辺りです。先生。事件の真相が分かったのですか?」

「全ては僕の想像です。正しいかどうかは分かりません。正直、僕の想像が間違っていてくれればと思っています。西脇さん。猛烈にお腹が空きました。弁当を食べて良いですか?」

 新大阪駅で買った弁当が手つかずのままだった。体は硬直したままだったが脳内に血液を送り込む為にエネルギーを消費してしまったのだろう。

「どうぞ。先生。早く食べないと東京駅に着いてしまいますよ。食べ終わったら事件の真相を教えて下さい」

「どこから話したら良いのでしょう。事件を解く鍵は全て西脇さんの夢のお告げにあったのです。西脇さんの夢のお告げがなければ結論にたどり着くことはなかったでしょう。西脇さんの夢のお告げは死者からのメッセージだったのです」弁当の包み紙を開けながら圭亮が言う。

 電柱のような体に似合わないフルーツ・サンドイッチだ。

「止めて下さい。またイタコの末裔だと言いたいのでしょう」と言いながら西脇は圭亮に話した夢を思い出していた。

「イタコの末裔どころか、立派なイタコです」と圭亮が言った時、ぶるぶると西脇の携帯が震えた。マナーモードにしてあった。

「メッセージです」と言って画面を見た西脇が顔色を変えた。「藤代さんからです。先生、後藤が逮捕されたそうです」

「えっ⁉」とサンドイッチをほおばりながら圭亮が驚く。

「詳しい状況が分かりません。ちょっとデッキに行って、電話をかけて来ます」

 西脇が立ち上がった。

 デッキに出て、藤代に電話をする。「ああ、西脇さん。大変なことになりました。今日の午後、後藤猛が逮捕されました。美嶽家にある後藤の部屋を捜索したところ、後藤が犯人であることを示す重要な証拠が出てきたそうです」

「重要な証拠? 一体、何が見つかったのですか?」

「それが分からないのです。鬼牟田先生から探りを入れてもらう訳には行かないでしょうか?」

「ああ、なるほど」

 丁度良い。木村由希子から聴取した内容を生長たちに教える約束になっていた。俯瞰的演繹法が発動してしまったものだから、圭亮は未だに生長たちと連絡を取っていない。「鬼牟田先生から生長さんに電話をかけてもらいましょう」と言って電話を切った。

 すると会話を聞いていたかのように「どうです? 何か分かりましたか?」と圭亮がデッキに現れた。「ああ、家宅捜索で何か出たみたいです。それで後藤さんが逮捕されたということです。詳しいことが分からないので、先生、生長さんに電話をかけてみて下さい。ほら、木村由希子から聞いた話をまだ伝えていませんよね。事情聴取が終わったら、内容を伝える約束になっていたはずです」

「あっ! これはしまった」圭亮が慌てる。

 生長に電話をかけたが出てくれなかった。後藤逮捕で捜査本部はごった返しているのだろう。電話に出る暇もないのだ。

「先生、浅井さんは? 木村さんからの事情聴取は、もともと浅井さんのアイデアでしょう? 浅井さんに電話をしてみてはいかがですか?」

「そうですね」

 浅井に電話をすると、今度は直ぐに出てくれた。「鬼牟田さん。どうでした?」

 浅井は圭亮からの報告を待ちわびていたようだ。ハンズフリーにして西脇にも会話を聞かせてくれる。

「木村さんから聞いた話は後程、詳しく説明いたしますが、後藤さんが逮捕されたって本当ですか?」

「ええ、鬼牟田さん。やりましたよ。やつの自宅を家宅捜索したら、ざくざくと物証が出て来ました。やつが犯人で決まりです」

「ざくざくですか! まさか日本刀が出たとか?」

「おや、何故、日本刀だと?」

「石突を手作りして槍を保存しておいたような人です。例え犯罪に使われた刀であったとしても捨てられずに大事に取っておいたのではないかと思っただけです。本当に日本刀が出たのですか⁉」

「他にもいっぱい。長靴だとかロープだとか」

 東野正純の遺体発見現場には長靴の足跡が残されていた。宝来家の庭にも同じ長靴の足跡があった。その長靴が見つかったのだろう。ロープは東野正純を木から吊るしたロープのことだ。同じものが見つかったということだ。

「長靴にしてもロープにしても同じものが簡単に手に入るのではないですか? 長靴やロープを持っていたからといって犯人だと決めつけることは出来ないのではないですか?」

「ええ、まあ」渋々といった感じで浅井が言う。「軽トラックの鍵がありました。ほら、碇屋恭一が乗り回していて漁協の軽トラックです」

「碇屋恭一の胴体を軽トラックに載せて何処かに運んだということでしょうね」

「ええ。軽トラックは神社に戻しておいたが、うっかり鍵を持ち去ってしまったのでしょう」

「軽トラックに鍵を残したままにしておく方が不自然ですからね。処理しようと、持ち去ったのでしょうが、胴体と一緒に始末しなかったのですね」

「とにかく、日本刀があります。確たる証拠です。鑑識で調べてもらっていますが碇屋恭一氏を殺害した凶器で間違いないということです。どんなに綺麗に掃除しても、痕跡が、DNAが残っているものですから」

「後藤さんは何と言っているのですか?」

「相変わらずダンマリですよ。もともと口数の少ない男ですが、何もしゃべりません」

「何も話さないと決めているのでしょう。彼がそう決めたのなら、恐らく死ぬまで何もしゃべらないと思います」

「おや、鬼牟田先生、何か分かったのですか?」

「多分、事件の全容が解明できたと思います。全ては僕の想像に過ぎませんけど。浅井さんの感がズバリ的中しました。木村由希子さんから事件の謎を解く重要な鍵を得ることができました。今、時間、大丈夫ですか? そうですか。では、手短に説明します。後日、できれば生長さんを交えて、ゆっくり話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ああ、良いですね。チョウさんに聞いておきます。ただ、チョウさん、忙しそうなので時間が取れるかどうか」

「これから、もっと忙しくなると思います。そうですね~早ければ今日中に、事件の鍵を握る重要参考人が出頭して来るでしょう。浅井さんも寝る暇がないくらい忙しくなるかもしれません」

 珍しく圭亮が予言めいたことを言った。

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