第二章 名探偵参上

力の誇示

 圭亮に現地取材のことを伝えると、「ちょっと待って下さい」と言う。

「仕事が忙しいのですか?」と尋ねると、「須磨さんの了解を得ておかなければなりません」と言われ、西脇は「ああ~須磨さん」と思い出した。

 圭亮と須磨は不思議な契約関係にあった。

 圭亮がサタデー・ホットラインのコメンテーターとして活躍を始めた頃、圭亮のマンションを一人の男が訪ねてきた。

 男は警視庁刑事部特別捜査係の須磨秀信すまひでのぶと名乗った。

「少々、お時間宜しいでしょうか?」と上がり込むと、「鬼牟田さん、世間で言われているように、我々はテレビでのあなたの発言をもとに、捜査を進めている訳ではありません」と言い出した。番組で披露した推理通りに事件が解決すると、警察は圭亮の推理に従って犯人を逮捕したのだと言う視聴者が少なくなかった。無論、そんなことはない。

「警察は捜査の過程を公にするができませんから、たまたま僕の話がテレビで先に流れてしまっただけです。単なる偶然に過ぎません。それを誤解している視聴者がいるのだと思います」圭亮が弁解する。

 須磨は「鬼牟田さんにお願いがあって、今日は参りました」とひとつの提案をした。「今後、事件に関して重要なことを思いついた際は、テレビではなく、先ずは直接、私に伝えてもらいたいのです。こちらで秘密保持契約を用意するので、それに同意して署名を頂きたい」

 須磨の口調には抑揚がない。まるで台詞を棒読みにしているかのようだ。

 警察のコンサルタントになるようで面白いが、ニュース番組でコメンテーターを務めている以上、秘密保持契約を結ぶことは難しい。そう答えると、「そうですか」と須磨が黙り込んだ。

 人の良い圭亮は、「一般市民として警察への協力は惜しみません。思いついたことがあれば須磨さんにご連絡を差し上げるということでいかがでしょうか?」と余計なことを言ってしまった。

 こうして圭亮と須磨との間で奇妙な契約が成立した。

 以来、須磨から一度も連絡がなかったのだが、先週のサタデー・ホットラインの放送を終えてマンションに戻ると、入り口で須磨が待っていた。

 立ち話も何だと思い部屋に招き入れた。

 須磨は勧められたソファーに腰をかけると、コーヒーを煎れに立とうとする圭亮を押しとどめた。「鬼牟田さん、まあ、座って下さい。困りますね~お約束しましたよね。事件に関して何か発見があれば、直ぐに私に連絡をして下さると」

 どうやら番組で流れた生首伝説が警察にとって初耳だったようだ。「番組で放送する前に、一言、私に言ってもらいたかった」と責められた。

「すいません。源平時代の古い話ですから、警察に報告する必要はないと思ってしまいました。ご迷惑をお掛けしてしまったのなら、誠に申し訳ありません」

 圭亮が詫びると、「事件に関連することは、よろずご連絡を頂きたい。警察内部には番組を見て色々、言う人間がいるので不意討ちは困ります」と言われた。

「馬鹿らしい。秘密保持契約を結んだ訳でもないのに、文句なんて言われる筋合いはないじゃないですか!」西脇が不平を鳴らすと、「悪いことばかりではありません」と圭亮が言う。

「現地に取材に行くなら、連絡をして下さい。事前に捜査の指揮を執る人間に伝えておきます。現地で何か分かったら自分かその者に伝えて下さい」と言われたと言うのだ。

「それは、捜査状況を教えてもらえるってことですか?」

 当然、そう考える。

「はっきりとは言いませんでしたが、そんなニュアンスでした」

 西脇は舌舐めずりとしながら言った。「先生、一刻も早く、須磨さんに確認を取って下さい」

「そうですかぁ・・・」圭亮は憂鬱そうだった。

 どうやら須磨が苦手なようだ。


 翌日、西脇は羽田空港にいた。

 須磨さんのゴーサインが出た。早速、圭亮とチェック・イン・カウンターの前で待ち合わせをした。

「須磨さんの話し方はメリハリがないから気を使います」と圭亮が言う。人一倍気を遣う性格の圭亮は言葉に感情を現さない須磨と話していると、「機嫌が悪いのでは?」、「もしかして怒っているのかも」と気をまわし過ぎて疲れてしまうようだ。

 とにもかくにも、須磨からゴーサインが出たと聞いた西脇は、直ぐに航空券を手配した。費用は全てサクラ・テレビ持ちだ。現地取材を空振りで終わらせる訳には行かない。圭亮には何が何でも事件を解決してもらわなくてはならない。

 西脇は何時もギリギリだ。待ち合わせ場所に着いた時には、圭亮は来て待っていた。長身の圭亮はとにかく目立つ。人込みに紛れていても頭ひとつ、いやふたつ、突き出ている。圭亮は長い体を折り曲げながらペコペコと頭を下げていた。テレビで顔が知られているせいで、あちこちから声をかけられるのだ。それにいちいち、対応していた。

「鬼牟田先生、お待たせしました。チェック・インしましょう」

 西脇の姿を見つけて、圭亮はほっとした様子だった。礼儀正しい圭亮は西脇にも長い体を折り畳んで丁寧に挨拶する。「西脇さん。おはようございます」

「おはようございます。これ、チケットです」

「チケット持って並びましょう。エですから。ビス食べながらや、クリしながら並んではダメですよ~」

「クリケットしながら、どうやって並ぶのです?」

「はは。これはどうです。チケットと掛けて江戸っ子と解く、そのココロは?」

「どうせキップがどうのこうのでしょう」

「あれ~流石は西脇さん。分かりましたか。そのココロは気風きっぷ(切符)が良い」

「下手ななぞかけですね。朝から、もう結構です」

 そうこうしている内に、チェック・イン手続きを終えた。

 羽田から広島空港まで飛んで、空港に出迎えに来ている山口放送局の藤代とカメランマンと合流し、車で現地入りする手筈を整えていた。

 手荷物検査を終えて登場待合室へ移動する。

 二人並んで動く歩道を歩いて行く。「現地での宿泊先ですけど、今井町には宿泊施設が無いようです。そこで、隣町のホテルを予約しようとしましたが、ほら、先日、お会いした例の美嶽社長から、うちに泊まってはどうかと申し出がありました。町を取材するのに便利ですし、先生、今井町の歴史の話をとことん聞くことが出来ますよ。流石に、大勢で押しかける訳には行きませんから藤代さんと相談の結果、僕と先生の二人がご厄介になることにしました」

「藤代さんたちはどうするのですか?」

「藤代さんたちは既に柳井のホテルに宿泊中です。毎日、通ってくれます。車で三十分もかからないということです」

「大丈夫ですか? ご迷惑じゃありませんか」

「美嶽社長から是非にと言われています。それに、ほら、娘さん、飛び切りの美人だし、同じ屋根の下、独身の先生には楽しいかもしれません」

「そんな、西脇さん」

 他人の家に泊まるなど、神経質な圭亮には気苦労の多いことだ。だが、心の何処かで奈保子と再会できることを喜んでいるに違いない。

「ところで、先生、この事件の犯人について、どう考えていますか?」

「そうですね。東野正純さんは自殺ではなく殺されたのだと思います。一連の事件が同一犯の仕業だと仮定してみましょう。犯人は自殺に見せかける為に、東野正純さんの遺体を木に吊るした。実に骨の折れる大変な作業を行っています。碇屋恭一さんは首を切り落とされ、胴体部分は未だに見つかっていません。首を残して、重たい胴体部分を持ち去っている。宝来さんの事件は詳細が発表されていませんが、槍で串刺しになったのだとすると、犯人は異様に力の強い人間だということになります。僕は犯人の力の誇示を感じてしまいます」

「力の誇示ですか?」

「はい。犯人は強靭な肉体と精神を持った人物のような気がします。そして、自らの力を誇示したいという欲求がある。日頃、抑圧されていて、その恨みが積み重なって爆発した。そして遺体に対して自分の方が格上なのだということを思い知らせた。例えるなら、そんな感じです」

「現地でそんな人物を探し出すことができれば犯人だということですね」

「まだ、よく分かりません。今はそう思っているだけです。現地で、色々なことを見聞きすると、また違う考えが頭に浮かぶかもしれません」

「須磨さんから何か言われましたか?」

「現地入りしたら、生長いきながさんという刑事を訪ねて、彼の指示に従うように指示を受けました」

「警察の内部情報を教えてもらえそうですか?」

「それは分かりません」

「普通に考えて、一方通行でしょうね。我々が掴んだ情報は吸い上げるけど、何も教えてはくれない。警察なんて、そんなものです。でも、まあ、先生、先ずは、生長さんを訪ねることにしましょう。そして、現地では生長さんの指示に従って動きましょう」

 現地で警察と喧嘩をして良いことなどない。

「はい」圭亮が子供のように頷いた。


 広島空港から中国自動車道を飛ばし、午後二時過ぎに今井町に到着した。

 空港には、藤代とカメラマンの菊本の二人が、ワゴン車で出迎えに来てくれていた。藤代は饅頭のような顔に笑顔を湛えながら二人を出迎えてくれた。顔は丸いが意外にしまった体つきだ。聞くと「走るのが趣味です」という健康オタクだった。

 菊本は一重瞼に低い鼻、弁当箱を思わせる顔だ。無口な若者で、終始、黙ってハンドルを握っていた。「僕、人見知りなのです」と自分で言うくらいなので、親しくなればしゃべってくれそうだ。

 圭亮は飛行機が苦手とあって、機内では、終始、強張った表情でひじ掛けを握り締めていた。隣に座った西脇はと言えば、飛行機が羽田空港の滑走路を移動している頃にはすっかり熟睡していた。結局、広島空港に到着するまで目を覚まさなかった。

「良いですね~飛行機で熟睡できるなんて羨ましい。西脇さんは」珍しく圭亮が皮肉を言う。

 広島空港から自動車道を飛ばして山口県へと入った。やがて、車は自動車道を降り、海岸沿いの国道を走り始めた。

 海岸へと押し寄せるなだらかな山と瀬戸内の穏やかな海との間を縫うように国道が走っている。海岸線を走る道を右に左にカーブを切りながら車は進む。睡魔が圭亮を襲い始めた時、車は突如、山間に開けた細長い町へと進路を変えた。

 今井町だ。町の中央を流れる川が、山を削ぎ落とし、平地が細長く続いている。恐らく町のメインロードを走っているのだろう。道の両側には民家と田畑が延々と続いている。やっとあった店はシャッターの降りた酒屋だった。都会で見たことのないコンビニを通り過ぎ、川沿いの道を走る。山手方向に向かうと、やがて道は工場の正門に突き当たった。美嶽貴広の経営する美嶽セメントだ。

 車中、藤代から美嶽セメントの副社長であり社長夫人の美嶽瑠璃子みたけるりこの好意で、仮設捜査本部が会社の会議室におかれていることを聞かされた。

 柳井警察署に捜査本部が置かれ捜査が行われているが、県警では今井町に拠点が欲しかったようで、初めは町民館に仮設の捜査本部を置くことを検討していた。美嶽瑠璃子は町内会長を勤めており、町民館の使用について柳井警察署より相談を受けた際に、美嶽セメントの会議室を捜査本部として利用してはどうかと提案した。広いだけで町民館には椅子や机、それに電話やホワイトボードなどの設備がない。何かと不便だった。

 美嶽セメントの会議室なら、冷暖房完備でホワイトボードは勿論、ファックスもある。テーブル毎に電源があるし、会社の無線が使い放題だ。パソコンが自由に使える。

 また、二、三人なら会社の寮に空きがあるということで、県警から出張ってきている刑事が美嶽セメントの独身寮に宿泊しているらしい。

 圭亮は広島空港で須磨から聞いた生長の携帯電話に電話をし、今井町に向かっている旨を報告しておいた。「分かりました」とこちらも口数が少なかった。

 圭亮の来訪を歓迎していないのだ。当然だろう。地元の刑事にすれば、警視庁の横やりで素人探偵の面倒を押し付けられて嬉しいはずがない。

 藤代によれば生長は県警本部より派遣されてきた刑事で、かなりの切れ者だと言う。美嶽セメントの独身寮に宿泊している刑事の一人のようだ。

「鬼牟田先生、ようこそいらっしゃいました」

 車が美嶽セメントの正面玄関に到着すると、美嶽貴広が飛び出してきた。社長自らのお出迎えだ。先日、都内のホテルで会ったばかりだ。圭亮の到着を待ち侘びていたようで、貴広は満面の笑顔で出迎えてくれた。圭亮は何時もの癖で、貴広の手をがっちりと握った。

 貴広の後ろから見慣れぬ男が顔を出した。男は「山口県警の生長です」と名乗った。須磨から教えられた現場の捜査責任者だ。四十代後半だろう。太い眉毛に涼やかな目、色黒で多少、団子鼻なことを除けば、なかなかの男前だ。百八十センチを超える長身で、スタイルも良い。

 圭亮が右手を差し出したが、生長は一瞥しただけで無視した。

 西脇たちにも「自由に使って下さい」と会議室が割り振られた。テレビ局の会議室と違って、広々としているし、窓があるので閉塞感がない。会議室の壁には会社のポスターや業績を示すパネルが飾られていた。

「着いてすぐに、鬼牟田さん。ちょっと――」と圭亮が生長に連れて行かれてしまった。西脇がついて行こうとすると、「鬼牟田さんだけで結構です」と同行を断られた。

 仕方がない。ここで警察と争って良いことなど、ひとつもない。後々、圭亮から情報を仕入れるだけだ。給湯室に行けばコーヒーが飲み放題だという。コーヒーを飲んで待っていることにした。

 程なくして圭亮が戻って来ると、「やあ、コーヒーですか。良い匂いですね」と会議室に戻ってくるなり言った。

「給湯室に行けば、コーヒーが飲み放題ですよ」藤代が教える。

「何の話だったのですか?」早速、西脇が尋ねる。圭亮が「犯罪現場を案内して頂けるというお話でした。碇屋恭一氏の頭部が見つかった神社に東野正純氏の遺体が見つかった山林、それに宝来家です」と答えたものだから驚いた。

「警察が犯罪現場を案内してくれるのですか⁉」

 藤代が目を丸くしている。

「せめてコ-ヒーを一杯だけでも~」と言う圭亮の尻を叩くようにして、「直ぐに行きます」と返事に行かせた。

 碇屋恭一の生首が発見された神社と宝来家は美嶽セメントから車で直ぐの場所にある。先ずは東野正純の遺体が発見された山中の現場から回ってみてどうかと提案された。山の中腹まで車で山道を登り、そこから足場の悪い山の斜面を下って行くことになる。ちょっとした登山だ。日がある内に回った方が良い。

 美嶽セメントの玄関前に集合すると、生長ともう一人、若い刑事が現れた。若い刑事は浅井と名乗った。アラサーだろう。卵型の輪郭なので、実際より太って見えてしまう。薄い唇と吊り上った眉毛が気の強さを感じさせた。

「よろしくお願いします」と頭を下げると、浅井は「どうも~東京のテレビ局の人だそうですね。ああ、鬼牟田さん。サタデー・ホットライン、見ていますよ~」と明るく返事をした。

 愛想の良い若者だ。

 生長と浅井が警察車両に乗り込む。先導してくれるようだ。それに、西脇に圭亮、山口放送局の二人を乗せたワゴン車が続く。

 圭亮は長い体を器用に折り畳んで後部座席に収まる。

「警察が現場を案内してくれるなんて、どういうことでしょう?」と西脇が聞くと、「どういうことなのでしょうね」と圭亮も不思議そうな表情だった。

 山中に向かう途中、宝来家と山申神社を通り過ぎた。

 やがて、ワゴン車は道幅の狭い山道に分け入った。蛇行する山道を走る。片側が斜面になっている。道を踏み外せば谷底に転落してしまう。菊本は黙々と車を運転していた。菊本の無言が時に頼もしく、時に重苦しく感じられた。

 離合のために道幅が多少、広くなっている場所に二台並んで車を停めた。二台でギリギリだった。

「ここからは徒歩です。気を付けて下さい」車を降りた生長が先に立って歩き始める。

 本当に現場を案内してくれるようだ。

 ガードレールを跨ぐ。吸い込まれそうな緑が眼下に続いている。この急斜面を下って行くのだ。うっかり転倒しようものなら、何処までも転げて落ちて行きそうだ。

 道なき道を行く。西脇は鬱蒼と繁る雑草や、斜面に根を張る木の枝に掴まりながら、よたよたと斜面を下っていった。雑草に足を取られそうになったり、木の根に躓きかけたりしながら、なんとか坂を下って行く。

 圭亮は長い腕で木をつかみながらさくさく降りて行く。意外に運動神経が良い。それでも顎が上がっていた。日頃の運動不足がたたっているのだ。だが、それは西脇も同じだ。同じように顎を上げて斜面を下っているに違いない。

 藤代はへっぴり腰だが足取り軽く斜面を下って行く。走るのが趣味だと言っていた。足腰は丈夫のようだ。

 カメラを抱えた菊本が一番、大変そうだった。何度か足を滑らせてはずり落ちた。その度に藤代に助け起こされていた。

「遺体を・・・発見したのは・・・はあ、はあ・・・どなたですか?」

 苦しい息のもと圭亮が生長に尋ねる。長い足は斜面を下るのに適していないで、持て余していた。山の中は意外に喧しい。鳥の鳴き声や風が木々を揺らす音がひっきりなしに聞こえてくる。それでも西脇は圭亮と生長の会話に聞き耳を立てた。

「山狩りに参加した地元のボランティアです。山菜採りが趣味だということで、山に詳しいと聞きました。この近くに山菜がよく採れる場所があるそうです。今時分ですと、春の七草のシーズンですのでセリやナズナなんかが採れるそうです」

「ああ、そうですか・・・じゃあ・・・遅かれ早かれ遺体は・・・発見されていた・・・でしょうね」

 暫く斜面を下ると、木々の間に立ち入り禁止の黄色い規制線が見えてきた。遺体の首吊り現場だ。

 規制線の前まで来ると、「ここから先は鬼牟田さんのみで、テレビ局の方はご遠慮下さい」と生長が言った。仕方がない。現場を案内してもらえるだけで勿怪の幸いだ。生長の機嫌を損ねたくない。西脇は不満そうな藤代を「ここで待ちましょう」となだめた。

「撮影しても大丈夫ですかね?」藤代が聞く。

「刑事の顔さえ映さなければ大丈夫でしょう」

「まあ、ここからの絵ならすでにテレビで流れていますからね。おい」と藤代は菊本に「鬼牟田先生の絵を撮っておけ」と指示を出した。

 生長は一本の大木の前に圭亮を案内すると何か説明している。

「あの木に東野正純が吊るされていた訳ですね?」

「でしょうね」

「どの枝ですかね?」

「一番、低いやつじゃないですか?」

「それだとちょっと細いような」

「でも、その上の枝だと地面から距離がありませんか?」

 藤代と会話する間も、生長と圭亮の会話に耳を澄ませていたが、遠すぎて聞こえなかった。やがて、圭亮と生長が話を続けながら戻って来た。

「――に自殺を偽装しようと言う意図はなかったのではないかと思えます」と圭亮が言っている声が聞こえた。

 圭亮は軽々と規制線を跨いだ。それを見た生長と浅井は一瞬、戸惑った後、規制線を潜った。まるで巨人だ。長身の生長をもってしても圭亮の前では小さく見える。

「さて、次に参りましょう」生長が言う。

 行きはよいよい帰りは怖い。降りた分だけ登らなければならない。一行は黙々と斜面を登り始めた。体力を消耗するが、やはり上るのは下りるのより楽だ。

「チョウさん、大丈夫ですか?」浅井が生長に声をかけていた。歩き慣れている刑事でもきついようだ。

 苦しい息の下で生長が答える。「チョウさんって・・・呼ぶな・・・はあ、はあ」

「だって、イキさんじゃあピンと来ないし、名前のカズさんと呼ぶと生意気でしょう」

「お前が・・・チョウさんって呼ぶものだから、最近・・・一課の連中が・・・みな・・・俺のことチョウさんって呼び出した」

「良いじゃないですか。チョウさんって、名刑事の響きがありませんか?」

「ああ、そうですね~」横から、圭亮が相槌を打つ。生長が渋い顔をする。

 何とか坂を上り切った。道路に出る。

 道路まで這い上がった時には冬山で気温が低いとは言え、汗ばむほどだった。皆、息が切れていたので、暫く呼吸を整える。若い浅井と菊本は平気そうだ。特に菊本はカメラを持って上り下りをした。体力がある。健康オタクらしい藤代は息を切らせていたが、もう元気を取り戻していた。日頃から体を動かしているからだろう。

 西脇と圭亮だけが、ぜいぜいと荒い息を吐き続けていた。

「この先にUターンできる場所があります」浅井が車に乗り込んだ。生長が倒れ込むように車に乗り込む。ぜいぜいと荒い息をしながら西脇と圭亮も車に乗り込んだ。苦しい息のもと、西脇が圭亮に尋ねる。「せ、先生。い、生長刑事とどんな話をしていたのです?」

「や、やはり、ひ、東野正純さんは自殺したのでありませんね。く、詳しいことは言えませんが、自殺とは思えない点がいくつかあります」

「じ、自殺するには、枝が高すぎることですか?」

「西脇さんも気が付いていましたか。遺体は地面から一メートル以上も浮いていたそうです。あの木の周りには踏み台になりそうな切り株や岩もありませんでした。首を吊るとしたら木の枝から垂れ下がったロープを両腕で掴み、懸垂の要領で上体を持ち上げてロープに首を通し、首を吊ったか、幹にロープを結んでから木の枝に上り、首にロープを巻いて枝から飛び降りなければなりません。東野正純さんは優男だったようなので、懸垂は無理でしょう。首にロープを巻いて飛び降りるのは怖いですし、お兄さんの証言では、彼に自殺なんてする度胸はなかったということだったみたいです」

 他にいくらでも足場の良い首吊りに適した木がある。わざわざあんな場所で苦労して自殺をしたと言うのは変だ。

「それに遺体は革靴を履いていたそうです」

 調子にのって生長から聞いた捜査状況を話してしまっている。

「山歩きには不向きですね」

「それもありますが、山道から木の周りにかけて長靴らしき足跡はあったそうですが、革靴の足跡はひとつも残っていなかったそうです。脅して連れて来て、あの場所で殺害し、遺体を吊るしたのではないかとも考えましたが、それも違うようです」

 遺体が運ばれて来たということだ。わざわざ遺体を担いて急斜面を下ってきた。信じられない。道路から往復するだけで、これだけ大変だったのに。犯人は恐るべき体力の持ち主だ。

「東野正純は殺されたと、先生もそう思っているのですね?」

「はい。彼は殺され、遺体がここまで運ばれた。そして木に吊るされたのだと思います」

「どうしてそんな面倒なことを?」

 誰だってそう思うだろう。

「分かりません。ただ、僕は――」と圭亮が考え込む。

 ふと圭亮が言った言葉を思い出した。「力の誇示ですか?」

「はい。重たい遺体をここまで担いできて、足場の悪い山の斜面の木の上に吊るす。とても常人のなし得える業ではありません。他殺に見せかける気もない。まるで、どうだ、俺にしかできないだろうと強烈にアピールをしているように感じます」

 藤代が口を挟む。「何故、力を誇示しなければならなかったのでしょうか?」

「難しいですね。犯人は日頃、抑圧された環境にいた。自らの力を誇示したいという欲求があり、そのストレスが爆発した。被害者に対して、自分の方が格上なのだということを思い知らせた。そうも考えられます」空港で圭亮は同じようなことを言っていた。

 続けて圭亮が言った。「だけど、違うかもしれません。もっと別の複雑な事情がある。現場を見て、そんな気がしてきました」

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