第8話 闇に覆われた世界での目覚め

 目を覚まして見上げた空は、相も変わらず真っ暗闇。もう随分前から、この世界に朝は来ない。

 厳密には太陽は昇っているのだろうが、深い闇に閉ざされた空にその姿を見つけることは出来ず、人々は町に設置された時計台の示す時間だけを頼りに、魔族の襲撃に怯えて暮らす日々を送っていた。


 この世界にナティスが生を受けたのは、世界が闇に閉ざされた、まさにその日。

 人間が魔族の強大な力を前に手も足も出なくなった日から、もうすぐ十八年の月日が経つ。


「おはよう、ナティス。よく眠っていたわね」

「リファナさん……。私、いつの間に眠っちゃったのかしら?」


 ぱちぱちと瞬きをして、いつもと代わり映えのしない真っ黒な空を確かめた後、ゆっくりと身体を起こした先には、くすくすと笑う美人のダークエルフがいた。

 エルフの特徴である尖った大きな耳と、本来精霊の力を有するエルフとは違って魔の力に堕ちた証である黒髪は、腰の辺りまでさらさらと伸びている。

 堕ちたことで大地の魔力を手にしたというリファナの目は濃い茶色で、人間とは違うその容姿は迫力のある美人だ。


 本来エルフが人間と同じく光の世界で生きるのとは反対に、ダークエルフは魔力を持つ魔族と同じ闇の世界に生きている。

 だが魔族の国に住んでいた魔族達が人間の世界に入り込んでいる状況は、もう今では珍しい事ではない。


 何しろ、かつて世界の半分の領地を持っていた人間の統治する国は、既に壊滅状態に近いと言っても間違いではなく、世界の全てが魔族に侵略されたと言っても過言ではないこの世界に、人間の住む場所は数えるほどしかなかった。

 どこにいても魔族の脅威がある世界では、人々の往来も難しくなっている為、ナティスの今住んでいる世界の最西端に位置する辺境の町の他に、今どれだけの人間が暮らす場所があるのかさえ、正確な所はわからない。


 かつての魔族の国と一番離れた場所にあったこの場所でさえ、既に国という支配体制が崩壊してしまった事により、元からここに住んでいた人々だけの力で細々と独自に暮らしを維持している。

 かつての王都や、魔族の国に近かった東に位置する町や村がどうなっているのか、想像に難くない。




 今から約十八年前。

 世界が闇に覆われたその日にこの世に生を受けたその時から、ナティスは前世の記憶を持っていた。

 この世界を闇に閉ざした張本人であり、今や全人類の敵となった魔王ロイトを愛していた聖女ティアの人生、その記憶を。


 つい先程ロイトの胸の中で眠りにつき、その後堕ちていくロイトを止める事が出来ず、もどかしい気持ちで見つめていたはずだったはずなのに、一瞬意識が暗転した後、知らない場所で母親に抱かれていた時は流石に混乱した。


 思いのままに動かない手足と、理解出来るのに発声出来ない言葉。

 そして何より優しい顔で自分を慈愛に満ちた目で見つめる新たなる両親の瞳に映る自分は、紛れもなく小さな赤ん坊だった。


 自分が既にティアという人間ではないと飲み込むのには数日を要したけれど、赤子であるナティスに考える時間だけはたっぷりあったから、再びこの世界で新たな人生を踏み出したのだと、ゆっくりと受入れて行く事が出来た。


 新たな聖女を求めるが故にティアを犠牲にする選択をした王立修道院が、その行為こそが人間との共存を目指していた魔王の怒りを買ったのだと気付いた時には既に遅く、一年という月日が経過する頃には、王都はほぼ壊滅状態に陥った。


 王家さえ滅びた王都から、命からがら逃げ延びたという王立修道院の大神官は、新たな土地に再び『大修道院』という名で新たな組織を設立し、王立修道院の権力をそのままに各地に散らばる修道院を統括すると同時に、王家の代わりに神から啓示を受け世界を統治すると宣言した。

 そしてあろう事か魔王に新たなる聖女を生贄として差し出す事で、その怒りを静めようとする。


 聖女を殺した事がきっかけで魔王を怒らせたのだと言うのに、何故代わりの聖女を差し出す方法しか思いつかなかったのか、理解に苦しむ。

 今までそうして来たからという、前例主義の頭の固さ故なのだろうか。

 聖女に頼って権力を求めるくせに、その存在をただの魔王のご機嫌取りや飾り程度にしか考えていない傲慢さが、人間の世界の危機を呼びこんだのだと気づきもせず、神の名の下に再び罪を犯そうとするその姿は滑稽でしかない。


 だが世界が闇に覆われたこの状況では、人々が神に縋りたくなるのも必定で、その違和感を指摘できるような人物はいなかったらしい。

 聖女を暗殺した首謀者が王立修道院である事も、そしてそのせいで魔王の怒りを買った事も、一般の人々は知るよしもないのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。


 王立修道院という組織が腐りきっているのは、こうした考えの大神官がいるからなのか。それとも腐りきった修道院だからこそ、この大神官が生まれたのか。

 どちらが先なのかはわからない。だが少なくとも、今の大神官がその地位に居る限り、この世界に光が差すことはないように思われた。


 ティアが死んだ事で、いやもしかしたらその少し以前にティアがロイトと結ばれた事で、生まれていたかもしれない新しい聖女は、混乱の中で王立修道院に見いだされる事無く、修道院に身を置かないままこの世界のどこかで生きているらしい。


 聖女誕生の光柱は西の彼方に現れたと言うが、闇に覆われたばかりの先が見えない世界の中、王立修道院の神官達は迎えに行く事が出来なかったのだろう。

 王立修道院から大修道院に変わった後も、新たな聖女は未だ見つかっていない為、修道院に籍を置いてはいないと言う。


 闇に覆われた世界の状況下では、出現地に住む地域の人々にとって癒しの力を使うことの出来る聖女を手放したくないのもわかる。

 通常であればあるはずの、王都へ向かうよう指示し見送る声よりも、残って欲しいという希望の声の方が多かったのではないだろうか。きっと聖女にとっては、その方が幸せだ。


 だが戦う力の大半が失われた状況で、魔王に差し出す生贄としての聖女が見つからない事態は、大修道院を酷く焦らせた。

 元々、聖女を差し出す事で魔王の怒りを静められる確証もないのに、既にその方法が正しくて唯一だと思い込んでしまっている。


 ある日とうとう、聖女ではなくても良いから、ピンクブロンドの髪色をした乙女はすべからく大修道院に集まるようにとのお触れが出された。

 何故髪色を指定するのかと疑問に思ったが、どうやらその髪色は先代聖女と同じ色なのだと人々が噂していた。


 考えてみると確かにそうで、当のティア本人は気にも留めていなかったのだが、どうやらとても珍しい髪色だったらしい。

 遺伝などで引き継がれるものではなく、突然変異でしか生まれないので、ピンクブロンドの髪色を持つ人間はごく僅かである。


 そのお触れの真意は、大修道院が魔王に聖女を差し出せないのならば、ティアと似た姿の娘を差してご機嫌を取ろうと単純に考えている事は明白だった。

 だが一般の人々はそんなことを知るよしもない。突然生まれるピンクブロンドの髪を持つ乙女は、聖女に選ばれないまでも、何かしらの力があるものと信じられた。

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