第7話 最期の祈り

「あんたが聖女のまま魔王の元に居る事が、都合の悪い連中が居たって訳だ。神に仕えるなんて言ってる奴らが聞いて呆れるぜ。なぁ? だが、こっちも仕事でね。聖女様に恨みはないが、残念ながら死んでもらう」


 訳もわからずに、突然死を突き付けられたティアを不憫にでも思ってくれたのだろうか。

 ティアの胸をナイフで深々と刺したフードで顔を隠した暗殺者は、崩れ落ちていくティアを見下ろしながら、その依頼をした人物のヒントをくれた。


 この二年間、ティアが聖女の力を失うこと無く魔王の元で無事に過ごしていたという事は、人間の国には新たな聖女は生まれなかったという事だ。

 魔族と人間の関係が上手くいっている象徴であり、それが悪い事だとは考えも付かなかったけれど、人間の国では完全には終息していない魔族との戦いで傷付いた兵士達や、不治の病を奇跡の力で癒やす聖女が不在のまま長い月日が経てば、困る人々も出て来るという事だったのだろう。


 だが、人間との戦いを収めたいと奮闘しているロイトが魔王として采配を振るっている中、今人間側に大きな損傷が出ているとは考えにくい。

 不治の病を抱えている人々を癒やせないのは確かに申し訳ないけれど、元々王立修道院に多額の寄付をしなければ看てもらう事さえ出来ないともっぱらの噂だったし、実際修道院で監禁されている期間に聖女の力は大神官の導きによって使われるものなのだと教えられたから、大きく違いはしない気がする。


 ティアは王立修道院に在籍していた期間がとても短く、噂は噂でしかないのかもしれないが、ティアが人間の世界を離れてまだ二年だ。

 聖女の力に頼る方法は、医療の発展を阻害している一因であるとも言われていたが、別に医療体制が特段遅れているという事でもなく、怪我や骨折等の命に関わらない程度の怪我ならば、医者の手によってかなりの人は助けられる。


 国が安定に向かっている今、癒やしに関して万能な聖女が居ないことは、ある意味医療分野の発展には好機でもあるはずだった。

 困っている人が全く居ないとは言えないだろうが、魔族の国で和平の架け橋となっている聖女を殺してまで、無理矢理に次代の聖女を誕生させなければならない程、逼迫した状況だとも思えない。


 聖女が見つかる度にその身を保護し、癒しの力を使う許可を出す権利を有するのは、王立修道院。

 聖女本人が、勝手にその力を使う事は禁止されている。だからこそ何か特別な状況下でなければ使えない力なのかも知れないと、ティアは聖女の力を自由に使って魔族達を癒やすことが出来るのか、最初は半信半疑だった。


 魔族に対して有効かどうかという問題以前に、自分の意思で使えるものかどうかという事さえ疑問視していたのだから。

 一度使ってからは、相手にも自分にも変な影響が出るわけでもなく、聖女の力がそこまで特別なものではないとわかったけれど、神聖な何か選ばれた者だけが受け取ることの出来る力だと思っている人々は、きっと王立修道院の言葉を信じるだろう。


 暗殺者が「神に仕えるなんて言ってる奴ら」と蔑むように口にしていた事から、ティアに刺客を放ったのは王立修道院の誰かと見て間違いないのだろう。

 ティアが王立修道院に保護という名の監禁をされていたのは、聖女の力を発現してからほんの数週間に過ぎない。

 彼らにとっては何の思い入れもないティアが、いつまでも聖女の地位を保ったまま魔王の元に存在している事自体が、面白くなかったのかも知れない。


 恐らく聖女を掲げられない王立修道院の権威は下がる一方だろうし、そうなると確かにティアの存在は邪魔だと考える者が現れ始める可能性はなくはない。

 暗殺の依頼者は、もしかしたら大神官その人だという可能性さえある。


 奇しくも今日。ほんの数時間前に、ティアの聖女としての能力が失われたばかりという事など、この暗殺者は知るよしもない。

 王立修道院からの暗殺者がティアを殺さなくても、きっと今頃新しい聖女は誕生しているはずだ。


 掌からこぼれ落ちそうになる魔石を、これだけは離すまいとぎゅっと握りしめた所で、ティアの意識は途切れた。




「ティア!」


 最期に聞いたのは、血溜まりの上に横たわるティアの身体を抱き起こして呼ぶ、悲鳴に近いロイトの声。

 その右手に握られていただろう床に転がる剣は、ティアのものとは違う赤で染まっている。それはきっとあの暗殺者のものだろうと、簡単に想像が付いた。

 魔王城内に入り込んで聖女を殺害した犯人を取り逃がす程、ロイトの能力は低くはないし、この城に籍を置く魔族達は敵とみなした相手に対して容赦もしない。


(あぁ、来てくれたのね……最期にロイトの無事な姿が見られて、よかった)


 ロイトの声に導かれるように意識が戻る。

 けれど、それももう長くは持たない事はわかっていた。


 誰より強い魔族を統べる王。恐ろしい存在だったはずの魔王は、本当は誰よりも優しい人で、一人で頑張るロイトの心を癒やしてあげたくて、傍に居たいと押し続けたのはティアの方だった。

 ようやく振り向いてくれたロイトが、ずっと一緒に居て欲しいと願ってくれたばかりだったのに、魔王ではないロイト個人の初めての我が儘一つさえ、叶えてあげられない。


 霞がかってきた視線の先にあるロイトの顔を、もうはっきりと捉える事さえ出来ないけれど、ふと頬に付いた小さな傷が見えた。

 いつもの癖で、そこに手を伸ばして癒しの力を使おうとして、今の自分にはロイトの為にそれさえも出来ない事を知る。

 この身をロイトに捧げた事で、聖女の力が失われたことは嬉しい事だったけれど、そのせいで何もしてあげられないことがもどかしい。


 ティアの伸ばしかけた手が、ロイトにそっと握られる。

 まるで何も出来なくても、ここにいるだけでいいと言われているようで温かい。嬉しくて、でもそんなロイトを一人残して逝ってしまう申し訳なさで涙が溢れる。


 けれどティアの瞳から涙がこぼれ落ちるよりも先に、ティアの頬に冷たい雫が触れた。

 閉じかけた目をゆっくり瞬かせて何とか視線を上げると、それが頭上にいるロイトからこぼれ落ちたものだとわかる。


「……泣か、な……い、で」


 どうか幸せに……もし叶うなら、またいつか……。

 掠れた声の続きは、きちんと音に乗せられたのかさえわからない。

 ただその言葉の後、泣き笑いの様な顔をしてロイトがゆっくりとティアの唇に触れ、そしてティアが大好きだった綺麗で深い海の様な碧色の瞳を、濁らせて行くのだけが理解出来た。


(駄目……!)


 ロイトが堕ちていく気配を感じる。ティアの為に、ずっと目指してきた世界を壊す選択をしようとしているのがわかる。

 止めなければ。こんな風に別れる事になってしまったけれど、それでもロイトの傍に居られた二年間、幸せだったのだと言わなければ。


 必死にそう思うのに身体は付いて行かず、その言葉は声にはならないままロイトに届く事なく、ティアの意識は今度こそ完全に途切れた。




 身体から力が抜け意識がふわりと宙に浮く感覚の中、ロイトの纏う闇の魔力が残されたティアの身体だけを優しく包み込み、それ以外の全てを強大な力でねじ伏せる様に広がって行くのが見える。

 身体がそれを実感として捉えたのでは無く、俯瞰でただ見つめる事しか出来なかったのは、もうティアがロイトの傍には居られない証明の様だ。


「殺戮自体を楽しんでいた先代を肯定する事は出来ないが、害を成す人間共を滅ぼそうとしていたという点に関しては、正しかったのかもしれないな……」


 濁った瞳と、人間全てを恨むかのようにぼそりと漏れた低い声。闇の力で容赦なく人間を滅ぼさんとするその姿はまさしく、人間達が勝手に想像していた魔王そのもの。

 闇の力を使うのでは無く、闇の力に飲み込まれてしまいそうな危うさも感じるその背中は、出会った頃よりも更にずっと孤独を抱えて寂しそうで、見ていられない。


 駆け寄って、抱きしめて、愛していると伝えなければ。

 悲しみを恨みに変えてはいけないと、ロイトのやって来たことは決して間違ってなんかいなかったのだと、言わなければ。


 闇に飲まれていくロイトの姿を救いたいと思えば思うほど、ティアの意識はどんどんロイトから引き離されて行く。


「俺の望みは、俺の幸せは……ティアが傍で笑ってくれる事、それだけだったのに……!」


 泣き叫びのようなロイトの声を最後に、徐々に均衡を保ち始めていた人間と魔族の関係はその日を境に一変し、そして世界は闇に覆われた────。

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