第6話 悲劇の足音

 露骨に嫌そうな顔をしたロイトの頬を、微笑みながらちょっと摘まんで返答を促す。

 二人きりの時間を邪魔されたことはティアも残念に思うが、それ以上に扉の向こうから聞こえてくる声は緊急性を帯びていた。

 それはロイトにもわかっていたのだろう。渋々といった表情は変わらないままだったが、ティアを残したままベッドから下りて下着とズボンだけを身につけ、扉へ向かう。


「何だ。今日は一日邪魔をするなと、言っておいたはずだが」


 広い部屋なので扉から直接ベッドの中に居るティアは見えないだろうが、布団を被っているとは言え、ティアがまだ裸だという事を気にしてくれたのだろう。

 ロイトだってちゃんと服を着ていないのに、扉はほんの少し開けられただけで更にその隙間に身体を挟み込むようにして半分部屋から出る形を取り、部屋の中を見えないようにしてくれているのが背中の位置でわかる。


「もっ、申し訳ございません。ですが先程、城下の町に火の手が上がり……どうやら火事ではなく、人間による襲撃の可能性があるとの事です。マヤタ武将より、至急陛下にお出で頂きたいとの要請が……」

「何だと?」


 ロイトの上半身が裸のままだったので、伝達に来た魔族も一瞬怯んだようだったが、それでも引き下がらずにはっきりと状況を伝えてきた所を見ると、相当緊迫した状況である事が窺える。

 マヤタというのは、ロイトに仕える魔族の中でも四魔天と呼ばれる腹心の一人で、火の魔力を持っている人型の魔族だ。


 一度だけ会った事があるが、鬼の一族という事で人型ではあるものの人間とは比べるべくもない巨漢で、頭に二本の角が生えていた姿をしていた事を覚えている。

 だからといって恐ろしい容姿という訳でも無く、魔王の腹心だからといって威圧的な感じもなく、その人間とは違うとわかる大きさ以外は、にこにこと笑う普通の気の良いお兄ちゃんといった印象の魔族だった。


 マヤタは武将の名が示す通り、主に戦いを中心とした任に就いている。

 更に火を得意とするマヤタが火事では無く人間の襲撃だと言うのならば、その可能性は限りなく高い。

 人間には魔族と違って魔力が無く魔法が使えない。魔族の町で起こる火事は、ほとんどが魔力で出した火の取扱いミスに起因するものがほとんどなので、人間の扱う火薬とは火の性質そのものが違うのだ。


 城下町を人間が襲って来ているとするならば、確かに緊急事態で間違いない。

 それでもロイトがすぐに部屋を出て行こうとしないのは、ひとえにティアとの「今日一日はずっと一緒に居る」という約束の為である事は明白だった。


 ティアの事を一番に想ってくれている事は嬉しいけれど、ロイトの足枷にはなりたくない。

 ティアはもぞもぞとベッドのシーツを剥ぎ取り、ぐるぐるとその身体に巻き付けて、そのまま愛されたばかりで力の入らない身体をよたつかせながらも、扉の前にいるロイトの元へ向かう。

 途中でロイトの脱ぎ捨てていたシャツを見つけて拾い、考え込むその背中にぱさりとかけながら声をかけた。


「ロイト」

「ティア!? 駄目だよ、そんな格好で……」

「行って」


 慌てて伝達係の魔族からティアの身体を隠すように振り向いたロイトの目を真っ直ぐ見上げて、はっきりと伝えたい事だけを短く告げる。


「…………っ、だが」


 その短い一言で、ティアの伝えたかったことは正しく伝わったはずだ。

 ロイトだってそうすべきだとわかっているはずなのに、それでも躊躇するのはロイトの優しさに他ならない。けれどロイトはティアの恋人である以上に、魔王なのだ。


 ティアを大切にしてくれるのはとても嬉しいけれど、そのせいで救えた誰かの命を犠牲にしてしまったら、きっとロイトは傷付く。

 そしてそれは、ティアの望むところではない。


「ロイトの仕事は、魔族の民達を守る事でしょう?」

「……わかった、行ってくる。ティアはここから出ないでくれ」

「わかっているわ」


 頷いたロイトに笑いかけると、心配そうにしながらもロイトはティアの羽織らせたシャツを着て、この部屋から出る準備を始めた。


「すぐに片付けて戻ってくる。そしたら、今度こそ魔石を飲んでくれる?」

「もちろん」

「愛してる、ティア」

「私もよ、ロイト。いってらっしゃい、お気を付けて」


 笑って見送るティアの頬にそっとキスをして、ロイトはそのまま部屋から出て行った。

 早足で去って行く二人の足音が消え、しんっと静まりかえった部屋の中で大きく息をつく。


 ゆっくりとベッドまで戻って、ベッドの縁に脱がされたままになって固まっていたワンピースと下着を着けた。

 布一枚分温かくなったはずなのに、先程までロイトの温もりに包まれていた身体はどこか肌寒く感じて、小さくぶるりと震える。

 サイドテーブルの上で小さく輝く、ロイトがくれた魔石を見つけて手に取り、ぎゅっと握りしめる。


(どうか、無事で……)


 先程まで平和な光を灯していた町が、今は戦火が燃やされているのかもしれないと思うと心配でならないが、平和な状況の中でロイトを待っていた先程とは違って、ティアが不用意にベランダに出て確認する事は憚られた。

 今回の襲撃が本当に人間のものだとするならば、きっとティアに無関係では無いと考えられるからだ。


 聖女として魔王城にやって来ている以上、ティアの身に何かがあればそれが更なる火種になりかねない。

 ロイトがここから出ないようにと指示したのも、きっとその可能性を示唆していたのだと思う。


 ティアに出来ることは、ただロイトと魔族の民が理不尽に傷付けられる事の無いように、祈ることだけ。

 聖女などと呼ばれても、ティアに出来ることは本当に少ない。

 そうしてどの位の時間が経っただろうか、ふと扉の向こう側に人の気配を感じた。


「聖女様、いらっしゃいますか? 魔王様からの使いで参りました」


 かかった声は小さく聞き取りにくい。だが聖女と呼ばれた事は理解したので、ティアの様子を伺ったものだとわかる。

 今まで聞いた事のない声に違和感を感じたが、この部屋をティアが使っている事を知っている人物は、城内でも数が少ない。

 それなのに、この部屋に聖女がいると扉の外に居る人物は疑ってもいないような口振りだったから、違和感を拭いきれないものの、ロイトの使いだと言う言葉への信憑性は確かにある。


 ティアには町の様子どころか、この魔王城内の様子もわからないのだ。もしかしたらロイトの身に何かあったのかもしれない。

 状況が変わって、ティアがここに居ては不都合な事態になったのかもしれない。


 だからつい、慌てて立ち上がって警戒もなく扉を開けてしまった。

 それが聖女であるティアを狙った、人間による暗殺者のものだとも知らずに。

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