第5話 初めての夜と幸福に包まれた時間

「その……聖女のままではダメなんだ。もし頷いてくれるのなら、今宵君から力を奪いたい」


 望んでくれている事のはずなのに、どうして止めるのだと抗議の目を向けると、ロイトは珍しく言い澱んだ後、ぎゅっとティアを抱きしめて耳元でそう囁いた。

 今のまま魔石を飲み込んでも、ロイトの闇の魔力とは正反対に位置する聖女の持つ癒しの力が、ティアに入り込んだ異物である魔力を弾いてしまう。そう言われて「なるほど」と納得した後、じわじわとロイトの最後の言葉の意味を理解して、ぶわりと顔が火照る。


 聖女の力が失われるのは、その者が死んだ時か、乙女で無くなった時。

 ロイトが一緒に生きたいと望んだばかりのティアを殺す選択をするはずはなく、つまり聖女の力を奪いたいと言うことは、ティアの純潔を奪いたいという事と同意だ。

 そっとティアの手元から奪われ、サイドテーブルに置かれたティアだけの為だけに作られた魔石を見つめる。これを本当の意味で受け取るという事は、文字通りロイトに全てを捧げる事。聖女として魔王に捧げられたはずのティアの役目が、こんな形で達せられるとは聖女になった頃のティアは思いもしなかった。

 けれど今は、愛しい人に自分から自分の意思で全てを捧げたいと、そう思う。


「……本当に、私で良いのですか?」

「ティアがいい。君だから、欲しい」

「よろしく、お願い致します」


 目を見てしっかりと頷いたロイトの言葉は愛に溢れていて、ティアは自然と頷いていた。

 ティアの方がずっと先に、ロイトを慕っていたのだ。その人に、これから先の人生の全てを望まれて、嬉しくないわけがない。ロイトは魔族になる訳ではないと言っていたけれど、きっともう人間でもなくなるのだろう。でも傍に居る為のそれを嫌だとは思わない。

 ティアは最初から、頷く以外の答えを持ち合わせてはいなかったと言える。


「ありがとう、ティア」

「ん……っ、ロイト様……ぁ」


 ふわりと笑ったロイトの唇が、ティアに重なる。

 ロイトからのキス自体は初めてでは無かったけれど、でも今回のそれはいつもの慈しむ様に触れるだけのものとは全然違う。熱をはらんで、愛を交す為の深さを持っていた。


「今日からは、様はいらない」

「でも……」

「呼んで? 俺をティアの特別にして欲しい」


 そう言われてしまっては、拒否など出来るはずもない。

 確かにこの世界に魔王であるロイトの事を気軽に呼ぶ相手は、周りに誰も居なかった。ロイトはそれを、寂しく思っていたのかもしれない。

 それに呼び方を変えることで、ロイトがティアの特別になるように、ティアもロイトの特別になれる気がした。


「……ロイト」

「うん」


 ゆっくりと名前を呼んでみると、ふわりと柔らかく笑ったロイトにティアの方が嬉しくなって、ぎゅっと抱きついた。


「ロイト、好き。大好き」

「俺も。愛してる、ティア」


 溢れ出る気持ちのまま言葉に乗せると、ロイトにそっと肩を押され、ぽすんっとベッドに押し倒された。




 お互いしか見えなくなって、熱が限界まで高まり合い、二人は同時に恍惚の時を迎えたその後。

 頭を撫でられる感覚が気持ちよくて、このままずっと微睡んでいたい。そう思いながらも、額に触れる柔らかい感触がくすぐったくてゆっくりと目を開けると、至近距離にロイトの微笑みがあって驚いて目が覚めた。


「おはよう、ティア」


 ぱちぱちと瞬きをするティアに、ロイトがちゅっとキスを重ねる。


「あ、私……寝ちゃってました……?」

「ちょっとだけね。可愛い寝顔が見られて、俺は眼福だったけど」

「もう!」


 恥ずかしさでがばりと布団を持ち上げて顔を隠すと、隠れきらなかった頭のてっぺんに何度もキスが落ちてきて、余計に恥ずかしくなる。

 もぞもぞと顔を出すと、軽いキスが唇に触れて幸せが包み込む。


「まだ夜明け前だよ、もう少し休む?」

「せっかくロイトと居られるのに、眠っちゃったら勿体ないから、嫌です」

「そんな可愛い事言われたら、休ませてあげられなくなるんだけど?」

「そういう意味じゃ……っ、ぁ」


 するりと艶めかしく頬を撫でられ、ぞわりとまた熱を引き起こされそうになる。ロイトと触れあうのは嫌ではないけれど、初めてで全力を使い切ってしまった感があるので、これ以上は体力が持つかどうか正直疑わしい。


「ティアから聖女の甘い匂いが消えた。ちょっともったいないけど、思った以上に嬉しいな」

「……匂い? どういう事ですか?」

「ふふ、どういう事だろうね? でも流石に最初からそんなに無理はさせないよ。時間はこの先、たっぷりあるんだから」

「お、お手柔らかにお願いしますね?」


 首筋に顔を埋めて匂いを確かめたロイトの唇が、そこにちゅっとキスを落とす。けれどそれ以上進まない様子に、良かったような残念なような気持ちになっていると、それを見越したのかロイトが「ふむ」と何かを思案し、小さく首を傾げた。


「じゃあ、一緒に風呂にでも入る?」

「……えっ!?」

「嫌?」

「嫌じゃ、ない……です、けど」

「恥ずかしい? なら問題ないのかな。ティアの恥ずかしいは、拒否じゃないみたいだから」

「ロイトの意地悪」

「ティアの事を理解しているだけだよ」

「じゃあ、今私が何を思っているかわかりますか?」


 余裕顔で笑うロイトを困らせてみたくて、じっと視線を合わせて覗き込みながら尋ねてみると、ロイトはその余裕の表情のまま「もちろん」と頷いた。


「ロイト、大好き?」

「残念。「ロイト、愛してる」です」


 ロイトの答えは本当は合っていたのだけれど、本当に見通されているのが悔しくて、せめて少しでも驚かせてみたかったから、そう言いながらぎゅっと抱きつく。そんなティアをロイトはそれ以上の力強さで抱き返してくれた。


「あぁ、ティアは本当に俺の事を喜ばせる天才だ。俺もティアを愛してる。これからは、ずっと傍に……」

「陛下! お休みの所、失礼致します」


 やっぱりもう一回。そんな雰囲気になりかけたベッドの空気を、扉を強く叩く音と焦ったような声が引き裂き、二人は現実に引き戻された。

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