第17話 聖女の在り方
「あのね、リファナさん。今日はお別れを言いに来たの」
「……どういう事かしら?」
ナティスが一人でこの森を訪れた時から、リファナは何かしら察していた様子ではあった。
けれど急に現れたナティスに対して何も聞かず、魔石の封印を更新する時期はまだ先であったにも関わらず、重ねてかけておいてくれないかという要望にも応えてくれた。
ただそれでも、強力なロイトの魔力を封じておける期間は長くないし、あまり強くかけ過ぎると今度はリファナの魔力がナティスに付帯してしまうから、本末転倒だ。
恐らく三ヶ月も経てば綻びは出て来るだろうと指摘をしたリファナは、もうナティスはこの森へ来ない事を知っている様な口振りでもあった。
その時の、リファナの封印の方法は、いつもとほんの少し違ったように見えた。
最後に何かを呟いて、革袋をそっと握っただけの僅かな変化だったけれど、この十五年間毎月施して貰っていたのを見て来たから、ナティスは動作の一つ一つを覚えている。
見覚えがない方法にナティスが口を挟もうとした時、リファナにそっと唇に指を立てる事で言葉を遮られ、ただ笑うだけで何をしたのか答えは聞かせてくれなかった。
魔石の封印に、何かいつもと違う仕掛けを付帯したのは間違いないはずだけれど、リファナがナティスに害をなす事をするはずがないという揺るぎない信頼は厚い。
何も聞かずにナティスの我が儘を聞いてくれたのだから、ここは黙って受入れるしかなかった。
リファナに封印を重ねて貰った後、いつものように森の動物や魔族達と過ごす。
お昼を一緒に食べた後、突然湖に飛び込んで栗色に染めていた髪を元のピンクブロンドに戻し、リファナの傍で眠ってしまったナティスの髪を、幼い頃からそうしてくれていた様に、そっと撫でていてくれた。
そろそろ町へ帰らなければ、心配をかける。
その時刻ギリギリになってようやく口を開いたナティスの言葉を、穏やかなものから真剣な表情に切替えたリファナは、真っ直ぐに受け止めてくれようとしている。
リファナに出会わなければ、ナティスはとっくに生きてはいない。
いつか絶対に恩返しをすると決めていたのに、それを果たせないまま別れを切り出さないといけなくなった事が、一番の心残りでもある。
けれどそれ以上に、ナティスはヴァルターが一生懸命治めているハイドンを守りたかったし、リファナの住むこの森を危険にさらしたくはなかった。
「明日、ハイドンに大修道院からの使者が聖女様を迎えに来るの。私はその身代わりとして、立候補するつもり」
そう。噂でしか無いと思われていた、西にある辺境の地に聖女がいるというのは、事実だったのだ。
ナティスがハイドンでの暮らしにも慣れ、少しずつ体力も付いて来た頃、ヴァルターはナティスを連れて領地の視察に連れて行ってくれるようになった。
一般教養から領地に関する専門知識まで、しっかりと教えて貰ったナティスは、今ではヴァルターに付いて領主としての仕事を補佐出来る様になってはいる。
だがまだヴァルターに引き取られて間もない、何か少しでも役に立ちたくて書類の整理を手伝うのが精一杯だった頃。
ヴァルターは常に忙しく、世界はずっと闇に覆われたままだった。
そのせいで仕事の手伝いよりも遊びたい盛りであるはずなのに、一人で外に出る事もままならない幼いナティスを気遣ってくれたのだろう。
「領地視察に、付いてきてくれる?」
そう言いながら、ヴァルターはたびたび気分転換に連れ出してくれる様になった。
実際には、ナティスはヴァルターの役に立てる方が嬉しかったので、気遣いはいらなかったのだけれど、ハイドンの町を見て回る事はヴァルターの気分転換にもなっている様子だったので、口をつぐんだ。
ある日、領地の視察に同行して貰うという名目の元に、ナティスを屋敷から連れ出したヴァルターが連れて行ってくれた先の孤児院で、ナティスは今代の、つまりティアの次代の聖女と出会う。
聖女に就任した当時から、既に孤児院の責任者という立場にいたその人は、ヴァルターよりも歳上の大人の女性だった。
ピンクブロンドの髪の乙女を必死に探す大修道院をあざ笑うかの様に、少し幼く見えるふわふわと揺れる髪は見事な金髪だ。
これで髪色に関しては、完全に聖女とは無関係だと言わざるを得ない事が確定する。
乙女でなくなると聖女ではなくなり、次代に引き継がれる事を知っていた彼女は、今まで結婚もせず恋人さえも作らないまま、聖女に選ばれたその時から献身的にハイドンの人々を救って来たという。
孤児院で、日々訪れる人々の病気や怪我を献身的に癒やすその姿は、本来聖女の在り方とはこういうものなのだというお手本のようだった。
今は王立ではなくなったものの、当時のままの体制を貫く大修道院によって閉じ込められ、権力を得る為に大神官の選んだ人だけを選別して救うような癒しの力の使い方をするより、一時の平和を得る為だけに望まれもしないのに魔王の生贄として捧げられるより、慈愛に満ちたその姿はずっと聖女らしい。
誰に指示されるでもなく、強制されるでもなく、ただ自身の癒しの力を困っている人々の為に尽くしてくれる彼女を、ハイドンの人々が大切に思うのは当然の事だ。
元々ハイドンというこの町は、王都から見れば大きな森に阻まれた西の端に位置する辺境地である事も幸いし、王立修道院からの神官の積極的な派遣がなく、修道院を建立しようとする動きがなかった。
鉱山や自然に囲まれて緩やかに人々が暮らすこの地では、神に感謝するという思想よりも、自然自体に感謝するという思想の方が合っていたこともあり、王立修道院や大神官の言葉を絶対と崇めるような土地柄でもなかった事が、この町に突如誕生した聖女を守る事になったのかもしれない。
世界が闇に覆われた混乱の中、この西の辺境地で光柱が立ったとしても、すぐに王立修道院からの使者がやってくる事は出来ない。
王都から見れば、西のどこかで聖女が誕生したことは把握できても、正確な場所がわかるわけでもない。
通常であれば、王立修道院からの使者が来なくても、本人の意思かまたは周りからの後押しで王都に自らやって来るのが常だ。
だがあの混乱状況の中、魔族がうろついている町の外に出ようと考える者は早々いない。
信心深い土地であれば、もし本人が嫌がっていたとしても、例え危険が伴ったとしても、周りが何としてでも王立修道院へ向かわせようとするだろう。
だが、ハイドンに住む人々に、そんな妄信的な考え方をする者はいなかった。
むしろ、王立修道院からの聖女出現の有無の問い合わせを受け、自ら大修道院へ赴こうとした彼女を止め、領主であるヴァルター以下領民全員が口をつぐむ事を選択したと言う。
王立修道院から大修道院へ組織が変わり、大神官が人々を治める権力を得た後、次々と打ち出される心ない生贄を捧げる為だけの通達が出る度に心を痛め、町を出立しようとしては止められていたらしい。
せめて自身が乙女でなくなることで、次に世界のどこかで生まれる聖女が、何も知らず辛い目に遭わないようにと、彼女は今も独り身を貫いている。
そうしてハイドンの人々に守られた聖女は、人々の為に日々穏やかに働いていた。
大修道院で聖女として世界中の多くの人々から崇められ、自由のない窮屈な生活をするよりもずっと、聖女もそして聖女に救われる人々も幸せなのは間違いない。
どの権力にも属さず、その力を過信する事もなく、誰かを救い慕われる。
それが、聖女の本来あるべき姿であるはずだから。
ティアが出来なかった、自分の手の届く範囲の小さな世界でいいから、聖女として人間と魔族の隔たりなく役に立ちたかったという想いは、今もこの胸にある。
まだ、人間と魔族という種族の境目なくとは言えない。
けれど、ハイドンで生きる今代の聖女は、その想いを引き継いでくれている様な生き方に、ナティスはすぐに今代の聖女の事を好きになった。
願わくば、聖女が自分の幸せを犠牲にしなくても良い状況に、早くなればいい。
それには大修道院の体制ごと変えなければ難しい事は重々承知しているけれど、せめて聖女に全部を背負い込ませる事は避けたかった。
今代の聖女の、聖女らしい姿。
好ましく思うそれを見て、ナティスは今回ハイドンを離れる決意をしたのだった。
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