第16話 人間と魔族の寿命差

「こんな魔族の気配の漂う森で熟睡出来る人間なんて、貴方くらいのものよ」

「リファナの傍なら安全だって、知っているもの」

「あら。出会った頃の方が、よっぽど警戒されていたわね」


 大きくなって……。

 そう言いながら、くすくすと笑うリファナは、出会った頃と寸分変わらず若く美しい姿を保っていた。


 リファナに助けて貰った当時、二歳だったナティスはもうすぐ十八歳になる。

 ティアとして生きた人生と、同じだけの年月を重ねる事が出来たのは、リファナがずっと助けてくれたおかげに他ならない。

 出会った頃は見上げるばかりだったリファナと、ナティスは既にほぼ同じ位の視線にまで成長していた。


 魔族の、特に人型をした魔族の寿命は、人間よりも遙かに長いとは聞いていた。

 その悠久の時を一緒に過ごしていきたいと望んでくれたから、ロイトはティアに魔石をくれたのだし、結果として叶わなかったけれど、ティアは迷う事なくそれを飲むつもりでいた。

 だから、魔族とはそういうものだと知識として知ってはいたけれど、やはり実際に目の当たりにすると実感が伴う。


 寿命が長い事を単純に羨ましいとは思わない。

 出来ることは増えるだろうし、力のある魔族ならそれは長所の一つにはなるだろう。

 けれど、一人の力では出来ることに限界がある人間の寿命が延びたからと言って、魔族と同じ様になれる訳でもない。


 幸せな日々がずっと続くなら良いかもしれないが、もし辛い事があってもそれをずっと心に抱えて、長い時間を過ごしていかなければならないのだ。

 その事に耐えられる心の強さを身につけられる人が、どれ程いるだろうか。


 いくら時間が解決してくれると言ったって、忘れることの出来ない棘は、きっとずっと刺さったままだ。

 強靱な肉体と大きな魔力を持つ魔族だって、心まで鋼の様な訳ではない。

 だからこそ、長い時間を生きる為の手段の一つとして、魔族は大切なものを作らないのだとロイトは言っていた。


 そんなロイトのごく僅かな大切なものの中に、ティアを入れてくれたことは嬉しかったけれど、それがロイトを傷付ける結果にもなってしまった。

 出会わなければ良かったなんて事は、絶対にない。

 ロイトを好きになった事に後悔もないけれど、ロイトの心をこじ開けてしまった事は申し訳なく思う。


 結果論でしかないけれど、ティアがロイトに出会えて幸せだった分、ロイトはティアに出会って不幸になってしまったのかもしれない。

 その心を救う事が、今のナティスに果たして出来るだろうか。

 ずっと変わらないリファナの姿をじっと見つめながら、遠くへ意識を飛ばしていたナティスの視線を受けて、笑っていたリファナが首を傾げる。


「なぁに? どうかした?」

「ううん。リファナさんはずっと綺麗なまま、変わらないなぁって思って」

「恐ろしいかしら?」

「まさか! リファナさんはリファナさんだもの。でも、兄様はちょっと寂しそうかな」

「そう、ね……」


 出会った時のヴァルターは、見た目通り領主としてはまだかなり若く、二十三歳だった。

 それから十五年の年月が経ったので、今は三十八歳だ。

 人間としては、身体も精神もしっかりと定まって男盛りだけれど、何も変わらないリファナと会う度に、最近は少しずつ悲しそうな顔をする事も増えた。


 もちろんヴァルターは今でも変わらずリファナの事が大好きで、森を訪れる日を毎月楽しみにしているけれど、やはり突き付けられる種族の差という現実は、如何ともし難いらしい。

 リファナもそんなヴァルターの変化に気付いているようで、最近は二人きりの会話も随分減ってしまっている様子だった。


 森にリファナがいる事に加えて、辺境の地だからこそというのもあるかもしれないが、ヴァルターの治めるハイドンの町に限っては、魔族の侵略の手はこの十五年で激しさを増したりはしていない。

 とはいえ、空の闇が晴れる事はなく、人間の国の状況は一向に改善している気配もなかった。


 むしろ中央に位置する町は、次々と滅びているという噂も入ってくる。

 王都に近かったナティスの故郷などは、今も残っているかどうか定かではない。


 裕福とは言い難いそんな暮らしの中で、領主としての仕事は溢れんばかりにある。

 それでも忙しい合間を縫い、ヴァルターはリファナへの贈り物を欠かさず用意して、毎月会える日を楽しみにしていた。


 リファナの住む小屋には、いつもヴァルターから贈られた花が飾られ、ヴァルターがプレゼントしたリファナ好みの食器で昼食が並び、何かにつけて記念日だからとヴァルターが贈るイヤリングやネックレスを身につけたリファナが、やってくる二人を出迎えるのが常だ。

 最初はヴァルターの一目惚れだったという話を聞いた事があるけれど、今は両思いに違いないとナティスは確信している。


 領主であるヴァルターに結婚の気配がないので、ハイドンの民達からは心配する声も上がり始めていた。

 リファナの存在を知らないヴァルターの母親などは、どうやらナティスの事を好きなのだと、勘違いしている。

 ヴァルターは、ナティスが大人になるのを待っているのだと思い込んでいて、結婚を急かす言葉を出してくることはない様だけれど、流石にそろそろ身を固めないのかと気にはしている様だ。


 確かに、母親にまで勘違いされてもおかしくない程、ナティスはヴァルターに溺愛されている自覚はある。

 だがヴァルターの一番がリファナだとナティスは知っているし、ナティスにとっての一番も残念ながらヴァルターではないので、あくまで二人の関係は兄妹としての親愛以上にはなり得ない。


 こんなにも想い合っているのに、リファナはヴァルターへ魔石を作らないのかと聞こうとして、咄嗟に口をつぐんだ。

 ロイトが特別を作ることを恐れたように、リファナもきっとヴァルターを特別にするには愛だけでは足りない、余程の覚悟がいるのだろう。


 それに愛の形はそれぞれで、二人はそれぞれの寿命が違う事を受入れて、一緒に居られる時間を大切にしているのかも知れない。

 人間のまま寿命を延ばすという、言わば身体の作りごと変えてしまう魔石を作り出せたのは、ロイトが魔王という魔族の中でも突出した強さを持っていたからこそなのかもしれないし、二人の間の事にナティスが口を挟めない。


 けれどそれでもやっぱり、二人が一緒に並んで笑っている未来を願ってしまうのは止められない。

 どうしてヴァルターに内緒で一人この森を訪れたのかという理由も、その気持ちに拍車をかけていた。

 そばを離れる自分の代わりに、リファナがヴァルターの傍に居てくれれば、どんなに安心で幸せだろうと考えてしまったからだ。


 今日、ナティスはずっとお世話になったリファナに、別れを告げる為にここに居る。

 出会った時からナティスを溺愛してくれているヴァルターには、絶対に決断出来ないから。

 ナティスは自らそれを言い出す事を心に決めて、最後の勇気を貰いに、ここへ来た。

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