第15話 ハイドンの領主
次の日。昼過ぎまで寝坊したナティスを叱ることなく、リファナは笑顔で再び森の中を細かく案内してくれた。
今日は髪を染める為の材料採りが中心ではなく、森の中でも安全な場所や凶暴な魔族が出現しやすい場所、小さな動物達の憩いの場所、広い森の中の色々な場所を教えてくれる。
傷薬や治療薬に調合可能な薬草が多く生息している場所も、いくつか案内してくれた。
話を聞いている限り、どうやらリファナはかなり魔力が強い様で、一緒に居る間は他の魔族に襲われる心配はまずないらしい。
それにこの森は魔族の気配は強いが、無意味に人を襲う様な魔族はほとんどおらず、元々住んでいた動物達と共存出来る、穏やかな動物型の魔族がほとんどだと言う事だ。
凶暴な魔族が出現しやすい場所というのも、あるにはあるが、余所から来た魔族が傷を癒やしたり休憩するのに最適な場所であるらしく、常にこの森に棲み着いている訳ではない。
基本的には、人間側から何か仕掛ける様な事さえしなければ問題ないらしい。
その話しぶりや詳しさから、リファナこそがこの森の主で間違いない様にさえ思えた。
そんな力ある魔族が魔王城のある魔族の国の中心部ではなく、そこから一番離れている人間の国の更に辺境と言われる西の端に近い森に、何故居着いているのだろう。
ただ、本来は魔族の国について何の知識もないはずのナティスが、その疑問を言葉にする事は出来なかった。
西の辺境地にある町の領主がやって来るとも言っていたし、この辺りは穏やかな気質のリファナがこの森にいるおかげで、ロイトが目指そうとしていた共存とは言わないまでも、人間と魔族の友好的な関係を築けているのかもしれない。
思いの外この森で過ごす時間は快適そうで、慣れてくれば一人でもある程度自由に動き回る事が可能な気がした。
もしかしたら体力さえ付いてくれば、かなり早い内からリファナの手伝いくらいは出来る様になるかもしれない。
リファナが薬草の調合を見せてくれると言うので、一緒にいくつかの薬草を摘んで小屋に帰りながらそんな風に考えていると、突然前を歩いていたリファナが立ち止まる。
考え事をしていた事もあって咄嗟に止まり切れなかったナティスは、そのままリファナの足にぶつかってしまった。
「どうしたの?」
急に立ち止まったリファナを見上げてその視線の先を追うと、そこには二十歳前後の人間の青年がにこやかな表情で立っていた。
「随分お早いご到着ね」
「君からの呼び出しだからね、何があっても駆けつけるさ」
青年は颯爽とリファナに近づき、腰を落としてその手を取る。
リファナの手を取ってその甲にちゅっとキスを落とすその行動は、まるでお姫様に対する王子様のようだ。
その様子をぽかんと見上げていると、青年がナティスに気付いて、目線の所までしゃがみ込んでくれた。
「こんにちは、君がナティスかな?」
「は、はい」
「僕は、ヴァルター・ハイドン。この森を抜けた先にある、大陸の西の端にある小さな町、ハイドンの領主だよ」
リファナが言っていた日程よりもずっと早く現れた若き領主は、ナティスの後見人になってくれる事になった。
リファナとヴァルターの間で既に情報が交されていたのか、どんどんと話が進んでしまって、いつの間にか全てが決まっていたという方が正しい。
やはりこの西の果てでも国という形は崩れてしまっているらしく、ヴァルターの治める領地はハイドンという町だけだと言う。
「中央から辺境の地と言われている通り、人の住む町は元々一つしかなかったんだ。今は皆、鉱山や放牧地に働きに出る事が出来ないから、領主と言っても贅沢な暮らしではないよ」
リファナに見送られながらヴァルターと乗り込んだ馬車の中で、そう教えられながら連れて来て貰ったハイドンの町は、ナティスが住んでいた王都近くの町よりもずっと平和な町並みだった。
「すてきな、まちですね」
「そう言って貰えると嬉しいな。さぁ、今日からここが君のお家だよ」
ここを中心に町が作られたのだとわかる、町全体を見渡せる場所にあった、大きなお屋敷の前でそう言われて驚く。
確かに大きな町ではなかったし、今の小さなナティスの足でも半日もあれば一周出来てしまう規模ではあったけれど、そこに住む人々の瞳には光が宿っていた。
ナティスの故郷の町は確かにハイドンよりは大きかったけれど、王都に近かった事もあり頻繁に魔族の襲撃にあっていたから、その町並みは常に何処かが壊れていて修繕中だったし、領主のお屋敷も立派とは言えなかった。
辺境と呼ばれるこの町の方が、ずっと暮らしやすそうに見える。
二年前、世界が闇に覆われたあの時。
王都に居た父親が急逝して、若くして領主を継いだというヴァルターは、この屋敷で母親と二人で住んでいるのだと言う。
この町には修道院がない代わりに孤児院があるとの事だったので、そこへ連れて行ってくれれば良いと告げてみたら、「せっかく寂しい屋敷が明るくなると思ったのに」と悲しそうな顔をされてしまい、断るに断れない状況だった。
しかも「ヴァルターさま」と呼んだナティスに、「兄と呼んで欲しいな」と指定してきたのはヴァルター自身で、もう既に家族として迎え入れる準備は万端だと言わんばかりだった。
ナティスがリファナに出会ったのさえ昨日の事なのに、どういう連絡手段を取ったのか、次の日には領主自ら現れて、どこの誰かもわからない娘を家族として迎え入れるなんて、信じられないというよりどうかしているのではないかと心配してしまう。
その日の夕食で初めて会ったヴァルターの母親も、両親を亡くしたばかりの幼子に同情したのか、涙を浮かべながら「私の事を母親だと思って甘えてちょうだいね」と抱きしめてくれた上に、ヴァルターばかりずるいと「母と呼んでね」と宣言されたので、似たもの親子である事は間違いない。
そんな心優しい二人が治める町だからもあるのだろうが、世界が闇に覆われて混沌とした中で、こんなにも穏やかな場所がまだあったのかと驚いてしまう程、ハイドンの町は緩やかに時を刻んでいた。
もちろん以前は更にもっと平和だったのかもしれないし、世界が闇に覆われると同時に領主を亡くしたこの町は、新しい領主となったヴァルターだけでなく町の人々も沢山苦労したのだろう。
けれど、滅びた王都や常にギスギスとした空気を感じる故郷の町よりもずっと、ハイドンが人々にとって暮らしやすい場所だという事は間違いない。
神を崇める信仰がないわけではないようだけれど、修道院もなければ神官もいないこの辺境の地の方が、よっぽど平和で安全だというのは何の皮肉だろう。
大修道院や神官といった人によって作られた形を盲信せず、信じるべきは自分で見て聞いて知った事が全てだとそう考えられる領民性こそが、この町の逞しさなのかもしれないし、真の平穏の為には不可欠なのかもしれない。
月に一度、リファナに会う為の森への来訪には、ヴァルター自身が連れて行ってくれるという。
魔族であるリファナの存在を漏らすわけにはいかないという理由も有るものの、忙しい領主の手を煩わせる事になって申し訳ないと思ったのだが、実はナティスよりもヴァルターの方が定期的に森へ行く理由が出来て喜んでいるのだと知ったのは、もう少し後の事だ。
その事に気付いてからは、ヴァルターがそわそわし始めることで、そろそろ一ヶ月経つ頃なのかと目安にさえなる位だった。
町では若き領主として頼りにされ、キビキビと動いているヴァルターが、森に着いた途端人が変わったように甘い言葉しか吐かない王子様にジョブチェンジするのを見て、ヴァルターがリファナを好きなのだと言う事はすぐに理解した。
最初の数年は、ナティスもいくら精神が成熟しているとはいえ身体が幼女であるが故に、気軽に一人で行動することは出来なかったし、させても貰えなかった。
けれど十歳を過ぎた頃には、魔石の封印をしてもらう時以外は出来るだけ二人から離れて、森の中を一人で自由に行動するよう気を遣うようになっていた。
リファナが嫌がっているのなら、それとなくヴァルターの行動を諫めようとは思っていたのだけれど、毎回大きなため息をつきながらも満更でもない様子だったので、どう考えもお邪魔虫なのはナティスだと気付いたからだ。
ナティスは魔族の言葉がわかるので、一人で歩き回っていても退屈する事はない。
むしろ森に住む魔族達と友人関係を築けたし、リファナとは違った視点で色々と教えて貰えることも多かったので、一人で自由に動けること自体は悪い事ではなかった。
友人であると同時に、姉の様にも母の様にも感じていたリファナとの会話が減ったことは、少しだけ寂しかったけれど、それ以上に兄でもあり父でもあるヴァルターが嬉しそうにしていたので、構って欲しいと邪魔をするよりも、そっと見守る方を選択したのだ。
だが実際、美男美女の二人はとてもお似合いで、二人を隔てている種族の差さえなければ一緒になっていてもおかしくない雰囲気だったから、二人を応援したい気持ちは大きかった。
ティアだった頃、人間と魔族との隔たりに悩んだ記憶も、それを後押ししていたのかも知れない。
帰りの馬車の中で「僕が領主でなければ、この森にとっくに移り住んで居るのに」と、少し寂しそうに話すヴァルターの姿を、何度目にしたことだろう。
それでも決して領主という責任を放棄しようとはしないヴァルターの強さも、応援したい理由の一つだった。
一人で森に来ることが出来る位に成長した後も、ナティスはヴァルターが忙しいとわかっていて尚、同行を断る事が出来ないでいる。
だから今日、ナティスがヴァルターに内緒で一人リファナに会いに来たのは、この森にそしてハイドンに辿り着いてから十五年以上経って、初めてのことだった。
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