第3話 魔族のイメージと現実

 青年に案内されて通された部屋は、王都も知らない片田舎の村人として十六年間を過ごしてきたティアからすれば、自分の住んでいた家ごと入ってしまうのではないかと思ってしまう位に広くて、恐縮してしまう。

 魔王の部屋に案内されたのかと思っていたら、ティアの為に用意された部屋だと知って、更に驚いた。


 人間と魔族の和平の為に聖女が魔王の元へ赴くという名目はあっても、実際はただの生贄である事は周知の事実だ。

 名目上、牢屋に入れられる事はないかもしれないが、王立修道院で扱われたように狭い部屋の中に閉じ込められるか、それ以下の扱いをされる事は覚悟していた。


 それなのに、このだだっ広い部屋で好きに過ごして良いという。

 家具やドレスも一式揃っていて、何不自由なくという言葉がこれほど合う状況はないと思える程の準備がなされていた。

 むしろ綺麗なドレスを着た事などなく、今回の聖女の正装が初めてのおめかしであるティアにとっては、好待遇過ぎてどうしていいかわからない。


 しかも部屋の鍵を外からかけるつもりもないらしい。

 自由に出入りして良いが、城内は広く迷子になりやすいから後日また案内すると言われた時には、流石に「ちょっと待って」と声に出してしまった。


 そこでティアはようやく、今回の聖女が魔王からの要請ではなく人間側から一方的に寄越されたものであり、対応に困っている事を知らされた。

 そして入口で迎え入れ、にこやかに案内してくれた青年こそが、魔王その人だという事も。


 恐ろしい存在だと思っていた魔王の方こそ、突然押しかけて来た聖女の存在に困惑していたのだ。

 それでも部屋を整え、人間の女性が暮らす為の準備を整えてくれたのだから、文句の付けようもない。


 無理矢理連れて来られたティアが悪い訳ではなかったけれど、思わず頭を下げてしまったのは致し方ない事だったと思う。

 それに好戦的な先代のやり方に反意を翻した事で新たな魔王に就いたという経緯を話してくれた青年に、聖女など寄越さなくても人間との共存を探っていこうと思っていたのにと言われてしまっては、もう謝罪以外の何も言葉が出て来ない。


 魔王は何も知らずに遣わされたティアの立場を慮って、聖女としての役目も果たせないまま追い返される様にして人間の世界に帰る事が、新たな戦いの火種になりかねない事を理解し、この魔王城の客人として扱ってくれる事を約束までしてくれた。


 ロイトと名乗ったその青年は、魔王だと言っても姿形や行動はほとんど人間と変わらなかった。

 他の魔族には多い、恐ろしい角や牙も生えていなければ尻尾や羽もない。力が強く知能の高い魔族は人型である事が多いとは聞いていたが、ここまで判別が付かないほどだとは思いも寄らなかった。

 白銀の肩まで伸びたサラサラの髪と、深い海の色を思わせる碧の瞳。物語に出て来る王子様の様な整った容姿だけを見れば、魔族だとは信じられない。


 ただ人間と決定的に違うとわかるのは、その身から溢れ出んばかりの巨大な魔力を感じる事。

 聖女であるティアにはその力が魔力だとわかるが、普通の人間達にはそれは威圧感としてしか感知できない。

 魔力を持たない人間が、大なり小なりのそれを持つ魔族に萎縮してしまうのはそのせいだ。


 魔王城で暮らす内に、腹心と呼べる力のある強い部下に会わせてもらったり、時にはロイトと一緒に町へ出掛けたりもしたけれど、ロイト程の魔力を内に秘めた魔族は居なかった。

 それがロイトが魔王たる所以なのかもしれない。


 だがロイトはその巨大な魔力を、むやみやたらに振りかざすような真似は決してしない。ただ魔族達が平穏に暮らす為に力を尽くす、良き王だった。

 人間との共存を心から望んでいる様で、先代魔王が押し進めていた侵略行為は全て止め、国境近くで発生する小競り合いさえ憂う優しさを持っていた。


 魔族は皆、野生動物の様に勝手気ままに暮らしながら、自分勝手に人間を襲っている様な感覚を持っている人間が多いし、実際そう教えられて来たのだが、ティアはこの魔族の国に来てそれは全く違うと認識を改めさせられた。


 確かに力の強い完全な人型の魔族は数少ない。

 ほとんどは魔王に仕え所謂幹部と呼ばれる魔族達に限られると言っても過言ではなかった。

 けれど獣型やドラゴン等の魔族が知力を持っていないという事はなく、人間と同等かそれ以上の知識を持つ人型以外の魔族も少なくはない。


 完全な人型ではなくても、基本的な部分が人型でそこに尻尾や角、翼などが生えている魔族は多数いて、その魔族達はほとんど人間と同じように言語を操り、町で仕事をしながら普通に生活している。

 その特徴的な魔族の部分がなければ、恐らく大して人間と変わらない。


 もちろん魔力がある分、力は強いのだろうけれど、普通に日々を暮らしている分には違いはほとんどないと言って良いように思えた。

 言語を扱わず、力の弱い一見小動物や鳥にしか見えない魔族を始め、凶暴性が高いと言われていたドラゴンや巨大な獣型の魔族でも、実際は本能のままに人間を襲うような魔族はいない。


 確かに人を襲う事を喜びにしている魔族が全く居ないとは言い切れないし、先代魔王がその代表だった事もあるので、全員が全員無害だとは言わないけれど、それは人間に対しても同じ事が言えることだと思う。

 けれど人間との共存を目指す穏やかで優しいロイトが魔王の座にいる限り、余程の事がなければ魔族が人間にとって脅威の存在になるとは考えられない。


 人間と魔族の違いのほとんどは、魔力を持つか持たないかというその種族の違いだけで、日々の暮らしを比べてみるとそんなに大差はないのだから。

 ティアがそれを実感として知れたのは、ロイトが城内だけでなくそんな魔族達が普通の暮らしを見せてくれようと、城下町へもたびたび連れ出してくれる様になったからだ。




 そんなロイトにティアが恋をするまで、そんなに月日は必要なかった。

 魔族の国を治める魔王がロイトならば、本当に今までずっと続いてきた人間と魔族の争いは終結するのではないかと思わせてくれる。

 最初は壊れ物でも触るかの様な対応をしていたロイトも、昼夜逆転の生活にも慣れて本来の活発さを取り戻したティアの事を、憎からず思ってくれる様になっていたらしい。


 随分減ってきたとは言え、まだ完全には争いの絶えない世界で、魔王としての日々の仕事が楽なものだとはとても思えない。

 それに魔王の仕事は戦いだけが全てではなく、魔族の国と言っても町もあれば田畑もある。人間の国と同じように、日々そこに暮らす者達が生きているのだ。


 今までおざなりにされて来た魔族達の暮らしをよくする為の内政も急ピッチで行っているのか、ロイトはいつも忙しそうにしていた。

 大切なものを増やすつもりも、自分にとっての特別を作るつもりもないと言いながら、それでも時間を作ってはティアに会いに来てくれていたのはそういう事だと信じたい。


 そうして徐々に優しいロイトに惹かれていったティアの片思いが実ったのは、聖女として魔族の国へ遣わされてから一年が経とうかという頃だった。

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