第2話 聖女のお役目
この世界は西半分を人間が、東半分を魔族が治めている。
西と東で半分に分かたれた世界は、ここ数年長く続いていた争いはなりを潜め、穏やかに日々を巡らせていた。
魔王に捧げられた聖女の犠牲の下、という条件付きではあったが────。
生贄同然の魔王に捧げられる聖女として、今現在も魔族の治める地で暮らしているティアは、月明かりに照らされた魔王城内にある自室のベランダにそっと足を運ぶ。
そこから見えるのは、魔族達が日々を暮らす町の明かり。今日もいつもと変わらない日常がそこにある様子を見下ろして、ティアはほっと安堵の息をついた。
こんなにも自由に魔王の住まう城で安寧に過ごせる日々が来るなんて、聖女に選ばれた時には考えもしなかった。
そして同時に、魔族の国がそこに暮らす魔族達が平穏である事を聖女であるティアが心から喜んでいる事など、ティアをここに送り込んだ人間達は思いも寄らないだろう。
「ティア、入っても良いか?」
自室の扉がノックさせる音と共に、低くて優しい声が耳に届く。
待ちかねた人の来訪に、ティアは喜びを抑えきれずにベランダを後にし、狭くはない部屋の中を駆け抜けてその扉を開けた。
ティアが魔族の国に来たのは、今から二年前のちょうど十六歳になる誕生日だった。
活動の中心が昼間の人間とは違い、夜が中心となる時間感覚が正反対の魔族の世界に慣れるまでは、暫く身体の調子を崩しがちだったので、最初の内はかなり丁重に扱って貰ったように思う。
身体は丈夫な方だったはずなのだが、やはり慣れない環境に緊張もしていたのだろう。
ただ、役目を果たせずすぐ寝込んでしまう申し訳なさと同時に、魔族が恐ろしい存在ではないと知れたという収穫もあったので、悪い事だけでもなかったかもしれない。
魔族の国を統べる王、魔王と呼ばれるその人が、魔族の中でも一番ではないかと思える程の平和主義者だと知ったのは、この国に来てからどの位経った頃だっただろうか。
魔族の国に来てから二年の間、ティアに求められる事は本当になにもなく、ただただ自由に日々を過ごさせて貰っていた。
手酷く扱われた事もなければ、ましてや王立修道院から暗に言い含められていた魔王の慰み者として扱われた事も一切ない。
聖女が魔王にその身を捧げる事で人間と魔族のバランスが保たれるのだと、まるで呪いの様に言い聞かせられてきたその言葉は、未だ実行に移される気配もないまま、それでも世界の平和は保たれている。
聖女とは、人間の中に生まれる癒しの力を持つ乙女の事で、世界にたった一人しか現れないとされている。
もし先代の聖女が死ぬか、もしくは乙女でなくなった時、その力は天に選ばれし別の乙女に発現し、その者が新たな聖女の任に就く。
世界に一人必ず聖女は現れるが、二人以上の聖女が存在する事はない。
聖女の仕事のほとんどは、その癒しの力を魔族達との戦いにおいて傷付いた兵士等に対して使ったり、不治の病に奇跡を起こすのが主だが、不定期に特別で重要な任務が与えられる。
それが魔王への供物、という役目だった。
魔王が捧げられた聖女を気に入れば、争いが数百年に渡って治まる事もあるし、逆に気に入られなければ聖女は殺され、すぐにまた争いの種は蒔かれる事になる。
だが聖女が魔王の元へ遣わされるその僅かな時だけは、確実に世の中に平和がもたらされるという事もあり、その習慣が消滅する事は決してない。
人間には高い知力があるとは言え、魔族の中にも僅かだが高い知力を持つ者は存在し、その者が魔族を統べているので、人間と魔族との間に知力の大きな差はないといって良い。
逆にどんなに鍛え上げた人間でも、獣型やドラゴン型の魔族に一人で勝てる可能性は低く、どう頑張っても体力面で劣る。
全面戦争を避けたいのは、どちらかと言えば人間の都合とも言えた。
そして、その不幸なタイミングで聖女の役目に当たってしまったのがティアだった、という訳だ。
数年前、魔王が代替わりした事が、突然人間の国に伝えられた。
魔族の寿命は人間に比べるとかなり長い。先代の魔王は好戦的で、一度ならず二度も三度も時を経て聖女が捧げられたと言うが、結局争いが継続的に止むことはなかった。
たった数年の平和を手にする為に、今までどの位の人数の聖女達が犠牲になったか知れない。
それでも、その僅かな平和が人間には必要不可欠だったのだろう。
何故代替わりする事になったのか、真相は人間側には伝えられなかった。
先代魔王の統治期間は長きに渡っていたから、単純に寿命が来たのかもしれなかったが、それにしてもその交代劇はあまりにも突然だった。
だが先代魔王が倒れ、新たな魔王が誕生したという事実は、人間の国に僅かな希望の光をもたらす。
もし今代が先代よりも、例えほんの少しだけでも争いを避ける傾向がある魔王であるならば、最初に上手く立ち回る事で平和な世の中が長く続く可能性があるかもしれない。
その考えによって、今まで主に魔王側から要求されて遣わしていた聖女を、人間側から望んで差し出す形になったのは、歴史上今回が初の事と言える。
そしてこの時、聖女という役目に就いていたのがティアだ。
しかも魔王の元に捧げられる事を恐れた先代聖女が、その決定と同時に自ら乙女である事を捨てた故に、魔王に捧げられる為だけに生まれた聖女だとも言える。
人間と魔族が世界を分けてから数千年以上の歴史があるが、聖女の選出方法は未だ解明されていない。
先代が聖女でなくなった瞬間に、次代の聖女に突然癒しの力が文字通り下りて来る。
その際に、世界中から確認出来る程の巨大な光の柱が発生し、しばらくの間本人自身も光を纏うので、逃げたり隠れたりする事はほぼ不可能だ。
そうして何もわからないうちに、突然聖女になってしまったティアを迎えに来た王立修道院の神官達に連れられ、魔王の元へ捧げられるその日までの数週間、一切の自由を与えられる事なく保護という名の監禁をされた。
先代の聖女が魔王の元へ行くのを拒否する為にした事を思えば、同じ方法を使われ新たに生まれた聖女までも失う訳にはいかないという処置なのだろうけれど、王都から遠く離れた田舎から連れて来られたティアは、その煌びやかな王都を見る機会すら与えられなかった。
監禁されている間中ずっと言い聞かされたのは、聖女としての在り方や癒しの力の使い方等ではなく、ただ魔族の国へ行き魔族達を刺激しないようにして、出来る限り従順に魔王に気に入られる様に努めよ、という事ばかりだ。
この国の命運は全てティアにかかっているのだから、絶対に失敗してはならない。
そう懇々と話す神官達の言葉は、重さを持たず滑るように流れていく。
結局何度聞いても、具体的に何をすれば良いのかという指示や教えはなく、ただただ魔王に逆らわずされるがままになっておけというアドバイスにさえならないものだった。
ティアが聖女となって以降、結局最後まで一度も外に出ることを許されないまま、ある日突然聖女の正装に着せ替えられ豪華な馬車に乗せられて、魔族達の住む国の魔王城へと運ばれた。
誰が同行してくれる訳でもない。魔王城に着くやいなや、ここまで馬車を走らせて来た御者さえも、ティアを降ろすとすぐさま慌てて逃げるように引き返して行く。
「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。聖女殿」
ぽつんと一人取り残されて呆然とするティアを見て、迎え入れた魔族の青年が困った様に苦笑したのも当然だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます