第12話 ダークエルフのお友達

 幸いにもと言って良いのかは微妙だけれど、この魔族の巣とも言える暗い森の中に、人間である追っ手達は準備もなしにすぐ入ってくる事は出来ない。

 逃げるナティスにとっても危険な場所である事は間違いないが、ナティスは全ての魔族が人間を襲う訳でも危険な訳でもない事を知っているし、手を貸してくれる魔族が居ることだって知っている。


 既に魔族の侵攻によって街道という形を成しているかどうかは別として、開けた道は魔族だけでなく人間にも見つかりやすい。

 そう考えるとナティスに味方をしてくれる魔族達の声を聞きながら、このまま森の中を進んだ方が幾分か安全だ。

 今も昔も、警戒すべきは魔族ではなく人間なのだという事実は少しだけ寂しいけれど、ナティスにとってそれが真実だった。


 世界が闇に覆われてからというもの、昼と夜の境目がわからなくなり、時間の進行具合を計るのは町に設置されている大きな時計台や時刻を知らせる鐘の音だけで、こうして人の住まない場所を一人歩くナティスにそれを知る方法はない。

 体感では相当の時が経った気がしているけれど、まだ長距離を歩き慣れていない小さな身体では、どれだけ進めているのかは未知数だ。

 体感通りにそこそこ進めているのか、それとも母と別れた場所からまだそんなに離れていないのか、判断がつかない。


 わかるのは、ナティスの体力がそろそろ限界を迎えようとしている事だけだ。

 母の持っていた荷物はナティスには重すぎて、必要最小限のものだけに厳選して小さな鞄に詰め込んだその中身は、水と少しの食料だけだった。

 棒のようになった足を少し休ませようと、大きな木を背もたれに座り込んで水を口に含む。


 目的地である西の果てにあると言われている国まで、後どの位の距離があるのだろう。

 両親との旅でかなり西へ逃げて来られたとは思うものの、この森から抜け出した先にあるかどうかはわからない。

 そもそもこの森の位置も広さも、何より迷わず無事に森を抜けられるかどうかさえも不透明だ。


 ふと見上げた先にある木々に覆われた隙間から見える空は、やはり真っ暗闇で気分も落ち込む。

 魔族の国でロイトと一緒に見た夜空はちっとも怖くなかったのに、人間の国で一人で見る真っ暗な空は不安が増殖するばかりだ。


「こんな所に人間の子供が居るなんて、珍しいわね」


 ロイトと過ごした日々を思い出して、ぎゅっと首に掛かった革袋に入った魔石を握りしめるのと、頭上から声がかけられたのはほぼ同時だった。

 顔を上げた先に居たのは、とても綺麗な女性。その身を覆う大きな魔力から、人間ではない事は一目でわかったけれど、魔族とも少し違う気がする。


 敵か味方かは不明だけれど、ナティスに興味はあっても敵意や襲って来る気配がない事は、すぐにわかった。

 ここまでナティスの味方してくれていた魔族達が、危険を知らせる声を一度も上げていない事も、その感覚を後押しする。


「こんにちは。おねえさん」

「あら、私の事を怖がらないのね」


 魔族の言葉ではなく人間の言葉で話しかけられたので、少なくとも会話をするつもりはあるのだろうと判断して挨拶を返すと、少し驚いた様に目を見開いてから、視線を合わせるようにしゃがみ込んで来た。

 顔が近付くと、その美しさに迫力が増す。

 そしてそこで、女性の耳が人間とは違って鋭く尖っている事に気がついた。


「えるふ、さん?」

「残念、私はダークエルフよ」

「だーく、えるふさん?」

「光に生きるエルフと袂を分かった、闇の一族よ。でも貴方のような小さい子がエルフの特徴を知っているなんて、凄いわね……あら、その力は……?」


 興味深そうにナティスを見ていたダークエルフの女性が、ふとナティスが握りしめていたその胸元にかかる革袋に気がつく。


「これは、だめ!」


 伸ばされた手から守るように慌てて身体を捻ると、ダークエルフの女性はくすりと笑って両手を上げた。

 無理矢理取ったりしないから安心しろと言うポーズである事はわかったけれど、突然興味を示した先がロイトの魔石であるから、簡単には警戒は解けない。


「大丈夫、取ったりなんてしないわ。でも少しだけ、見せてはくれないかしら?」


 優しい笑顔で伺うように首を傾げるダークエルフの女性からは、悪意は感じない。

 本当にただこの革袋というよりは、ナティスを守るように溢れている、魔力の正体に興味を持った様だ。


 ロイトの魔力は、魔族の中で唯一の魔王たる闇の力で、人間だけでなく魔族に対しても畏怖の対象になるものだと聞いたことがある。

 この魔石が、あの日ティアに贈られた物そのもので間違いないとしたら、飲み込めるほどの小ささとは言え、人間であるティアの寿命を伸ばすという身体の作りさえも書き換える力があるものだ。

 大きさとは裏腹に、込められた魔力は少なくはないはずだった。


 その力を前にして恐れるどころか平然と微笑んでいられるのだから、このダークエルフの女性は少なくとも人間と交渉できる知能と力を持った魔族と同程度、もしかしたら魔王城に仕えていた幹部達と肩を並べられる位の、大きな力の持ち主である可能性だってある。


 そんな力あるダークエルフの女性が、騙す必要さえない非力なナティスから無理矢理奪うのではなく、ただ見せて欲しいと願っているのだから、その言葉は信じられるような気がした。


「みる、だけ?」

「えぇ、もちろん」


 革袋から大事に魔石を取り出して手のひらに乗せ、頷くダークエルフの女性の前にそっと掲げる。

 ダークエルフの女性は、ゆっくりとそれを覗き込んで、そしてはっと息を飲んだ。

 一目見ただけで、その魔力の正体に気付いたのだろうか。

 信じられないという表情で、魔石とナティスの顔を見比べている。


 もしこれがロイトの、魔王の力だと気付いたのならば、ダークエルフの女性の困惑は当然だ。

 今のナティスは聖女でないだけでなく、何の力も持たない人間の幼女なのだから。


 もしかしたら見せるだけだとしても、気軽に応えてはいけなかったのではないかと気付いたが、既に後の祭りだった。

 ダークエルフの女性の気が変わって、魔石を奪い取ろうとして来たとしたら、ナティスにそれを阻む術はない。


「も、もうおしまい!」


 ぎゅっと魔石を握りしめて慌てて革袋にしまう。

 ダークエルフの女性は、ナティスのその行動を阻止しようとはしなかった。というより、困惑の方が未だ勝っている様子だ。


「貴方、名前は?」

「なてぃす」

「ナティス、貴方はどうしてここに? その魔石はどこで手に入れたの? これからどこへ行くつもり?」


 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

 どうやらダークエルフの女性は、魔石よりもその持ち主であるナティス自身に興味を持った様だった。

 だがやはり悪意は感じられないので、純粋にナティスの存在が気になったらしい。


 ナティスとしても、この森を抜ける事さえままならない状態で、このまま自力で目的地まで辿り着ける可能性が低い事はわかっている。

 もしこのダークエルフの女性に協力を求めることが出来るのならば、試してみない手はない。


 そうしてナティスは、故郷の町を出てこの森に至った事情を詳しく話し始めた。

 まだ幼さ故に舌っ足らずな言葉ではあったが、ダークエルフの女性は途中で飽きる事も急かす事もなく、頷きながら最後までちゃんと聞いてくれた。


 流石に前世の記憶がある云々を告げることは憚られたし、信じて貰えないのは理解していたから省略したせいか、魔石を握りしめて生まれてきたという事に関しては疑わしい目を向けられてしまった。

 母の言葉なので他に言いようもないし、こんな強力な魔石を何の力も無い幼女がたまたま拾ったと言う方が違和感があると判断したのだろう、大まかには納得をしてくれたらしい。


「本当にあの大修道院って組織は、昔から碌な事をしないわね……」


 ぼそりと零れたその怒りに満ちた言葉はナティスに向けられたものではなかったけれど、一瞬にして周りの空気がひんやりとした気がした。

 びくりと身体を震わせたナティスに気付いたのか、ダークエルフの女性は苦笑して纏っていた怒気を収める。


「そういう事情なら、その髪と魔石の存在は厄介かも知れないわ……私に少し、任せてみる気はない?」

「まかせる?」

「これから先、人間の世界で暮らしやすいように、少し手助けをしてあげる。どう?」


 ナティスとしては願ってもない提案だったが、ダークエルフの女性にとってナティスを助けることは何の益にもならないように思う。

 ただの気まぐれにしては、恐らくとても面倒な事である事は間違いなくて、それに対してナティスが返せる物は何も無い。

 どうして急にナティスに条件の良い提案をしてくれたのか、理由が全然わからなかった。


「どうして、たすけてくれるの?」

「そういう子供なのに単純に考えないところが気に入ったの。理由が居ると言うのなら……そうね、私とお友達になりましょう」

「おとも、だち」

「お友達が困っていたら、助けるのに理由はいらないわよね?」

「そう……かな?」


 ナティスの方から断る理由は全くないのだけれど、根本的に順番が違うという違和感にどうにも素直に頷けない。


「私はね、単純に大修道院のやり方が気に入らないの。今この世界がこんな風になった責任は、全部あいつらにあると言っても過言じゃないのよ。だからナティスを助けることで、奴らが困ればいいと思ってる」


 困った様に首を傾げていると、ダークエルフの女性は少しだけ本音を教えてくれる様にそう言って苦笑した。

 きっと他にも何か隠している理由があるのだろうけれど、単純な善意より自分勝手なその理由の方がしっくり来る。


 何より会ったばかりのナティスに対して、全部が親切ではないにしろ、ここまで言ってくれる相手をこれ以上拒む理由はなかった。

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