第10話 逃亡の日々
町からの脱出までは上手く運んだ。
大修道院の神官達に見つかる事もなく、町の人々に気付かれる事もなく、ナティスと両親は町の外へ出る事が出来た。
けれど、大変だったのはその後だ。
東側は元々魔族の支配する土地であった事、未だ見つかっていない西に現れたという聖女に助けを求められる可能性、そして何より大修道院から出来るだけ離れた土地。
それらを総合して、両親は西の辺境地にあると言われている国を目指すことにしたらしい。
思っていたよりも町の外に魔族の影は少なかったが、決してゼロではない。
時折見つかりそうになりつつも、何とか三人で隠れ逃れながら西へ向かっていた。
ナティスはティアとは違い、聖女でもなければ癒しの力を持ってもいなかったけれど、何故か生まれたその時から、魔族の言葉が理解出来た。
最初にその事実に気付いたのは、町に入り込んでいた動物型の小さな魔族が、ナティスに向かって挨拶して来たのが発端だ。
まだ生まれて間もないナティスの眠るベッドに忍び込んできたその魔族は、知らない者が見ればただの鳥にしか見えなかっただろう。
小さなベッドに眠るナティスの傍に居た母親も、「可愛い小鳥さんが遊びに来てくれたわね」なんて、怯える様子もなく暢気に笑っていた位だ。
『こんにちは。ご機嫌いかが?』
だがその鳥型の魔族は、まだ言葉を話せる程成長していないナティスに視線を合わせて、はっきりとそう話しかけてきた。
その時は驚いてパチパチと瞬きする事しかできなかったけれど、それが人間とは違う言葉だと言う事はすぐに理解出来た。
とは言え魔族と遭遇する機会が沢山あるはずもなく、もしあるとすればそれは人間が襲われている場面がほとんどなので、じっくりと語り合った事はもちろんない。
だが、何度か町を襲撃に来た魔族達が仲間に指示する声が、家の中に隠れている間もはっきりと聞き取れたし、最初の小鳥型の魔族のように猫や犬のような普通に人間の世界に生活する小動物に紛れて、町の中には力の弱い魔族がちょこちょこと紛れ込んでいた。
それはこの世界が闇に覆われて、魔族がどこでも生きやすくなった証拠で、人間にとっては良いことではなかったのかもしれない。
けれど、ナティスは魔族の全てが人間に敵意を持っている訳でも、危険な訳でもない事を知っていた。
ティアの時には魔族にも独自の言葉がある事や、それを話せる魔族が思いの外多いことを全然知らなかった。
ロイトへの想いを言葉が通じないからと垂れ流し状態だった事を思い返すと、今でも恥ずかしさで発狂しそうになるのだが、今世ではまるで自分の使う言葉と同じ感覚で、するすると耳に入ってくる。
『おはよう、きょうはとってもたのしそうね』
『こんにちは。そんなにいそいで、どこへいくの?』
『きょうはパンがあるよ。いっしょにたべよ』
人間の言葉を覚え始めた頃には、同時に魔族の言葉も発音出来る様になって、小さな魔族達を町で見かける度に周りに気付かれないよう片言で挨拶を交すようになると、いつしか魔族達はナティスに敵意を向ける事なく、むしろ危険な魔族が近付くと早く逃げるようにと教えてくれたりする仲になっていた。
町の外に出た後も、ナティスを心配した魔族達が教えてくれる情報をそれとなく両親に告げ、先んじて凶暴だったり好戦的だったりする魔族との遭遇を、上手く避ける事が出来ていた。
だから厄介だったのは、魔族よりも大修道院から出されたのであろう追っ手の方だ。
町を出た後、周囲に住んでいた人々から情報がもたらされたのか、それとも大修道院がナティスの事を把握していたのかはわからないが、程なく追っ手がかかる。
まだ幼児であるナティス一人を血眼になって探さねばならない程に、ピンクブロンドの髪を持つ乙女は稀少なのか、危険な町の外だというのに追っ手の数は日が経つ毎に増える一方だった。
流石に戦えない神官達が追ってくるような事はなかったけれど、雇われたらしい兵士崩れの様な冒険者だけでなく、盗賊の様な大修道院とはかけ離れた立ち位置にいる男達にまで追われる日々が続いている。
この調子から考えると、もしかしたら賞金でもかけられているのかもしれない。
一人の幼女を捕まえる為にそこまでしなければならない程、大修道院は切羽詰まっているのだろうか。それとも大修道院の面目がかかっているという事だろうか。
両親は根っからの町育ちで、細々と働いて暮らしていた普通の平民である。
冒険者だったことはおろか、猟などの経験もない。つまり戦う力はほとんど持っていないと言ってよかった。
危険な魔族を避けて広い道を通れば追っ手に見つかり、追っ手を避けて暗い森へ入れば魔族に追われる確率が上がる。
戦闘に慣れていない両親の高くはない危険察知能力を、フル稼働出来る期間はそんなに長くはもたない。
体力的にも精神的にも疲弊し、ボロボロになっていく両親の姿を見ても、どうにも出来ない自分がもどかしかった。
せめて大人と同じように自分の足を使い全力で走れたなら、両親の負担はもっと軽かっただろう。
けれどどんなに前世と合せて二十年近い知識があっても、ナティスの身体はまだまだ未熟な幼児で、走り続けるどころか長距離を歩くことすらままならない。
ナティスを守る為に、両親が日々疲労していくのを見つめる事しか出来ないまま、とうとうその日はやって来てしまった。
母とナティスを逃がす為に盾となって残った、遠く小さくなった父の影が凶刃に倒れる瞬間を、泣きながらそれでも振り向かず必死にナティスを抱きかかえて走る母の腕の中で目の当たりにし、そして間もなくその母の背中を一本の弓矢が貫いた。
咄嗟に母が逃げ込んだのは、近くにあった暗い森の中。
暫くは追っ手も森の中に入り二人を捜索していた様子だったが、あまりにも魔族の気配が強い場所だったのだろう。
あまり長時間粘ることなく、舌打ちを鳴らしながら捜索を打ち切り、去って行く足音が遠くなって行く。
大修道院からの追っ手は、両親はともかくナティスに関しては殺すのでは無く保護する事が最終目的であるはずなので、もしかしたら魔族と戦う装備を調えてから再び捜索の手が延ばされる可能性は捨てきれなかったけれど、とりあえずは逃げ切れたと言って良い。
代わりに暗い森という、魔族の巣の様な場所に入り込んでしまったので、安全になったとはとても言い切れなかったけれど、それでもほんの僅かであっても休息時間は得られた。
へたりと座り込んでしまった母の容態を確かめようと、その腕の中から下りて背中を確認して、ナティスは思わず息を飲んだ。
(傷が、あまりにも深い……)
深々と刺さった矢は、背中から真っ直ぐ母の心臓を貫いている様に見えた。
父が必死に逃がしてくれたおかげで、追っ手からはかなり離れていたはずだったのだが、余程腕の良い弓矢使いだったのか、それとも運が悪かったのかはわからない。
このまま矢を抜けば、一気に血が噴き出して命を奪ってしまうだろう。
だからといってこのままの状態を維持したところで、結果は変わらない。
ただ、痛みと苦しみの長さが違う程度の差だ。
(どうして今、私は聖女ではないの? どうして大事な時には、いつも癒しの力が使えないの?)
必要な時に限って、いつも力の足りない自分がもどかしくて、悔しさで涙が溢れる。
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