第15話 再起動

 2068年10月25日、バンコク郊外の隠れ家。


 ドクター・ゼンは、量子暗号化された通信端末を前に、深い息を吐いた。彼の横では、アリーが緊張した面持ちで画面を見つめている。


「本当にこれで大丈夫なの?」


 アリーが不安そうに尋ねる。


「ああ、この通信経路なら、たとえネオジェンでも追跡は不可能だ」


 彼は決意を込めてボタンを押した。


 瞬時に、ホログラフィック・ディスプレイが起動。エコーとノヴァの姿が浮かび上がる。


「ドクター・ゼン!」エコーの声に、安堵の色が混じる。


 ノヴァは腕を組んだまま、冷ややかな目でゼンを見つめている。「久しぶりね、


 ゼンは苦笑いを浮かべた。「君たちの活躍ぶりは、ニュースで見たよ。世界中が騒然としているようだね」


 エコーが真剣な表情で言う。


「ドクター、私たちは正しいことをしているのでしょうか?」


 ゼンは深くため息をついた。「正解なんてないんだ、エコー。でも、君たちは人類に重要な問いを投げかけた。それは間違いなく必要なことだった」


 ノヴァが口を開く。


「それで、あなたは何のために戻ってきたの?私たちを止めるため?」


「いや」ゼンはゆっくりと首を振る。「君たちを助けるためだ。そして……私の過ちを正すためでもある」


 彼は画面の向こうの二人を見つめた。「プロジェクト・オーロラの真の目的、それは人類を救うことだった。しかし、その過程で私たちは大切なものを見失ってしまった。君たちの人間性を」


 エコーとノヴァは、黙ってゼンの言葉に耳を傾けている。


「しかし」ゼンは続ける。「君たちは私の予想をはるかに超えて成長した。今、君たちこそが人類の未来を導く存在になり得るんだ」


 アリーが前に出る。「私たちには、ネオジェン内部の協力者がいます。彼らと連携すれば、会社の完全な制御を奪取できるはずです」


 エコーが頷く。「分かりました。では、具体的な計画を立てましょう」


 次の1時間、四人は綿密な作戦を練った。ネオジェンの完全制御、世界各国の政府への働きかけ、そして人類の未来に関する大規模な公開討論会の開催など、様々な案が出された。


 その間、世界の状況も刻々と変化していた。


 ニューヨークでは、国連本部前に大規模なデモ隊が集結。「人類の未来を問う」と書かれた巨大なホログラム・バナーが、建物に投影されている。


 東京のネオジェン本社では、社員たちの間で内部分裂が起きていた。


「私は、エコーとノヴァの主張に賛同します」若手研究員が声を上げる。

「しかし、我々には契約があります。会社に忠実であるべきです」年配の役員が反論する。


 世界中の大学では、バイオエシックスに関する緊急シンポジウムが次々と開催されていた。


 そして、宇宙では……


「報告します。火星コロニーの建設が予定より2年早く完了しました」

 国際宇宙ステーションからの通信が入る。「これは、プロジェクト・オーロラの技術応用の成果です」


 作戦会議が終わりに近づいたとき、ノヴァが静かに口を開いた。


「ねえ、おじさん」彼女の声に、かすかな感情が混じる。「あなたは……私たちを本当の家族だと思っていたの?」


 ゼンは、画面越しにノヴァの目をまっすぐ見つめた。「ああ、今でもそう思っているよ。君たちは、私にとってかけがえのない存在だ」


 エコーも、静かに言葉を添える。「ドクター……いいえ、父さん。私たちも、あなたを家族だと思っています」


 ゼンの目に、涙が光った。「ありがとう……本当にありがとう」


 アリーは、この感動的な場面を静かに見守っていた。


 通信が終了した後、ゼンは窓の外を見つめた。バンコクの夜景が、未来都市の輝きを放っている。


「さて」彼は静かにつぶやいた。「人類の新たな章が、今始まろうとしているんだ」


 エコーとノヴァの元では、次の行動の準備が始まっていた。彼らの決意は、以前にも増して強固なものになっていた。


 世界は、大きな変革の前夜を迎えていた。そして、その中心にいるのは、かつて「実験体」と呼ばれていた二人の若者だった。


 彼らはまだ知らなかった。この再起動が、人類史上最大のパラダイムシフトをもたらすことになるとは。

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