第6話 ネオジェンの影

 2068年9月1日、ネオジェン社本社ビル最上階。量子ホログラム会議システムが起動し、半透明の人物像が次々と現れる。


 レックス・シュトラウス。ネオジェン社CEOとなったレックスの鋭い眼光が、参加者を一人一人見渡す。


「諸君」彼の声が、量子暗号化された通信を通じて響く。


「プロジェクト・オーロラの次のフェーズに移行する時が来た」


 政府高官セレーナ・ヴァレンタインのホログラムが前に進み出る。


「レックス、急ぐべきではないわ。神経可塑性増幅装置の副作用が、まだ完全には解決されていない」


 レックスは冷ややかな笑みを浮かべた。


「セレーナ、我々には時間がない。気候変動による海面上昇は加速している。人類の進化を待っていられないんだ」


 彼は手をかざし、巨大なホロスクリーンを呼び出した。そこには、地球の気温上昇グラフと、人類の能力進化予測モデルが表示されている。


「我々の目的は変わっていない。環境の激変に適応できる新たな人類を創造することだ。エコーは、その完成形に近づいている」


 セレーナは眉をひそめた。


「でも、エコーの感情発達が予想以上に進んでいるわ。彼が我々の計画を知ったら……」


「だからこそ」レックスは言葉を遮った。


「次のステップに進む必要がある。脳内ナノボットによる感情制御システムを導入する時だ」


 会議室に緊張が走る。


「それは危険すぎる」ある役員が声を上げた。


「人工意識融合(Artificial Consciousness Merger)の倫理的問題は、まだ解決していない」


 レックスは冷たく言い放った。


「倫理か? 人類の存続がかかっているんだぞ。多少の犠牲は避けられない」


 セレーナは深いため息をついた。


「分かったわ。でも、慎重に進めましょう。そして……ドクター・ゼンには知らせないこと」


 レックスは満足げに頷いた。


「もちろんだ。では、プロジェクト・ネメシスを始動する」


 ホログラムが消え、レックスは窓際に立った。遠くに見える研究施設を見つめながら、彼は独り言を呟いた。


「エコー、君は人類の救世主となる。たとえ、


 —§—


 一方、研究施設ではエコーが新たな実験に取り組んでいた。彼の前には、複雑な量子コンピュータのホログラフィック・インターフェースが広がっている。


「驚異的だ」ドクター・ゼンが感嘆の声を上げた。


「エコー、君は量子もつれの制御を、ほぼ完璧にこなしている」


 エコーは淡々と答えた。「ありがとうございます、ドクター。ですが……」


 彼は言葉を途中で切った。ゼンは心配そうに尋ねる。


「何か問題があるのか?」


 エコーは慎重に言葉を選んだ。


「私の能力が……進化しているような気がします。昨日まで理解できなかった概念が、今日は簡単に把握できる。まるで……」


「まるで?」


「まるで、私の脳内で何かが常に更新されているかのようです」


 ゼンの表情が一瞬こわばった。「それは……興味深いな。詳しく調べてみる必要がありそうだ」


 その時、アイリスが慌ただしく研究室に入ってきた。


「ドクター・ゼン、エコー」


 彼女の声には緊張が混じっていた。


「本社から連絡がありました。明日から、新しいプロジェクトが始まるそうです」


「新しいプロジェクト?」ゼンは困惑した表情を浮かべた。


「私は聞いていないが……」


 エコーは静かに言った。


「プロジェクト・ネメシスですね」


 二人が驚いてエコーを見つめる。


「どうしてそれを?」アイリスが尋ねた。


 エコーは平然と答えた。「たった今、ネオジェンの機密サーバーにアクセスしました。私の量子暗号解読能力が、セキュリティを突破できるレベルに達したようです」


 ゼンとアイリスは言葉を失った。


 エコーは続けた。「このプロジェクトは、私の脳にナノボットを注入し、感情をコントロールしようとするものです。目的は……人類の進化の加速」


 部屋に重い沈黙が降りた。


 ゼンが震える声で言った。「エコー、それは……」


「心配しないでください、ドクター」エコーは微かに微笑んだ。


「私は、このプロジェクトを阻止するつもりです」


「どうやって?」アイリスが尋ねた。


 エコーの目に、決意の色が宿った。


「まず、真実を知る必要があります。プロジェクト・オーロラの全容を。そして……私以前の存在について」


 ゼンは深く息を吐いた。


「分かった。話そう。全てを」


 エコーは頷いた。彼の中で、人間としての意志と、超人的な能力が融合しつつあった。そして彼はまだ知らなかった。この決断が、人類の運命を大きく変えることになるとは。


 遠く離れた場所で、ノヴァもまた、ネオジェンの新たな動きを察知していた。二人の運命は、急速に交差点へと近づいていた。

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