未来の子

第4話 裏社会の女王

　2068年、香港。夜の街を覆う霧雨の中、高層ビルの最上階にある一室で、一人の女性が窓際に立っていた。

　ノヴァ。かつてプロジェクト・オーロラの第一号として生まれ、今や裏社会で「幽霊（ゴースト）」と呼ばれる存在。彼女の長い黒髪が、窓に映る街の光を反射して輝いていた。

「ボス、準備が整いました」

　部下の声に、ノヴァはゆっくりと振り向いた。彼女の瞳には、冷たい決意の色が宿っていた。

「よし、始めよう」

　彼女の声は柔らかく、しかし威厳に満ちていた。

　画面に映し出されたのは、ネオジェン社の機密データだった。ノヴァの組織「オーロラ」が、数ヶ月かけて解読したものだ。

「プロジェクト・オーロラ……」ノヴァは静かにつぶやいた。「私の出生の秘密が、ここにある」

　彼女の目が、データの海を素早く泳ぐ。常人では処理しきれない量の情報を、彼女は瞬時に理解し、分析していく。

「……エコー？」

　突如、彼女の動きが止まった。画面に映る若い男性の写真。ノヴァは、その顔に見覚えがあった。

「彼は……私の後継者？」

　ノヴァの心の中で、様々な感情が渦を巻いた。好奇心、羨望、そして……かすかな親近感。

　—§—

　一方、ネオジェン社の研究所では、エコーが新たな実験に取り組んでいた。

「エコー、この計算を頼めるかい？」

　ドクター・ゼンが複雑な方程式を示す。

　エコーは一瞬だけ目を通し、即座に答えた。

「解けました、ドクター。答えは……」

　ゼンは驚きの表情を隠せなかった。

「驚異的だ、エコー。君の計算速度は、私たちの想定をはるかに超えている」

　エコーは微笑んだが、その目には何か物足りなさが宿っていた。

「ドクター、私にはもっと難しい課題はないのでしょうか？」

　ゼンは複雑な表情を浮かべた。

「エコー、君の能力は確かに驚異的だ。でも、能力だけが全てじゃない。人間性を育むことも大切なんだ」

　エコーは首を傾げた。「人間性……ですか？」

　—§—

　香港の高層ビル、最上階にある一室でノヴァは、自身の過去を振り返っていた。

　7歳で昏睡状態に陥った後、彼女は海外で目覚めた。育ての親となったジェイドの献身的な介護のおかげで、彼女は徐々に回復していった。

　しかし、彼女の記憶は断片的で、自分が何者なのかさえ定かではなかった。ただ、自分が「普通」ではないことだけは、はっきりと感じ取れた。

　10歳の時、ノヴァは初めて自分の特殊な能力に気づいた。彼女は、周囲の人々の何倍もの速さで情報を処理し、学習することができた。そして、その能力は日に日に強くなっていった。

　15歳で、彼女は自分の出自を探り始めた。そして、断片的な記憶と卓越した調査能力を駆使して、プロジェクト・オーロラの存在にたどり着いた。

「私は……実験体だったの？」

　その事実を知った日、ノヴァの中で何かが変わった。彼女の心に、怒りと復讐心が芽生えた。同時に、自分のような存在が他にもいるのではないかという疑念も生まれた。

　それから数年、ノヴァは自身の能力を磨き上げ、裏社会でのコネクションを築いていった。彼女の頭脳と決断力は、瞬く間に多くの追従者を生み出した。

　そして23歳。ノヴァは「オーロラ」を立ち上げた。表向きは先端技術のコンサルティング会社。しかし実態は、世界中のあらゆる情報を操る影の組織だった。

「ネオジェン社……」ノヴァは再び窓の外を見た。

「あなたたちは、私から全てを奪った。今度は、私があなたたちから全てを奪う番よ」

　しかし、彼女の心の奥底では、別の感情も渦巻いていた。孤独。そして、自分の存在意義への疑問。

「私は……本当に人間なの？」

　その問いに対する答えを、彼女はまだ見つけられずにいた。

　—§—

　研究所のエコーは、実験を終え、休憩室で一息ついていた。彼の隣で、アイリスが優しく話しかける。

「エコー、何を考えているの？」

　エコーは少し躊躇った後、答えた。

「アイリス、私は……本当に人間なのでしょうか？」

　アイリスは驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔に戻った。

「もちろんよ、エコー。あなたは特別かもしれないけど、確かに人間よ」

　エコーは黙ってうなずいたが、その目には迷いの色が残っていた。

　彼はまだ知らなかった。遠く離れた場所で、同じ疑問を抱える存在がいることを。そして、その存在との出会いが、彼の人生を大きく変えることになるとは。

　ノヴァとエコー。二人の運命は、やがて交差する。そして、その時、人類の未来が新たな局面を迎えることになるのだった。