第5話 エコーの疑問
2068年8月15日、ネオジェン社の最先端研究施設。エコーは初めて、一般の従業員たちと接する機会を得ていた。
会議室には、様々な部署から集められた20人ほどの社員が集まっていた。彼らの表情には、好奇心と緊張が入り混じっている。噂の「特別な存在」と対面する瞬間だった。
エコーは、完璧な姿勢で部屋の前に立った。
「はじめまして、エコーです」
その声は、柔らかくも力強かった。会議室の空気が、一瞬で変わる。
「今日は、皆さんの研究プロジェクトについて、私なりの分析と提案をさせていただきます」
エコーは話し始めた。そして、その瞬間から、部屋中の人々は彼の言葉に引き込まれていった。
複雑な理論を簡潔に説明し、数年分の研究データを瞬時に分析し、革新的なアイデアを次々と提案する。エコーの頭脳は、まるで超高性能コンピュータのように働いていた。
1時間後、会議は終了した。部屋の中は、興奮と驚きで満ちていた。
「すごい……」
「あれは人間なのか?」
「私たちの何年分もの研究を、たった1時間で……」
囁きが飛び交う中、エコーは静かに部屋を後にした。
廊下で、ドクター・ゼンが彼を待っていた。
「素晴らしかったぞ、エコー」ゼンは満面の笑みを浮かべていた。
「君の能力は、私たちの予想をはるかに超えている」
エコーは微かに頷いたが、その目には何か複雑な感情が宿っていた。
「ドクター、私は……正しく振る舞えたでしょうか?」
ゼンは少し驚いた表情を見せた。「もちろんだ。君は完璧だった」
「でも……」エコーは言葉を選びながら続けた。
「皆さんの表情が、私には……理解できませんでした」
ゼンは深く息を吐いた。
「エコー、人間の感情は複雑だ。時には矛盾することもある。驚きと喜び、そして少しの戸惑いが混ざっていたんだろう」
エコーは黙ってうなずいたが、その目には依然として疑問の色が残っていた。
その夜、エコーは自室で静かに考え込んでいた。壁一面のモニターには、彼の脳内で行われている複雑な思考プロセスが可視化されていた。
ノックの音がして、アイリスが部屋に入ってきた。
「エコー、今日のことを考えているの?」
エコーは振り返り、微かに微笑んだ。
「はい。アイリス、私には分からないことがあります」
アイリスは彼の隣に座った。「何が分からないの?」
「私は……人間なのでしょうか?」エコーの声には、珍しく迷いが感じられた。
アイリスは優しく彼の手を取った。
「もちろんよ、エコー。あなたは人間よ」
「でも……」エコーは続けた。
「私の思考プロセスは、コンピュータのようです。感情の機微が理解できません。そして……」
彼は一瞬躊躇った後、静かに言った。「私には、心があるのでしょうか?」
アイリスは驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔に戻った。
「エコー、心があるかどうかを疑問に思うこと自体が、あなたに心があることの証よ」
エコーは黙って考え込んだ。
「でも、私の能力は非人間的です。私は、他の人々とは違います」
アイリスは深くため息をついた。「エコー、人間性は能力だけで決まるものじゃないわ。感情、思いやり、疑問を持つ心……そういったものも人間の大切な要素よ」
エコーはじっとアイリスの目を見つめた。
「私にも、そういったものがあるのでしょうか?」
「あるわ」アイリスは確信を込めて言った。
「あなたが今、こうして悩んでいること自体が、その証拠よ」
エコーは黙ってうなずいたが、その目には依然として迷いの色が残っていた。
翌日、エコーは研究所の屋上に立っていた。遠くに広がる都市の風景を眺めながら、彼は自問自答を続けていた。
突然、彼の脳裏に、ある疑問がまた浮かんだ。
「私以前に……同じような存在がいたのだろうか?」
その瞬間、エコーの意識の中で何かが変わった。彼は、自分の出自と、プロジェクト・オーロラの真の目的を知る必要があると強く感じた。
そして、彼はまだ知らなかった。その疑問が、彼を予想もしない運命へと導くことになるとは。
遠く離れた場所で、ノヴァもまた、同じような疑問を抱えていた。二人の運命は、確実に交差へと向かっていた。
エコーは深く息を吐き、再び研究所の中へと戻っていった。彼の中で、人間としての成長と、真実を追い求める意志が、静かに、しかし確実に芽生え始めていた。
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