第10話 ジャックの提案


 机を叩いて感情を露わにしたアランに、ジャックは息をのんで驚いた。

アランは屈強な体つきをしているがその中身は誠実で、仕事でミスをしたときも理不尽に怒鳴るような上司ではない。

アランの部下に指名されたときは中身を知らなかったので戦々恐々とした思いだったが、ジャックは2日目にはすっかりアランのギャップの虜になっていた。 

その上司が、抑えきれないほどの感情を見せている。

これは怒りなのか、焦りなのか。

せっかく尊敬する上司が頼ってくれたのに、1週間もアランから連絡をもらうまで放っておいたジャックは自分が許せなくなった。

机を叩いた勢いそのままに、アランは机に突っ伏している。

ジャックはアランの手助けになる道を探すために頭をフル回転させた。


「アランさん、少し邪道ですが、別の方法があるかもしれません」


 アランの体がピクリと動いた。

顔は机に突っ伏したままなので表情まで読み取れないが、ジャックの言葉は届いているようだ。


「このゲームのチャットでは、相手が既読したかどうかわからないことが難点です。なので、引き続きメッセージを送り続けてもあまり意味がないかもしれません。そこで、この友人のメールアドレスに直接送れば、こちらのメッセージが届く可能性が高くなると思います」


「どういうことだ」


 机に突っ伏していたアランが顔を上げると、その両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

ジャックはそれを直接見ないように視線を逸らし、椅子から立ち上がって窓際に腰かけた。

南向きのこの部屋は、太陽の暖かい陽ざしが満遍なく降り注ぐ。

この部屋をリカルドに充てたアランの親心が痛いほど理解できる。


「たいていのゲームは、登録するとき自分のメールアドレスをリンクさせます。リカルドくんの友人も例外なく自分のメールアドレスを使っているはずです。僕の友人でパソコンに長けたやつがいるので、彼ならば、もしかしたらそのメールアドレスまで辿りつける方法を知っているかもしれません」


「どうしてそれを先に教えてくれなかった」


「それは……その方法は違法だからです。いわゆるハッキングと言われています。先に言っておきますが、ぼくの友人は好んでハッキングをしているわけでも、それで荒稼ぎしているわけでもありません。趣味が高じてパソコンを熟知しているので、そこまでたどり着く方法を知っているかもしれないというだけです。それに、小さなゲームならまだしも、この戦車みたいな世界中に知られているゲームならセキュリティも万全だろうし、相当な時間と労力を使うはずです。それに、彼が確実にメールアドレスまで辿りつけるかまで、ぼくには保証できません」


 アランは、ジャックの強い意志がこもった目を見て我に返った。

リカルドの願いを叶えるための第一歩目で躓いて、まだまだ若い部下につらい提案をさせているなんて情けない上司だ。

こんなことで取り乱して時間を浪費させている場合ではない。

部下の嘘偽りない告白と真摯な眼差しに、目を覚ましてもらった。

今この状況でできる最善のことをしなければならないのだ。 


「そうか、大切なことを告白してくれてありがとう。確かに、彼個人のメールアドレスがわかれば助かるだろうが、きみときみの友人を違法なことに手を出させるわけにはいかない。きみのその気持ちと、いま手伝ってくれていることで十分だ。本当に感謝している」


「あと、もう1つ……」


「なんだ、何でも言ってくれ」


「1週間前にアランさんが送った文章を拝見しましたが、この内容だと相手の信用を得るのは難しいかもしれません」


「どういうことだ」


「世の中にはいろいろな種類の詐欺があります。ゲームのチャットで突然会いたいと言われたら、たいていの人間はまず詐欺を疑うはずです。ましてや、リカルドくんとこの友人はvamos程度の会話しかしていないなら尚更です」


 ジャックは、上司であるアランに指摘したのは初めてだった。

しかも、急ぐ気持ちが先走って歯に衣着せぬ物言いになってしまった。

初めて怒りの感情を露わにした上司を目の当たりにして、アランが怒り狂うんじゃないかと怯えて身を構えた。

自分の倍ほどの年齢とはいえ、アランの体格で暴れられたら手の付けようがない。

だけど、リカルドのため、アランのためを思うと、意見せずにはいられなかった。

意見している間は床に視線を落としてアランの顔を直接見ることができなかったが、言い終わった後、なにも言葉を発しないアランの顔をそろりと窺った。


 アランは、腕を組んで唸っていた。

リカルドの病状を治すためという詐欺に散々振り回されてきたのに、相手が自分を疑うとは微塵も思っていなかった。

ジャックの言う通り、世の中にはありとあらゆる詐欺が飛び交っている。

この友人が、素性の知れない相手からのいきなりのメッセージに不信感を抱くのは当然のことだ。

ジャックの率直な意見に、目からうろこが落ちた思いがした。

アランは、ジャックに歩み寄ってその胸に抱き寄せた。


「きみの言うとおりだ、ジャック。進言してくれてありがとう。確かに相手から見ると、私の送った内容では到底信用を得られないだろう。もう少し、こちらの情報を開示して願いを乞うべきだろうか。きみの意見も教えてくれないか」


 アランは、パソコンデスクのイスを引いてジャックに座るよう促した。

ジャックは、まずはアランが冷静に自分の意見を取り入れてくれたことに感謝した。

そして、今まで補佐しかしてこなかった自分が、尊敬する上司の役に立っていることに胸が震えた。

これは仕事ではない。

しかし、金のための仕事よりも重要な案件に違いない。

先ほど、1階で安静に寝ているリカルドの寝顔に挨拶をしたら、1週間前に会ったときより、その顔には青白さが際立っていた。

自分にとってはたったの1週間だけど、リカルドにとっては貴重な1週間だと改めて実感した。


「もちろんです。ぼくにできることがあればなんでもお手伝いします」


 ジャックは背筋を伸ばして、様々な案を捻りだしてくれた。

まだ若者だと思っていた部下の背中が一回り大きくみえて、アランは久しぶりに頬を綻ばせた。

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