第14話 ケントの本音


 ケントに理不尽な怒りをぶつけたあと、エリは顔を伏せたままベッドルームへ逃げ込んだ。


「エリ、入るよ」


 優しくノックをして、ドアの隙間からそろりとケントが顔を覗かせた。 

エリはベッドの上でうつぶせに寝っ転がっている。

おそらく部屋に入った勢いのまま倒れこんだようで、体はベッドを斜めに使っていた。


「なにかあった?」


 ケントはベッドに腰かけて、エリの後頭部に向かって声をかけた。


「……」


「ん? なんて?」


 交差した腕の上に頭を置いたエリの口元から何か発せられたが、ケントの耳まで届かなかった。


「……自己嫌悪中……です」


 ふはっ、とケントが笑いを漏らした。


「あ、ごめんごめん。笑うところじゃないよな。自己嫌悪だったなら懺悔することをお勧めするけど、どうかな」


 エリを纏う空気が柔らかくなったのを感じたケントは、なにも言わずにエリの気持ちが落ち着くのを待った。

しばらくしてむくりと起き上がったエリは、おでこに腕で押しつけらえた赤い跡を残したままケントの正面に座りなおして、ベッドの上で正座をした。


「おかしなことを言ってごめんなさい」


「うん、わかった。それよりも、どうしてそういう心境になったのか教えてほしい」


 エリはぽつりぽつりと胸の内を話し出した。


 父と息子がキャッチボールをするテレビ番組を見てケントが発した一言のこと。

医者からの電話が良い内容ではなかったこと。

ついさっき腹痛が始まったこと。

そして、なによりもケントの正直な気持ちを知りたかったこと。


「ケントは、リカルドくんに会いたいでしょう?」


「会う必要がないと思ってる」


「どうして?」


「どうしてもなにも……」


 ケントは次に言う言葉を思案しているようで言葉に詰まった。


「こういう機会だから正直に話すけど、私のことを過剰に心配して会いたくないと思っているなら考え直してほしい」


「そういうつもりじゃないよ」


「本当にそうと言い切れる?」


「妻を心配するのはいけないこと?」


「それは感謝してる。出会ったときからケントがずっと私を守ってくれてることも、何よりも私を優先してくれることも本当に嬉しい」


 エリは、背筋を改めて伸ばした。


「でもね、あなたが私のことを考えてくれているように、私もあなたのことを考えてる。正直に言って、リカルドくんのことを好きでしょう?」


「嫌いではないと思う」


「長い付き合いなんだから、見てたらわかるよ。いつもリカルドくんからお誘いがきたとき喜んで承認してるじゃない」


「そうかな」


「それでね、もし私がこういう状況じゃなかったら、あなたはリカルドくんに会いに行ってると思う」


 ケントは黙って頷いた。

肯定の意を表したわけではなく、自然と頭が動いた。


「向こうの国に会いに行く一択だったら完全に断っているけど、こっちに来るか場所を指定できるなら考える余地はあると思う」


「うん、冷静に考えたらそうでしょう。でも、ケントの中で私を守る気持ちが過剰に働きすぎて冷静な判断ができてなかったのよ」


「そんなつもりはなかったけど」


「ケントの優しさと夫としての責任からくることだからとても有難いことだけど、私のせいでケントの行動が制限されるなら、私は嬉しくない。リカルドくんのことを好きじゃないのなら会わないままでもいいけど、断ったら近い将来ケントが後悔するはず。これは、妻として夫を想う気持ちよ。リカルドくんに会えって強制してるわけじゃないけど、自分の気持ちに正直になってもう一度考え直してほしいの」


 ケントは腕を組み、目を瞑って唸っていた。

優しくされないことに対して怒るなら理解できるが、優しくされすぎることに不満があるなんて、エリ自身わがままにも程があると理解している。

だけど、エリはケントを信じている。

これから何年も何十年も一緒に暮らしていきたいと思っている相手だからこそ、伝えておかないといけないことがある。


「うーん」


 ケントが考え込んだ姿勢のまま唸り声をあげた。

エリは静かに次の言葉を待った。


「さすが、エリだ」


「え?」


「向こうの国を訪ねるのは危険すぎるから却下。かと言って、おれたちの街に来てもらうのも今後の安全性を考えて却下。来てもらうのがアメリカだと入国に難がある可能性があるから、会うのはカナダの都市がベスト。会うのは有名なホテルの一室で待ち合わせ場所はロビー、入室時にはルームサービスに同席してもらう」


 次々と案が飛び出すケントを見て、エリはにっこりと笑った。


「2回目のメッセージが届いたときに、もしリカルドに会う場合のシュミレーションは頭の片隅で考えてた。でも、それを排除することばかり考えてたんだ」


「アランさんに相談してみましょう。私たちの最低条件だけはのんでもらって、怪しい素振りがあればこの話はなかったことにする。それでどう?」


「エリには敵わないな。どうしておれの深層心理まで見通せるんだろう」


 エリはケントに抱きついた。


「おかしなこと言ってごめんなさい」


「うん、さっき言ったことだけは2度と考えないでくれ」


 ケントはエリの体重を受け止めて、背中を優しくさすった。

治療を始めてから遠慮する気持ちが先立って、お互い言いたいことが言えていないことに気付いていた。

お互いがお互いを想い合う気持ちからくるものだとわかっているからこそ余計に聞き出すことも言い出すこともできない悪循環に陥り、月日が経てば経つほど心の奥にしまい込んだものを引き出すのは難しくなっていた。


「この際だから、他に言いたいことがあれば吐き出してほしい」


 ケントはエリの耳元に問いかけた。

この機会を逃してはいけない。

言葉に出さずとも2人の気持ちは通じ合っていた。


「同僚との飲み会に全く参加しなくなったでしょ。たまには息抜きのためにも行ってほしい。あと、月2回のサッカーコミュニティにもいつの間にか行かなくなったでしょう」


でも、と反論しかけたケントの口を塞いでエリが続けた。


「ケントが遠慮して我慢ばかりしてたら、私も友達とランチに行くのが後ろめたく感じるわ」


「そうだよな。わかった。考えすぎてたところを改めるようにする。他には?」


「あとは……頑固なところを治してほしい」


「それは生まれ変わらないと無理だ」


「そうよね。知ってる」


 ケントとエリは抱き合ったまま額を付き合わせて笑いあった。

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