第15話 ジャックの事情


 その返信は、意外にも2日後に届いた。


 リカルドが病院で治療を受けている間は先の展望が見えないので、新たに友人へ返信を出すのに数週間かかってしまった。

今までの友人の態度だと、こちらが送ったメッセージをすぐに確認する様子もなく、さらにすぐ返信するようでもなかったので、今回の彼からの返信も正直期待していなかった。


「アランさん、もし今回の返信に時間がかかるようだったり、会うことを断ってきたりしたときの場合、代役を立てるのはどうでしょうか」


 ジャックは、ほぼ毎日のようにアラン家に通うようになっていた。


 申し訳なさそうに提案するジャックの肩に手を置いて、アランは自分の心の内を打ち明けた。


「実は、そのことについては私も考えていた。友人に会いたいというリカルドの願いを裏切ることになってしまうが、背に腹は代えられない。誰か、適任な人物はいるだろうか」


 ジャックはすっと立ち上がって、持参したタブレットをアランの目の前に差し出した。

まるで会議のプレゼンをするかのような姿勢に、アランは思わず口元を緩めた。

ジャックはまだ会社での会議に参加したことがない。

ジャックの同僚のうち、優秀な1名のみが会議の末席に参加しているだけだ。

だがこの数週間で、アランはジャックが持つ高い素質に気付き、彼の将来性を見出していた。

今回の件を仕事の評価に直接つなげることはできないが、ジャックが謝礼金を断った代わりに、仕事でも使えるようにとアランはライザと相談して礼の代わりにタブレットをプレゼントした。

ジャックはそれを毎日持ち歩いて既に使いこなしている。


「リカルドくんの話では、友人は高校生くらいなんですよね。僕の友人の弟が高校生で、簡単な英語なら話せると言っています」


 おそらくSNSで使っているだろう顔写真をタブレットに表示して見せてくれた。

爽やかな笑顔の好青年だ。


「ただ難点が、友人には妹がいないので別で女性を探すか、リカルドくんの友人の妹は来れなかったと嘘をつくことになります」


 代役を立ててでもリカルドの願いを表面上だけでも叶えるか、それとも正直に友人には会えないと伝えるべきか、アランはたった2日間で胃に穴があきそうなほど葛藤していた。


 しかし、友人からの思わぬ早い返信で、アランの胃痛は悪化せずにすんだ。


——アラン様、リカルド様

そちらの事情はよく理解できました。

リカルドくんが会いたいと思ってくれることは私にとっても喜ばしいことです。

ぜひ、北米でお会いしましょう。

リカルドくんの病状を察するに私たちがそちらを訪ねるべきでしょうが、こちらの事情もお察しください。

あなた方を疑っているわけではありませんが、会う際の最低条件を以下に記しますのでご了承ください。

場所 : カナダの主要都市の有名ホテル

待ち合わせ方法 : ロビーにてお互いを確認後、ホテルのルームサービスに同行してもらい入室

その他 : 部屋のドアは常に開けておくこと


「よしっ!やりましたね!」


 ジャックは両手で大きくガッツポーズをして、まるでワールドカップで優勝したかのように雄叫びをあげた。


「よし、そうと決まれば飛行機とホテルの予約だな。私はこれから病院に行って、リカルドに話をして医師の許可をもらってくる」


「予約は僕にお任せください」


「それは大変助かるが、そこまでお願いしてもいいのかな」


「もちろんです。それと、あの、僕も付いて行って構わないでしょうか」


「いや、そこまで迷惑をかけられない」


「差し出がましいですが、こちらはスペイン語で、彼は英語です。どのようにコミュニケーションを取るおつもりですか?」


「ああ、そういう問題もあるか……」


 友人からの返信があるかどうかが第1段階の関門とするなら、第2関門の会う段取りは取り付けた。

これから事が進むにつれて、第3、第4難問が出てくるに違いない。

リカルドの体調管理が最優先のアランにとって、雑事まで気が回らなかった。


「僕も一緒に連れて行っていただければ、通訳として補助できると思います」


 ジャックはほとんど身の一部と化しているタブレットを顔の横に並べて誇らしげに掲げてみせた。


「ちなみに翻訳アプリは入手済みで、会社の英語ができる方とテスト済みです。他にもアランさんがリカルドくんに付きっきりでいられるように、友人が指定するロビー待ち合わせから部屋までの案内役も努めます」


「有難いが、どうしてそこまで……」


「どうしてと言うのは愚問です。むしろここまで乗りかかった船を途中下船させられるほうが納得いきません」


 2年前に入社してきた当時のジャックは、どこかおどおどしたような態度で頼りない印象しかなかった。

いま目の前にいるジャックは堂々として、とても頼もしい。

いつの間にか大きな成長を遂げていた部下を見て、アランの肩の荷が少し軽くなった。


「ありがとう。では、きみの気持ちに甘えさせてもらうことにするよ」


「わかりました。では、アランさんはリカルドくんを最優先して、他のことは申しつけください。僕はこのタブレットがあればなんでもできると思います」


 ジャックは、断られる確率が高いだろうと予想していたので、アランが承諾してくれたことにホッと肩の力を抜いた。

この国で入手困難なタブレットを買い与えてくれた恩義に報いるだけでなく、それ以上に無償だったとしても構わない。

ジャックはこの親子の役に立つことを切望していた。


 3人男兄弟の末っ子として産まれたジャックは、幼いころから期待された事がなかった。裕福でないこの国で、両親は長男に金銭を捻出し、3番目のジャックは生きているだけでいいと言われていた。


 両親の愛情と手間を独り占めしていた長男と産まれたときからないがしろにされていた両親を見返すために良い会社に就職できたのはいいが、背伸びをした分、周りについていくので必死な毎日を過ごしていた。

そんな中、直属の上司になったアランは父親ほどの年齢は離れてないが、親からの愛情に飢えていたジャックにとって父親と錯覚するほどの包容力に溢れていた。

アランのどっしりと構えた体格と何事にも物怖じしない性格に僻む周りの人たちは、彼の過去を根掘り葉掘り探って揶揄する陰口もあったが、当のアランは実力でそれらを黙らせてきた。

その姿は、産まれたときから期待されてこなかったジャックにとってお手本となるべき人物像だった。


 尊敬する上司の役に立つことはもちろん、命の期限が迫っているリカルドの願いを叶える一役を担いたいと思っている。

リカルドは少し話をしただけでその聡明さに感心したし、ライザは一人暮らしのジャックの健康を気遣っていつも食事を用意してくれていた。

数週間前までただの上司と部下の関係だったが、ジャックはすっかりこの親子の虜になっていた。

そして、今までの人生でこれほど人に頼りのされたことがないジャックにとって、かけがえのない誰かの役に立ち必要とされるというのはこの上ない喜びに満ちていた。


 ジャックは両手で自分の頬をたたき喝を入れて、友人からのメッセージの詳細を何度も確認しながら飛行機とホテルの検索に神経を集中させた。

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