第16話 ケントの変化


 金曜日の夜、ケントとエリはカナダの主要都市にある有名ホテルに到着した。

アランとの約束は明日の土曜だが、2人は仕事が終わった足で前乗りし、今夜はこのホテルで泊まることにしていた。


 ロビーにある体が沈みそうなほどふかふかのソファで座っていると、皺一つないホテルの制服を着こなした長身の男性が近づいてきたのを認めてケントが立ち上がった。


「ケント、待たせたな」


「アレックス、久しぶりだな。こちらこそ急にお願いしたのに対応してくれて感謝してる。元気そうだな」


「お前もな」


 アレックスと呼ばれた男性とケントはがっしりと握手をしてそのまま腕を引き、音がしそうなほど肩をぶつける挨拶を交わした。


「こちらが妻のエリ。結婚式以来かな。エリ、この人が話していた友人のアレックスだよ」


「今回はお世話になります」


「役に立てるのなら喜んで」


 エリが差し出した手に対して、アレックスは紳士の振る舞いで腰を曲げて握手した。


 アレックスはケントの大学時代の友人で、このホテルで長い間働いている。

リカルドと会う決心を固めたときに、真っ先に彼に連絡をして今回の事情を全て話し、協力を仰いだ。

突然のケントからの電話に、アレックスは快く承諾してくれた。

ケントとエリだけでアランたちに会うのは不安なので、ホテル内に味方がいればとても心強い。

大学時代から困っている友人に自ら進んで手を差し伸べ、奉仕の精神にあふれたアレックスにとって、ホテルマンという職業は天職と言っても過言ではない。

客として、さらに友人として協力すると言ってくれたことで、ケントの不安材料は小さくなった。


「チェックインは済んだんだろ?」


「ああ、荷物も部屋に置いたし、これから外で夕食にしようと思ってる」


「そうか、じゃあまた明日の昼にここで落ち合おう。そういえば、知ってるか? お相手の方々はスイートルームを予約してるらしい。彼らのチェックイン予定は明日の朝だ。あと、明日のルームサービスはおれが同行して、そのまま部屋に同席していいと許可をもらっているから安心していい」


「あと、もし病状が悪化したときの病院の件も大丈夫かな」


「ホテルの提携先の病院があるから問題ない。スペイン語が話せる同僚もいる」


「なにからなにまで助かる。ありがとう」


「こちらこそ、当ホテルをご利用いただきありがとう。じゃあ、また明日な」


 アレックスは、ホテルマンらしく恭しく礼をしてから去った。


「リカルドくんたち、スイートルームだって。すごいね。明日私たちもスイートルームに入れるのね」


「節々で思うことはあったけど、リカルドの家は裕福なのかもしれない」


「それか、リカルドくんためならお金を惜しまないんじゃないかしら」


「そうかもな」


 会うことを決めたあと、ケントとアランは複数回のやり取りをしていて、その過程でケントの中で彼らを疑う気持ちはほぼなくなっていた。

アランは自分たちの情報を惜しげもなく提供し、逆にケントたちのことを何も追求しなかった。

こちらに多少の疑いの気持ちがあることを理解しているようで、その不安を払拭するための努力が文章だけでも伝わってきた。

それもこれもすべてリカルドのためだと毎回のメッセージの文末に添えられていて、さすがのケントも胸の奥が熱くなるときがあった。


「明日はジャックっていう人が待ち合わせのロビーに来るのよね」


「”guide to RD“ (RDの案内人)って書いたプラカードを持ってロビーに立ってるから声をかけてくれ、だって」


 ケントとエリはカナダの街に出て、予約していたレストランに来ていた。

ケントはビール、エリはノンアルコールカクテルで乾杯をした。

治療を始めてから1泊の旅行にさえにも出かけていなかったことに気が付いたので、今回は思いきって3泊の日程に決めた。

自分の体調に自信がなかったエリは最初こそ渋っていたが、3泊のホテルと飛行機を抑えると、はりきってレストランの予約をしたり観光名所の検索を始めた。

わくわくした目で旅行の計画を立てるエリを見て、ケントは3泊に決めてよかったと心から安堵した。


「そういえば、アランさんにケントの年齢は伝えたの?」


「聞かれてないから言ってない」


 ケントはグラスのビールを飲み干して、2杯目を注文した。

久しぶりの開放的な非日常に浮かれているのはケントも同様だった。


「じゃあ、私たちはプラカードでジャックを見つけられるけど、向こうは私たちがわからないじゃない」


「それもおれの考えのうちだよ。まだ完全に用心を忘れたわけじゃないんだ」


「ケントは前に、ゲーマーの平均年齢は10代の若者って言ってたでしょう。リカルドくんが会いたいって言ってる理由も、同年代の友達だと思っているならびっくりさせるんじゃない?」


「それなら、それまでだよ。予想外だったならジャックが面会を断るだろう」


「リカルドくんも、おじさんが現れたら驚くわよね。それに、私も妹だと思われてるからがっかりさせるかもしれないわ」


「リカルドがおじさんの可能性もあるんだぞ」


 真面目な顔をして忠告をするケントに、おもわずエリは吹き出した。


「そういえばそうね。息子だと言ってるから勝手に幼い子を想像してたけど、年配のアランさんとその息子ってこともあるのね。そうだったら、どうする?」


「どうもしないよ。一緒にゲームするんだから年齢もなにも関係ない」


「それもゲーマー同志だったら分かり合えるってこと?」


「アランから戦車のゲームができるパソコンを持ってきてほしいって言われたから、そういうことだろう」


 ケントはそのアランからのメッセージを読んで、すぐに新しいラップトップを買いに走った。

家にいるときはデスクトップのパソコンでゲームをしているので、今回の旅行では持ち運びができない。

それでも、数年前に買って置きっぱなしになっているラップトップがまだ使えるから新しく買い替える必要ないんじゃないのというエリに対して、性能の違いやグラフィックの進化を長々と説明して、結局いい値段がする新機種を購入した。

ケントがリカルドに会うことをどうでもいいと思っているのなら数年前のラップトップで充分だと言っていただろう。

内心は楽しみにしていて、会ったこともない友人に敬意を示すために新機種をわざわざ買いに行ったのに、ケントは今だにそっけない素振りをしている。


「明日、楽しみね」


「まだ気は抜けないけどな」


「やっぱり頑固ね」


「え? なんて?」


 ケントは聞こえていないふりをして、2杯目のグラスに手をかけた。

そんなケントを横目で見ながらやれやれという表情をして、エリはノンアルコールカクテルの残りを一気に飲み干した。

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