第13話 エリの葛藤
RDの父と名乗るアランに返信してから、音沙汰のないまま既に2週間が経過した。
一度は詐欺かもしれないと警戒したが、アランの誠意のこもった文章に賭けて返信をした。
翌日からゲームのチャット画面を開くことがケントとエリの日課になったが、返信がないまま1週間を過ぎた頃には新たな疑問が湧いてきた。
「もしかしたら詐欺の類じゃなくて、若者の新しい遊びの一種だったのかもしれないな。こっちがどういう反応をするか楽しんでたんじゃないか」
「からかわれていたってこと? もっと大袈裟な反応を期待していたのかしら。だとしたら、私たちの返答はお気に召さなかったでしょうね」
「もっと面白いターゲットでも見つけたかな。とにかく、これだけで終わったのならよかったよ」
その会話以降、ケントはRDにもゲームにも興味を失ったようで、パソコンの前に座ることもなくなった。
だから、2週間と数日が経った頃、そのメッセージに気付いたのは毎日こっそりとチャット画面をチェックしていたエリだった。
―――返信、感謝する。
貴殿の質問の件について、息子のリカルドが貴殿にお会いしたい理由を私は彼から聞いていない。
そしてリカルドの病状が悪化して、彼と話をすることができない状態が続いている。
だから、申し訳ないが貴殿の質問に答えることはできない。
ただ、リカルドは頑なに自宅療養にこだわり病院治療を拒んでいたが、貴殿に会いたい一心が彼を病院治療に切り替える決心を与えてくれた。
父親である私や、母親、医者の説得にも拒否していたリカルドを変えたのは、貴殿だ。
疑問の答えにはならないだろうが、この事実を持って息子の気持ちを理解していただけないだろうか。
幸いにも病院治療のおかげで、リカルドは多少の旅ができる程度に回復してきている。
リカルドと私は、北米を訪ねる決意を固めている。
ただ、旅程は数日間で、一度しかチャンスはないと覚悟している。
リカルドに会っていただけないだろうか。
貴殿の街か、都合のいい場所を指定してほしい。
心から、お願い申し上げる。
貴殿からの返信を期待して待っている。
アランとリカルドより
ケントとエリは、長い時間をかけてアランからの返信を読んだ。
「会う場所ってどこがいいのかしら。まさかうちに来てもらうわけにはいかないから、やっぱりホテルかしら」
「ちょっと待って。このまま信じて会うつもり?」
「え? ケントは会わないつもりなの?」
「さすがに会うのは無謀すぎるよ」
「私も、私たちが南米まで行って会いに行くのは無謀だと思っていたけど、彼らが来てくれるのならそんなに問題ないんじゃないの」
「エリは、ネットと現実を同等に考えすぎだよ」
「ネットの知り合いだって、そのネットを使っているのはあなたと同じ人間よ。なにもロボットに会おうって言ってるわけじゃないわ」
結婚した当初、声を張り上げてケンカすることだけは生涯しないでおこうと約束した。
言い出したのはエリで、男性が怒鳴るのは恐ろしいし、自分も我を忘れて怒鳴るのは醜いと思ったからだ。
幸いなことに、この5年間、意見の食い違いがあっても冷静に話し合って問題を解決してこれた。
そんなエリが珍しく感情的になって声を荒げている。
「わかってるよ。そんなことを言ってるんじゃなくて、そもそもこのメッセージ自体が怪しいんだし、確かにこの内容は同情できるけど、だからといってそのまま信じるのはどうかと思うって言ってるんだよ」
「別に会う約束するぐらい、いいじゃない」
「どうしたんだよ、エリらしくないぞ」
ケントは、苛立つエリに対して心配する表情を見せた。
そんなケントに、エリの心は余計にささくれ立った。
エリは自分の怒りが理不尽だと理解している。
数日前、2人でテレビを見ていると父性愛を特集する番組があり、その中で父と幼い息子がキャッチボールをしていた。
「やっぱり、いいよなあ」
普段ならば、ケントの何気ない一言にエリは気にも留めなかっただろう。
しかし、数日前にかかってきた医者からの電話の内容がエリの心の中で渦巻いているときに、ケントのその言葉は深く突き刺さった。
高度治療をしても結果の出ないエリの体に対して常に慰めの言葉をかけてくれるケントだが、本心はやはり子どもが欲しいに違いない。
それも、一緒に遊べる男の子が。
さらに追い打ちをかけるように、つい先ほど毎月恒例の腹痛が始まった。
投薬治療をしているが、医者は妊娠しても問題ないと言ってた。
薬が速攻効果を出したら自然妊娠もあり得る、なんて甘い言葉を信じていたわけではないが、それでも毎月毎月期待してしまう。
そんな甘い希望を、トイレに流れていく赤い水がすべて打ち消した。
わかっていたことだけど、どうしても今は心をコントロールすることができない。
「どうしてRDくんに会いたくないの」
「100パーセント安全じゃないからだよ」
「私たちの国で会うなら、問題ないじゃない」
「そんな単純な解決法じゃないよ」
「私もいっしょに行くから大丈夫よ」
「いや、それはできない」
「どうして?」
「エリを危険な目に合わせるわけにいかないだろ」
「やっぱり、そうよね……」
ケントは、常にエリのことを最優先に考えている。
付き合い始めたときから、結婚しても変わらず大事にしてくれる夫で本当に良かったと思っていた。
しかし、ここ数年間はその優しさが過剰になっていると感じることがある。
優しさも、気を遣ってくれることも、大事にしてくれることもとても嬉しい。
でも、彼が望むことを返せない自分の体に嫌気がさす。
「あのさ、ケントは違う奥さん見つけたほうがいいんじゃないかな」
間違ったことを言っているのはわかってる。
でも言わずにいられない。
ケントは思うがけないエリの言葉に、開いた口が塞がらず瞬きを忘れてエリを見つめることしかできなかった。
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