第8話 ケントの判断
週末、夕食の準備のためにキッチンに立っているのはケントだ。
平日はエリのほうが帰りが早いので、必然と妻が夕食係になっている。
日々のこまごまとした家事もエリが担当していることが多い。
ケントはエリがフルタイムで働いているのなら家事は折半したいという意思はあるが、どうにも思い通りにいかない。
いつの間にか部屋には掃除機がかけられているし、いつ見てもトイレはきれいに保たれている。
新婚当初は試行錯誤したが、5年目を過ぎた今は、ケントが週末の夕食を担当することが習慣化することで終着地点に落ち着いた。
「本当に全部任せていいの?」
「ああ、エリは自分の時間に使ってよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて、久しぶりに戦車でも操縦しようかしら」
ケントの試行錯誤と同時に、エリも試行錯誤を重ねていた。
夫が週末に夕食を作ってくれることは嬉しい。
彼は結婚する前の数年間を1人暮らししていたので一通りの家事ができる。
最初のころは、エリも近くで手伝いをしていたが、どうしても手順や手際が自分と違うところがもどかっしくて、口出しをしてしまっていた。
彼のやり方に任せておけばいいものを、手伝いの名目のつもりが余計なことをして、どうにも空回りになってしまう。
今では、キッチンの中にいるとどうしても些細なことが目についてしまうので、ケントが夕食担当のときはリビングで待つようにしている。
「久しぶりだから操縦の腕が鈍ってないといいけどな」
「大丈夫よ。低いレベルからもう一度始めるわ。あら、誰かからチャットがきてる。見ていい?」
「もちろん。おれにチャットしてくるのはRDくらいだろ。小隊のお誘いじゃないか? 学校の試験でも終わったかな」
「また妹だって言って断るのは辛いわ。久しぶりなんだから、ケントが一緒にプレイしたら?」
「エリが一緒にすればいいだろ。RDにはこっちで誰がプレイしてるかなんてわからないんだから。それに夕食作りどうするんだよ」
「私が変わってもいいから。………あら、すごく長い文章がきてるわ」
「え? 誰から?」
「差出人はRDくんのアカウントになってる。これって全文スペイン語よね」
「何かの間違いじゃないか。vamos(行くぞ)以外送ってきたことないのに」
「翻訳してみるわ」
送られてきた文章を丸々コピーしてネットの翻訳機能にかけると、ところどころおかしな文章に変換されたが、要約すると以下のようであった。
―――突然の連絡、失礼します。
私は、このアカウントの持ち主の父親です。
急な話ですが、あなたに息子と会っていただきたい。
できれば、あなたに私の国まで来ていただきたいが、それが無理なら私たちがあなたの国に行くこともできる。
息子の話では、あなたの住まいは北米だと推測しているようだが、間違いないだろうか。
申し訳ないが、時間があまりない。
早急の返事を期待しています。
「どういうこと?」
「さあ、おれにもさっぱり。まさか新手の詐欺? RDがアカウント乗っ取られたかな」
「こわいわ。RDくんに確認する方法はないわよね。あなたのアカウント削除したほうがいいんじゃない」
「いや、こういうのはランダムで一斉送信されているだろうから、こちらから返信しない限り、とりあえず大丈夫だよ」
キッチンにいたはずのケントがいつの間にかエリの横に立っている。
スクリーンに目を固定したケントに正面のイスを譲って、エリはキッチンに向かった。
まな板の上では半分だけ切られた玉ねぎが放置されていて、コンロには鍋の中でお湯が沸騰しかけている。
エリはとりあえずコンロの火を消して、ケントの横に戻った。
「詐欺だとしたら、やっぱり目的は金だよな。それにしては、ずいぶんとまどろっこしいやり方だな。いまなら電子マネーでも海外送金でもいくらでも方法はあるのに、わざわざ会いたいなんて」
「子供や孫になり済ます詐欺なら聞いたことあるけど、父親のパターンは初めてね」
「そりゃ、ほとんどのゲームユーザーは10代20代の若者だろうから、その代わりだったら両親の出番だろうな。いわゆるオフ会ってやつで、ネット上で知り合った人が実際に会う流れを利用しようとしているんだろう」
「だったら、RDくんを装って友達同士で会おうってほうがよっぽど自然な流れじゃない? 子供や孫になり済ます詐欺の理由はそれなりにあったけど、この場合、父親が出てくるのは遠回りな気がするけど」
「確かにそうだな」
「ちょっと待って、ランダムで一斉送信されてるって言ったわよね。でも、この北米って特定されてない? たまたまうちが該当したのかしら。それか、北米とかヨーロッパとか判別して送信してるのかな」
「まあ、サーバーで大まかな場所は断定できるだろうし、この戦車のゲームもうちが使ってるのは北米南米サーバーだからありえない話ではないけど」
「それに、詐欺にしては内容がなんだかよくわからないわ。息子と会ってほしくて国境超えて会いに来い、それか自分たちが会いに行くってことよね。つまり、彼らは北米に住んでるわけじゃないのね」
「文面通り素直に受け取る必要はないよ。詐欺なんて理由はなんでもよくて、とにかく騙されるほうの気を引ければなんでもいいんだから。ネット上では何とでもいえるから、北米にいながら他国にいる振りするなんてのも容易いことだし」
「そうね……」
ケントの説明は筋が通っているし理解できる。
でも、エリにはなんだか腑に落ちない点が多い。
「それに、翻訳されている限りでは、すごく丁寧な文章を使っているわよね。もし乱暴な言葉遣いだったら、それなりの文章で翻訳されるでしょ」
「詐欺師ほど丁寧な言葉を使ったり、それこそスーツ着たり高級車乗ったり、見た目から入るんだよ。乱暴な言葉遣いだったら、騙されるほうがまず警戒心持ってしまうだろ」
「そういえばそうね。じゃあ、どうしようか」
「スパム系のメールは、返信しない、が基本だ。放っておけばいいよ」
ケントは、チャット画面を閉じてキッチンに戻った。
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