第18話 リカルドとケントの合言葉


 フルーツを載せたワゴンが到着したので、ケントとエリ、ジャック、アレックスとワゴンを押す従業員の5人はエレベーターに乗り込んで最上階の1つ下の階へ向かった。

廊下に敷き詰められた深紅のカーペットはふかふかで、エリのヒールは物音一つたてずに雲の上を歩いているような感覚になった。


 ジャックが先導に立ち目的の部屋に着いたという仕草をしてドアを開けようとするとき、ケントの目の端でアレックスが胸に忍ばせているトランシーバーが作動しているか確認していた。

おそらく、フロントか誰かとすぐに連携をとれる手筈にしてくれているのだろう。

そして、部屋のドアは約束通り開け放されるように固定して、従業員が入口あたりで中を見渡せる位置に待機している。

ケントは、彼らプロフェッショナルの働きに改めて感謝した。


 中に入ると、ケントとエリが宿泊していた部屋の5倍はあろうかという広さのリビングルームだった。

一面の窓から差し込む陽光が部屋全体を照らしていて、真っ白な壁がさらに明るい印象にみせた。


 部屋の中央におおきなL字型のソファがあって、その側に背が高く筋肉隆々の恐ろしく体格のいい中年男性が両手を前に組んで立っていた。

その男性が入り口近くで立ち止まったケントたちに近寄って、右手を差し出した。


「 Encantado. Me llamo Alan.(初めまして、私はアランです)」


 最初の言葉はわからなかったが、”アラン”という言葉を聞き取ったケントは自己紹介だろうと理解した。


「I'm Kento.(私はケントです)」


 アランが差し出した右手を握って、固い握手を交わした。

ケントは、ジャックが事前にアランのことを伝えてくれていてよかったと胸をなでおろした。

何の情報もなくアランと対峙していたら、詐欺だなんだと疑う前に逃げ出していたかもしれない。

しかし、握手をした際にアランと視線を合わせると、がっしりとした体格に似合わず、目元は優しい雰囲気を醸し出していた。


 スペイン語と英語で自己紹介をしている2人の間に、タブレットを持ったジャックが慌てて滑り込んできた。

アランに向かってタブレットを指さしながら説明をするとアランは、ああそうだった、というような仕草をして笑いながらジャックの肩をポンポンと叩いた。

体格の良いアランはその手も大きく、アランにとって何気なく叩いたようでもジャックは少しよろけていたが、さすがに慣れているようだった。


——今日はここまで来てくれて感謝している。私たちが勝手に思い込んでいたようだが、あなたは高校生だと思っていた。まあ、そんなことは全然問題ないのだが。リカルドの友人であることに年齢もなにも関係ない。


 エリがケントのスーツの端をつまんで、ぼそぼそと耳打ちした。

それを見てジャックが素早くタブレットをケントのほうへ差し出す。

ジャックは通訳の役目を全うするためにケントとアランのちょうど真ん中に立ち位置を確保していた。


「こちらは妻のエリです。リカルドくんがゲームのお誘いをしてくれたときに、自分の技量が足りないのでがっかりさせると思い、とっさに妹と噓をついてしまったようです。嘘をついていて申し訳ない」


 タブレットの文章を読んで、アランは大きく頷いたあと、sin problema(問題ない)と微笑みながら大きく首を振った。

プロブレムの発音が英語と似ていたので、No problemだろうと推測できた。


——息子のリカルドに会っていただけますか? 彼はベッドルームにいて、あなたと一緒にゲームをしたいと言っていますが、可能でしょうか?


 ケントは返事の代わりに持参したラップトップを掲げてにっこりと微笑むと、アランは安心したというように手で胸を撫でおろし、もう一度ケントの右手を握りgracias(ありがとう)と何回も繰り返した。


 部屋を開けると、薄いカーテンのみがひかれた部屋の中央にあるベッドに小さな男の子が枕を背にして座っていた。

傍には医師らしき中年男性と、リカルドの母親らしき女性が付き添っている。

アランが女性と男の子の横に立って一人一人手のひらで指しながら紹介をしてくれた。

ケントとエリはスペイン語はわからなかったが、なぜかアランが話す言葉はすっと頭に入ってくる。

母親はライザ、そして男の子は当然リカルドだった。


 ライザはアランと同じく、ケントとエリの手を両手で握り、graciasと何回も繰り返して目にうっすらと涙を浮かべていた。


 リカルドはライザとケントが挨拶をしている間、静かに自分の順番を待っていた。

ベッドの上で長座の姿勢で座り、背中はたくさんの枕とソファで支えられているようだけど、背筋を伸ばし姿勢を正す様子がみてとれた。


 ケントが改めてリカルドの正面に立つと、なるほど、ジャックが言っていた通り体全体の肉付きは極めて少なく、Tシャツからのぞく肩甲骨は浮き上がってみえた。

それでも目は凛とした輝きを放ち、微笑んだ口元からは聡明さがうかがえる。


「Ricardo? I'm Kento. (リカルドだろ? おれはケントだ)」


 リカルドの口元が動いてなにか言おうとしているが、声がかすれてはっきりとした言葉にならなかった。

ライザが代弁するように話し始めると、すかさずジャックが間に入った。


——お会いできて光栄です、ということを言いたいんだと思います。


 ケントは言葉の代わりにリカルドの手を握って、大きな仕草で頷いた。

リカルドの口が再び動いたので、ケントが耳を近付けた。

ジャックがタブレットを差し出そうとしたが、リカルドはそれを手で制して首を振り、いらないという意思表示をした。

リカルドは大きく息を吸って、一言一言力を込めて発音した。


「Va mo s. (一緒に遊ぼう)」


 この言葉はケントに、そしてエリにも通訳は必要なかった。

オンラインのゲームで一緒にチームを組むときにいつもリカルドから投げかけていた合言葉だ。


「Vamos.」


 ケントはリカルドの意志の強い目としっかり目線を合わせて返事をして、にっこりと微笑んだ。

2人の横で、ジャックは堰を切ったようにぼろぼろと涙が溢れだし、ひっくひっくという声を漏らして肩が上下するほど号泣している。


 アランがあらかじめセッティングしていた机に2人並んで、戦車のゲームを始めた。

リカルドはスペイン語、ケントは英語を話しているがなぜか2人には通じ合っているようで、同じ場面で悔しがり、同じ場面で大笑いしている。

たまにリカルドがケントにアドバイスを求める場面でも、言語の壁は関係ないようだった。

エリもケントの横に座って、ゲームの戦況を見守りながら一緒に楽しんでいた。


 そんな3人の背中をアランとライザは、瞬きさえも惜しむように見つめていた。

静かに会話を交わす中でライザはときに涙を拭う様子もあった。


 完全に安心しきったアレックスはリビングの大きなソファに座って、ジャックとフルーツの盛り合わせを食べながら談笑を楽しんでいた。

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