願いは空を越えて
常和あん
第1話 出会いのゲーム
「ただいま。リカルド、入るぞ」
仕事から帰宅したアランは、スーツ姿のまま玄関からリカルドの部屋へ直行した。
「父さん、おかえり。早かったんだね。ごめん、5分だけ待ってくれないか。いま始まったばかりなんだ」
息子のリカルドは、広い自室の窓際に設えられたパソコンデスクに座り、父に背を向けたまま画面から目を離さずに返事をした。
いつもならドアを開けると同時に飛びついてくる彼にしては珍しい反応だ。
大きな窓からは夕陽の赤い光が差し込んでいる。
アランは部屋の照明を付けて、パソコン画面に向かうリカルドの背後に立った。
「新しいゲームか」
「ううん、このゲームは前からしてたけど、友達ができたんだ」
「なに、友達?」
アランが息子の肩越しにパソコンの画面を覗きこんだ。
精密なグラフィック映像の中で、数台の戦車が一方向に向かって進んでいる。
画面中央に映っている大型の戦車が、おそらく彼が操っている台だろう。
リカルドは画面を食い入るように見つめ、右手はマウス、左手はキーボードを器用に叩いて戦車の進行方向を操っている。
「よくできたもんだなあ」
ゲームの内容はわからないが、戦車の細部の造りまで細かく見てとれる映像は、眺めているだけでアランの中の童心をわくわくさせた。
自分が幼い頃は手で触って遊べるプラモデルが主流だったが、今の世代ではパソコンの平面な画面の中で遊ぶのが常識なのだろう。
ちらりとリカルドの横顔を覗きこむと、父親の動きなど眼中にないように、穢れのない澄んだ両眼は画面の動きに集中している。
ゲームといえども真剣勝負だ。
アランは息子の邪魔をしないように、話しかけないことに決めた。
リカルドが操る大型の戦車は、縦横無尽に走り回る小型の戦車に比べて進む速度が遅い。
最前線の小型戦車は、同じく最前線の敵の戦車とすでにぶつかり合って炎を上げている。
銃撃の音が遠くで響き、それと同時に各戦車の上に表示されたHPゲージが減っている。
おそらく緑のゲージがリカルドの味方で、赤いゲージが敵のチームだろう。
進みの遅いリカルドの大型戦車が、ようやく味方の先陣に追いついた。
リカルドは果敢にも小型戦車が火花を散らす最前線に躍り出て、目の前にいる敵の戦車に一撃を浴びせた。
「おっ、当たったんじゃないか」
敵の戦車のHPゲージが3分の1ほど減った。
リカルドは集中しているようで、返事はない。
敵も負けじと応戦してくる。
仕返しとばかりに敵の放った一撃が命中し、リカルドが操る戦車のゲージ目盛りが少し減った。
「どうした、早く次を撃てば、この小さい敵をやっつけられるんじゃないのか」
いつの間にか興奮状態になったアランは、思わずリカルドの肩を掴みそうになったが、操縦士である彼の両手の先にあるマウスとキーボードを見て思いとどまった。
「銃弾を再装填する時間があるんだよ」
敵の一撃を浴びて動揺しているかと思われた息子は、落ち着き払って自分の戦車の操縦を続けている。
再装填? ああ、そうか、戦車の弾丸は1つ1つが大きい。
マシンガンのように連続して撃てる代物じゃない。
このゲームはそこまで再現しているのか。
当然と言えば当然のことなのだが、ただ弾の撃ちあいだけではなさそうなこのゲームに、アランは改めて感心した。
再装填を待って火花を噴いたリカルドの2発目は、残念ながら敵戦車の横をかすめてうしろの岩に当った。
大型の戦車はその大きさゆえに前へ進むスピードも遅いが、主砲の左右の動きも焦れったくなるほどゆっくりと動くので、ちょこまかと走り回る小型に照準を合わせるのが難しそうだ。
それでも、リカルドの大型戦車は被弾したいくつかの弾を無傷ではじき返している。
大型戦車が放つ弾は敵に当たったときのダメージが大きいのに対し、敵の小型戦車が放った数発は大型に対して空振りで終わっている。
なんだ、これだと小型に勝ち目はないじゃないか。
大型が優勢だと安心したのも束の間、リカルドの戦車がピンチに陥った。
援軍に来た敵の小型戦車数台に後ろを回り込まれ、連続してリカルドの戦車に銃撃を浴びせた。
リカルドのHPゲージはみるみるうちに減っていくが、負けじと応戦し、敵の内の1台の小型を破壊した。
HPゲージがゼロになった敵戦車は炎に包まれ、一瞬で廃車と化した。
「やった!」
冷静に操縦を続けるリカルドの横で、アランが力強く拳を握った。
しかし、息子の好戦もそこまでで、最後は後ろに回り込まれた小型に止めを刺された。
リカルドの大型戦車は、画面の中央で炎をあげて灰色に変わってしまった。
「あーあ、やられちゃった」
「リカルドはよくやったじゃないか。1台倒したし」
「1台だけじゃダメなんだよ。敵全部をやっつけなきゃ勝利にならないんだ」
悔しそうな言葉とは裏腹に、彼の表情にはまだ笑みが残っている。
リカルドはマウスをいくつか操作して、画面中央に別の大型戦車を映し出した。
「これ、リカルドがさっき操縦してたのと同じ型じゃないのか」
「うん、これが友達なんだ。僕たちはいつも同じ台を選ぶんだよ。僕の戦車はやられちゃったけど、残りの時間はこうして彼が操縦しているのを見ることができるんだ」
画面上ではリカルドと同じ型の戦車が生き残っていて、まだ戦いを続けている。
初めてこのゲームを見た素人目だが、息子の操縦も悪くなかったと思う。
親の欲目だと言われればそれまでだが。
しかし、リカルドが言う友達が操縦する戦車の動きは明らかに違う。
縦横無尽に動き回る小型に狙いを定め、1つ1つ確実にHPゲージを減らしていく。
建物の影にひそめて敵の攻撃をやり過ごし、再装填が終われば、また確実に相手に撃ちこむ。
「よし! いけえ!」
自分の操縦していたときとは真逆で、リカルドはこの戦車の動きに歓声を上げている。
マウスとキーボードの操縦から解放された両手は、大きな握り拳を作って空を切った。
残りの敵は3台、対して味方の生き残りは2台。友人戦車のHPゲージは十分にあるとは言え、状況は芳しくない。
敵の1台と味方の1台が正面衝突でぶつかった結果、敵1台を廃車に追い込むことができた。
しかし、加勢に来た別の敵の銃撃を受け、直後に味方の1台も破壊された。
残りは敵2台、味方は友達の操縦する1台のみ。
リカルドは両手の拳を力強く握りしめ、戦況を見守っている。
「これは、」
負けるんじゃないか、という言葉をアランは喉の奥で飲み込んだ。
戦況はどうみても不利すぎる。
それでも熱心に画面を見つめる息子に話しかけるのは憚られ、この戦いが終わるまで待つことにした。
「よし!」
リカルドのかけ声と同時に、敵の1台が戦闘不能となって廃車と化した。
残り1台ずつ、一騎打ちとなった。
「よし! そうだ! いけえ!」
リカルドの声援を一身に受けて、友人の戦車は自身のHPゲージを少し残して最後の敵をやっつけた。
「やったー!」
「いま、どうなったんだ?」
まさか、あの状況から勝つなんて。最後は2台の動きが複雑で、アランには彼がどのように勝ったのかわからなかった。
パソコンの画面には大きく「Victory (勝利)」の文字が点滅している。
負けるだろうと見越した戦況からの逆転勝利と、思いもよらないリカルドの腹の奥から出た大きな声と、アラン自身どちらがより驚いているのか自分でもわからなかった。
「父さん、見た? 僕の友達、すごいだろ。いつもこんな風に強いんだよ。今みたいな勝利、彼は何回もやってのけているんだ。やっぱりすごいなあ。かっこいい」
リカルドは自分に言い聞かせるように軽くうなずきながら、キーボードを操作して文字を打ち込んだ。
―――Jugamos manana(また明日)
「父さん、おかえり」
リカルドは立ち上がって父親に抱きついた。
彼の頭は父親のちょうど臍あたりに埋まる。リカルドの年齢の平均身長だと、とっくにアランの胸辺りまで届いてもいいはずなのだが。
「ただいま、会いたかったよ、リカルド」
アランは息子の細い肩と細い腰に両腕を回して、彼の体温を確かめるようにぎゅっと強く抱きしめ返した。
9年前、父アランと母ライザの初めての子どもとしてこの世に生を受けたリカルドは、生後一カ月にも満たない時点で医師から余命宣告を受けた。
「残念ながら、この子は永く生きられないかもしれません」
アランは、そのときの情景を、今も昨日のように思い出すことができる。
そうして同時に、リカルドが今もここにいることに感謝している。
どれだけ体が細くても小さくても、リカルドは生きているのだから。
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