Under the Storm ~ a falling persimmon hut ~

四谷軒

草庵の名

 京──嵯峨野、嵐山。

 時は元禄、季節は秋。

 その秋の夜、ここ、向井去来がむ草庵は嵐に見舞われていた。


「これは、酷いな」


 去来は俳諧師はいかいしである。

 その俳諧師としての居場所を探していて、三、四年前、とある豪商の結んだ庵が嵐山にあると聞き、ひと目見て気に入り、もとめたのがこの草庵だ。


「さて、名をどうしようか」


 たとえば去来の俳諧の師である松尾芭蕉は芭蕉庵なる草庵がある。

 だが、それに倣って「去来庵」とするのも、何だか芸がない。


「庭にある四十本もの柿の木。これに因んだ名がいいか」


 そうひとりごちて、もう三、四年である。

 別に、名などなくても誰も別に困らないが、庵主である去来としては、いささか気恥ずかしい。


「もうすぐ、芭蕉先生がみちのくからの旅路から戻り、この京に来る。それまでに、何とか、がつけばいいが」



 それは、いわゆる「おくのほそ道」の旅に芭蕉が出ていることを意味する。

 元禄二年春に江戸を発ち、北関東から東北へ、東北から北陸、北陸から近畿へと向かい、最終的には、美濃大垣まで行く芭蕉。

 弟子である去来としては、その旅についていけないことは残念だが、折に触れて送られてくる芭蕉の便り──句を楽しみにする生活も、悪くない。


「さてさて、次はどんな句が来ることやら」


 この前は「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」と「波の間や小貝にまじる萩の塵」という二句が送られてきた。


「……もう秋か」


 送られてくる句で季節を知るというのもどうかと思うが、そういえばこの草庵の庭の柿──四十本ある柿の木も実をつけている。

 秋の訪れ。

 それを感じた去来は、また頭をひねって草庵の名を考える。


「……うーむ。思いつかん」



 そうこうするうちに、門をたたく音が聞こえ、出てみると、柿売りが立っていた。


「ええ柿どすなぁ」


 その初老の、びんにいささか白いのが混じった柿売りは、草庵ここの柿は実にいい柿だという。


「ぜひ、買わせてくだされ」


 京を中身として、洛中・洛外と手広く商売をしている柿売りは、今日、たまさかに嵯峨野・嵐山を訪れ、この草庵の柿を見たという。


「……ええ柿どすなぁ」


 また同じ台詞だ。

 それだけ、いい柿だというのだろう。

 去来は何だかこの柿売りのことが気に入ってしまい、それならここの柿を全部持って行ったらどうだと持ちかけた。


「えっ、いいんでっか?」


 柿売りはそこまで予想してなかったらしく、面食らった顔をしていたが、やがて商機と見たのか、懐からぜにを取り出した。


「一万貫」


「一万貫?」


「せや。これが今、わての手持ちすべてや。これすべて、出しますよって」


 大袈裟なことを言うが、商人としては正しいのであろう。

 こういうのは、機を見て買い占め、誰にも邪魔させずに売って、儲けたい。

 その一心で、柿売りは一万貫などという大金を持って歩いていると見た。


「よかろう」


 去来はうなずいた。

 この柿売りの姿勢、どことなく師の芭蕉に似ている。

 それと見ると、追求するその姿勢が。

 そう、そのまるで、嵐のように迫り、あるいは嵐の下にいるような、切迫した感じが。


「ほな、また明日」


 柿売りは明日、人を連れて柿を受け取ると言い、去って行った。



 こうして柿売りが去ったあと、去来はひとり、草庵にて夜を迎えた。


「……嵐か」


 さすがに嵐山というだけあるなと、去来は布団に入りながら思った。

 遠い祖先が南朝の皇子を護ったという去来は、大覚寺のあるこのあたりを居に選んだ。

 大覚寺はつまり、大覚寺統という皇統の名の由来になった寺である。

 そういう祖先を持ちながらも、向井家は実は開明で、外へ向く傾向があったらしく、去来の亡き父・元升げんしょうは長崎で医学を修めた医者で、語学にも堪能で、ポルトガルの科学書やオランダ人に聞き取りした医学書を著した。

 やがて元升は京に出て医師として名を成し、それだけでなく本草学者としても有名になった。


「……亡父ちちなら、こういう嵐の中にいることを、何というだろうか」


 Under the Storm、という英吉利イギリスの言葉が浮かぶ。

 向井家の子どもたちは、長男が儒医、三男が儒学者という学の道を選んだが、次男の去来は武芸を選んだ。

 それでも海外の知識に対する意欲は旺盛で、時折父に異国の物事や言葉を教えてもらうよう、せがんでいた。


「……それが今や俳諧師。わからぬものだ、人生というのは」


 それは嵐にも似ている。

 去来は兄の伝手で堂上公家に仕えたものの、何か物足りないものを感じ、致仕した。

 その後、ぶらぶらと何をするでもなく、それでいて何かがしたいという時期を過ごしていたが、やがて宝井其角たからいきかくという俳諧師と出会った。


「五、七、五、か」


 その不思議な韻律の文芸は、去来を魅了した。

 思えば、異国の言葉も、その韻律に不思議を感じ、好んでいたかもしれない。

 そうこうするうちに、江戸へ上り、師となる松尾芭蕉と出会い、去来はのちに蕉門十哲のひとりと称せらるようになる。



 ごう、ごう。

 びゅう、びゅう。


「それにしても、酷い嵐だ」


 庭の柿の木、特に柿の実が、無事であればよいが。

 布団の中でまんじりともせず、そんなことを考えた。

 そういえば、同門の野沢凡兆に手紙を出すのを忘れていた。

 凡兆は金沢出身の医者で、去年の夏、芭蕉に弟子入りしたばかりの俳諧師だ。

 非常に客観的な句を作り、去来はそれを気に入っているが、凡兆本人は頑固者で偏屈で、駄目といった句は師である芭蕉ですら退けて駄目とする、そんな傾向があった。


「……今度、凡兆と句集を作れというが、それも嵐になりそうだ」


 だが去来は楽しそうだった。

 同じような句風の者が集まるのもいいが、ちがう句風の者が集まって、やいのやいの言い合うのも、また楽しい。

 そう思うと眼が冴えて、耳も冴える去来は、ある音を聞いた。


 ぼと、ぼと。

 ぼとり、ぼとり。


「……庭の柿の実か」


 あの柿売りが、今頃泡を食っているやもしれん。

 去来はそれが、少し可哀想だった。



 翌朝。

 柿の実はすべて、落ちていた。


「後生や。堪忍や」


 柿売りは茫然自失として、そして次の瞬間にはと頭を下げた。


「銭ぃ、返したってや」


 柿売りとしては死活問題である。

 ただ、柿代だけではない。

 連れて来た人足の駄賃もある。


「このままでは、死んでも死に切れん。少しだけでも」


 大袈裟だな、と去来は苦笑し、昨日貰った一万貫、すべて返した。


「えっ、いいんでっか?」


「かまわん。柿を渡してないのに、貰う訳にはいかん」


 すると柿売りは大声で、よっしゃお前ら落ちた柿集めろやと人足に命じた。


「ほしたら、落ちた柿の実ぃの片づけはやらせてもらいます。ただし、食べられる奴は、うちの人足の、駄賃代わりにあげてもええやろか?」


「……ははっ」


 何とたくましい奴だと去来は感心した。

 そしてひらめいた。

 この草庵の名を。


「よし、いいだろう。ならばこちらも、ひとつ頼みがある」


「なんなりと」


「京の町の、凡兆という医者に、手紙を持ってってれ」


「ああ、あの、野沢さんでっか」


 安い御用やと柿売りは笑い、その声を聞きながら、去来は草庵に戻った。

 文机を前に座り、筆を執る。


「ええ、野沢凡兆どの……」


 今度、この草庵へ、奥方と一緒に(凡兆の妻も、雨紅という俳号を持つ)来ないかという誘いの手紙である。

 去来はその手紙を、こう締めくくった。


「落柿舎の去来より、と」


 以来、去来のその草庵は落柿舎と称され、現在に至る。


【了】

 


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