無力

 5月18日18時0分。

 翌日の夕方。詩郎は自分の部屋で勉強をしていた。

 一昨日、昨日とまともに勉強時間を確保できていない。焦りを感じる。参考書の問題を解いていくが、どう解いたらいいのか分からなかった。焦りからつい筆圧が強くなり、シャーペンの芯が音を立てて折れる。

 詩郎は成績がいい方ではない。こんな状態では母親に恩を返すこともできないと、焦りがさらに募っていく。

 ふと、机の上に置きっぱなしにしていた書きかけの小説の1ページが視界に入った。以前明芽に見られたものだ。勉強は正直好きじゃない。小説も書いていて楽しいことばかりではないが、勉強とは比べ物にならないくらい好きだ。

 しかし小説は費やした時間に値する見返りがあるとは限らない。対して勉強は将来への投資になることは間違いない。今自分が何をすべきかは決まっている。

 とはいえ少し休憩したかった。飲み物を取りにリビングへ向かう。

 冷蔵庫から麦茶を取り出したところで、テーブルの上に求人誌が置かれているのが目に入った。

 今も母親は本職とバイトを掛け持ちしているのに、さらに働くつもりなんだろうか。目的を忘れて自室に戻ろうとしたところで、ポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。ディスプレイを確認すると、公貴からだった。


 詩郎は公貴から体術の指導を受けていた。

 場所は以前深亜に連れてこられた基地内にある訓練場だ。一見体育館のようだが、壇上もアリーナもバスケットゴールもなかった。

「攻撃の軌道が分かりやすすぎだ」

 詩郎が右拳で放ったパンチを、公貴は自分の手に吸い込まれるかのようにやすやすとキャッチした。

「どうして当たんないんだ!」

 いらついていることを隠そうともせず、今度は左拳で放ったアッパーを放つが、

「二度も言わせるな。分かりやすすぎる」

 公貴は詩郎の動きを最初から分かっていたかのように、詩郎の横へ回り込んでかわすと同時に足払いで詩郎を横転させる。

「司。お前は自分の都合でしか戦っていない。相手がどこを攻められたら嫌かを想像しろ」

 公貴から見下され、それがそのままふたりの実力差に思えてくるのが嫌で、詩郎は上半身を起こした。

「仲間になるとは言ったけど、ここまで拘束されるなんて聞いてない」

「何を言っている。どうやらお前のパワードスーツには特殊なサジェスト機能がついているようだが、そういった機能は使用者の能力が劣っていては真価を発揮できない。力を引き出せるように訓練を受けるのは当然の義務だ」

「俺にだって、生活がある」

「このままでは社会生活を送るどころではないかもしれないが?」

「平生高校に通ってた七瀬くんみたいにうちは裕福じゃないんだよ。自己犠牲の精神を持つほど余裕はないんだ」

 公貴の言うことは間違ってはいない。仲間に加わったのも自分の意志だ。しかし、そこまでの滅私奉公を求められるとは思っていなかったし、それは自分以外の人たちでやってほしかった。

「つまり、俺の方がいい生活をしているからお前の分俺に自己犠牲を強いろと? まるで裕福なのが罪だとでも言いたいような言い草だな」

「っ……そういうわけじゃないけど」

 詩郎が言葉を詰まらせると、公貴は拳を顎の下に当て、考え事をするような仕草をした。

「ふむ、確かに俺の家は裕福だ。おそらく恵まれているだろう。しかしだからといってなぜ司に負い目を持たなければならない? 別に犯罪を犯しているわけでもないだろう?」

「……!」

 詩郎は舌打ちしたくなるのをこらえた。やはりこの男は好きになれない。

「だが、まあそこまで帰りたいのであれば俺から一本取ってみろ。そしたら帰っていい」

 公貴は構えを取り、詩郎をじっと見てくる。

 自分自身は感情を出さず、相手の感情を逆撫でしてくる。嫌な男だ。明芽と特撮トークで盛り上がっていたのも気に食わなかった。一発お見舞いしてやらなければ気が済まない。

 詩郎は駆け出すと、公貴の目の前で左足でブレーキをかけた。そして左拳でアッパー……かと思いきや、右拳を公貴の顔面に向かって放つ。

 しかしそれも読まれていたようだ。公貴の姿が見えなくなり、次の瞬間背中に痛みが走ったかと思うと天井を見上げていた。詩郎は一本背負投を受けてしまったのだ。

「どうした? 日付が変わってしまうぞ」

「クソ!!」

 詩郎は立ち上がると、今度は最初から公貴の顔面に向かって拳を放ったが、今度は両手で腕を掴まれ、横にひっくり返されてしまった。

 悔しかった。好き勝手言われた上に一本も取れない。取れる気がしない。無力感でそのまま寝そべっていると、上から公貴の声が聞こえてきた。

「起きろ」

 詩郎はその一言で起き上がったものの、公貴に背を向けて出口へ向かって歩き始めた。

「どこへ行く」

 詩郎は答えずそのまま出口を通り抜けようとすると、深亜が入ってきた。

「どうしたの?」

「俺から一本取ったら帰れるというルールだったが、一本取る前に帰ろうとしている」

 公貴が呆れたように言うと、深亜は詩郎を険しい目で見た。

「戻って七瀬君の訓練を受けて。これはあなたに必要なことなの」

 冷静な状態であれば、深亜の話に耳を傾けることができたかもしれない。しかし今の詩郎にとっては気に障るだけだった。

 深亜の言葉も無視し、詩郎はその場を後にした。


 詩郎は帰宅せずに人気のない公園のベンチに座っていた。照明も頼りなく今にも切れそうに点滅し、夜ということもあって何か出そうな雰囲気だ。

 車が通り抜けていく音以外目立って聞こえる物音はなく、意識を傾けられるものがないことで詩郎の中でフラストレーションが溜まっていく。

 自分に何度も言い聞かせる。現代において肉体的な強さは昔ほど重要ではない。現代人に大事なのは頭脳だ。しかし、それでも悔しさは薄れる気配はない。

 意味もなく公園の砂を見つめる。ただ何かに意識を集中して苛つきを誤魔化したかった。

 ふと、砂を踏みしめる音が聞こえ反射的に顔を上げると、見覚えのある顔の男がいた。即座に立ち上がり、男を睨みつける。

 赤城雅人。レジェンドブルーに変身する『ベイグラント』の一員だ。

「よう、こんばんは。お前も散歩か?」

 雅人は友達のようなノリで挨拶してきた。

「俺の後を付けてたのか」

 散歩なはずがない。きっと今のように1人になるところを狙っていたはずだ。上機嫌に見えるのもそれが理由だろう。

「あぁ?」

 表情が一転。子供ならば瞬時に泣き出しそうな低い声ともに詩郎を睨みつけてきた。

「お前、以前俺に注意されたこともう忘れたのか。ろくな大人にならねえよ、お前」

 以前のように15センチ程度の青い錐のようなものを取り出し、頭上に掲げる。雷が落ち、レジェンドブルーへ変身した。

 ろくな大人になれない。今の詩郎にとっては言われたくない言葉だった。腕に付けたガーテクターのディスプレイを見つめ、変身する。

「この前のリベンジだ」

 レジェンドブルーはレジェンダランスを取り出し、構えを取る。

 前回戦ったときは追い詰めることができた相手だ。以前と同じように右腕を変化させようとするが、一向に変わる気配がなかった。それどころか、無意識に働きかけてくれていたサジェスト機能も詩郎に語りかけてくる気配がない。

 仕方なく素手で構えを取ると、

「おい、俺をバカにしてんのか」

 覆面越しにも怒りに歪んだ雅人の顔が想像できた。

「ハ、ハンデだ」

「ならこっちもステゴロだ」

 レジェンドブルーもレジェンダランスを放り投げ、構えを取る。

 先に動いたのは詩郎だった。レジェンドブルーへ駆け寄り、パンチを放つ……かと思いきや肩を掴み後ろへ回り込んだあと、ローリングソバットを決める。

「ってえ」

 後ろからの攻撃にレジェンドブルーはよろけ倒れそうになったものの、なんとか立て直し詩郎を向き直ると、

「野郎!」

 人間とは思えないような雄叫びを上げ、詩郎へ掴みかかってくる。

 甘い攻撃だ。姿勢を落としてかわし腹へ拳を打ち込む。

 公貴から受けた指導は数時間の短いものだった。しかし不服ながらも教え方が上手かったようだ。思いの外身になっていた。

 やれる。と思いきや、レジェンドブルーは苦悶の声を漏らしながらも詩郎の両肩を掴んだ。

「らっ!」

 レジェンドブルーが狙ったのは金的だった。反射的に体が硬直してしまうが、蹴りはギリギリのところで止まり、代わりに顔面に鉄球が直撃したかのような衝撃が走る。

 頭突きを受けた詩郎はその場に崩れ落ちる。体が言うことを聞かない。視界がおかしい。

 やられる……と思ったものの、なぜかレジェンドブルーが離れていく気配がした。

「つまらねえ。お前、弱すぎて倒す価値もねえよ」

 レジェンドブルーはは変身を解いて去っていく。

 詩郎は座り込んだまま変身を解いた。

「……畜生」

 自分の無力さに、自分しかいない公園で1人つぶやいた。

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