自信喪失

 5月19日朝。

 詩郎が通学路を歩いていると後ろから明芽がやってきた。

「おはよー」

「……」

 しかし呆然としていたため明芽に気づけず、傍から見ると明芽を無視したようになってしまう。

「……その、司くん?」

 明芽の表情が不安そうなものに変わり、もう一度詩郎に声をかける。

「……あ、ごめん、潮見さん」

 今度は明芽に気づいた詩郎が明芽を見ると、何かを恐れているような顔の明芽がいた。

「あ、よかったー。挨拶しても返事しないから、私何かしたのかと思ったよ」

 詩郎が返事をするといつもの愛嬌のある笑顔に表情が変わるが、今度は詩郎の顎や唇が震え始めた。

「あ、お、おはよう。挨拶返さないなんて人間としてどうかしてるよね、ハハ」

「別に気にしなくて平気だよ。何か考え事してたみたいだしね。そんなことより」

「何?」

「ヒーローになった感想はどう?」

 明芽が詩郎に顔を近づけてくる。

 その問いに、詩郎は押し黙った。明芽は特撮ヒーロー好きなのだ。そして日頃話を合わせるために詩郎も好きだと発言していれば、肯定的に捉えられても仕方がない。

 本音を言えば、できることならば誰かに代わってもらいたかった。しかし好きな女の子を守るという任務を誰かに譲り渡すのも嫌だ。

「まだよくわからないかな」と曖昧な発言でごまかす。

「そっかー。そういえば雨越さんから聞いたんだけど、七瀬くんから訓練受けてるんだよね。順調?」

「……まあ」

 明芽と登校するのは詩郎の日常において至福のひとときなのだが、今日だけは楽しくなかった。さっきから触れられたくない話題ばかりだ。しかし明芽が嫌な気分にならないように作り笑いを浮かべて答える。

「それにしても、高校生やりながらヒーローかー。大変そう。だけど、ヒーローだもんね。それくらいの困難は乗り越えてこそだよ」

「え?」

 ガッツポーズを作って力説する明芽の発言に耳を疑った。

 確かに物語の中ではヒーローは困難にぶつかるものだ。しかし、これは現実。それに曲がりなりにも親しい……と思われる関係の人間がヒーローになったのだ。あまりにも無神経。あまりにも想像力がない。それにそもそもヒーローになんてなりたくない。自己犠牲なんて強いられたくない。

「ちょっと無神経すぎない?」

 明芽に抱いた感情は『失望』だった。深亜も公貴もこちらの事情や気持ちをまるで考えていない。仲間になりますと宣言したからといって、今日から戦いに殉じますなんてできるはずがない。

「司くん?」

「潮見さんは見ているだけだからいいけど、こっちは命をかけて戦わなきゃいけない上に勉強だってしなきゃいけないんだよ? 特撮ヒーローなんて、現実から都合の悪いところを取っ払っただけの作り物なんだ。ヒーローになるなんて、嬉しくもなんともない」

 つい口を滑らせてしまい、しまったと思ったときにはもう遅かった。

「ごめんなさい」

 明芽は走り始め、詩郎の前から去って行ってしまった。

「潮見さっ……!」

 無意識のうちに手を前に伸ばして呼び止めるも、まるで聞こえていないかのように明芽がどんどん小さくなっていく。

 最悪だ。どう考えたって嫌われてしまっただろう。

 近頃は徐々に暑くなっていく一方なのに、1人真冬の気分だった。


 詩郎がショックで呆然と1日を過ごしているうちに、気がつけば放課後になっていた。

 帰宅部の生徒たちが校門から出ていく中、ピンク髪の少女が校門を通り抜けて敷地内へ入っていく。明らかに生徒ではなさそうだ。

「ちょっと、部外者は立入禁止だよ」

 当然校門にいた生徒指導の教師が彼女の元へ駆け寄っていく。

「えー、面倒くさいなあ。別にいいじゃん」

 ピンク髪の少女――硯麻菜はだるそうに自分の髪の毛を触る。

「そういう訳にはいかん。というかなんだその髪の色は。他校の指導はどうなってるん――」

「ワタシの髪に文句あるの?」

 彼女にとって髪の色を貶されるのは我慢ならなかったようだ。全身から蔦のようなものが伸び始めて体を包み始めたかと思うと、頭頂にはピンク色の花が咲き、蔦が人型になったような姿の怪人に変貌した。蔦はただ体を覆っただけではなく、ドレスのような形を作り上げている。

「ひ、ひい……」

 生徒指導の教師は情けない声を出して後退りしたものの、

「何かの撮影?」

「そんな話聞いてないけどな」

 周りの生徒はスマートフォンを取り出して撮影をし始める者までいた。

 真菜が変身した姿――アイビセスはおもむろに鞭状の右腕を振り上げ、やや離れた場所にいる生徒たちからも風切り音が聞こえる勢いで振り下ろすと、まるでクッキーかのようにアスファルトが割れ、欠片が辺りへ飛び散る。

 そこでやっと生徒たちは撮影の類ではないことに気づいたようで、教師も含めて悲鳴を上げて逃げ出していく。

 ちょうどそこに詩郎が通りかかった。

『ベイグラント』の1人だ。逃げていく生徒たちを尻目に詩郎は確信した。

 正直戦うという気分ではない。なんでこんなタイミングで現れるんだよと内心思っていると、

「司」

 公貴と深亜が後ろから走ってきた。

「こっちに来て」

 深亜に連れてこられたのは人気のない校舎の陰だった。

「変身して2人で奴を倒すぞ」

 公貴は袖をまくりスマートウォッチを詩郎に見せ、手が震えるほど強く左拳を握った状態で拳を目の前に持ってくると、

「変身!!」

 手首を捻り、ディスプレイを見つめる。意味はあるのか分からないが、これが公貴の変身ポーズのようだ。

 公貴が変身を終えると、戦いたくはなかったが詩郎も無言でガーテクターのディスプレイを見つめ、変身する。

 2人はアイビセスの目の前へ駆け寄る。

「そこまでだ」

「あ、やっと会えたね。ワタシはアイビセス。よろしくね」

「お、俺は……あれ」

 詩郎も名乗ろうとしたが、そういえばなんと名乗ればいいのか分からなかった。まさか本名を言うわけにもいかない。

「倒す相手に自己紹介する義理はない。野焼きにしてやる」

 詩郎がなんと名乗るべきか悩んでいるうちに、公貴は両手に『ラドン』と『ヒドラ』を構えた。まずいと思ったものの、

「へえ、面白そう」

 詩郎の心配とは裏腹に激怒することはなかった。しかし。

「これでもできる?」

 アイビセスが蔦を地面に突き刺すと、地面から泥人形が何体も浮き上がってきた。少なくとも20体はいそうだ。

「やるぞ。泥遊びの時間だ」

「……」

 ガルムに続き、詩郎は無言で泥人形へ向かって駆け出す。今もやはり無意識に語りかけてくる声は聞こえなかった。

 泥人形は徒党を組み襲いかかってくる。しかし公貴は一切触らせることなく泥人形へハンドガン『ヒドラ』を撃ち込むと、泥人形は砕け散り、元の姿へ戻っていった。

 詩郎も公貴から学んだ『技』を使い、泥人形たちに触らせないよう攻撃をかわしつつ一体一体粉砕していく。以前戦ったレジェンドブルーと比べれば大した事のない敵だった。

 ただ、数の多さがとにかく厄介だ。一度捕まってしまったら、手数の濁流に飲み込まれてしまうだろう。

 そして独力ではついに限界が訪れた。目の前から「粉々にしてください」と言わんばかりに飛びかかってきた泥人形を粉砕したところで、両足を泥人形に掴まれた。見え見えの攻撃を仕掛けてきた泥人形は囮だったのだ。

「捕まえたッ!」

 両足を掴んでいた泥人形が消えると同時に、アイビセスの左下から右上へ払う鞭打が詩郎を襲う。詩郎は吹き飛ばされ、校舎の壁に叩きつけられた。

 壁にヒビが入るほどの衝撃で、詩郎が地面に倒れ込むと同時に変身が解け、腕から外れたガーテクターが地面に転がる。

 詩郎は起き上がろうとしたものの、体が言うことを聞かない。ただ、すぐそこに敵が近づいているのが分かった。――このままでは、やられる。

 しかし、その時はやって来なかった。

 おかしいと思い詩郎がなんとか体を転がして敵側へ視界を向けると、誰かが詩郎の代わりに変身し、泥人形に蹴りを食らわせていた。

 変身した何者かは首だけを動かし、詩郎を見下ろす。

「司君、大丈夫?」

「あ、雨越さん……?」

 変身していたのは深亜だった。

「あなたを死なせたりはしないから」

 再び深亜は敵の方を向いて話を終わらせると、片っ端から泥人形を粉砕し、アイビセスへ向かっていく。

 深亜の動きは無駄がなかった。明らかに詩郎よりも使いこなせている。

 アイビセスは次々と泥人形を壁にして深亜から自分を守ろうとするが、深亜の猛攻を防ぐことができず、壁に穴が開く。すかさず隙間に入り込み守るものがいないアイビセスに回し蹴りを放った。

「何こいつ」

 アイビセスは腕を使って頭をガードしたものの、ダメージを殺し切ることはできず、地面を転がる。

「……覚えてなさい」

 アイビセスは起き上がり深亜を睨みつけると、泥人形を召喚するのとは真逆に地面へ潜っていった。

「……」

 深亜はアイビセスが消えた地点にまで歩いていくと変身を解き、そしてその場に倒れ込んだ。

「雨越さん!!」

 体に鞭を打って立ち上がった詩郎と公貴が深亜の元へ駆け寄る。平時ならば絶対できなかっただろうが、状況が状況なだけに、詩郎は深亜の体を抱き起こしていた。

 深亜の口元には血が滲んでいた。詩郎が見てきた中では攻撃を受けていなかったはずなのにだ。

 深亜はガーテクターを詩郎の顔の前に掲げる。

「これはあなたにしか変身できない。あなた以外が変身すると私みたいになってしまうの。それより、人が来るから」

 詩郎がガーテクターを受け取ると、深亜はよろめきながらも自分の足で立ち上がった。

「行くぞ」

 公貴に先導され、詩郎も歩き始めた。

 自分が存在する意味ってあるのだろうか。好きな女の子には男として見てもらえず挙句の果てに酷いことを言ってしまった。勉強もできるわけでもない。そして敵とまともに戦うことができない。

 できることなら消えてしまいたかった。

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