拒絶
5月17日、朝。
詩郎が通学路を歩いていると、後ろから明芽が追いついてきた。
「司くんおはよ」
「お、おはよう」
明芽は普段と変わりない様子で詩郎に微笑んだ。いつもならば胸の奥が暖かくなってくる笑顔だが、昨日のことがあっただけに平静を装っているように見えてくる。
「今日はあったかいね」
「確かに」
普段通りの日常が続いていれば、不自然さなど全くない平穏な会話だ。しかし昨日の2人に起きたことを考えると、あえて話さないようにしている、お互いの出方を伺っているなど、言外に多くのものが含まれてしまっていた。
詩郎もそれを感じ取っていて、話すべきかこのまま他愛のない話を続けるべきなのか判断がつかなかった。
明芽は二の句を継がず、また詩郎も言葉が見つからず無言で2人歩いていると、
「おはよう」
昨日転校してきた少女、雨越深亜の声が後ろから聞こえてきた。
詩郎も明芽も緊張の浮かんだ顔で後ろを向く。深亜の後ろには、公貴もいた。
2人そろって「おはよう」と挨拶を返し、深亜たちも混ざって4人で通学路を歩く。
「単刀直入に言うね」
その一言に、詩郎の横を歩く明芽が不安そうな目で詩郎を見る。
「何」と尋ねるが、何を言われるかはなんとなく分かっていた。
「私たちの仲間になってほしい」
「…………考えさせてくれないかな」
予想通りの発言に、わざと間を開けて答える。
「それは一旦この場を凌いでなあなあにするつもりの『考えさせてくれ』じゃないよね?」
「違う」
今度は即座に否定する。その態度で真逆のことを思っていたのがまるわかりだ。
「それならいいけど」
沈黙が訪れる。まだ学校までは距離がある。気まずい。
明芽も同じだったようで、
「ふたりは――あれ」
後ろを向いた状態で立ち止まった。
「どうした」
無愛想な声と表情で公貴が尋ねる。
「七瀬くんがカバンにつけてるそれって」
公貴が肩にかけているカバンには、昆虫の顔を象形文字にしたようなロゴのキーホルダーがついていた。
「……これがどうした」
「それって覆面サンダー九天のロゴだよね?」
「……」
公貴の目が一瞬見開かれたかと思うと、
「覆面サンダーを知ってるのか!?」
明芽との距離を一気に詰めてきた。
「う、うん。私まあまあ好きなんだよね」
「覆面サンダー九天23話で九天を追い詰めた怪人の名前はなんだ」
「怪人19号ガ・ルガル。24話でギ・ルギルにパワーアップしたよね」
マニアックな問題を明芽は即答した。
「ま、まあ、好きというからにはこれくらい即答してもらわなきゃ困る」
発言内容は上から目線だが、口調からは同族に出会えた嬉しさを隠しきれていなかった。
「七瀬くんも覆面サンダー好きなんだねー。シリーズだとやっぱり九天が好き?」
「そうだな。俺が生まれる前の古い作品ではあるが、他のシリーズ作品とはまるで違う、新しい時代を作るという意志のもと、手探りで作っていたからこその『九天』にしかない雰囲気がやはりたまらん」
明芽と会話するというよりは、自分の言いたいことをただ言っているようなオタク的発言が飛び出す。しかも若干早口だ。
「うんうん。そうだよね。最近の作品と比べると地味さ古さはやっぱり感じちゃうんだけど、それが悪いかって言ったら全然そんなこともなくて、逆に最近の作品CG使いすぎじゃない? って思っちゃうくらい」
詩郎にとっては聞き続けていたい会話ではなかった。2人は楽しそうだし、公貴はなんだかんだで見てくれはいい。認めたくないがふたり並んで談笑しているのは絵になっている。できるのならば見ていたくない光景だ。
「しかも主演の司修平が後年行方不明になってしまったということも、それがまた作品に影を落とし、独特の空気を持たせていると言うな。ただそのおかげで後の作品でのゲスト出演も叶わなくなってしまったが、きれいに完結しているのに客演させたところで……」
「――ちょっと用事思い出した」
これ以上会話を聞いていたくなかった。詩郎は走り出し、3人から離れる。
「どうしたんだ?」
去っていく詩郎の背中を見ながら公貴が言い、事情を知っている明芽は視線を落とし、口を開いた。
「司修平は司くんのお父さんなの」
「……なんだって?」
公貴は明芽が覆面サンダーを好きだと知ったときよりも目を丸くしていた。
昼休み。詩郎が近くの席の男子生徒たちとお昼を食べようとしていると、公貴がやってきた。
「司。ちょっといいか」
「え?」
詩郎は困惑の声を漏らし、周りの男子生徒たちは「お前何かしたのか」という視線を向けてくるが、当の公貴はまるで気にした様子もなく詩郎をじっと見てくる。
きっと今朝の話の続きだろうとは思うが、あまり話をしたくはなかった。とはいえ断る度胸もない。
「分かった」
公貴に続いて教室を出ると、公貴は階段を上がっていく。そしてふたりがたどり着いたのは屋上へと続くドアだった。ただし普段は鍵がかけられており、生徒たちは出入りすることができない。
「鍵を借りてきた」
公貴は鍵を差し込んで解錠すると、ドアを開けて外へ出ていき、詩郎も続く。
初めて見た屋上の眺めはさほどいいものではなかった。密集した住宅やマンションが見え、ところどころ雑木林が見える。それだけの風景。ただ、それでも見通しがいい景色はそれだけでも案外気分がいいのだと気づいた。
「考えは決まったか」
今朝の深亜のように公貴も単刀直入だ。
「……」
本来ならば素直に仲間になるべきなのかもしれない。しかし現実問題として学生という本業をおろそかにはできないし、命をかけることを強いられることと同様だ。即決することはできなかった。
詩郎が答えられずにいると、
「お前はこのチャンスのありがたみを分かっていない。いいか、ヒーローになれるんだぞ?」
自分の言っていることは全ての人間に当てはまる、と言わんばかりの自信に溢れた口調だった。
公貴は覆面サンダーが好きだ。それならば選ばれることは至高のことなのだろうが、詩郎には当てはまらない。そもそもヒーローが好きではないのだから。
「そうだね」
肯定しているようにも、ただ相槌を打っているようにも見える曖昧な態度でうなずく。
「ならば迷うことはないはずだ」公貴は踵を返し、ドアへ向かおうとしたところで立ち止まり、首だけ動かして詩郎を見た。「いいか。これはチャンスなんだ。忘れるな」
そして今度こそ屋上から出ていった。
「……んなわけないだろ」
残された詩郎は意味もなく外の景色を見つめる。公貴に何を言われようが詩郎の気持ちは変わらない。頭の中で深亜たちから「仕方ない」と思ってもらえるように断れる理由を考え続けていた。
「というか鍵どうすればいいんだ」
鍵は公貴が持って行ってしまったが、開けっ放しにしておくわけにもいかない。
何でもそつなくこなせそうな雰囲気ではあるが、意外と抜けたところがあるようだ。
放課後になり、帰宅してもちょうどいい理由は思いつかず、詩郎はリビングで考え込んでいた。
彼らは再び明芽に危害を加えてくるかもしれないが、学生の自分には身に余るにも程がある。
とはいえ『好きな女の子を守る』という大義名分は、不謹慎ではありつつも本能がそうさせるのか、わずかだが心が動いてしまっていた。
「ただいま」
永久に答えが出そうにないと思っていると、裕子が帰ってきた。
「おかえり母さん。今日は早いね?」
「パートの準備があるから早めに上がらせてもらったの」
「そう」
申し訳なさと気まずさから詩郎は素っ気なく返す。
ここ最近裕子の顔から疲労の色が濃くなった気がする。しかしそれは当然のことだ。自分を養うために休みもほとんど取らず働いているのだから。
気がつけば裕子の顔を注視してしまっていた。
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ」
すかさず視線をそらすものの、
「最近一気に老けてきちゃったよね。お父さんが帰ってきても私だって気づいてもらえないかもね」と裕子は寂しく笑う。
詩郎は自分が恥ずかしくなってきていた。こんなに身近に断る理由があるじゃないか。父が帰ってくるかもしれない、という妄想のような希望にすがりながら頑張っている母親に、これ以上迷惑や心配をかけるわけにはいかない。
「何か悩んでる?」
母親に尋ねられて初めて詩郎は自分が険しい顔になっていたことに気づいた。意識して笑みを作る。
「いや、さっき解決したよ」
「なにそれ」と裕子は笑った。
夜。先日連絡先を交換していた詩郎は深亜と公貴を近所の公園に呼び出した。
「答えは決まった?」
昼間は髪の毛を下ろしていたが、現れた深亜はポニーテールにしていた。下ろしていると隠れてしまう首筋やうなじが完全に露出しており、まずい部位ではないのに見えてはいけないものを見ているような気がしてくる。
理由は分からないが、詩郎は深亜に対して明芽と似たものを感じていた。深亜は明芽とは対極の雰囲気を持つ少女だなのにも関わらずだ。
しかし今は他に優先するべきことがある。
ポケットからガーテクターを取り出し、深亜に突き出す。
「正気か?」
詩郎の決断に公貴は眉をひそめる。
「別に俺じゃなくても変身できるんだよね。俺はこんなことしてる場合じゃない」
公貴が何か言おうとしたが、深亜はそれを制して受け取った。
「確かに受け取ったよ」深亜は詩郎の目をじっと見てくる。怒っているのか、呆れているのか、表情からは読み取ることはできない。「じゃあ、さよなら」
深亜は詩郎に背を向けて歩き出し、なにか言いたそうだった公貴も後に続く。
さよなら。また会う予定のある人にも使う言葉だが、もう会うことがない人に対して『永遠の別れ』を強調するためにも使う。詩郎にはさっきの『さよなら』は後者の色合いを感じた。
「……やっぱり、別人なんだね」
深亜は横を歩く公貴にも聞こえない声量でつぶやいた。
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