転校生

 5月16日、朝。

 翌朝。詩郎は明芽と一緒に登校していた。昨日とは逆方向に、近所の高校へ向かって歩く。

「このくらいの気温が一番ちょうどいいよね。一生5月だったらいいのになー」

「でも5月って中間テストあるよね」

「あ、そっかー。でも4月はまだ寒いし6月はもう暑いし……もう中間テストなんてなくなればいいのにな~」

 肩を落とし、ぼやく明芽。朝から表情豊かだ。

 昨日は結局告白することができなかった。そしてこの想いは一生成就しないかもしれないと思うと、胸が苦しくなってきて表情が歪む。

 しかし、こうやって明芽と一緒に登校するのは好きで、もし一生5月だったら一生明芽と登校できる。もちろんありえないし意気地なしにもほどがあるが、悪くないとも思ってしまう。

 詩郎がそんな妄想にふけっていると、

「おいそこのお前」

 20代半ばくらいと思われる男2人が、詩郎たちの前に立ちふさがった。

 詩郎に声をかけてきた男の方は、服の上からでも筋肉質なのが見て取れる。やや長めの前髪の隙間から覗く目からは狂気を感じ、詩郎の本能が「まともに取り合わずに逃げろ」と警告を発していた。

 もう1人はパッと見痩せているものの、アスリートのようにただ無駄な肉がついていないだけのようだ。こちらは対照的に短髪で、筋肉質の男に比べて話はできそうだが、口端を歪め、皮肉的な笑みを浮かべている。

 詩郎は2人からこの世界の人間ではないような感覚を抱いていた。別の言い方をすれば、舞台の上に立っている俳優を見ているような……そんな感覚だ。

「……なんでしょう」

 詩郎は一歩下がって2人から距離を取る。明芽も同じように後ろへ下がり、詩郎の斜め後ろに立った。

「この女を知っているか」

 筋肉質の男はくたびれた写真を取り出すと、詩郎の目の前に突きつけた。

 人探しか、と安堵したのもつかの間、写真に写っていた人物に詩郎は目を疑った。

「ウソだろ……」

 そこに写っていたのは明芽だったからだ。背景はまるで見覚えがない場所で、髪の長さは今横にいる明芽よりは長いものの、間違いなく明芽だ。

 考えるより先に体が動いていた。詩郎は明芽の腕を掴み、走り出した。男たちの横をすり抜け、学校へ向かってひた走る。

「ちょっと、司くん」

「いいから」

 明芽の腕を掴んだまま走り続ける。

 追ってこないでくれ。もし追ってきたら一瞬で捕まってしまうだろう。後ろを見た瞬間に体を掴まれているかもしれない。後ろを向きたくなる欲求を抑えて走り続け、校門へ飛び込んだ。

 肩を上下させながら、恐る恐る後ろを向く。

 2人の姿はどこにもなかった。視界に入ったのは、朝から息が上がっている詩郎と明芽を不思議そうに見る同じ高校の生徒たちばかりだ。

「司くん」

「何?」

「ちょっと痛い……」

 今の今まで明芽の腕を握っていたことを忘れてしまっていた。

「あ、ご、ごめん!」

 慌てて手を離す。

「うん、大丈夫。でも、さっきの人たちなんだったのかな。先生に話しておいた方が良いよね」

「そう、だね」

 詩郎は気まずさから目をそらしつつも、まだ感触の残る手のひらに視線を落とす。

 彼らは一体なんだったのだろう。『不審者』の一言では片付けてはいけない気がする。しかしそれより今は、彼らが捕まるか何かするまでは登下校時に気をつけなければならないことが不安だった。


 詩郎たちが立ち去った直後。

 筋肉質の男――青崎悠一は遠ざかっていく2人の背中を眺めていた。

「なんで急にあいつら逃げ出したんだ? やはり俺のこれに恐怖したか」

 悠一は左腕を曲げて力を入れて力こぶを作り、歯を見せて笑う。

「いやいや、さっき一緒に逃げてった女の子はどう考えても写真の子だろ」

 アスリート体型の男――赤城雅人は呆れた表情で悠一の手にしている写真を指差す。

「髪型が違うぞ」

「お前髪型だけで判断してたのか。目の形とかどう考えても同一人物だろ。今どきそんなんじゃモテないぜ?」

 雅人も特に2人を追おうという気はないようだ。

「ふん。そんな軟派なもの俺にはいらん。力で理解(わか)らせればいい」

「やれやれ、これだから筋肉ゴリラは」

 雅人の態度は、悠一をバカにしているというよりは、平常運転っぷりに呆れつつも安心しているような口ぶりだ。

「そんなことより、腹が減った」

「そうだな。せっかく新しい世界に来たんだ。メシでも食いに行くか」

「うむ」

 2人は詩郎たちとは別方向へ向けて歩き出した。


 ホームルームの時間になり、担任教師の山田が教室に入ってきた……かと思いきや、今日はなぜか学年主任の田中だった。

「席についてください」

 各々素直に自席に着いていく。詩郎を含めた生徒全員の表情が「なぜ学年主任の先生が?」と言っていた。

「山田先生ですが、急病で入院することになり、急遽別の先生に担任をしてもらうことになりました。橋田先生、どうぞ」

 引き戸を開け入ってきたのは、20代後半と思われる女性だった。

 パンツルックのスーツに身を包み、長い髪を後ろで1つにまとめている。

 目は垂れ目で少し下がったまぶたが落ち着いた雰囲気と、健全な男子高校生ならば思わず甘えたくなるような色気を醸し出していた。

「山田先生が退院するまで、橋田先生に担任を務めてもらいます。では、橋田先生、よろしくお願いします」

 田中が教室を出ていき、一拍置いて橋田が口を開いた。

「はじめまして。山田先生の代理としてこの2年4組の担任になった橋田ユウリです。みんなとは一日でも早く仲良くなれたらと思ってるので、何かあったら何でも相談してください。よろしくお願いします」

 ユウリが頭を下げると、教室内に、主に男子生徒からの拍手の音が広がる。

 そして15秒ほど拍手が続いたあと、ユウリの口から予想外の発言が飛び出した。

「じゃあ、今度は転校生を紹介します。2人とも、入って」

 担任の交代に続き転校生という、さほど起こるわけではないイベントの連続に教室がザワつく中、男女二人組が入ってた瞬間、教室内が静まった。

 ある生徒は凍りついたように萎縮し、ある生徒は呆けた表情になっていた。

「今日から2年4組の新しい仲間になる、七瀬公貴(ななせきみたか)君と、雨越深亜(あめこしみあ)さんです」

 公貴と深亜は、並んでユウリの向かって右側に立った。

 まず公貴の特徴は身長の高さだ。おそらく180センチはあり、額が見えるほど髪は短く、冷めた目をしていた。高身長の公貴にその目で見つめられると、威圧感というよりは恐怖を覚える。

 そして深亜。まず目を引くのは、鎖骨のあたりまで伸びた長い黒髪だ。丹念に手入れされているようで、見事な天使の輪が見える。白い肌に対して目は真夜中の海を思わせる暗い色で、間違いなく美人ではあるものの、近寄りがたい雰囲気を持っていた。

 詩郎は公貴のようなタイプが苦手だ。あまり積極的には関わりたくないな……と思っていた矢先、目が合ってしまった。冷めた目で見つめら(睨ま)れると、見てはいけないものを見てしまったような気分に襲われる。即座に偶然目が合ってしまった感を出しつつ視線をそらす。

「それじゃあ2人には自己紹介をしてもらおうかな。じゃあまずは七瀬君から」

「七瀬公貴だ。この学校に来る前は平生高校に通っていた。よろしく頼む」

 詩郎が予想した通り、見た目通りのそっけない口調だったが、転校前に通っていた学校は予想外だった。平生高校といえば政治家の出身者が何人もいることで有名で、教室内でも「マジかよ」という声が聞こえてくる。

 続いて深亜。

「雨越深亜です。家庭の事情でいつまでいるか分かりませんが、よろしくお願いします」

 挨拶を言い終えると、深亜は丁寧に頭を下げた。仕草といい、口調といい、真面目というか、本当の自分は見せないと言わんばかりの態度だ。

 しかし、深々と雪が降り積もる夜の空気のような雰囲気を持つ彼女がそのような態度を取るのはむしろ絵になっている。

 それにしても今日はいろんなことが起こる日だと詩郎は思った。朝は変な二人組に絡まれ、担任は変わるわ、転校生が2人やってくるわで盛りだくさんだ。

 根拠があるわけではないが、まだ何か起きるのではないかとつい思ってしまうのだった。


 HRが終わると、2年4組の生徒たちは2人の転校生を取り囲んだ。公貴には主に女子生徒が、深亜には主に男子生徒が2人を中心に輪を作っている。

「雨越さんってどこから来たの? お嬢様っぽい雰囲気してるけど実は埼玉からだったり?」

「それウケるな」

「おいおい、なんで埼玉ダメなんだよ」

 深亜を囲んだ状態で他愛のない話を始める男子生徒たち。

「ごめんなさい」深亜はそっけない口調で言うと立ち上がった。「クラスメイトだからといって深く関わるつもりはないから」

 そしてそのまま教室から出て行ってしまった。

「おい、いきなりバカなこと言うから呆れられちまったじゃないか」

 男子生徒の1人が埼玉発言をした生徒を小突く。

「いいよな、あの態度。俺ファンになりそうだ……」

 別の生徒は『何か』に目覚めそうになっていた。

 そして公貴。

 取り囲んでいる女子生徒たちは公貴を質問攻めにしていた。

「七瀬くんって身長高いよね。何センチあるの?」

「平生高校ってことは勉強できるんだよね。すごい」

「彼女いるの?」

 公貴は背が高く、冷めた目は大人びて見える。やはりと言うべきか、女子生徒からの人気は高そうだ。

「……」

 女子生徒たちからの質問に答えることなく、公貴は押し黙っていた。

 ただ、深亜と違って関わるつもりがないというよりは戸惑っているようで、目が泳いでいる。

「あれ、もしかして七瀬くん緊張してるの?」

「え、かわいい」

「……っ」

 公貴は前触れなく立ち上がると、ダッシュで教室から出て行ってしまった。

 残された深亜と公貴を取り囲んでいた生徒たちの視線が合う。そして皆戸惑いの苦笑を浮かべていた。

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