ガーテクド-The Unbroken Hero-

アン・マルベルージュ

告白

 玲和(れいわ)5年5月15日19時0分。

 この日、司詩郎(つかさしろう)は同級生の潮見明芽(しおみあかめ)に告白しようとしていた。

 詩郎は明芽に気づかれないように、目だけを動かして横に座る明芽の横顔に視線を向けた。

 瞬間、心臓の鼓動が早くなっていく。

 2人が今いるのは詩郎の部屋だ。1メートルほど距離を空けてベッドに並んで座っている。

 明芽の愛嬌のある丸い目から放たれている視線は、机の上に置いてあるディスプレイに向けられていた。横から見ると、明芽の長くカールしたまつ毛がよく見える。

 ディスプレイの中では、廃工場らしき場所で2人の男が戦っていた。

 1人目は鬼が鎧を被ったような姿の怪人。もう1人は、全身タイツの上からFRP素材と思われる青い鎧を纏った姿で、額から外側へ向かって金色の角が2本伸びている。

 明芽が見ているのは、17歳の詩郎たちが生まれる前に制作された特撮番組『覆面サンダー九天(クテン)』で、青い鎧を纏った男の変身前の姿――五条丈一(ごじょうじょういち)を演じているのは詩郎の父親だ。

 詩郎は以前明芽から『覆面サンダー九天』を2周以上していると聞かされていたが、明芽の表情は、生まれて初めての動物園で未知の生き物たちに釘付けになっている子供のようだ。

 反対に詩郎は、画面の中で起きていることに関心を持つことができずにいた。そもそも特撮番組が好きではないからだ。

 代わりに夢中になっている明芽を観察する。

 明芽は後ろから見ると毛束と毛束の間からうなじが見える程度の、やや短めの髪型だ。

 丸い目との組み合わせは幼さを強調させ、なんとなく庇護欲を抱かせるが、視線を下げると戦闘力の高い2つの膨らみが視界に入った。目薬くらいなら谷間に隠せるのではないかとバカなことをつい考えてしまう。

 顔つきと胸のアンバランスさ。それが潮見明芽の魅力のひとつだ。もちろん詩郎が好きになった理由はそれだけではないのだが。

 身じろぎ1つせず物語に没入している明芽を見ていると、特撮番組が、特に覆面サンダー九天が本当に好きなのだなと、詩郎は改めて感心した。自分にはそこまで夢中になれるものがないということもあり、羨ましいとも思ってしまう。

 詩郎は特撮番組が好きではない。しかしこうやって夢中になっている明芽を独り占めにできるこの一時は好きだった。とはいえ、いつまでもこの関係に甘んじているのは嫌だった。

 エンディングテーマが流れ始めると明芽は体を後ろに傾け、ため息をついた。

「やっぱりこの回はいいなあ。アクション、ドラマ、新フォーム登場までのお膳立てまで何一つ非の付け所がないよ。当時リアタイで見てた人が羨ましくなってくるよ」

 明芽は見るからに上機嫌。今だ。詩郎が上半身を明芽に向け、話を切り出そうとしたものの、

「――ねえ司くん」

 明芽が親しみを感じさせる軽い口調で、先に詩郎の名を呼んだ。

「な、何?」

 まさか明芽から? と一瞬思ってしまったものの、自分本意すぎる妄想に慌ててその考えを意識から追い出す。

「わたし、学校の友達には特撮好きって言ってないんだよね。やっぱり、女の子が特撮好きって変でしょ?」

「え、うーん、そう……かな?」

 確かに明芽くらいの年頃の女の子で特撮ヒーロー好きは珍しい気がする。しかしかといって正直に言うのも明芽を傷つけてしまう可能性がある。そのせいでなんとも煮えきらない返事になってしまう。

「だからさ」明芽は微笑む。「これからもこうやって一緒に特撮を愛する友達でいられたら嬉しいな」

 明芽に笑顔を向けられて嫌な気持ちになる男子高校生はそういないだろう。しかし、今の詩郎にはその笑顔は絶望でしかなかった。

『女の子に一度友達というラベル付けをされてしまうと、異性として見てもらえなくなってしまう』

 以前詩郎はそのような話を耳にしていた。

 そして先ほど明芽は詩郎のことをなんと呼んでいたかと言うと、そう、『友達』だ。

 高校1年の新学期に初めて知り合い、今まで親しい関係を続けてくることはできた。しかし、今歩いている道の先には恋人という最終地点は存在しない。

 終わった。

 詩郎は肩を落とし、一緒に魂も出ていきそうなため息をつく。

「あ、ごめん。もしかして疲れちゃった?」

 心配そうな声が頭上から聞こえてきて、詩郎は反射的に顔を上げた。

「あ、いや、違うよ。ため息が出るほど九天は名作だな、って」

 こうやって変に気を使うのもおそらくよくない気がしたが詩郎が作り笑いを浮かべると、なぜか明芽が無表情で顔を詩郎に近づけてきた。

 至近距離で明芽と目が合う。催眠術にかかったかのように明芽の目から視線が離せない。心拍数がさらに上昇し、明芽にも聞こえているのではないかと思ってしまう。

「な、なに?」

 明芽に魅入られたまま、なんとか言葉を絞り出すと、明芽は詩郎の顔に手を伸ばし、前髪をかきあげた。

「……やっぱり司くんのお父さんに似てるね」

 明芽は目を細めて笑い、その笑顔は詩郎の思考回路をショートさせてしまった。

「……どうしたの?」

 石像になってしまった詩郎に、明芽は首を傾げる。

「いや、別に……というか似てないと思うけど」

 明芽の声で再起動した詩郎は、明芽から目を逸らす。

 父親に似ているとはまるで思えなかった。『覆面サンダー九天』内で詩郎の父親、司修平が演じる五条丈一は明るく、自信に溢れ、詩郎の記憶では修平は五条丈一そのもののような性格をしていたからだ。

 対して詩郎はろくに行動ができないまま今日に至り、意を決して告白しようとしたものの、結局簡単に諦めてしまうような男だ。血は繋がっているので顔のパーツ単位で見たら似ているかもしれないが、詩郎としては自分のような人間が似ているとは思えなかった。

「ううん。似てるよー」

 明芽はなおも肯定してくる。しかし、いい気分ではなかった。

「それより、時間大丈夫? 外暗いし送ってくよ」

「あ、そうだね。ありがと」

 明芽は微笑むと詩郎から手を離して立ち上がり、床に置いた鞄を取ろうとしたところで動きを止めた。

「あれ、なにこれ?」

 棚の下からはみ出ていたコピー用紙を明芽が引っ張り出すと、そこにはびっしりと縦書きで文字が印刷されていた。

「あっ」

 思わず明芽の手から奪い取ろうと手が動いたものの、さすがにそんなことはできず、途中で動きを止める。

「これ小説? 司くんが書いたの?」

 明芽が手にしているのは、以前詩郎が新人賞に応募しようとしていた書きかけの小説だ。途中で完全に行き詰まってしまい、とある小説家の『 紙に印刷してみると見えるものがある』という言葉を信じてみたものの、ダメなものはやはりダメだった。

 机の上にしばらく放置した後捨ててしまったのだが、どうやら放置していた間に1枚だけ群れからはぐれてしまっていたようだ。

「読んでみていい?」

「……いいよ」

 ダメと言うわけにもいかず渋々頷くと、明芽はコピー用紙に視線を落とした。

 わずか1枚。しかし明芽は詩郎が想像していた倍以上の時間をかけて読み終えると顔を上げた。

 何を言われるのだろうか。きっと無理にいいところを見つけようとして曖昧な感想を言われ、結果気まずくなるに違いない。

「へえ、すごいね。司くんの小説結構好きかも」

「……え?」

 反射的に明芽を見ると、表情からはお世辞ではなく、本当に思っているように見える。

「最初からはないの?」

「い、いや〜これまだ書きかけなんだよね。はは」

「じゃあ、完成したら見せてよ」

 明芽は目を輝かせ、対して詩郎は言葉を詰まらせた。もうずっと書いていないし、そもそも書く気もないのだ。しかし正直に答えたら明芽をがっかりさせてしまう。

「そ、そうだね。書き終えたら真っ先に潮見さんに見せるよ」

「ホントに? 楽しみだなー」

「もちろんだよ。楽しみにしててよ。それより、遅くなっちゃうから」

「うん、そうだね」

 詩郎は明芽を連れ、外へ出た。

 明芽の家までは徒歩5分。片側一車線の道路の左右にある歩道をひたすら歩けば潮見家だ。

 詩郎たちが住む街の住所は一応東京都なのだが、近所に畑はあるし、視線を遠くに向ければ山が見える。古くに建てられ黒ずんだ建物や、シャッターが下りたまま何年も放置された個人商店が目立ち、少なくとも『東京都』というイメージからは程遠い。

 意図的に詩郎は車道側を歩き、明芽の話に相槌を打つ。

 詩郎は小説家になりたかった。しかし今毎日書いているのは小説ではなく、参考書の回答だ。

 自分には『才能』がない。凡人の自分がどんなに技術を駆使したところで、天才が即興で書いた小説にすら敵わないだろう。

 それでも現実を受け入れずに抗い続けていたら、父親と同じようになってしまうかもしれない。

 詩郎の父親、修平には才能があったはずだと、少なくとも詩郎はそう思っていた。それでももっと才能のある人間が棲む世界では生きていけず、最終的には行方不明になってしまった。

 だから、凡人は凡人らしく、社会の歯車Aとして少しでもマシな生活が送れるように努力するべきなのだ。

「……司くん、聞いてる?」

 いつの間にか明芽をそっちのけで考え込んでしまっていた詩郎は、明芽の声で我に返った。

「あ……ごめん」

「ううん。平気。何か悩み事でもあるの?」

「いや、そういうわ」

 明芽から5メートルほど後方の道路を挟んで反対側、シャッターが降りた古びた商店のそばに誰かが立っていた気がして、詩郎は歩みを止めた。

 しかしもう一度視線を向けると誰もいない。このあたりは街灯も少ない。影を何かと見間違えてしまったようだ。

「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 意図的に詩郎は笑みを浮かべる。きっと見間違い。そう思ったものの、少しだけ心細かった。


 詩郎が帰宅すると、入れ替わりで詩郎の母――裕子が帰宅していた。女手ひとつで詩郎を養っている母親にしては早い時間だ。

「おかえり。今から準備するね。どこ行ってたの?」

 リビングに入ると、裕子がエコバッグからスーパーで買ってきたものを取り出し、テーブルへ置きながら尋ねてきた。

「潮見さんを送ってきた」

 詩郎は裕子がエコバッグから取り出したものを冷蔵庫へ入れていく。

「また一緒に覆面サンダー見てたの?」

「まあね」

「明芽ちゃん、ホント好きよね。修平さんがいつか帰ってきたら会わせてあげないと。きっと喜ぶでしょうね」

「そうだね」

 詩郎は本音のにじみ出たそっけない口調で答える。

 帰ってくるわけがない。どこかで野垂れ死んでいるに決まっている。

 ――もう行方不明になって10年近く経っているのだから。

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