飛翔

 5月20日10時0分。

 詩郎が家の前で待っていると、明芽がやってきた。

 ゆったり目のブラウスにキュロットパンツという、所謂『かわいい系』の明芽にはこの上なく似合っていて、ただ視界に入るだけで顔が熱くなってくる。

「これが『マシンハリケーン』かー。『覆面サンダー』に出てくるバイクみたいでかっこいいなぁ……」

 明芽は家の前に止めてあるマシンハリケーンを目の当たりにすると、トロンとした目で色んな角度から観察し始める。

 明芽からのお願いは、『バイクに乗せてほしい』だった。明芽の好きな『覆面サンダー』シリーズでは『サンダーマシン』と呼ばれるバイクが登場するのが恒例だ。最近のシリーズでは規制などの問題で影が薄くなってしまったが、『覆面サンダー九天(クテン)』ではバイクアクションシーンも多かった。なので、明芽がバイクに興味を持つのは全く不思議ではない。

 詩郎はヘルメットを明芽に渡すと、

「じゃあ、乗って」

 緊張から明芽の顔を見ないよう顔を伏せて言う。タンデムする際同乗者は運転手に体を密着させる必要があるが、明芽は今のような体のラインが出にくい服でも分かるほど胸が大きい。『アレ』が今から自分の背中に押し付けられる。そう思うと数%恐怖が含まれた未知の体験への期待と、不埒な感情を抱いてしまう自分への嫌悪感と板挟みになってしまっていた。

「それじゃ、お邪魔します……」明芽はバイクにまたがると、詩郎の腰に腕を回してきた。「司くん大丈夫? 苦しかったりしない?」

「柔らか……」

「え?」

「あ、いや! なんでもない。大丈夫大丈夫。じゃあ出発するね」

 背中に当たっている未知の物質の柔らかさに、理性が一瞬仕事を忘れてしまっていた。一度深呼吸をして心を落ち着けると、目的地へ向かって走り始めた。


 走り始めてから30分。詩郎はタンデムするのが初めてだったが、徐々に感覚を掴み始めていた。

 とはいえ、普段に増して対向車線や前の車を意識してバイクを走らせ続ける。今事故を起こしてしまったら明芽も確実に巻き込んでしまう。それは絶対に避けなければならないことだ。

 そしてもう一つ。運転に集中していないと明芽の体の感触に意識が行ってしまうからだ。胸の柔らかさは言うに及ばず、体を密着させているという事実につい視覚より触覚に意識が行ってしまう。

「風が気持ちいいねー」

 背中越しに明芽が背中をわずかに反らす感触が伝わってくる。

「そ、そうだね。今くらいが多分ツーリングするのにちょうどいい時期だと思う」

 明芽が喋るたびに背中の感触に意識が行ってしまうが、最初から何も触れていないと自分へ言い聞かせる。

「そうなんだ。じゃあいい時期にわたしたち喧嘩しちゃったのかもね」

「え?」

 詩郎が困惑の声を漏らすと、

「あ、ご、ごめんなさい。わたしまた変なこと言っちゃったね」

 詩郎の腰に回している手の力が強まる。

「あ、いや大丈夫だよ。全然気にしてないから」

 会話が途切れ、耳に入ってくるのはエンジン音と、前後と対向車線を走る車の音だけになる。

 それにしても謎だった。ここまで体を密着させて明芽は嫌ではないのだろうか。タンデムする場合はこれでもかと密着する必要があり、自分から乗せてと言い出したとはいえだ。

 そもそも、明芽は自分のことをどう思っているのだろうか。以前「友達」と言っていたが、言葉の綾かもしれなくて、異性として好意を持たれている可能性だってゼロではない。しかし明芽の価値観的にはタンデムするのであれば仕方がないという考えを持っている可能性もある。つまり、本人に答えを聞いてみるまで分からないということだ。

 とはいったものの、そんな勇気はなく、自分の手元にある情報で解答を試みようとしているうちに目的地へたどり着いてしまった。

 バイクを止め、今回の目的地である相模湖公園内を2人歩く。

「なんていうか……照和(しょうわ)って感じがするね」

「確かに」

 明芽の感想に詩郎も同感だった。色褪せた建物たちに取り付けられている、これまた色褪せた看板たちのデザインからは、40年前のセンスを感じるものがある。近頃はレトロブームなるものが巻き起こっているが、ここはずっと変わらずにい続けた結果最先端になってしまっただけなのだろう。

 公園内にあるゲームコーナーへ足を踏み入れると、これまた少なくともふた周りは経っていそうなアミューズメント遊具がひしめいていた。今となっては古臭さを感じてしまう、作られた時と変わらない電子音を鳴らし続けている。

「わたし多分生まれてないのに、懐かしいって感じがしてくるなー」明芽はアミューズメント遊具たちを見渡した後、何かを見つけたようで視線を止めた。「あ、あれ乗りたい。いいよね?」

 ゲームコーナーのある建物からは湖が一望でき、明芽の視線の先には湖の上に浮かぶスワンボートがあった。これまたなんとも時代の流れから取り残されたようなデザインだ。

「え?」

 あれは完全にデート専用乗り物だと言ってしまっても過言ではないだろう。もちろん大歓迎ではあるが、本当に乗っていいのだろうか。思わず詩郎は困惑の声を漏らしてしまった。

「あれ、いやだった?」

「いやいや、もちろん大歓迎だよ! さあ、行こう」

 明芽が悲しそうな表情を見せたため、意図的にテンションを上げて見せる。

 2人乗り場へ向かい、料金を払うと足漕ぎタイプのスワンボートに並んで乗り込む。ハンドルは中央に取り付けられており、どちらからでも操作できるようになっている。

 ここは男の見せ所だ。

「俺が漕ぐからハンドルは潮見さんに任せるよ」

「え? いいの?」

「もちろん。任せてよ」

 詩郎はペダルに足を置き、漕ぎ始めた……が、思ったより重かった。レンタル時間は25分。漕ぎ続けられるか不安になってきたが、言い出した手前取り消せない。意識的に涼しい顔を作って漕いでいると、明芽が体を寄せてきた。風が起き、甘い香りを感じる。これはまずい。男を狂わせる香りだ。

「ど、どうしたの?」

「こっち寄ったほうが操作しやすいかなーって」

「た、たしかに……」

 後ろから抱きつかれたときも思ったが、小さい。そして柔らかい。くっついているだけで視界に入るものがうまく認識できなくなってくる。女の子って、不思議で恐ろしい。

 もしかしてスワンボートのハンドルが中央につけられているのはこれを狙っているのではないだろうか。そう思わずにはいられない詩郎だった。


 ボートを降りると、どちらからともなく公園内を歩き始めた。

 天気はよく、詩郎たちの他に客は数えられる程度しかいない。騒音もなく静かで、うら寂しさを感じるのは否めないが、なんだか心が落ち着く。

「そういえば、どうしてここに連れてきてくれたの?」

「えっと、それは」自分で探して決めたとウソを言うべきか悩み詩郎は口ごもったが、正直に話すことにした。「あまり覚えてないんだけど、子供の頃に父さんが連れてきてくれてたみたいで」

 母親から父親はツーリングが好きで、ここにもよく来ていたと言っていた。それならば自分で変に調べるよりはハズレはないだろうという判断だ。

「へえ、ここにかつては『司修平』が何度も来ていたんだね……」

 明芽は湖を見渡し始めた。きっと頭の中でその辺りを詩郎の父親が歩いているところを想像しているのだろう。ここを選んだのは正解だったとは思いつつも、詩郎は複雑な気分を抱く。

 明芽にとっては司修平は憧れの人で、そして自分は息子だからこうやって仲良くしてくれているというのは間違いなくあるだろう。普段は「父親のようにはならない!」と考えているのに、状況によっては父親の名を利用してしまう。もし自分が他の家庭の子供だったら、ここまで明芽と仲良くなることはできなかったかもしれない……。

 そこで詩郎は考えるのをやめた。今日は折角の明芽との『デート』だ。ここまできたらもうデート以外のなにものではない。誰が言おうとデートだ。大きく息を吐き、気持ちを改める。

 ちょっと早いがそろそろお昼にでも……と思ったところで砂を踏みしめる音が聞こえ、反射的に聞こえたほうを向くと、見覚えのある風貌のサングラスをかけた男がいた。

「おお? こんなところで会うとはな。名誉挽回の機会が巡ってきたということか」

「ウソだろ……どうしてここにいるんだ?」

 詩郎は明芽を自分の後ろに隠すと、悠一から距離を取る。

「気分転換だ。お前を倒す担当から外されてしまったからな。だが、出会ってしまったのなら予定変更だ」

 悠一はサングラスを投げ捨てると、刃渡り15センチ程度の小刀を取り出し、右手で逆手に構た。

「ハラキリチェンジ!」

 右から左へ斜め下に向かって自分の腹を掻っ捌き、変身する。

「潮見さん下がってて」

「うん」

 明芽が距離を取ったのを見届けると、詩郎も左腕につけたガーテクターのディスプレイを注視して変身。即座にアーマードフォームへ二段変身する。

「その大剣。一度お前とは斬り合ってみたかった。青い奴は銃ばかりでつまらんかったからな」

 ハラキリレッドは日本刀を模した剣『カイシャクセイバー』を両手で構えると、

「「行くぞ!」」

 お互い相手に向かって駆け出し、剣と剣がぶつかりあうと甲高い金属音が辺りに鳴り響く。

 鍔迫り合いの後お互い飛び退き、相手を睨みつける。

「やるな。雅人は腑抜けてしまったと言っていたが、さすがマナを退けただけはある」

 マスクのお陰で表情は分からないが、声からは間違いなく笑っているのが分かった。

「ここで、あんたを止める」

 せっかくのデートがぶち壊しだ。命を奪うわけにはいかないが、戦闘不能にして深亜に押し付けてやる。

「本気だな。ならば、俺も本気出させてもらおうか」

 ハラキリレッドが柄を両手で握りしめて姿勢を落とすと、剣が赤く燃え上がり、刀身が3倍程度に巨大化していく。まるで熱した直後の巨大な鉄のようだ。

 ガーテクドも大剣を握りしめた手に意識を集中し、刀身が熱を持ったように輝き始める。お互い『必殺技』を放つ態勢に入ったのだ。

 一太刀目と同じく相手に向かって駆け出し、文字通り2つの『必殺技』が激突する。

 ガーテクドを目の前に溶鉱炉を突きつけられているかのような高熱と、気を抜くと吹き飛ばされてしまいそうな衝撃波が襲う。

 しかし負けられない。こいつを倒して、デートの続きをするのだから。

「うおおおおおおおおおおおおおお!!」

 大剣にさらに力を込めると、刀身がより白く輝き始める。

「なんだと……?」

 均衡が崩れたかと思うと『カイシャクセイバー』が砕け、斬撃によってハラキリレッドは10メートル近く吹き飛ばされ、地面を転がった。

 ガーテクドは勝利を確信しつつハラキリレッドの元へ向かう。必殺技対決では勝利し、武器も破壊することができた。おそらくもう戦う力は残っていないはずだ。

 しかしその予想は裏切られることになった。ハラキリレッドが立ち上がったからだ。

「はははははははは! この世界はメシもうまい上に俺を本当に楽しませてくれる」

 ダメージが残っているのか体は震えていたものの、あの一撃を受けたとは思えない大声でハラキリレッドは笑い声を上げたものの、

「だが、これ以上は俺の自尊心が許さない」

 脇を締めた状態で拳を握りしめて上に向け、雄叫びをあげる。

 そして全身が燃え始めたかと思うと、腕や腹筋がより一層マッチョになっていく。

 そしてパッと見は和風コンセプトだったにも関わらず、洋風の鎧を思わせるパワードアーマーがハラキリレッドを包んだ。肩や腕は装甲で覆われ、左手には盾を、右手には剣という半分ロボットになってしまったかのような姿だ。

 その完全にコンセプトを無視したフォルムに、

「何でもアリだな……」とガーテクドはツッコミを入れ、

「まるでアメリカのエナジーレンジャーみたい……。ちょとカッコいいかも」

 離れたところから戦いを見守っていた明芽がつぶやく。

 エナジーレンジャーとはアメリカの特撮ヒーロー番組シリーズで、日本の『スーパー戦士シリーズ』の戦闘パートを流用し、ドラマパートを現地の俳優で撮影し直すという制作方式を取っていることが特徴だ。

 エナジーレンジャーではテコ入れのために『ストラグライザー』と呼ばれるオリジナル形態が登場することがあり、元となった『スーパー戦士』のコンセプトとはかけ離れた姿になってしまうことがある。

『ストラグライザー』状態と化したハラキリレッドに、無意識に働きかけてくるサジェスト機能は警告を発していた。間違いなく、強い。

 ハラキリレッドは先ほどとは打って変わって、一歩一歩ゆっくりとガーテクドの元へ向かってくる。不気味だったが、ダメージが残っていてただ早く動けないことでハッタリをかましている可能性だってある。

 先手必勝。ガーテクドはハラキリレッドに向かって駆け出し、横一線に切り払う――が左手の盾が攻撃を防いでいた。奥の手だけあって防御力もなかなかのようだ。飛び退いて距離を取る。

 もう一度『カイシャクセイバー』を叩き折ったときと同じように大剣に力を込め、刀身が輝き始める。

 再びハラキリレッドへ斬りかかり、剣と盾が激突する。

 やったか――と思ったものの、再び防がれてしまっていた。

「嘘だろ……」

「残念ながら、これが現実だ」

 ハラキリレッドは勢いを殺し切ると、ガーテクドの胸に向かって洋剣を薙ぎ払う。

「ぐぁ!」

 胸に衝撃を受け吹き飛ばされたガーテクドは基本フォームへ戻ってしまっていた。

 一瞬冷や汗が出たものの、どうやらまだ戦えるようだ。

 迷ったものの、マッシブフォームへ変身し盾へ連撃を浴びせる。しかし盾にはヒビが入る気配すらない。

 サジェスト機能はスピードを駆使して防御をすり抜けろと指示を出してきた。基本フォームへ戻ると後ろへ回り込み、ローリングソバットを放つ。敵は反応すらしていない。これなら……と思った次の瞬間ガーテクドの顔面には裏拳が飛んできていた。

 なんとか上半身をとっさに反らし直撃は避けられたものの、めまいを起こすには十分のダメージだった。それでもなんとかハラキリレッドから距離を取り、身構える。

 防御力も、スピードも段違い。このままではジリ貧だ。

「この力を使って負けた相手は今までいない。お前を打倒した後はそこで隠れている女を連れて行くとしよう」

 再びハラキリレッドはゆっくりとした歩みでガーテクドの元へ向かってくる。侮っているわけではなく、後手に回っても倒せるという余裕の態度なのだろう。

 力が必要だ。敵の装甲を貫通できるような、一点集中可能な武器さえあれば……。

「……!?」

 力を願った直後、右腕ではなく、左腕が熱を放っていた。そして腕が溶け、再び固まっていくような感覚のあと、腕は身長近くはあろうかというパイルバンカーに変貌していた。さらに背中には小型のブースターが追加されている。

《Pile Bunker Form》

「なんだこれ……」

 思わずガーテクドは自分の左腕をまじまじと眺めていた。フォームが複数あるのはいいが、いくらなんでも統一感がなさすぎだ。無骨なアーマードフォームに対し、こちらは流線型のデザインだ。開発者は一体何を考えていたのだろう。先ほど「何でもあり」だと敵にツッコミを入れたが、自分も大概な気がする。

 それはともかくとして、これならばいけそうだ。ケリをつけて、明芽とのデートの続きへ戻る。

 背中のブースターを点火させ、地上を滑るようにハラキリレッドへ向かって突撃する。

 そして左腕を引き絞り、ハラキリレッドの盾に向かってパイルバンカーを打ち付けた。

 あたりに思いの外甲高い音が鳴り響く。

「効かん!」

「おおおお!」

 パイルバンカーは打突だけではない。これからが本番だ。叫び声とともに杭を撃ち込む。

「なんだと……!?」

 飛び出した杭は盾を貫通し、追加装甲まで達した。ハラキリレッドの鎧の全身に亀裂が入ったかと思うと、同時に爆煙が上がる。

『ストラグライザー』が解除され、元の姿に戻ったハラキリレッドは衝撃で宙を舞い、受け身を取ることもなく地面に落下した。

 今度こそ勝ちだ。降伏を勧めるべくハラキリレッドの元へ歩き出そうとすると、なんとハラキリレッドは再び立ち上がり、掌底を上空へ向かって突き出すと、

「うそ……」

「ウソだろ……?」

 ガーテクドと明芽は同時に困惑の声を漏らした。

 どこからともなく、上空に戦闘機が現れたのだ。フォルムは空力抵抗が大きそうで、いかにも変形して何かと合体しそうな姿をしている。歌舞伎の隈取のような塗装が施されており、合体したらロボの顔は白面に赤と黒の線が入っていそうだ。

「ハハハハハハハハ!」ハラキリレッドは両手に腰を当て、二度も負けたとは思えないような笑い声を上げる。「俺に真の切り札を使わせるとはな。もうここまできたら、手段は選んでいられん」

 何度切り札を出せば気が済むんだと思っていると、ハラキリレッドは丸腰で駆け出してきた。何をするつもりだとガーテクドは身構えたものの、ハラキリレッドはガーテクドの横を素通りし、

「潮見さん!」

 しまったと思って明芽の方を向いて叫んだときにはすでに遅かった。

「きゃっ」

 ハラキリレッドは明芽を脇に抱え込むと、戦闘機――ジェット・カブキに乗り込んだ。そしてみるみる上昇していったかと思いきや急転直下。機銃がガーテクドに向かって飛んできた。辺りのコンクリートが仕込まれた火薬が爆発したかのように弾ける。

 今のガーテクドに上空まで攻撃を届ける方法は存在しない。

 しかし、ここまで来たら予感があった。きっと空を飛べるフォームが存在するはずだ。若干体が重くなってきた気がする。もうあまり長くは変身していられないだろう。

「――来い!」

 足に意識を集中すると、両足が熱を持ち始め、戦闘機の後方部を縦に分割してブーツとして履いたかのような姿に変化していた。どう見ても『飛べそう』な足だ。

 明芽を助ける方法は思いつかなかったが、地上で手をこまねいていても仕方がない。

 足に意識を集中すると、足裏のバーニアが点火し、ガーテクドを空中へと打ち上げる。こんなバランスでちゃんと飛べるのかと思ったものの、絶妙な制御をしてくれているようで、思ったとおりの方向に飛ぶことができた。

 奇妙な感覚だ。まさか空をこうやって飛ぶ日が来るとは夢にも思わなかった。

 カブキジェットの後を追うように飛ぶ。やはり向こうの方が明らかに速いようで、全力で加速を付けても距離が詰まる気配がない。

 突如ジェット・カブキは反転すると、ミサイルを2発ガーテクドへ向かって撃ってきた。何か反撃を……と思ったものの詩郎は声を上げた。

「武器がない!?」

 どうやらこのフォーム自体は飛行能力しかないようだ。明芽が乗っている以上攻撃するわけにはいかないとはいえ、反撃するためには武器がなければ話にならない。

 上昇し、ミサイルをかわそうとするが当然のようにミサイルは追尾してくる。サジェスト機能に従い湖へ向かって急降下。着水ギリギリのところで旋回するとミサイルは湖に落下し、水柱が上がる。

「間一髪だった……」

 水柱を見下ろし、安心したのも束の間。今度は機銃が飛んでくる。

「くっ……」

 かわすこと自体は難しくなかったが、このままではジリ貧だ。

 焦りを抱かずにはいられなかった。このままでは、間違いなく負ける。


 後部座席に座らされた明芽は、キャノピーごしに詩郎が攻撃を受けているところを見ていることしかできなかった。

 何か特殊な技術が使用されているのか、急旋回をしてもほとんど重力を感じることがない。やはり別の世界からやってきたのは本当なのだろう。

 彼らは一体何者なのか。最初は正直のところ、画面の中の話だと思っていたことが現実に起きるようになってテンションが上がったが、それで詩郎を怒らせる羽目にもなってしまった。

 そしてさらに今、身の危険に瀕している。怖い。怖くてたまらない。無意識のうちに体を縮めていた。

 機銃を撃っているのか連続した音が聞こえ顔を上げると、被弾している詩郎が視界に入った。

「司くん!」

 思わず声が出てしまい、

「――小娘黙れ。気が散る」

 短い一言ではあったが、体の芯から凍りつくような寒気が明芽の全身を走る。

「は……はい」

 頭を垂れ自分の足へ視線を落とすが、爆発音が聞こえ、反射的に視線を外へ目を向ける。

 空中で爆発が起きていた。

「やったか」

 お約束ならば大体相手は生きているセリフだが、これは現実だ。明芽が泣きそうな顔でキャノピーへ顔を近づけると、煙の中からガーテクドが飛び出してきた。しかし、直撃は避けられたものの見るからにボロボロになっている。

 無事だったのは一安心だが、このままでは間違いなく詩郎が負けてしまう。

 明芽は一か八かの作戦に出ることにした。

 素早く体を前へ乗り出すと、目についたボタンを適当に押していく。

「貴様! 何をする!」

 怒りの滲んだ声をともにハラキリレッドは手を明芽へと伸ばそうとする。

 しかし、その手は明芽へと届くことはなかった。

「しまった!?」

 キャノピーが開き、コックピット内へ突風が吹き込み始めた。


 ミサイル同士を衝突させるという作戦に成功したガーテクドだったが、体力的に限界の予感がしていた。

 うまく回り込んでジェット・カブキに取り付く作戦を考えたが、向こうも向こうで回り込まれないように飛んでいるようだ。サジェスト機能も何も語りかけてくれなかった。

 このままでは明芽が連れて行かれると思うと、焦りで肌に不快感が生じてくる。明芽とも仲直りでき、いい調子で物事が回り始めてきたと思ったのに……。

 次の瞬間、ガーテクドは信じられないものを目にした。

 なんと空中にいるにも関わらずキャノピーが開き始めたのだ。きっと誤操作ではない。明芽がやったという確信があった。風圧で閉まらないのか、キャノピーが開きっぱなしになっていることでスピードが落ちていた。この状況なら明芽を助けにいけるかもしれない。しかし、助けたところで敵を倒せたわけではない。武器があれば。武器が。武器が。

「武器が!」

 思わず叫んだ直後。左腕が熱くなったかと思ったかと思うと、左腕がパイルバンカーフォームに変わっていた。

 どうやら、同時に複数のフォームに変身できるようだ。パイルバンカーダッシュフォームとでも呼ぶべきだろうか。

 これが最初で最後のチャンス。ガーテクドは力を振り絞り、カブキジェットへ一気に接近する。

「うおおおおお!!」

 そして後部バーニアに向かって杭を打ち付けた。瞬間爆煙が上がったかと思うと、真っ逆さまに落ち始め、コックピットから明芽がこぼれ落ちる。

「司くん!」

「塩見さん!」

 再びダッシュフォームへ戻って明芽を掴むと、地面のある場所へ向かって飛ぶ。

 めまいがしてきていた。気を抜くと体が飛散してしまいそうな感覚に耐えながら飛び続けていたものの、ついに限界が訪れた。

 不意に変身が解け、詩郎と明芽は2メートルほどの高さで勢いがついたまま地面へ落下していく。

「くっ」

 とっさに詩郎は明芽を強く抱きしめ、自分が下になって地面に落下した。肩から固い地面に落ちてしまい激痛が走ったものの、それでも明芽を離さなかった。

 痛みと疲労で身動きが取れない。しかしそれでもハラキリレッドがどうなったのか気になっていた。目だけを動かしてジェット・カブキを探すと――湖に刺さっていた。

 もしかすると、敵は無事かもしれない。だが、目を動かすだけでもいっぱいいっぱいだったのだ。立ち上がって戦う気力はない。

 そんな状況で、何者かがこちらへ向かって歩いてくる気配があった。もうダメか、と思ったものの、

「よくやった。後は俺たちに任せろ」

 顔を向ける気も起きなかったが、その声は公貴だった。

「……頼む」

 公貴がいれば、もう安心だ。気が抜けてしまい、そのまま気を失ってしまいそうだった。

「それにしても」公貴は詩郎たちを無表情で見下ろす。「随分と、仲が深まったようだな」

「え……?」

 その一言で胸に抱き続けていた少女のことを思い出した瞬間、体の柔らかさや、髪の毛から漂ってくる甘い香りが一気に詩郎の感覚を襲う。麻薬のような快感にしばらくそのまま味わっていたいと思ったものの、これはまずい状況だ。

「し、潮見さんごめん。でも、体が動かなくて……」

「……」

 呂律の怪しい口調で謝罪するものの、明芽からの反応はない。

「気を失っているようだな。もうすぐ雨越もここに来る。潮見を病院に連れて行ってもらお……」

「どうした?」

 途中で言葉を止めた公貴に詩郎が尋ねる。

「湖に落ちた戦闘機が消えていっている……」

「え?」

 湖に目を向けると、カブキジェットから粒子が舞い上がっていた。まるで蒸発しているかのようだ。

 そして程なくして跡形もなく消えた。

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