イカイザンカイ弐

黒石廉

00 再びのプロローグ

 「今年のうちに楽しんでおくんだよ」

 皆、口をそろえて、言う。

 大学四年の夏休み(とその後)は、とんでもなく大変らしい。

 実際、ゼミの先輩たちを見ているかぎり、ハードそうなのだ。

 無事内定を勝ち取った平木さんは卒論用の文献の山の中でうめいている。

 「志佐さんは、進学希望だっけ。それがいいよ。就職活動しながらとかありえないから。卒業できなかったら、内定もパーになるのに、せっせと書いた文章を積み上げていると、サイモンが金棒もってダッシュしてきて、それを蹴り飛ばすんだよ」

 賽の河原の鬼らしい。

 就職活動をしなくてもやっぱり大変らしい。進学希望の川上さんもやっぱり文献の山の中で泣いているからだ。

 「ねぇ、ふみちゃん、聞いて! 時間がいくらあっても足りないの。サイモンが英語文献の雨を降らせてくるの」

 刀輪処とうりんしょか何かだろうか。

 

 ここで鬼のように言われているサイモンなる人物は日本人だ。

 布津斎文ふつときふみという私たちの指導教員である。

 彼の名をトキフミと読める人はあまりいなくて、大抵の人はサイモンと呼ぶ。

 色白の驚くくらいに綺麗な顔、切れ長の目の中の瞳はやや赤みがかっていている。細身で長身の彼は、どこか日本人離れしたところがある。

 真っ黒な長髪を後ろで無造作にしばっていて、それが様になっているあたりは、日本人離れどころか、現実離れしているといったほうがよいかもしれない。

 その容姿のせいもあって、トキフミという読み方を知っても、大抵の人はやっぱりサイモンと呼び続ける。

 

 彼の本業は大学教員だけど、副業――といっても、一切お金が入ってこないもの――として祓い屋というものをしている。

 祓い屋がカミと呼ぶ怪異が顕現したときに、それを斬り、祓う秘密の副業。

 わたしもカミに出逢ってしまったとき、彼に救われた。

 この祓い屋、よくわからない力に選ばれるものらしく、救われたわたしは紆余曲折あって、彼の弟子となった。

 ……だけでなく、この人とつきあうことになった。

 恋愛に興味がないわけではないけれど、気になる人がいないなどと言っていた自分が嘘のように、わたしは彼にまいってしまっている。

 自慢の彼氏だ。

 とはいえ、自分の指導教員が恋人というのも、あまり吹聴していいことでもないので、自慢しようにも自慢する相手はあまりいない。


 数少ない例外は、親友のエリちゃんだ。エリちゃんのエリは名前ではなく姓だ。恵利元道子という名前だけれど、下の名前で彼女のことを呼ぶ人はいない。嫌なのだという。

 彼女もカミに出逢ってしまった一人で、わたしの恋人の副業も知っている。

 彼とはじめてデートをするときに、いろいろとアドバイスももらった仲でもあり、そのときの条件が「報告」することであった。だから、わたしはすぐに彼女に報告という形でのろけることになった。

 

 ◆◆◆


 「トキフミ? トキフミと呼んでくださいとか言ったの? あのサイモンが?」

 眼の前の子は、真っ赤な顔でうなずくと隣で寝そべる大きな毛玉に抱きつく。

 誰かを好きになることがあるのかなとか言っていた奥手な子がいきなりすごい相手をつかまえたものだ。

 あたしも毛玉と真っ赤な顔をした女の子に抱きつく。


 今日は二人きりの女子会で、彼女の家に泊まらせてもらうことになっている。

 二人きりなのは、彼女の彼氏との出会いの中には多少人には話せないようなことが混じっているからだ。

 「危ないこととないの? 変なのが周りに出てきたりしない?」

 つい聞いてしまう。

 入学式後のオリエンテーションでたまたま隣になったこのきれいな女の子は、気さくでとてもいい子だった。

 上京直後で右も左もわからなかったあたしにねぇねぇと話しかけてきた子は、大学の徒歩圏内に実家がある都会っ子の上に附属上がりだったけど、一切鼻にかけることもなかった。いい出会いをしたおかげで、あたしは都会と都会育ちの人に劣等感を感じずにすんでいる。本当に感謝している。

 そんな大好きな友だちだから、どうしても気になってしまう。

 この子の彼氏は人ならぬものと浅からぬ因縁を持つ人だ。

 彼自体はお人好しで善人だし、あたしも助けてもらったことがある。そのうえ、観賞用に最適と言われるくらいに整った容姿をしている。

 でも、そんな人と一緒にいられるのだろうか。

 心配で聞いてしまう。


 彼女は少し考えてから、「多分大丈夫。トキフミさんが助けてくれるから」と答えた。

 「心配にはならない?」

 危ない仕事をしていれば、意図せず彼女を一人ぼっちにしてしまうかもしれない。

 彼女は再び少し考える。

 「大丈夫。わたしが一緒にいるから」

 今度は、「多分」ということばはつかなかった。

 彼女がそこまで言うのならば、それは応援するのが友だちというものだ。

 あたしは彼女の横に付き従う毛玉の騎士をくしゃくしゃとする。


 「で、サイモン? 彼氏としては、どんな感じなの? やっぱ、王子様、それとも俺サマ系?」

 彼女は耳まで真っ赤になって、それから、あたしに耳打ちした。

 「え、あの顔で、そんな歯の浮くようなセリフを、会うたびにいうわけ? 大丈夫?」

 彼女は今度は首を横にふる。

 「全然、大丈夫じゃないの。毎回、心臓がどきどきしちゃって」

 ああ、ごちそうさまごちそうさま。

 あたしは毛玉の騎士に言いつけてやる。

 「ポムさん、ポムさん、あいつ、君というものがいながら、別の男に心ときめかせてますぜ」

 毛玉くんも言いたいことが山ほどあるのか、尻尾を振りながら「ウニャウニャ」と妙な唸り声をあげている。

 「ポムさんは、あんな浮気娘を捨てて、あたしと一緒になろうよ」

 「エリちゃんだって、彼氏いるじゃん? ポムすけ、騙されちゃ駄目よ。この子は触ったらやけどする魔性の女よ」

 あたしたちは困ったような顔で尻尾をゆらゆらさせるのそばでけらけら笑う。

 さぁ、まだ聞かなくちゃいけないことはたくさんある。

 「で、フミヨさん、トキフミさんは……」


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