第1話 廃病院にて

01 責苦を受くる種となり

 私を助けてくれた。

 そんなとこから私たちの関係ははじまった。


 襲われていた私を助けてくれた人。いつしか私は惹かれていった。

 彼は見るからに別世界の人だった。

 だけど、私はそんなことを気にしなかった。

 彼は女性にモテるはずなのに、私なんかに優しくしてくれた。

 少し照れながらプレゼントをする年上の男は可愛らしかった。


 彼が見せてくれた世界は、私の見てきたそれとは全く違った。

 私は少しずつ馴染んていく。

 もちろん彼のように経験を積んでいるわけではない。

 それでも、少しずつ彼の世界に馴染んでいった。

 いつかは自分もここから離れる。そのときは……。

 私は彼の手を握り、ずっと一緒と伝えた。


 ◆◆◆


 優しい人だった。

 いや、私に飽きていなかったから、優しかったのだろう。

 毎日、彼は笑顔を見せてくれた。他の人に見せる恐ろしい顔が私の前では優しく笑う。

 毎日、彼は愛の言葉をささやいてくれた。他の人に怒号を発する口は私に対しては甘いことばを発する。

 毎日、彼は優しく私を撫でる。他の人を容赦なく叩き潰す彼の手は私に対してだけ柔らかい。

 でも、今は違う。私も他の人と同じ扱い、いや、もっとひどいのかもしれない。

 ちょっとしたことで不機嫌になり、私を責め立てる。

 今日は食事の支度が遅いと責められた。

 振り回す拳は、お気に入りの皿をはねのけるだけではとまらず、頬にアザを作った。

 奥歯が少し揺れるような感覚。舌で確かめるときゅつと音を立ててかすかに動く。

 私の顔なんて、見飽きたんだろうし、もうどうでも良いのだろう。

 どうでも良いのなら、もう少し放っておいてくれないのかな。

 ごつごつした手で乱暴に体をまさぐり、満足した後はすぐにいびきをかきだす彼をながめる。

 こんな生活は嫌だ。

 それでも、ここから抜け出す方法を私は知らない。

 他の男に体をまかせても、同じようにしかならない。それだけは経験でわかっていた。

 私なんかに寄ってくるのは、みんな、こいつのようなやつばかり。

 こんな生活は嫌だ。


 こんな生活を続けていて、これまで何もなかったのは奇跡でしかなかった。

 てっきり自分には縁のない話だと思っていた。

 こない月もあったから、将来的にも恵まれないだろうと。

 私みたいなクズにはそれで良いと思った。

 すぐに拳を振り上げるクズとそこから離れられないクズ、そんなところに来るなんて罰ゲームでしかない。

 罰ゲームなんだから、はやめにぐちゃぐちゃにしてやりなおしてあげたほうが良かったのに。


 「デブだから、わかんねぇんだよな」

 あいつは、そんなことを言いながら、私の顔に煙をふきかけた。私だけじゃない。二人そろってデブになっただろう。

 「堕ろせよ」

 男なんてなにひとつわからないし、わかろうともしない。

 「お金ないし、そもそも、もう駄目だと思う」

 「だったらよ」

 あいつが拳を握りしめる。

 反射的に腹をかばって突っ伏す。

 「起きろよっ!」

 髪の毛とともに頭の皮がはがれるのではないかという痛み。

 「おねがい、おなかはやだ」

 彼の衝動は、うずくまった私にまたがることで消えたようだ。

 「まぁ、なんとかなるよな?」

 いや、なんともならないのだ。

 おまえと私がしっかりとしなければ、なんともならないのだ。

 私たちはゆっくりと滅びに向かって流されているのだ。


 ◆◆◆


 当然、病院に行くようなお金はなかった。

 日々の食費にだって困ることがあるくらいなのだ。

 私はつわりがひどいらしく、外に出ることが難しくなった。

 「ほんと、ただのブタだよな」

 ただのブタに欲情しているおまえもブタだろうに。


 そのときまで、彼か彼女かすらわからないままだったのは、ブタたちのせいだ。

 腹の中で動いていた子は、ある日、動かなくなった。

 あのブタがパチンコに行ったときに、私は必死にお腹の中から、動かなくなった子を出した。

 自分で外の世界に出ようという意思をなくし、ブタの子宮の中で腐ろうとするのは、ブタに対する罰としてふさわしいと思った。

 それでも、ブタは体から異物を出そうとした。死ねば良いのに、このブタ女。

 私が泣きながら外に押し出した男の子。腹の中でゆっくりと腐り、すでに少し顔の崩れた男の子。

 私は泣きながら、その子をタオルに包む。

 すでに少し崩れた顔を見ながら語りかける。

 あのブタはせいせいしたとか言って、何事もなかったかのように私にまたがるのだろう。

 ここでこの子を抱いているブタもバカだからすぐに忘れるのだろう。

 この子は誰にもかまってもらえず、誰の記憶にも残らず、腐っていく。

 そんなのは嫌だ。

 私はコートを着ると、包んだ子を抱えて外に出た。

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