04 打ち捨てられた診療所
結局のところ、翌日、わたしは牧田くんと
「僕はあくまで民俗学をやっている一研究者で宗教に興味はあっても、何かができるわけではありません。それでも、お祓いを生業とする人に知り合いが居ないわけでもありません。実際、信じていようと信じていまいと、このようなことを調べていると、不思議なことに出くわすこともありますしね」
斎文さんは、あくまで自分は祓い屋であることを表に出さず、牧田くんの話を聞きだしていた。
所々で相槌をうつ。そうかと思えば、話をとめて、持っている手帳にペンを走らせたりもする。
その様子は相談をうけるというよりも聞き取り調査をしているかのようで、面白かった。
こうしてみると、斎文さんは人の話を聞くのがうまい。
彼の相槌や時には大げさな身振り手振りは、この人は自分の話を聞いてくれるのだという印象をもたせる。
わたしが彼の前で色々と話をしたくなってしまうのも、この人たらしっぽいところに原因があるのかもしれない。
「なぁ、あの先生、モテモテなんやろ?」
帰り道に牧田くんが笑う。
「まぁ、あの通り、超美形だから、たぶんね……」
わたしは彼とつきあっているなんてことは、少しもにおわせないように気をつける。
「いや、あの先生、俺と中身入れ替わってもモテるで。なんか、何もかにも打ち明けたくなっちゃうような不思議なところがあるで」
牧田くんは鋭い。
「それにな、あの先生、親切だしなぁ。わざわざ祈祷師の先生に頼んどいてくれるっていうわ、その祈祷師の先生が遠方住まいだから、代わりに事前の調査を買って出てくれるっていうわ、忙しそうな大学の先生があそこまでしてくれるんやからなぁ。俺、あの人に付き合ってくれ言われたら、はいって言いそうだわ」
「バカっ!」と言いながらも頬が熱くなるのがわかる。
鋭い牧田くんがこれ以上何かを察しませんように。
◆◆◆
廃病院、あるいは「欠診療所」と呼ばれる建物は隣県の山奥にある。
関東にここまで山深い土地があるのが信じられないくらいだ。
「欠」の由来は「牧田」の「牧」の偏が欠け、「田」が欠けたからである。
ここの近くにあった集落はもはやない。
診療所が閉じて数年後には、もう誰もいなくなっていたらしいことは、事前に市史で確認をしていた。
集落が消失したあとしばらくの間は、牧田くんの話のとおり、不良のたまり場になっていたらしいが、それもいつしかなくなり、今では廃墟マニアや心霊スポットマニアが稀におとずれる場所であるらしい。ネットでは、いくらかの記述が見つかった。写真や動画におかしなものが映っていたりはしなかったが、放っておけば、そのうち何か映るようになるかもしれない。うわさと恐怖は、信仰に等しく、
「市史編さんに熱心な自治体で助かりましたね」
研究室で話しているときのような口調でつぶやくと、斎文さんはこちらを向いた。
研究者の顔なのか、それとも祓い屋の顔なのか、どちらかはよくわからない。
診療所の入口のところに設置された立ち入り防止柵は比較的新しい。
牧田くんから借りた鍵で入口にかけられた南京錠を解除して、中に入る。
雑草が伸び放題だが、中には踏みしめられた道らしきものもできている。
柵があっても、それを乗り越える者がいると牧田くんが嘆いていたし、心霊スポット探訪記事も動画も敷地内に入っていそうなものが多かった。
「使われなくなった建物は劣化がはやいというのは本当なんですね」
色褪せて塗装の剥げた壁の前にたつ斎文さんに話しかける。
彼は壁面に後から記された文字群を観察している。
「お決まりの暴走族的な縄張り標識めいたもの、肝試しにきた証、それだけでなく、ほら、これはすごいですよ。多分、呪いたい相手の名前を書いてあるのでしょうね」
様々な人のマイナスの物語がここにふきだまりのようにしてよどんでいるらしい。
斎文さんもよどみには気がついているはずだが、気にせずに窓枠から中をのぞきこむ。
窓枠はサビつき、おさめるはずのガラスは、もはや一枚もない。
「建物の鍵も借りていますから、そんなところから入ろうとしないでください」
わたしは身体を乗り入れるようにして中を観察している背中に呼びかけると、扉の前にたつ。
元からつけられていたであろうシリンダー錠はサビだらけでもう機能していない。
後付の南京錠を外す。
押しても嫌な音がするだけで、なかなか動かなかったが、後ろから斎文さんが手を伸ばすと金属のこすれる音を立てながら動く。
「斎文さん、力持ちですね」
彼の白い顔が少しだけ赤らんだ。
彼は褒められることが多かったはずだし、わたしも彼が褒められている場を目撃したことが何度もある。
そんなときは、顔色一つ変えないのに、わたしが褒めると、顔を赤くしてくれるところが可愛らしい。
見つめるわたしの視線に気がついたのか、斎文さんは「仕事中ですよ」と言ってわたしの手をとって中にいざなう。
たぶん、わたしの顔は彼よりも赤らんでいるだろう。
時が止まったかのような静寂。
あまりにも月並みな表現だが、それがぴったりであった。
控室のソファはすべて穴だらけで、座ろうとしようものなら、腰をおとした瞬間に壊れそうである。
受付に置かれた古風な呼び出しベルは錆びついて、押しても鳴らないだろう。
診察室という札の掲げられた扉を開ける。
継ぎ目が黒ずんだ、ところどころ割れたタイル、漆喰の剥げた壁は外とは違って落書きされていない。
さすがに中で落書きするだけの蛮勇をふるう者はいなかったらしい。
全体的に黄ばんだ室内は、どこかセピア色の写真を思わせる。
ただ、そこから漂ってくるのはノスタルジアではなく、埃っぽい気味の悪さだ。
診療室にあった事務机の横には空っぽの棚があった。
「ここにカルテを保管していたのでしょうね。昔の病院はどこもこんな感じだったのですよ」
カルテは個人情報の塊だ。だから放置はしていかなかったのだろう。
朽ちかけた空のバインダだけが中にはおさめられていた。
サビた骨組みの診療用ベッドの上にはさわった瞬間に崩れ落ちそうなウレタンだったものが、かろうじて残っている。
診療室の中にあるシンクには大きな穴があいている。
水は当然止まっているから、ホコリと土のようなものが穴のふちを彩っている。
すべての部屋がこの調子でホコリとサビにまみれていた。これらは、合わさってなんともいえない不気味さをかもしだしてはいたが、かといって、見た瞬間に背筋が凍りつくような不気味なものがあるわけでもなかった。
それなのにどうして、この場所はそんなに気味悪がられるのだろう。
「廃病院というと、それだけで気味悪がられるのは確かですけど、それにしても、比較的すぐに廃業した小さな診療所がどうしてここまでの心霊スポットになっちゃったんでしょうね」
わたしはそう言った後に以前から少し考えていたことを述べる。
病院とは機能している限りにおいて、人の死を日常の中にとどめる機能をもっているのではないか。
わたしたちにとって人の死は非日常であるが、病院においては、それは不幸な事柄であっても日常だ。
実際にわたしたちの大半は病院で死を迎えるのだ。
「それは民俗学的にも祓い屋的にも興味深い視点ですね。よく考えていますね」
斎文さん、いや、布津先生は微笑みながら続ける。
「民俗学的な説明としては満点です。祓い屋的な視点で言うと、この廃病院が解体を拒むまでの怪異となった何かがあると考えるべきかもしれません」
こういうときは、どうしても学生的な距離感になってしまう。
まるで講義室のようだ……。
そんなことを考えながら、ふと気がつく。
たしかに講義室なのだ。診察室ではなく、講義室なのだ。
わたしだけではない。誰かが先生を見つめているような気がするのだ。
自分は当てられないように見られないように、ひっそりと息をひそめながら送る視線。
先生、いや、斎文さんもそれに気がついているようだ。
左手に提げた刀の鍔に指をかけて、あたりを見回す。
「今のところ、何かしら誰かに見られているような気配はするのですが、向こうはこちらに何かをしようという気はないみたいですね」
「でも……」
わたしは診察用ベッドを指差す。
そのうえには、ぬいぐるみがちょこんと座っていた。
真っ白な馬のぬいぐるみ。
ホコリ一つ、ついていない。先程、置いたばかりのように。
実際、先程はなかったはずだ。
あんなに目立つものがあれば、気がつかないはずがない。
肩掛けカバンから呪符を取り出そうとするわたしの前に斎文さんがぱっと飛び出た。
「失礼っ!」
その一声とともに青い光が走る。
ただ、その光はすうっと色褪せるとぬいぐるみを壁につきとばした。
中に鈴でも入っていたのだろう。
シャリンという音だけが静寂の中に響いた。
「ぬいぐるみ自体は、カミではないですね。そして、今のところ、やはり、こちらに何かをしかけてくる気配はないようです」
刀を鞘におさめた先生はこちらを振り返ると、わたしの肩を抱く。
「ごめんなさい。どこかぶつけたりしませんでしたか?」
こんなときでも、彼の赤みを帯びた瞳に見つめられると、わたしの頬は熱くなる。
でも、だまっているとこの人はとても心配してしまう。
だから、わたしは黙って彼の胸に頭をあずける。
これで大丈夫ということだけは伝わるだろう。
斎文さんの声がささやく。
「やはり、解体業者に話を聞きに行かないといけないようですね」
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