13 怪異よりなお……
余裕を見せつけるつもりなのか、いたぶるつもりなのか。
欠診療所、いや旧牧田診療所の前にたどり着いたわたしとヨウコさんは車から降りるなり、吐いた。
口の中に嫌な酸味が広がる。
斎文さんは、わたしの背中をさすりながら、わたしの手をヨウコさんの背にあてがう。
「ごめんなさい。あの人と対峙するにしても、少しだけ準備が必要です。だから、無理な運転で急いでしまいました」
背中をさすってくれる斎文さんの手はとても温かく、ずっとそのまま身を委ねていたくなる。
けれど、わたしは彼の弟子でもある。
師匠の仕事の手伝いをしないといけない。
「大丈夫ですか?」
ヨウコさんに一声かける。
彼女が静かにうなずいたのを確認する。
斎文さんの手にすがるようにして、少しだけパワーを貰ってから、一気に立ち上がる。
彼が心配そうにわたしを見つめる。
「大丈夫ですって。今、パワーもらいました!」
わたしは笑顔をつくる。
少しわざとらしくたって、かまわない。
彼はわかってくれる。
「さぁ、準備をしましょう」
斎文さんが診療所の敷地の門の施錠を解きながらいう。
準備といっても、何をするのだろう。
彼はトランクを開けると、刀の入った居合刀袋を取り出す。袋から自分の刀を取り出した彼は、座り込んでいるわたしに袋を手渡した。
斬ってしまうのだろうか。
でも、ここで出てくる怪異は明らかにヨウコさん関連のものだ。
斬ってしまって終わりにしちゃいけない。
わたしの視線に気がついたのだろう。
斎文さんは、微笑む。
腫れた頬が動かしにくそうだ。
「それはね、保険みたいなものですよ。あるいはお守り」
だから、あなたも持っていてくださいと彼が続ける。
「まずは、あの二人が向き合わないといけない。それでも、だめでカミが暴走したら……」
斎文さんは居合刀袋を指差して、うなずいた。
「でも、どうやって、向き合ってもらうんですか。ヨウコさんはともかくとして……」
「とりあえず、お願いするしかないですよねぇ。ここには来てくれそうですから、そこから、誠心誠意お願いするってのでなんとかなりませんかねぇ」
斎文さんは、その場で円を描くように歩く。
呪法でもなんでもなく、単に緊張しているだけなのだろう。
たしかに、あの凶暴な「先輩」と対峙すると思うと緊張する。
斎文さんは、今度はわたしたちと自分の緊張をほぐすためなのか、再びとりとめのない話をはじめた。
「そういえば、佐田さん、あのセクハラおやじ、あの人ね、本当に人間やめる一歩手前なんですよ。だから、セクハラもえげつないし、僕のことをいじめるんですよ。だってね、今どきガラケーですよ。
脈絡のない「師匠」の悪口が続くなか、派手なマフラー音とともに改造バイクが突っ込んでくる。
ライトをわざわざ消しているあたり、不意打ちでも狙ったのだろうか。音でわかるから、狙うだけ無駄と言いたいところだけど、それでも、わたしたちが驚かされたことは事実だった。動けないのだから。
「さがって!」
斎文さんが、わたしとヨウコさんを抱え込むようにして車のほうに飛び込んだ。
バイクはこちらの車にぶつけるようにして、とまった。
あのままだったら、誰かが車体の間に挟まれていただろう。
足がうまく動かない。
怪我をしたわけではない。
俊足だから逃げられるなんて自慢したのに、すくんでいる。
ヨウコさんのこと、何一つわかっていなかった。
逃げる足を底なし沼のような恐怖に飲み込まれていくのだ。
カミよりも怖い。
「人間ってのは、本当にカミよりも怖かったりするものですよね」
わたしの心の声を聞いていたかのように斎文さんがつぶやく。
彼がわたしの顔を見て微笑む。
「でも、大丈夫ですよ」
彼は、地面に転がった刀を腰のところにたずさえて、前に出た。
目をぎらぎら輝かせた「先輩」がバイクから降りてくる。
いつの間にか、手には金属バットを携えている。
不摂生の塊のような身体のわりには動きが速い。
とんとんとステップするように動いたあとのフルスイング。
斎文さんは、すっとかわす。わたしは怖くてたまらない。
彼を助ける。そう言ってきたのに、現実はどうだろう。
何もできない。
何もできないまま、彼に何かがあったら。怖い。
悪意にあてられたかのように動けないわたしの前で斎文さんはもう一度、フルスイングをかわすと刀の柄に手をかけた。
祓い屋の使う刀は、怪異は斬れても人を斬れない。中はただの竹光でしかないのだ。
それなのに、彼は刀の柄に手をかける。
後ろに引いたバット。
スイング一歩手前。
滑るように斎文さんが入っていく。
刀を抜きながら柄で相手の拳を突いた。
バットが下に落ちる。
手を押さえて吠える加々見大生さんのこめかみを左手に持った鞘で打ち据えていた。
巨漢が膝から崩れ落ちた。
斎文さんは、バットを拾い上げる。
うずくまって聞くに堪えない罵詈雑言を吐き散らす加々見大生さんの前でバットを上に振り上げた。
ヒュンと振って、相手の髪の毛にあたるかあたらないかのところで止めた。
「次は本当に打ち抜きますよ……」
「ダッシュボードにガムテープが入っています」
前を向いたまま、斎文さんが言った。
「暴れられると困るので、ガムテープでぐるぐるまきにしましょう」
わたしは大生さんの足首にでたらめに何重にもガムテープを巻き付けた。
「残りは僕がやりますから」
斎文さんは、さらに容赦なくガムテープを巻き付けていく。大生さんは後ろ手に縛られてさらに腕自体もぐるぐるまきにされて、イモムシのようになってしまった。
「はがすとき……痛いでしょうねぇ」
大半は自分でやったくせに斎文さんは他人事のようにつぶやいてから、刀と鞘を拾った。
刀を鞘に収めようとするが、歪んでしまったのか、入らないみたいだ。
「ああ、せっかく師匠にもらった鞘が……あのおっさん、怒るだろうなぁ」
ぼやく斎文さんを見て、抑え込んでいたなにかが流れ出そうになった。
わたしは彼の背中に抱きついた。
ことばの代わりに涙しか出てこないわたしの手を彼が握りしめる。
彼の身体がくるりとまわり、少し腫れた顔がわたしを見つめる。
「心配かけてしまいましたね。大丈夫です。あなたは、僕が守ります。僕のことも僕が守ります。あなたを置いていったりしません」
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