15 消えていったあとに
「これで、この物語は終わりのはずです」
斎文さんは、その場に座り込んだ。
隣に座ろうとすると、彼は手のひらをこちらに見せてわたしをとめる。
そのまま、ジャケットを脱ぐと、地面に敷いた。
わたしがためらっていると、「どうせもう着れないものですから。ほら、袖が」と笑ってみせる。
肩のところで派手に破れている。
わたしはお礼のことばを述べて、ジャケットの上に腰をおろした。
「あの子はもう出てこないということですか?」
「ええ、カミを信仰し、神話を語り、経典をつづる祭司にして一番の信者がいなくなってしまいました。あとは、ヤシロとなったこの建物が解体されれば、もはや、他の人々も祈りを捧げなくなることでしょう。カミは忘れられ、消えていきます。穏やかに……」
斎文さんは、ポケットからくしゃくしゃのソフトケースを取り出すと、少しよれたタバコを取り出した。
彼は調査や仕事のときに、少しだけタバコを吸う。
「ごめんなさい」と断って、タバコに火をつけた斎文さんは、ゆっくりと煙を吸い込む。
彼は暗い夜空を仰ぐ。煙がゆらゆらと常夜灯の明かりに照らされながら上っていく。
「古代日本では煙は死の象徴であった。そんなことを前、教わりました」
わたしのことばに斎文さんは答えず、つぶやく。
「むまれしも かえらぬものを わがやどに こまつのあるをみるがかなしさ」
「あれ、誰の歌でしたっけ?」
「誰でしたっけねぇ、僕も忘れてしまいました」
生まれることすらできなかったあの子のために気の利いたことばを紡いだりはできない。
けれど、ほんの少しだけ、彼が再び出てこない程度の祈りの気持ちをささげるくらいは許されるだろう。
わたしたちはともに空を見上げた。
わたしは、いや、多分、わたしたちは少しだけ心の中で祈った。
「さぁ、帰りましょう」
斎文さんは笑顔を作ろうとして、顔をゆがめる。
殴られた傷が痛むらしい。
「せっかくの美男子が台無しですよ」
わたしは彼の顔についた血をハンカチでぬぐう。
「そうですか? 僕はあと数発殴られても、皆が振り向くくらいの美男子のままですよ」
切れ長の目の中の赤みがかった瞳がわたしを見つめる。
この人は、他の人だったら到底言えないようなことを平気で言う。
「そして、あなたも皆が振り向くくらいの美女ですよ。僕なんて、あなたから目が離せないですからね」
ほら、すぐにこんなことを続けてくるのだ。
褒められるのは嬉しいけれど、恥ずかしい。
耳が熱くなる。
このままだと心臓が口から飛び出てしまいそうなので、なんとかしないと。
わたしは必死にことばを探す。
「あれ、その割には、両手に花って言ってませんでした?」
さっき、加々見さんの注意を引きつけるために斎文さんが発したことばを繰り返す。
「あれはことばの綾というもので……」
「わたし、とても、心配だったんです」
「いや、あなただけですって」
「斎文さんに何かあったらって、とても心配で。あの人、本当に怖くて」
耳をおおっていた熱が目元にうつる。
ほっとしたせいなのか、今になって涙がとまらなくなる。
斎文さんは慌ててタバコを携帯灰皿の中でもみ消して、わたしの頬にふれる。
細い指からタバコの香りがした。
「わたしを泣かせた責任、取ってください」
彼のせいじゃない。
でも、こう言えば、大丈夫だとわかってくれる。
わたしはアカンベーと舌を出す。
「僕の笑顔だけでは足りませんか?」
「ええ、足りません。わたし、欲張りなんです」
「それは困りましたねぇ。夏のボーナスは、車の修理代でかなりもっていかれそうですし……」
斎文さんは、わたしのじゃれあいに乗ってくれる。
たしかに車の修理代はずいぶんとかかりそうだ。
「たしかに困りますね。わたし、高級品おねだりするつもりなのにぃ……」
両手を口の前にもっていって、おねだりポーズをつくる。
「金平糖買ってほしいです」
わたしは斎文さんの手を取り、その手を夜空に向ける。
彼は微笑みを浮かべると、わたしの肩を抱く。
「いいお店知っているんですよ。今度、一緒に行きましょう」
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