第17話

「3週間、ぶりくらい、かな?」


 金曜、朝からの二講義と午後に一つある講義を終えた彩矢は、成人の儀を行った金糸雀市役所へ来ていた。

 少し、トイの事で詳しく聞いてみたい疑問が出てきたのである。

 それは、ある時々にふわっと頭に浮かんだものなので、うまく説明できるかがわからない。

 けれど、成人の儀の時に司会役だった男性は、なんでも聞きに来てくださいと言ってくれていた。ならば、折角だし、自分はまだまだトイ達を知覚できるようになったばかりで、彼らの事をほとんど知らないに等しいのだからと、詳しい人に聞いてみたくなったのだ。

 今日も定位置となった彩矢の肩に乗っているトイを、周囲を見てひと気がない事を確認してから、ゆっくりと撫でてやる。

 今日のトイは特段ご機嫌でも不機嫌でもなく、フラットな様子で彩矢がどこへ連れて行ってくれるのかと市役所の建物を見据えているように見えた。

 アナタの事なんですよ、とトイが見えるようになってから随分と増えた気がする溜息をまた一つ吐いて、彩矢は入口へ続く数段ある階段を上り、大きなガラスの自動ドアを通り過ぎる。

 建物の中へと歩き進みつつも、彩矢の頭の中では気付いた疑問点についてどうやって聞いたらいいのだろうかと迷っていたため、足取りが少しゆっくりになっていた。

 そんな彩矢は目的の課がわからなくて迷っているように見えたのか、ふと視線を上げた時に目が合った受付のお姉さんが、わざわざカウンターの向こうから出てきてくれた。


「こんにちは、本日はどのようなご用件ですか?お伺いさせていただけましたら、所定の課へご案内致しますよ。」

「あ、ええと……すみません。……それじゃ、あの、術師相談課へ行きたいんですが……。」

「術師相談課ですね、わかりました。こちらへどうぞ。2階になります。階段でよろしいですか?」

「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます。」


 はきはきと明るい笑顔で案内してくれるお姉さんは、とても感じが良く、彼女の肩に乗っているトイも同じようにニコニコと笑顔で可愛らしい。

 それに静かな市役所の場の雰囲気にのまれたのか、少しだけ硬い表情になっていた彩矢のトイに向かってひらひらと手を振ってくれていて、トイも主人に倣って受付の仕事をしているのかと思ってしまった。

 お姉さんがきさくな人柄なのとこうやって案内とかしてくれるから、トイも同じようにしてあげたい、って感じなのかな。

 素敵な笑顔と彩矢を気にかけながら先導してくれるお姉さんについて歩くこと少し、二人は術師相談課のある2階にやってきた。

 お姉さんはこちらでお待ちください、と少し離れた椅子を指し示し、彩矢が座った事を確認してから、術師相談課と書かれたプレートの下のカウンターへ行き、手前の机から立ち上がってやってきた人と話し始める。

 道中で名前を聞かれていたので、フルネームをお姉さんに言ったから、それと相談があるという事を伝えてくれているのだろう。一言二言話してから彩矢の方を二人で見たので、彩矢は軽く会釈した。

 すると同じく会釈を返してくれた術師課職員だろうその人は、彩矢を確認した後、カウンターの向こう側に並んでいる机の奥の方へと行って、所謂お誕生日席に座っている、偉い人っぽい人に話しかける。

 話しかけられて頭をあげたその偉い人っぽい人の顔に、彩矢は見覚えがあった。

 あの日、彩矢の成人の儀で司会を務めてくれた小林と名乗った男性だ。


「すぐにお話を伺えるとの事ですので、しばらくそのままお待ちください。」

「あ……、あの、わざわざありがとうございます。」

「いえいえ、お気になさらず。これも職務のうちですから。」


 小林達の方へ気を取られていた彩矢は、声をかけられた事でお姉さんが近くに来ていた事に気が付いた。

 職務のうち、といいながらもお姉さんは最初と変わらずにとても優しい顔で彩矢に笑いかけてくれている。そして彼女のトイも、彩矢のトイの頭を撫でてニコニコと笑っていた。


「帰りは担当課の職員が玄関まで見送りをしますので、もし迷ったり他の課へも寄るご用件がありましたらそちらにお申し付けください。それでは失礼しますね。」

「あ、ありがとうございますっ。」


 柔らかく笑ったお姉さんは、今度はトイだけじゃなく二人で手を振りながら、階下へと続く階段へ歩いて行った。

 きっと多分、彼女の『職務のうち』には彩矢の緊張をほぐす意味合いもあったのだろう。彼女の笑顔とトイのおかげで彩矢は市役所の入口をくぐった時よりも幾分気が緩んでいた。あんな大人になりたいなぁ、と彩矢は言い足りないお礼を帰りにも言おうと思ったのだった。


 そうこうしているうちに、最初にお姉さんと話した人と、小林がカウンターから出てきて彩矢の元までやって来た。


「こんにちは、本日は私どもにご相談がおありと伺いましたが。」

「あ、はい、えと、ちょっとこの子の事で、お聞きしたい事がありまして……。」

「ああ、なるほど。わかりました、それでは、専用ブースへ移動願えますでしょうか?あちらの、あの透明な壁に囲まれた中になります。」


 小林が彩矢へ話しかけてくれたので、彩矢がトイの頭を撫でながら用件を伝えるとわかったというように頷き、2階フロアの端にあるスペースを指し示した。

 そこには、少し大き目のテーブルと椅子が4脚置いてあって、その周囲を透明な板で囲ってある。

 小林は案内してくれた職員を下がらせて、彩矢を専用ブースとやらへ先導してくれた。彼のトイは、やはり主人に倣ってか彩矢と彩矢のトイを見てニコリと笑い、小さく手を振ってこっちこっちと後をついてくるように示していた。

 近くまで来たその場所は窓に面した一角で、中からも外からも視界を遮る役割を果たすものはなく、応接セットの周りに透明な板を置きました、という、ただそれだけに見えた。


「この中は遮音の術がかけてあるのです。ウチの課へいらっしゃる方は機密書類などはありませんが、相談内容を他の方に聞かれるのを嫌がる傾向にありますので。この中ならどんな事を話していても、外に漏れることはありません。けれど、相談の内容によっては第三者の意見が必要になることもありますので、録音させていただくことをご了承いただけますでしょうか。」

「ああ、なるほど……ハイ、大丈夫、です。よろしくお願いします。」

「あとはまぁ、外聞的な意味合いもありますので……密室にうら若きお嬢さんと二人っきりになるなんて事は、お互いのためによろしくないですから。」

 小林はパッと見て30代というところだろう。そんなに歳でもなさそうに見えるけれど、だからこそ必要な措置というやつなのだろうか。

 彩矢へとやはり透明な板で出来たドアを開けつつ、苦笑を浮かべながら説明してくれる。なるほど、と彩矢は再度頷きながら、促された椅子へと座り、トイを肩から下ろしてテーブルの上に置いた両手の中に包むように抱え持った。

 ドアを閉めた小林は、自身のトイをテーブルの上に座らせて、手元に数枚の書類を持ち、彩矢へと問いかける。


「それで、本日はトイについて、でしたね。どのようなご相談でしょう?」

「あの……、ちょっとうまく説明できるかわからないんですけど……。」

「いいですよ、時間はありますからゆっくりお話を聞かせてください。」


 恐る恐るといった風に切り出した彩矢へ、小林は受付のお姉さんが見せてくれたような優しい笑顔で促してくれる。

 そこで、まとまらないながらも彩矢は少しずつ話し出した。

 


 彩矢が一つ目に感じた違和感は、友里恵の話をするようになって、小田の事をあまり苦手だと思わなくなった時だった。


 彩矢が小田と話すようになったのと同じくして、彩矢のトイが、小田のトイを避けなくなったのだ。それどころか、友里恵のトイといるときの様に、普通に遊んでいるように見えた。

 もしもトイ達が主人である人間の『分身』というカテゴリであるならば、自分とトイは似た性格であっても別個体なのだから、トイはトイで、小田のトイ相手に何か話をするなりきっかけを経てから仲良くなるという過程が必要なのではないだろうか。

 けれど、そういった行動は全く見受けられず、小田と彩矢が、正確には彩矢が小田への偏見や苦手意識を持たなくなった時に、同じように小田のトイと遊び始めていた気がするのだ。


 それに、もう一つ、彩矢が不思議に思ったのは友里恵が風邪を引いた時だ。


 あの時、友里恵のトイは彼女が体調を崩したからなのか、同じようにぐったりと蹲り休んでいた様に見えた。

 そして、その後、復調したらしい友里恵を見て安心した後に、やはり友里恵のトイを見ると、そちらも元気が戻っていたようだった。

 これだって、別個体であるなら、トイだけ元気に飛び回っていてもよさそうなものなのにそうではなかった。

 これらが示す事は。



「……という事があった時、苦手だった相手のトイと一緒に遊び始めていて。それに、友人の具合が悪くなった時に、彼女のトイが、トックスの中で同じようにぐったりしていたんです。分身だからって、体調まで同じタイミングで悪くなったりするんですか?」


 彩矢が、言葉を探りながら小林に問いかけると、テーブルの向かい側に座っている小林は、おや、というような表情をしてみせた。


「随分……早く気が付いたんですね。凄いな。珍しいですよ、小峰さんはまだ成人して一か月程、ですよね?」


 何故それをと思ったけれど、小林の手元にある書類に書いてあるのかもしれない。術師課へ相談に来た人物の詳細は揃えておくきまりでもあるんだろうか。


「ええと……はい、そうですね、ひと月経ってない、です。」

「ふむ。……そうですね、それだけお気づきでしたら少し詳しくお話させていただきましょう。」


 小林は彩矢の返事を聞いて、何度か彩矢の事が書いてあるらしい資料をトントンと指先で叩いてから、おもむろに頷いた。

 そして、テーブルに座る小林のトイの頬を優しく指先で一撫でしてから、両手をゆっくり体の前にもってきてゆったりと組む。どうやら彩矢の知らないトイの情報を教えてもらえるらしい。

 知らず、彩矢は背筋を伸ばして、小林から放たれる言葉を待つ体勢を整えた。


「大体は、今、小峰さんが仰った通りですね。主人が認めた相手はトイ達も普通に相手をするようになります。というよりも、主人の意識が変わったから、それがトイにも影響を与えた、と言った方がよいでしょうか。」

「影響。」

「ええ、そうです。

 トイはですね、我々主人、いえ、ここからは、本体、と呼ばせて頂きますね、『本体と似ているモノ』ではなく『本体の状態や心を反映しているモノ』なんです。

 ですので、本体が苦手だなと思えばそれがトイに伝わって、トイも苦手だと思う。

 本体が好ましいと思ったものはトイも同じように好きになる。

 本体の好みが変われば、それに沿ってトイの好みも変わります。

 着たい洋服や大好きなご飯を思い浮かべていると、トイはそれにつられていくし、大好きな人を目に入れ、近くへ行きたいな、と想えばトイは我慢せずに近寄っていきます。

 ああ、けれどもちろんそれだけではないんです。判断力や第六感みたいなものはトイ達も持っています。ですので、我々本体が会った事のない相手でも、トイ同士で気が合いそうだと思えば寄っていきますし、苦手そうだなと思えば避けて通ります。」


 小林が教えてくれる、トイという不思議なイキモノについての話は、確かに合点がいくものだった。

 小田のトイをあれだけ苦手そうにしていたのは、彩矢が苦手意識をもっていたからだった。

 そして、誤解が解けた後は、彩矢の中において良き友人となれたと思ったので、トイも新しいお友達ができたから、楽しく遊ぶようになった、ということらしい。



「あとは、そうですね……楽しい感情だけでなく、寂しさや悲しさといった感情も、また体調面で支障をきたした際には、そのしんどさというのも彼らに伝播します。

 なので、ご友人が体調を崩されたときは、だるさや熱によるしんどさを感じていたのかもしれませんね。

 同じように、本体が落ち込んでいたり悲しかったりしたときには、トイも悲しくなって、本体へ寄ってきて一緒にいようとします。

 生き物と触れ合う事は幸せになるでしょう?それを実行しているんですね。

 けれど、一人になりたい時や休みたい時はきちんとそれをわかっていて、トイも一人トックスに入って休むんです。」

「そんな、仕組みだったんですね……。」


 成人の儀の時には教えてもらわなかったトイ達の性質を聞いて、彩矢は情報量の多さにほうと息をついた。

 多少は予想していた部分もあったけれど、それは、なんとなく意識が伝わる程度かと思っていた。 

 自分の意識が、ほぼそのままトイへ影響するとなれば、何気なく過ごしている日常はまだ良いとしても、その時々で欲しいと思う気持ちや苦手意識、怒ったりするといった感情を自制する必要がでてきてしまう。

 だからこそ、トックスへ入っていて貰いたいシーンが、もちろん各個人によるのだろうけれど、出てくるのだろう。

 重要な取引における機密事項を扱う時や、テレビに映る俳優等がドラマを撮るという仕事等とはまた別の意味で。

 


「この事は、ある程度の方は気付くんですが、中にはまったく気が付かない人もいます。半々というところでしょうか。

 相手を思いやれる方、トイの事を可愛がってくれる方は気が付く方が多い。そして、私どもの所へ、今日の様に聞きに来てくださったり、そうでなくてもそのままのトイを受け入れてくださる方がほとんどです。

 そうして、聞きに来てくださった方々は、またトイの頭を撫で、優しい目をして見つめて、それでも、この子は自分と違うので居てくれてよかったです、と言ってくださる方ばかりでした。小峰さんも……その一人のようですね。」



 彩矢は小林の話を聞いて、ずっと抱えていたトイを自分の方へ向かせた。両手の上に乗るトイをじっと見つめると、トイは嬉しそうににっこり笑う。それを見て、彩矢は自然と心が温かくなって、心のままにふわりと微笑み返した。

 彩矢とトイが微笑みあう様子を見た小林は、安心したようにほうっと一息ついて笑顔を見せた。


「中には、それならもうこんな子居なくていい、本心なんて見られたくない、と拒否反応を示す方もいらっしゃるので……そういう方はトックスにずっと入れてしまう事が多いようです。

 けれど、オススメはしません。トックスにずっと入れられたトイは……主人恋しさに狂ってしまい、それが本体へ影響を及ぼします。

 実は、僅かながらですが、トイが本体へ与える影響というのもあるようなんですね。そして、その例として……ほんの少数ですが、トイの狂気にあてられてしまい、本体も段々とおかしな言動をするようになり、ゆくゆくは心が壊れてしまう、という方もいらっしゃいます……。」

「そんな、事が……」

「悲しい事ですが……。」


 小林は、自身のトイを優しく撫でながら、悲痛な顔を隠さずに、事実を伝えてくれた。

 本心なんて見られたくない。それはきっとどの人だってそう思うだろう。けれど、この子がいない方がいいかというと、彩矢はそんな考えは頭のどこにも残っていなかった。

 いや、まぁ、たまに思ってしまう事があるかもしれないけれど。

 でも、まだトイが見えるようになってたった三週間ほどだけれど、既に彩矢の生活において、トイは無くてはならない大事な相棒になっていた。

 一人暮らしで少し寂しいと思っていた生活が、小さなトイがいることによって大分賑やかになった気がするし、苦手な小田との色々もトイがいたから向き合う事になった、と思う。

 それに、優斗との仲が急速に近くなったのは間違いなくトイが居たからだろう。

 とはいえ……、彩矢が優斗を好きになったのは、トイがいたからでは、ないけれど。

 でも、彼が彩矢を見てくれたのは、トイがいたからではあるので、そこは感謝したい。

 毎朝の洋服決めの時は未だにどの服を着るかでなかなか意見が合わないけれど、それもまた楽しいひと時だ。

 そんな風に、彩矢がトイを見つめたまま、この三週間で起こった色々な事を思い出していたからか、どんどん変わる表情を見たのだろう、向かいに座っている小林が楽しそうにくすりと笑ったのが彩矢に聞こえた。



「良かったです。その様子だと、小峰さんの生活にトイは少なからず良い方向で受け入れてもらえているみたいですね。」

「そう、ですね。見えるようになって、大変だなって思いはしましたけど、駄目じゃないです。……いえ、良かったです。」

「……どうか、どうか、この子達を、可愛がってあげてください。」

「……はい。」


 また何か気になることがありましたら、いつでもいらしてください、と小林は朗らかに笑って言い、彼のトイもまた安心したような笑顔で彩矢のトイを撫でてくれた。



 相談という名の、トイについての説明会ともいえる時間を終えた彩矢は、小林に案内されて1階の玄関へと戻っていく。

 途中、受付のお姉さんを見かけたので、声をかけるまではしなかったものの、頭を下げて感謝の意を示すと、また優しい笑顔で手を振ってくれた。

 数刻前に市役所へ来た時の、彼女のトイがとった行動は、彼女自身が私に優しくしようと思ってくれていたからなんだ、と思い出して理解し、また彩矢は嬉しくなった。


 そして彩矢は、来た時とは違う、どこか晴れやかなすっきりとした気持ちで、深々とおじぎをする小林に見送られつつ市役所を後にしたのだった。


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