第12話

 週が明けた火曜日、この日も優斗はランチにやってきた。いつも通りの時間に軽やかなドアベルの音が鳴る。それと共に肩の上から飛んでいく自分のトイ。彩矢が顔をあげて誰が来たのか認識するよりも早いそれに苦笑するしかない。


「い、らっしゃいませ!えと、お好きなお席へどうぞ。」


 顔をあげて確認したお客はやはり優斗で、彩矢の顔を見てニコリと笑いかけてくれた。優しい笑顔に胸の高鳴りを覚えつつ、彩矢はいつものご挨拶を口にする。

 彼を見ると、まだ少しどもってしまう。それでも日曜日に二人で沢山話をしたからだろうか、先週彼が来た時と比べて、彩矢の胸のドキドキが大分マシになっている気がする。

 とはいえ、緊張は減ったけれど、頬に熱が集まってしまうのは止められない。

 そりゃ、まぁ……優斗さんかっこいいし、あんな風に笑ってくれるの、嬉しいし……。

 色々言い訳しつつ、なんだかんだ言って、成人の儀の前から気になっていた優斗がやはり彩矢に笑いかけてくれていた事や、彩矢ともっと話をしたいと思ってくれている事が解ったので、嬉しいのだ。

 夜に自分の部屋で思い出しては、ニヤニヤしてしまい、トイに頬をつつかれてしまった位には。

 そんなトイだって、優斗のトイを認めてすぐに飛んでいくのだから、彩矢の事を言えないだろうにと苦笑する。いいんだけどね、楽しそうだし。トイ達が楽しそうにしてるのは、彩矢としても優斗と自分の相性の良さを確認できて、ある意味安心出来るので良い事だろう。

 彩矢のトイが優斗のトイの手を引いて一緒に飛んでいるのを苦笑しながら見た優斗は、彩矢の声かけによって店内を見まわして、足を進めた。

 きっと優斗さんはあの窓際の席だよね。

 彩矢の予想通りというか、優斗はやはり定位置となっている道路側窓際の二人掛けのテーブルに腰を下ろした。

 それを確認して、彩矢はトレーにお冷とおしぼりをもって歩み寄る。


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」


 今度は噛まずにちゃんと言えた、と安堵しつつ、彩矢はトイ達を避けてお冷とおしぼりを置き、優斗へ聞いた。


「いつもの、ブレンドとBLTで。」


 優斗は笑顔を崩さずに、柔らかく少し低めの声で淀みなく答えた。

 やっぱり一番好きなのはBLTなんだな、と心のメモに書きとめながら、彩矢は伝票に書き入れつつ、復唱する。


「それでは、少々お待ちくださいませ。」


 彩矢は、テーブルの上で優斗のトイと遊ぶ自分のトイを連れていくことはとっくに諦めているので、自分だけカウンターへ戻ろうとペコリと一礼した。


「ああ、そうだ彩矢ちゃん。」


 上体を上げたタイミングで話しかけられ、少し見上げるように優斗を見る。


「はい、なんですか?」

「あのさ、今度の日曜、待ち合わせとか決めてなかったよね、ごめん。」


 優斗は次の日曜に水族館へ行こうという話はしたけれど、肝心の詳細をまったく決めていなかった事を申し訳なさそうに話し出した。

 いやまあ、その話をしたときは、彩矢も慌てていたのと、次の約束ができた事に浮かれてもいて忘れてしまっていたので、お互い様である。


「そういえば……。大丈夫です、私も忘れてましたから。えっと、何時くらいにしましょう?私は朝から大丈夫ですけど。」

「それじゃ、10時に駅前にしよっか。朝早い方が人は少ないけど、あんまり早いと支度が大変だよね?」


 ホッとした顔を見せた優斗は、きっとここに来るまでの間に先に考えてくれていたのだろうか。彩矢の支度とかまで考慮した時間をすぐに示してくれて、ますます彩矢の中の優斗への気持ちが大きくなっていく。


「わかりました、あの、ありがとうございます。」

「え、ああ、いやいや、これくらいがいいんだってずっと聞いてたから。こないだ言ったっけ、姉貴達がさ、デートだって言う度に、待ち合わせ時間が早いとか相手に対する愚痴を言ってたのを散々聞いてきたもんだから覚えちゃったんだよね。」


 なるほど、お姉さん達の諸々事情も込みでしたか。それでも、そうやって女性側の事情をちゃんと聞いておいて、汲み取ってくれる優斗はやはり優しいし気が利く事に違いはない。


「ふふ、お姉さん達のお話が役に立ちましたね。」

「うん、まぁ、聞いておいてよかったなと思ったよ。」


 少しぶっきらぼうに言う優斗だけれど、お姉さん達や家族を大事に思っているのは日曜の話の中でも窺えた。きっと姉弟の仲は良かったのだろう。


「それじゃあ、10時に駅前で。楽しみだね。」

「はい!」


 他のお客もいる手前、あまり大きな声はよくないけれど、嬉しさからついつい声量があがってしまう。あっ、という顔をして首をすくめながら口元を抑えた彩矢に、人差し指を立ててシーと小さく言う彼は少し悪戯っ子の様だ。

 また新しい顔が見れた、と彩矢はどきっと胸が高鳴る。

 ああ、もう、どうしよう。これはもう、やっぱり、そう、なのかなぁ。

 今度こそ、ペコリと素早く一礼してからカウンター内へ戻ると、一連の様子を見ていたらしいニヤニヤした店長と美弥子に出迎えられた。


「んもー、かわいいなぁ」

「ちょ、やめてください、美弥子さん。店長オーダーいつものです。」

「はいよ、了解。」

「えー?あたしはあの子の事を言ったのよ?」


 美弥子が視線で示した先には、優斗の見つめるテーブルの上で、自分のトイが嬉しそうに優斗のトイときゃらきゃらおしゃべりしていた。

 あの子はあの子で、もうどうしようもないなぁと彩矢は息をついた。あなたのご主人は私なのよと思うけれど、またきっと優斗が帰るまでは彩矢の元には帰ってこないに違いない。


「見てるだけなら、可愛いですよねぇ。」

「なあに?まだまだ見えるようになったばっかりなのに、もう疲れちゃった?」

「いやー、なにかと面倒じゃないですか?相手するの。」

「解らなくもないけど、これから先ずっとだからね、程々に距離を取りつつ、相手をしたりしなかったりが一番だよ。トックスもうまく使ってね。」


 そういえば、と彩矢は箱(トックス)の存在を思い出した。成人の儀で貰ったきり、部屋の棚に置かれっぱなしだ。


「大事な商談の時や、この子達に知られたくない事がある時に使えって言われただろうけど……。それだけじゃなくてね、たまにどうしても一人になりたい時とかも躊躇わずに使った方がいい。人間(ヒト)はイライラしたり気分が落ち込んでる時とかは、どうしても身近なものにあたってしまうから。双方のために、一人を選ぶときもあっていいんだ。」


 なるほど、とカウンターの上に座る店長と美弥子のトイを見つつ神妙な顔で頷きながら、彩矢は店長からの助言をありがたく聞く。


「まぁ、彩矢ちゃんは当分そんな事にならなさそうよね?なんたって幸せいっぱいだもの。」


 重い話になりかけたところで、美弥子が茶々をいれてくる。ここはバイト先の店内で、まだお客さんも沢山いて、込み入った話をする場所ではないのだと思い出した。

 美弥子はタイミングよく話を切り替えるのがうまい。彩矢も見習いたいところだ。


「幸せかどうかはさておき、肝に銘じておきますね。あ、皿洗いやっちゃいます。」


 シンクの前に移動して、水を出しながら彩矢は先ほどの話を振り返った。

 箱(トックス)かぁ、今度のデートに一応持って行った方がいいかな?でも別に、隠すような事するわけじゃない、よね。いやいや、ないから!ない!から!

 彩矢は一瞬頭を過ぎった妄想を振り払うように頭をブンブン振って、シンクの中の洗い物へと集中するのだった。




 水曜、彩矢は友里恵と二人、レポートのための調べものをするべく、図書館へとやってきていた。

 提出期限は金曜だから、明日バイトのある彩矢としては、今日中に仕上げねば少々大変になってしまう。少なくとも、下書きくらいは書き上げないと。

 トイを頭の上に乗せ、参考文献を友里恵と何冊か手分けして自習用の机に運んでいたら、どこで知ったのか、本棚の間を縫って小田がひらひらと手を振りながら顔を見せた。小田自身は見えていない彼のトイも、小田の頭の上で同じようにヒラヒラと手を振っていて、仕草は可愛いし何の罪もないけれど少々憎らしく思えてきてしまう。

 なんでこんなタイミングで、と顔をしかめてしまった彩矢を誰が責められようか。


「やっほー彩矢ちゃん、友里恵さん。」


 一応場所に配慮してか、声は小さめだけれど、いつもの軽い感じは変わらなくて、彩矢は少し腰が引ける。


「ね、彩矢ちゃん、今度さ俺とどっか出かけない?」


 彩矢は視線をテーブルの上に積み上げた本へと戻した。トイが参考文献リストの本を覗き込んでいるのだ。小田の手前、あまりトイが居る事を悟られたくないと思いつつも、トイ達の邪魔しないように違う本を手に取る。すると、友里恵は気にせずにトイが覗き込んでいた本を取って見始めた。

 トイ達は特に気分を害してはいないらしく、他の本をまた興味津々で覗き込み始める。

 ああ、なんだ別にいいのねそういうのは。

 友里恵といるとトイの扱い的にとても参考になるし助かると彩矢は非常にありがたく思っていた。


「いや、バイトもあるし。レポートも忙しいから出かける暇ないです。というか、ここ図書館だし静かにしないと追い出されるよ。」


 彩矢の行動に疑問を持つでもなく、隣に座って頬杖をつきこちらを見ている小田は、動く気が無さそうだ。ちゃんと返事をしないとならないらしいと諦めて、彩矢は溜息をつきつつ断りの返事を返した。


「つれないなぁ、友里恵さんもそう思わない?」


 ああ、トイがまた読みたい本の上にいる。でもそうか、別にいいんだったと気にせず手に取ってトイをころりと転がした。

 少しだけじろりと睨まれたような気もするけれど、スルーよスルー。今は小田君もいるんだし。


「べつに、彩矢の自由でしょ。無理強いするのはカッコ悪いなと思うだけよ。」


 小田と友里恵の会話が進んでいるのを耳にだけいれておきつつ、そちらもスルーしたかったけど、なんだか不穏な気配がしているような。ちょっとそろそろ止めた方が良さそう?静かな図書館での会話はどこまで聞かれているか知れたものじゃない。


「無理強いじゃなきゃいいんだ?」

「そりゃ、無理矢理じゃなくて本人の意思がちゃんとあれば、あとは好きにしたらいいんじゃない。」

「ゆりちゃん、それは勧めてるのか止めてるのかどっち……?」


 どう止めようかとタイミングを測っていた彩矢も、流石にちょっとと思い咄嗟に口を挟んだ。けれど、それが良くなかったのか、二人共の矛先が彩矢へ向かってきた。

 さらには、手元でページを捲っている本の上に彩矢のトイが乗ってきて、見たい箇所が見られない。


「彩矢の気持ち次第、ってことよ。」

「だってさ。彩矢ちゃんどう?今週末とか。」


 小田は変わらずに彩矢を誘ってくるし、友里恵は彩矢とトイのやりとりが見えていて彩矢がもどかしそうにしているのがわかっているだろうに、さらに助長させるような言い方をしてくる。


「あーもう!っとと、すみませーん。……だから、行きませんって、言ってるでしょう。どっちみち今週末は予定があるから無理です。そろそろ本気で静かにしないと追い出されちゃうから。」


 しつこく誘ってくる小田とトイの行動でイライラが溜まってしまった彩矢は、思っていたよりも大きな声を出してしまい、慌てて周囲からの刺さるような視線を感じ腰を低くして謝った。

 これ以上うるさくすると、本当に追い出されかねない。彩矢は手元のレポートに視線を落として言外に小田へどこかへ行ってくれと示す。

 場合によっては司書さんにお願いすることもやぶさかではないかもしれない。このまま追い出されてはなんのために図書館に来たのかという話になってしまう。

 つれない彩矢の様子に両手を上げて肩をすくめるポーズをとった小田は、おどけるようにそれじゃまたねと言い残して去っていった。小田のトイもまた、彼の背を追うようにして飛んでいく。


 彩矢は机の上で彩矢の大きな声に一瞬肩を震わせたトイをあやすようにひと撫でした。

 それから去っていく小田の背を見送って、また、は、無くてもいいのにと呟いてしまったけれど、聞こえたかはわからなかった。



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