第2話
彩矢は少し寂しさを胸に抱えつつ、ガラス製の自動ドアへ向かっていた。
今日は、彩矢達6月後半に生まれた成人する人々が集められて、成人式が行われる日である。
もしも予定が合わなければ個別でも翌月でも受けられるらしい。けれど、店長と美弥子に聞くと絶対に予定された日に他の人と一緒に受けた方がいいと何度も念押しをされてしまった。あまり遅くなるのも良くないらしい。その日のうちに詳しく日程を聞かれ、成人式の日はバイトは休みでいいとすぐさま決められてしまう始末。
どうして二人がそんなにも強く言ってくるのかはさっぱり分からないけれど、日頃穏やかに諭してくれる店長と言い方はキツくても優しい美弥子がそこまで言うのだから、一人で受けたり、遅くなったりすると何かと不都合があるのだろう、と彩矢は思う事にした。
とはいえ、寂しい、と思っていたのは、また別の事である。今日の成人式とはまったく関係なくて……あの、喫茶ひといきにいつもやってくる、常連の彼の事だった。
美弥子と店長にからかわれた翌日は彩矢のバイトは休みだったので、友人達にたまには行こうよと誘われたこともあって、ショッピングへ出かけた。
裾がひらりと波打つ可愛いフレアスカートを見つけて何気なく手に取った時、ふと彼の顔が彩矢の脳裏に浮かんできた。彼が何事かを言いながら、このスカートを履いた自分を見て優しく笑っている。あり得ないその状況にぼぼっと頬に熱が集まり、咄嗟にブンブンとその面影を振り払った。そんなタイミングで、それ似合いそう、可愛いねと一緒に来ていた友人の彼氏に褒められたことで、余計に顔が真っ赤になってしまったのはあまりにも恥ずかしい記憶だ。
結局、そのスカートは買ってしまった。いやいや、ほら、スカートが可愛かったから、ね。それを履いた自分を見てもらえるかな、なんて思ってませんよ。と言い訳しながら。それにバイトの時間は制服代わりのエプロンをつけているし、その下のスカートはそんなに分からないでしょ。とさらに言い訳を付け加える。
なんのかんのと理由をつけつつ、それでも新しい服は気分もあがるし、と一日休んだ後のバイトへそのスカートを履いて行ったのだけれど。
いらっしゃいませ、といつも通りいつもの時間に出迎えたその日の彼は、なんだかいつもと違ってよそよそしかった。
お好きな席へどうぞ、と決まり文句を口にしてもありがとうと目を見て笑ってくれたのに、うん、ハイ、とふいっと視線をそらされてしまう。注文を聞いても、爽やかな笑顔は少し曇り気味で、こちらを見ようとしない。極めつけは、注文の品を持っていくと、小さく、ともすれば聞こえないかという位の声でありがとうというと、すぐにもそもそと食べ始めてしまい彩矢の存在なんてそっちのけだった。
あんなに目を合わせてにっこりと笑ってくれていたのに、どういった心境の変化なのか。
しかしあちらはお客様、こちらはただのバイト店員。文句を言う筋合いなどなく、何も言わずに引き下がるよりほかはなかった。
そうして、結局その日はレジ打ちから彼が退店するまで一度も目が合う事は無かったのだった。
さらに言えば、残念なことにその日以降、昨日まで、ずっと彼の態度が変わらず、そっけないまま。
数日前のバイトの時までは、あんなに素敵な笑顔でほんの少しの時間とはいえ、にこやかに声をかけてくれたのに、一体彩矢が何をしたというのだろう。
シクリと胸の奥が痛んだ気がするけれど、とそこまで考えてから、いやいや待って待って!と先日とは違った意味で頭を振った。
胸が痛むとか、いや、ほら、ねぇ。
き、気になる、だけだし!別に好きとかそういうんじゃなくて!優しく笑顔で話しかけられてたらそりゃ良い印象を持つでしょ!ね!と自分に言い聞かせるように、スカートの時のような言い訳をぽんぽんと重ねてゆく。
それに、そう!今日は大事な成人式の日だし!といつもとは違う場所ーー市役所ーーの会議室へ案内されながら入った彩矢は、放っておけばまだまだ考えては感情が上下して煙を噴きそうな頭を切り替えた。
それなりに早めにきたけれど、既に何人かが椅子に座って待っている。彩矢と同じようにどこか周囲の様子を窺いつつ待つ人や、連れと仲良さそうに話す人達、黙々と手元の文庫本に視線を落とす人など様々だ。
会議室に置かれた椅子には番号が振られているらしく、彩矢は手元の受付番号を見やる。規則正しく順番に並んで座っているその最後尾の番号を確認してから彩矢も腰を下ろすと、持ってきていた小説をとりだし、時間まで静かに待つことにした。
ちらちらと腕時計で時刻を気にしつつ、正直に言って内容が全く頭に入っていない小説
をパタンと閉じる。
ここにいるのは、皆今月で成人を迎える者達ばかり。気弱そうな青年、可愛らしい少女のような女性、スポーツ系の活動をしているのだろうかがっしりとした体格の男性等、様々だ。
常連の彼は、やっぱり少し大人びてるな、なんて最初に目をやった気弱そうな青年と脳裏に描いた眼鏡の彼を比べてしまう。彼はいくつなんだろう、少なくとも二つか三つは年上に見える、いや、社会人生活に慣れていそうだし、もう少し上……?とそこまで考えて、ハッとする。いやいや、今は彼の事を考えてる場合じゃないでしょ。
さっきまでは、これから一切の謎に包まれた成人式を迎えるという緊張でドキドキしていたはずなのに。今日の朝に戻ったみたいに、また、あの彼の事を考えた故のドキドキになってしまって、彩矢は強めにブンブンと首を振って彼の笑顔を脳裏から消そうと試みる。
あまりに力が入っていたからか、隣の人に少し引かれた気がした。
まぁどうせ今日この時しか会わない人なのだし、いいやとスルー。それよりも、このドキドキと、絶対に赤くなっているであろう顔をなんとかしなければ。
落ち着かない心を鎮めるべく深呼吸をし、頬のほてりをもっていた小説でぱたぱたと仰いでなんとか平静を取り戻してきた彩矢は、周囲の喧噪に気が付いた。
先ほどよりも、室内のざわめきが増えている。慌てて腕時計を見るともう始まる5分前だ。小説をバッグにしまい居住まいを正しながらサッと背後を見ると、椅子はもう全て埋まっていた。今日成人する全員がきちんと集まったらしい。別に彩矢が気にすることではないはずだけれど、それでも遅刻したりする人がいない事実にちょっとだけホッとして、どこか晴れやかな気分で正面に向き直る。
これから始まるのは一生に一度の大事な成人式だ。大人の誰に聞いても何をするのか、どんな風に行われるのかは全く教えてもらえなかった。ただ皆口をそろえて言うのは『とても大事なんだよ』『市役所の人が全部やってくれるから、がんばりなさい』とだけ。
周りの同級生に聞いても、やっぱり皆知らなかった。大学二年になってから、成人を迎えた一つ上の先輩に聞くと『うん……がんばれ、だけ、かなぁ』とやはり激励というかなんとも言えない視線とともに力なく応援されてしまって、余計に困惑した記憶がある。
なんにせよ、大事な式であるらしいし、市役所職員が全て滞りなく済ませてくれるというのだから、あとは待つのみ、とふうと一つ息を吐いた。
そのタイミングで、前方の扉から何人かの職員らしき人々がどやどやと入室してきた。そろそろ始まるらしい。
やっと、待ちに待った成人式が行われる。彩矢はどきどきする心を隠そうともせずに、口元を綻ばせた。
ここへ来るまでに感じていたあの少しの寂しさは、これから始まる未知の体験に意識を向ける事ですっかり頭の隅へと追いやられたのだった。
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