第12話  燻る!

 僕は、テーブルの前のハガキの束を前に俯いていた。ハガキは式・披露宴の招待状だった。これを発送したら、本当に戻れない。招待状を送れるまでに、準備も進んだ。進んでしまったのだ。僕は、何十回かわからないため息をついた。テーブルの向かいには、ヘラヘラと笑っている愛子がいた。


「何がおかしいねん?」

「何もおかしくないよ」

「ほな、なんで愛子はずっと笑ってるねん?」

「いよいよ、挙式が現実的になってきたから、なんか嬉しいねん」

「愛子はいつも気楽やな、僕はため息しか出えへんわ」

「なんで、そんなこと言うの?」

「愛子は、この招待状の重さをわかってるんか?」

「わかってるよ」

「これを送ってしまったら、もう後戻りは出来へんのやで」

「後戻りなんかせんでもええやんか」

「前から言うてるけど、今みたいに毎日ヒステリーを起こされたら、僕は離婚するで。ほんまやで。冗談とちゃうで。もう耐えられへんもん。それなのに、結婚しようとしてるんやで、この重さがわからないという愛子のことがわからんわ」

「ヒステリーなんか、もう起こさへんもん」

「愛子、“もうヒステリーは起こさへん”って今までに何回言うた?」

「そんなん、もう過去のことやんか」

「もう、ほんまに別れるで。ヒステリーに僕は耐えられへんからな」

「大丈夫、大丈夫」

「僕は、愛子のその軽さが気になるねん。なんでそんなに軽いん? やっぱり結婚の重み、わかってへんやろ?」

「わかってる、わかってる」

「愛子は、大学卒業と同時に結婚するとか、ウエディングドレスを着たいとか、そんな願望だけで動いてるやろ? 相手は僕じゃなくてもええんとちゃうか?」

「そんなことないで、崔君やから結婚したいんやで」

「でも、内心、“恥をかかされた”って怒ってるんやろ?」

「それは、もうええわ。結婚の準備も順調やし」

「僕、離婚になるのがわかってて結婚するのがツライわ」

「なんで、離婚になるって決めつけるの?」

「だって、愛子が変わらへんから。なんだかんだ、毎日、ヒステリーを起こすし」

「大丈夫、大丈夫」

「寮から引っ越しもせなアカンなぁ」

「新居も決まったやんか」

「決まってしまったなぁ。ほんまにこのまま結婚してもええんやろか?」

「崔君、招待状は明日送るで」

「……わかった」



 僕は、或る金曜日、沙那子を食事に誘った。


「結婚する前に、今まで料理を作って来てくれたお礼に食事をご馳走したいから」


と言ったら、笑顔で了承してくれた。沙那子の車を沙那子のマンションに置いて、沙那子を僕の車に乗せて走った。僕は飲まないから運転手でいいのだ。


「店、決めてる?」

「いや、あんまり店を知らんから、沙那子さんに決めて欲しいねん。値段は気にしなくてええから、雰囲気のいい店がええなぁ」

「ほな、私が崔さんと行きたい店へ」

「それで決まり。ナビってや」


「結婚前やから誘ってくれたんですか?」

「うん、もう独身の時間は限られているからね。ずっと、お礼をしたかったけど、結婚してからやと不倫みたいやから」

「うまくいってないんやろ?」

「うん、やっぱりわかる?」

「うん、だって、崔さんが悩んでるのわかるもん。どんどん暗くなっていくし」

「本当は婚約も解消したかった。僕等はアカンわ。時間の問題や」

「そうなんや」

「沙那子さんと結婚したかった。出会うのが遅かった」

「私も崔さんと結婚したいわ」

「差し入れしてくれたカレーとか、弁当とか、めっちゃ美味しかったで。嫁の手料理は不味いからなぁ」

「そうなんや、料理が下手な奥さんってツライなぁ」

「僕は、愛子と婚約する前に沙那子さんに出会ってたら、沙那子さんと結婚していたと思う。神様は意地悪や。愛子と婚約してから沙那子さんと出会うなんて」

「私の印象は良かったんや」

「印象は良いに決まってるやんか。本当、出会うタイミングが悪かったね」

「ほな、今日、これからホテル行く?」

「めっちゃ行きたい」

「行く? ええよ」

「でも、それやと沙那子さんに失礼やから我慢するわ」

「私のことは気にしなくてもええで。相手が崔さんやったらOKやから」

「結婚前の一晩だけの繋がり、沙那子さんのことが好きやから、そんなことはしたくない。沙那子さんを抱くなら、離婚してから抱きたい」

「私のこと、そんなに大事に考えてくれてるの?」

「うん、勿論。沙那子さんに子供を産んでほしいくらい、沙那子さんが好きやから」

「ほな、待ってるわ」

「うん、きっと沙那子さんを抱ける日が来ると思うから」

「ほな、その時に」

「うん、愛し合おう」



 僕は、マンションまで沙那子を送った。


「1個だけお願いしてもええかな?」

「何? キス?」

「キスしたら抱きたくなるから、ハグ」

「抱いてもええのに」

「沙那子さん……」

「崔さん……」


 僕達はただ抱き締め合った。僕は心地よかった。ずっとこうしていたいと思った。


 でも、別れなければならない時間になる。僕は、車を走らせて寮まで帰った。



 タイミングがいいのか? 悪いのか? スグに社員旅行があった。挙式までの、最後の息抜きだった。







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