第9話  愛子に恨まれる!

 愛子は変わった。僕も変わった。愛子は、“スグに一緒に暮らすことになった”と周囲に言いふらし、暮らせなくなったことが恥ずかしいと、僕を恨むようになった。愛子は、“恥をかかされた”と何回も言う。僕は、“今、一緒に暮らすのは無理やから誰にも言うな”と言ったのに、勝手に言いふらして、勝手に“恥をかかされた”と主張する愛子に腹が立って仕方がなかった。要するに、お互いに腹を立てていたのだ。


 愛子は僕を恨み、僕は僕を恨む愛子を憎み始めた。そのくせ、電話は毎日だ。残業の後、僕は早く寝たかった。正直に言うと、迷惑だった。しかも、電話で、いつまで経っても“恥ずかしい”とか、“恥をかかされた”と恨み言を繰り返す。僕は返事もしなくなっていた。今思えば、この時点で僕達は終わっていたのだと思う。だが、当時は忙しくて深く考えることも出来なかった。視野が狭くなっていたのだと思う。


 或る日、僕は電話で言った。


「もう、別れよか?」

「え?」

「愛子は僕を恨んでる、僕はそんな愛子に腹が立っている、このまま付き合ってもええことないで。別れた方がええっていうこともあるやろう? 勇気の必要な決断をせなアカン時が来たんとちゃうか?」

「そんなん、私が困るわ」

「なんで? なんで困るの? 愛子は僕を恨んでいるのに」

「婚約破棄になったら、もっと恥ずかしいやんか! 私、そんな恥ずかしいの耐えられへんわ。婚約破棄なんか、最大の恥や!」

「またそれか、愛子はスグに“恥ずかしい”とか“恥や”とか言うなぁ、そんなんばっかりやな。愛子のその感覚にもついていかれへんわ」

「だって、恥ずかしいもんは恥ずかしいんやもん」

「そんなん、アカンよ。恥ずかしいからって理由で結婚しても、絶対に上手くいかへんよ、結婚しても離婚になると思う。離婚したら、もっと大きな恥をかくで」

「そんなことない! 結婚したら、きっと上手くいくから」

「でも、もう、“恥ずかしい”とか“恥かかされた”とか、聞いてるのも嫌やねん」

「ほな、もう言わへんから」

「絶対に言わへんか?」

「言わへん」

「ほんまか? ほな、もう絶対に言うなよ」



 ところが、また2~3日も経つと、また“恥ずかしい”と言い出す愛子だった。


「また言うてるで。ほんま、もう別れようや。僕はもう嫌やねん」

「結婚したら言わなくなるから」

「ほんまか? っていうか、愛子はもう僕のことを愛してへんと思うで。ただ、婚約破棄が恥ずかしいだけやろ? 後、卒業と同時に結婚するっていうことに憧れを抱いてるだけやろ? そんな理由で結婚することが間違ってるねん」

「そんなことない、私、崔君のこと愛してる!」

「愛してたら、僕が嫌がることは言わへんやろ?」

「今は……そう、マリッジブルーやねん、結婚したらおさまるから」

「信じられへんわ。いくらマリッジブルーでも、愛してたら、こんなに僕を追い込むようなことは言わへんやろ? 夫婦は助け合うものやで。それなのに、僕等は傷つけ合ってばかりや」

「婚約破棄は嫌! 絶対に嫌やから! 私は婚約破棄なんか認めへん!」

「もう1回言うわ、結婚しても離婚になるで、離婚して出戻りになる方がもっと恥ずかしいと思うで。冷静に、冷静に先のことを考えろよ」

「離婚になるようなことせえへんから!」

「いや、こんなに毎日恨み言を呟かれたら、僕は耐えられなくなって離婚するで」

「そんなこと言わんといてや」

「愛子は僕が別れられへんと思ってるんか? 僕はいつ別れてもええんやで。もう腹は括ってるから。後は、愛子が婚約破棄に同意してくれたらええんや」

「……」

「愛子が本性を見せてくれたから、もう愛子に未練は無い」

「今の私は、普通の状態とちゃうねん。今の私を本当の私やと思わんといて!」

「でも、元々愛子の嘘から始まった婚約やんか」

「嘘って何?」

「愛子が、“自分は処女や”とか、“結婚相手にしか体を許さへん”って言うたから始まった婚約やんか」

「そうやけど、それがどうしたん?」

「愛子、処女じゃなかったやろ?」

「私は処女やった!」

「全然、痛がらへんかったやんか。出血も無かったし」

「痛くなかったもん、血が出なかった理由はわからへんけど」

「脱ぐときも、全然恥ずかしがってなかったで。脱ぎ慣れてたやろ?」

「違う! 処女やった! 信じて!」

「あのな、こっちは処女じゃなくてもええねん。元彼と経験してたなら正直に言ってほしいねん。嘘とか疑惑を抱えたまま結婚するのが嫌やねん。処女じゃなかったら別れるとか、それは無い。ただ、本当のことを知ってから結婚したいだけやねん」

「でも、本当に初めてやったんやもん」

「そうか、ほな、もう、その件はええわ。ほんで、どうする? さっきから言うてるけど、僕は別れた方がお互いに傷が浅くて良いと思うんやけど」

「婚約破棄は嫌や……」

「ほな、もう僕を苦しめるのはやめてや。残業だけでもキツイねん。僕も限界や」


 それから、愛子が愚痴や不満を口に出すと、僕はスグに電話を切るようになった。そして、“忙しいから来なくていい”と言っているのに、愛子は金曜の晩から来る。



 僕は、少しだけ母親を恨んだ。母が乗り気になって成立した婚約なのに、結果、愛子に“恥をかかせた”原因を作ったのも母だったからだ。母が積極的に僕と愛子をくっつけて、母が僕と愛子の間に亀裂を作ったのだ。どういうことやねん? とも思ったが、愛子の本性を知ることが出来たのは良かったと思った。







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