第29話 メルさんの思い 1
作家氏は自ら、動画のボタンをクリックしてその動きを止めた。
ここまでの話はおおよそ30分程。小休止こそあったものの、ついに増本家と辻田家の別れのところまで進んでしまった。
作家氏は目の前のグラスにあるペットボトルのお茶を飲み、一息入れる。
このところずっと聞き手に回っていた女性が、ようやく口を開いた。
彼女は、静かに自らの思うところを述べ始めた。
・・・・・・・ ・・・・・ ・
これで、増本さんと辻田さんの両方の家の顛末が話せたってことになりますね。
あなたが幼少期から青年に至り、そして大学を出て社会人になるまで、増本さん宅の人たちは確かに、あなたをいつくしみ、見守ってくださったことはよくわかりました。その過程においては先方もあなたも、思うところは多々あっただろうし腹の立ったこともそうだけど、今もって許せないと思っていることも少なからずあることは間違いないでしょう。
ですが、どんなに嫌なこと、あなたをして許せないことがあったとしても、あなたにとって増本さん宅の皆さんは、あなたの人生における最大の恩人にあたる人たちであることは、私がお聞きした限りにおいては、間違いない。
あなたがそれに対して感謝の念がない等というつもりはありません。
ここは小学校の作文の時間でも感謝のお手紙の書き方講習会でもないと、何度となく言ってきたでしょ。その気持ちがわかりますというだけでなく、その背景も客観的事実に照らし合わせて無理もないことです。
あなたに気持ちはわかるとか言ったら、貴様なんかに何がわかるかという反応を返されることが容易にわかるから、そんなわかった口は言いませんし、私にはそんなことをあなたに申し上げる権利も資格もありません。
それでも、これだけは言わせてください。
もしあなたが増本さん宅との御縁がなかったら、そういう体験をすることもないままで済んだでしょう。高校受験後3年間のような、あんな嫌な思いもしなくて済んだかもしれない。
ですが、あなたはその増本さんというお宅に御縁ができたことで、人生を切り開けたことは間違いない。そう、私は思っています。
特に増本さん宅のお母さま、あなたはしきりと「母親」という表現を多用されていたことが、聞き手の私にも嫌というほど心に引っかかりました。
お兄さん、お姉さん、まして、親父さんという表現が出てくる中での、お母さんではなく母親。その表現にこそ、少なくとも私は、あなたの持つ増本夫人に対する思いの全てが詰まっているように見受けられました。
愛情の海であなたが溺れることなく、自らの立ち位置を確保できたのは、実は、増本夫人の広く深い愛情あってのことではないかしら。
あなたはそれ、否定できる?
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「否定はできない。する気もない。しようもない、どの言い方が妥当かなんて野暮なことは言わないが、それは決して否定できない。そこまで言うならむしろ、全面的に肯定するにやぶさかでないというところです。はい」
「随分無駄に言葉を並べたような感じのするお答えね」
「増本夫人の愛情の海におぼれずに済んだ理由をいろいろ話したいとは思うけど、その前提として、増本夫人のぼくに対する、ある意味も何も「息子」に対する愛情というものに対して、ぼくがそこから溺れ切らずに泳ぎ切って親離れして、そして離れていったその過程というのは、いろいろな意味で人類の財産のひとつとして刻みおいてしかるべきものではないかと思っている。わしは水の中は海水とプールを問わず泳げないし、中学生のときなんてプールで10メートルも泳ぎもどきをしたら溺れたほどだからね。だけど、愛情の海はきちんと泳げたかな(苦笑)」
彼はまた、グラスのお茶を飲む。目の前の女性もまた、自分のグラスに入れているお茶を口にしている。少し間を置いて、メルさんが話し始めた。
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人類の財産のひとつとして刻みおいてしかるべきものって、また、大きく出るような表現をされるわねぇ。せーくんらしいと言えばらしいけど(苦笑)。
あなたは中学校のプールでは溺れたらしいけど(爆笑)、増本さん宅での増本夫人の与える愛情の海は、きちんと泳ぎ切ったってね。それは確かに、私も聞いていて思った。
あなたがなぜ、その愛情の海を泳ぎ切れたのか。
溺れることなく、また、そこに安住することなく。
あなたはね、愛情の海にずっと過ごせる海中の生物ではなく、陸に上がって進化を遂げるしかないない生物だったってことにならないかしら。
古生代のシーラカンスが陸に上がって両生類へと進化したような感じね。
もちろん、その愛情の海に戻ってそこで生きていくこともできないわけではないでしょう。生きた化石と称される、今時のシーラカンスさんたちみたいにね。
愛情の海に戻って行った仲間たちは、その海の中で適合できるように進化して今に至っている。結婚して子どもも生まれた人たちなんかが、そこに当てはまらないかしらね。残念ながら、私もそうではないってことになるかもしれないけど。あなたは言うに及ばず。散々なことを言って独身生活を維持しているあなたには、そんな海なんかに行くなんて、世にもおぞましいなんてところがオチでしょうけど。
そうねえ、あなたの場合は陸に上がって列車に乗って移動していく中で、あちこちにある愛情の海を車窓に見ながら進んでいるってところかな。
せーくんは鉄道を趣味のひとつとして大きく反映しているわけだけど、今こうして作家として活動していることも、あちこちにある愛情の海を、列車の車窓を通して景色に見ながら、車内でノートにメモして、コンセントがあるならそこにパソコンをつなげて必死で作品を書いている。
あなたが列車の中で仕事しながら移動しているのは、まさに、今車窓に広がる愛情の海を見ながら、あるいはひょっと、過去に列車に乗って車窓から眺めた愛情の海を思い出しながら、小説や詩を作っているの。
この見立て、どうかしらね?
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メルさんの指摘を受けた作家氏が、思うところを述べ始めた。
なるほど、言われてみればそれが一番よく当たっているかもしれない。
作家として執筆稼業に励んでいるということは、実は過去に見た、実際に潜ったり泳いだりしていたあの海での出来事や、今こうして陸に上がって列車に乗ってその沿線にあるあちこちの愛情の海を車窓に眺めながら、その海の様子を文字にし続けているというのかな、そんなところじゃないか。
確かに、それは当たっている。いや、当たり過ぎているよな。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
今の私自身は、愛情の海の中に生きる生き物ではすでにない。
それを言うなら、もはやその機能が完全に退化し切った生き物ではないかな。その代わり、社会性という名の陸の上で生きていける力を特化して身につけ、それを活かして生きている。それはわずか1個の生命体に過ぎない私自身に起こったこととはいえ、それもまたある意味生物の進化ではないかと思われてならない。
いささか話が生物の進化も含めて大袈裟気味になってきた気もするけど、それを前提としてもう少し踏み込んで考えてみたい。
ではなぜ、私はこのような「進化」を遂げてきたのか。無論この進化という言葉は、個々のポイントにおいては確かに進化と評価できるところがあるが、別のポイントを見る限りには、それは退化ではないかと思われる部分もある。
個々の生命体としての人、誰々さんがどうこうという話だけでなく、生命体全体としての人間もその進化の過程で、それまでの生物に比べて進化した側面ばかりではなく、退化した機能というのもまたあるわけですからね。
もう少しそのあたりもいろいろ考察してみたいけど、その前にまず、あの家で起きたことを、時代関係なしに、もう少しゆっくりと、振り返ってみたい。話しながら思い出したこともないわけではないし、語り忘れていたこともいくつかある。
そうそう、あれは中1の冬だった。
正月を毎年のように過ごさせてもらって、一度丘の上の某園に戻って最初の日曜日になる日に、どういうわけか津山の近くの親族か誰かの家に、一緒に行ったことがありました。なんでそんなことで呼ばれたのかはわからないけど、その時のことを思い出しました。
そのことを、少しばかりしゃべりたい。
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