第38話 精進料理と送り火 ~或作家の総括

 それでは、私のほうも。すっかり記憶の外に飛んでいたのが、夏の日のあの家の思い出がよみがえってきたから、そこを最後に「総括」として話したい。

 お隣の辻田の家のおじいさんが善明寺という寺の住職であったことは、前に述べた通りです。宗派については触れないでおきます。その絡みもありまして、住職の息子宅である辻田の家はもとより、同じく娘である母親のいる増本家もまた、お盆のあの時期には、精進料理を食べる習慣がありました。

 中学に入ってからは辻田家のほうも子どもらも成長してきたのであまり一緒に何かするようなことはなくなりましたが、小学生の頃はよく行き来がありました。

 伯母のいる増本家にも子どもたちはよく来ていましたし、そちらで食事をいただいて帰ることも多々あった。逆に私も先方によく遊びに行っていました。大いに歓迎されていたことを覚えています。

 ぼくは本来辻田家の親族ではないこともあって精進料理を無理強いされることはなかった。辻田家の子らも、こちら増本家では普通に精進料理でない者を食べていたように覚えています。ま、子どもらにまで強要するものでもないからね。

 

 ところがね、これが不思議なことに、あえて免除されたらかえって体験したくなるものなのですよ。

 これが大金でもつぎ込まないといけないとか大手間のかかることとか、そうなればそりゃあさすがにやめておこうかともなろうが、そういうものでもないからね。

 そんなこともあって、私もその精進料理を呼ばれて頂いたこともあります。

 増本家でも、基本的にはその時期、精進料理をしていましたから。


 そもそも精進料理とは、殺生と煩悩を戒めることを主眼とした食事のことで、基本的には肉や魚などを入れないで組立てられた食事のことを言います。煩悩を戒めるべくネギやニンニクといった野菜を禁じたものもあるそうです。

 そんなわけで、ひと口で精進料理と言っても、それは時代や地域により相違点は少なからずあるし、それが適用される人というのも無制限というわけではない。

 それこそ、イスラム教のラマダンと一緒ね、そこは。


 ぼく自身が小学生の頃にいただいて経験した精進料理の感想は、一言で言って、こうだな。肉や魚がないと言っても、それをもって違和感のあるようなものではなかった。ま、こういう「ごはん=献立」もあるのか、っていうところかな。

 私は両親とも真言宗で、聞くと何と父方と母方の御寺が何と同じだったが、自分自身さほどの仏教徒ではない。まして仏門に入ろうと思ったためしもない。そんなわけで仏教の教えというのはあまりわからないが、そういう世界があることを肌身で知る機会に恵まれたことには違いない。その点では大いに感謝していますね。


 数年前、母校である岡山大学の生協が運営している学食で、イスラム教徒に配慮してハラールに即した形で出されるカレーを頂いたことがありました。

 ああ、こういうカレーライスも世の中にはあるのか、って思った程度。精進料理をいただいた時も、それと同じくらいの感覚だったな。

 あのときは特に当時の経験を思い出したわけでもなかったけど、今こうしてその経験と少年期の経験をパラレルにして照らし合わせてみると、なるほど、宗教というものが食において禁忌=タブーを設けるのには、それなりの経緯と思想がその背後にあることを改めて感じられた次第ですね。


 今ふと思い出したけど、小学生の頃のそれこそお盆真最中という時期に、ぼくはその対象じゃないから、普通に肉料理やハンバーグを食べさせてもらったことを思い出した。そんな時に出されたハンバーグって、意外とはっきり思い出せるね。

 小3の1978年には8月12日で某園に戻ったから、精進料理が出されていることはわからなかった。おそらくそのあたりのことがあるから、最初はお盆前に呼ばれたのではないかという気もする。その翌1979年は8月の20日から25日の5泊6日で、この年もお盆の時期は外されていた。

 いろいろ配慮してくださっていたのだなって、こうして思い出す事実を並べてみると、改めてそう思わずにはいられない。


 あの家に最初にお盆の時期に泊ったのは、その翌年1980年でした。前にも話したけど、お盆の時期に倉敷あたりまで遠出した年です。そこで初めて、精進料理というものが世の中にはあって、お盆の時期にはこうして肉や魚のない料理を食べる習慣を持った人たちがいるってことを肌身で知ったわけだ。

 その翌年、それこそ某園が郊外の丘の上に移転した年だけど、この年もお盆の時期に来たと思う。おそらくはこの2年間のうちのどちらかだ。


 ちなみに中1の年、1982年にはなんと8月14日に中学校が登校日を設けていて、多くの同級生が休んでいた。さすがに翌年からはその時期は外された。

 もっともそれがあったから、あの年にはお盆に行っていない。

 お盆が明けて後に4泊で増本さん宅に行った。ほら、あの母親がしてもらうことよりしてあげることをどうこと、世にも大層なことを仰せになったときね。

 それから先、高3に至るまでお盆に行った記憶もないし、行っていたとしても、特にその時期ならではの記憶はありません。

 以上を鑑みれば、あれは小学校の高学年、5年生か6年生の夏のお盆の経験ってことですわな。ちょうどいい時期に、日本の「盆」というものを肌身で経験できたことになりますね。


 お盆の締めと言えば「送り火」です。増本家で経験したのは15日か16日のどちらかだった。この行事は、御先祖様が盆を終えてあの世に御帰りになるための習慣です。これも、茶室の向こうにある庭の横の通路で、路地の通行人の目につかない場所で、送り火を焚いてお送りさせていただきました。


 こういう経験は、養護施設ではなかなかできないもの。

 宗教母体が設立した施設はまだしも、宗教に基づかないで設立された養護施設の場合、憲法の信教の自由がありますから、そう表立って特定宗教を助長もしくは排斥する行為はできない。仮に善意に基づく前者に属する施設であってもね。

 もっとも、クリスマスのような世俗化したものであれば、さすがにそんな規定をタテにクリスマスなんかやりませんというわけにもいかんでしょう。

 正月はまだしも、お盆というのは仏教上、御先祖様をお迎えしてお送りする時期ですからね。

 精進料理については食文化の体験というくくりで話せますから、これはいいとしましょう。ですが、送り火というのは、さすがに宗教行事的な要素も絡む。

 それを養護施設で下手にやろうものなら、一体誰をお迎えしてお見送りするのかと、厄介な話にもなろうものです。

 これが観光資源化した京都の大文字の送り火ならいざ知らず、公共性のある養護施設という場所で特定の宗教の関係者のまつりのようなことを、それこそ仏作って魂入れずの要領で実施しても、果たして意味があるのか。

 考えてみれば、1980年・昭和55年のお盆の送り火は、私にとっては自らの御先祖様にその時の状況を見て頂けたことの証だったのかもしれません。

 その前からかれこれ兆候がありましたが、何と言ってもその年の11月の岡山大学の大学祭で、鉄道研究会の展示に通い詰めた挙句に先輩方に声をかけられて、大学に通うようになったわけですから。

 それには、増本家や辻田家の御先祖様を通して、私に関連する御先祖様一堂に子孫である私の状況が伝えられ、それをもとに、私が道を外すことなく進んでいけるだけの状況を作ってくださるきっかけになったのだと。

 そりゃあ、唯物論的にどうこう説明できる話ではないかもしれませんが、今こうしてあの頃のことを語っていて、気付かされました。


 それにしても、不思議だ。あの頃のことを話していくほどに、悪い思い出を出し切った頃から徐々に、いい思い出も次々と蘇ってきました。

 それだけじゃない。

 あの頃自分の経験した個々の事実から、それが持っていた意味と他の事実との関連性も、今思い出すままに語っていたら、次々と気付かされているのよね。


 正直、私は増本家での短期里親生活を「思い出したくもない」思い出として扱っていた。意識と無意識を問わずに、ね。

 それは何故かは、もうわかっている。

 中学から高校にかけて、特に高校3年間の嫌な思い出が少なからずあって、それが思い出したくもないと言わしめる原因になっていた。

 しかしね、こうしてあなたにお話していくうちに、だんだんとその悪い思い出をきれいに総括できて、さらには埋もれていたはずのいい思い出が蘇ってきた。

 最初は鉄道絡みの思い出とか、自らの「ライフワーク」ともいうべき対象に乗せた形で話さざるを得なかったのが、時間が経つにつれ、それを通すことであの家で起きたことを次々と引き出してくれたように思いますね。

 最初はドロッとした汗が出ていたのが、走り込むにつれてさらさらとした汗になるような、そんな感じでこの2日間、お陰様でしっかり話せました。何と申しましても、送り火の話もできたからね。これで、あの頃の良くも悪くもすべての思い出を弔って昇華させることができました。


 そんな機会を作ってくださったメルジーヌさんに、心から感謝します。


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