開かれしタイムカプセル
第30話 冬のアイスクリーム売り
あれは、中1の冬休みを終えて某園に戻った次の日曜日のことでしたね。1983年・昭和58年1月のことでした。
3日の夜に帰るときに言われたか、その後電話がかかってきて言われたかは忘れましたが、次の日曜日に津山の親族か誰かに会いに行く用事があるというので、良かったら一緒に来ないかというお誘いでした。
このときは、御両親と一緒。息子さんや娘さん方はおられませんでした。
すでに皆さん大学生以上になられていましたから、よほどのことでもない限り親とそういうところにお出かけなんてことはないですからね。
その代わりと言っては難だが、私がついていくことになりました。
このときは往復の運賃も出してもらえることになっていたみたいだけど、私がその意気帰りの駄賃で列車が長時間停車をするときに駅の入場券を買おうとを言ったものだから、そういう機会を利用して自分の趣味をやるのはいかがなものかとある児童指導員が言うものだから、お年玉などで貯めた小遣いで往復運賃を自分持ちで行くことになったことをなぜか覚えています。
その児童指導員さんというのは、よつ葉園での最後の2年間、私を直接担当した方です。今も詩作でかなり批判的に描かせていただいている元職員さんですわ。
ま、あの人らしいと言えばそういうエピソードかもしれないね。これも。
ここはあえて、その職員氏の行為に対する価値判断は述べません。
とにかく、法界院駅まで私自身が自転車で行ったか送ってもらって行ったか、とにかく、法界院駅で増本さん夫妻に合流して、行きは津山の二つ手前の佐良山駅で降りて、その目的地に行きました。先方がいろいろされている中、私が立会うのも難なので、その間は近くを散歩したりしていました。
その後帰りは確かクルマで送ってもらってだと思うが津山駅まで行きまして、それから急行「砂丘」ではなく普通列車で法界院まで戻りました。
法界院駅は急行砂丘は泊まりませんでしたし、増本さん宅には法界院駅からのほうが圧倒的に近かったですからね。
このときは確か弓削駅で硬券入場券を買った覚えがあります。津山駅にも行きましたから、そちらでも買ったかもしれません。
あの日何が印象に残ったかと言えば、帰りの列車の車内です。
製造から間もないキハ47で組成された列車でした。まだ冷房はつけられていませんでしたが、冬だからそこは問題ない。とはいえ普通列車ですからね。岡山から津山線と因美線を経由して鳥取と倉吉を結んでいた急行「砂丘」でもまず乗務していなかった車内販売が、なんとあったのですよ。
急行列車で車内販売していたのに出会ったのは、四国の急行「あしずり」だったかな。あれは昭和最後の1988年の夏に大学祭に行っていて、それで、車内でお会いした東京の人と意気投合して高知駅のホームで酒盛りしたときだ。
あのときは確かに車内販売のおねえさんがいて、早速酒を買って飲み倒した覚えがあります。ちゃんとワゴンを押している、普通の車内販売でした。
列車内でまずワゴンにあるビールを買って飲んで、それでも足らないから高知駅のホームのキヨスクで買って、1番線ホームのベンチに座って酒を飲みながら、181系気動車の特急「しまんと」の前で、鉄道研究会に古くから伝わる181系気動車時代のやくも号の替え歌「鉄輪やくも」を歌ったのね。
まあ、その話はまた別の機会にってことで。
ただ、今回の津山線の車内販売はちょっとクセ者でしてね、ごく普通のそのあたりのおばさんが段ボール箱を持って車内を行き来していました。
売っていたのは、アイスクリーム。他に何か飲み物や弁当やみかんでもあるのかと思いきや、アイスクリームだけですわ。
「アイスクリームはいかがですか~」
ってね。車掌さんに注意されていたかどうかは覚えていません。車内放送で気を付けてくださいと言われていた覚えもない。
ただ、増本の御両親とそのことで少し話をした覚えはあります。
何でまたこんなところで、アイスクリームをこの時期に、ってね。
しかもこれ、普通列車ですわ。どう見ても、岡山鉄道管理局の許可を得ての販売には見えませんでした。それでも何人か、買われていたかもしれません。
私ら? 無論、買っていませんよ。
いくら温かい暖房の効いた車内とは言え、アイスクリームをこの列車内で食べる必然性なんて、ないからね。でもこのとき、冬でもアイスクリームって食べる人は食べるものだなって思ったことは覚えています。実際、北海道の冬はあの通り寒く雪も多量に降るが、室内は思いっきり暖房が効いていて温かく、半そででも過ごせないことはない。テキメン、アイスクリームを食べる人もおられるようですから。
最近ネットでこの手の車内販売を調べてみると、かつてはあちこちの列車内でこのような無許可の物品販売者がいたようですね。ツワモノにもなれば、車内放送で車掌から、無許可の物品販売業者がいるので買わないでくださいと注意した途端、なんとその販売員のおじさんが入ってきて、
「只今御紹介にあずかりました、車内販売でございます・・・」
なんてされていたという話もありました。ネット情報ですけど。
これは津山線ではなく他所のほうです。
あの日は先方で何をいただいたかも覚えていませんけど、食べてないアイスクリーム売りのおばさんのことは、今も記憶に残っています。
確か、そのアイスクリームはカップのものじゃなかったかな。銘柄や味まではわかりませんでした。ドライアイスを段ボールに入れて、各列車を適宜乗継いで売り歩いていたのでしょう。あの頃は、なんだかんだでそういうあいまいな世界というか、建前の中の隙間というかエアポケットというか、そういう場所や物事を経験できる場所が多かったように思いますね。
それにしても、あの無許可と思しきアイスクリーム売りのおばさんに出会ったときがなんと、増本さんご夫妻と列車で移動中の出来事であったというのも、なんだかなとは思えてなりません。
ああいう無許可と思しきアイスクリームをもし買っていたら、それはそれでいい経験になったかもしれない。ひょっとすると、そのアイスクリームは人生で一番うまいアイスクリームとして記憶に残ったかも。
意外性のある場所で、意外性のあるものと接触できたことになるからね。
あれが正規の業者ではなくて無許可のアイス売りのおばさんだったとして、一方の当時の私はどんな状況であったかと考えてみれば、さすがにちょっとな、って感じにもなりますよ。
特に許可とか無許可の問題ではないけど、あちらがもぐりのアイス売りなら、こちらも、ある意味もぐりの「親子連れ」だったのかな。
そんなことを言うと、なんか惨めなというか悲しい気もするけど、あの頃の状況を思えば、それもあながち間違いとは言えないでしょう。
そういう見立てをすれば、なるほど、私のそのとき置かれていた状況が無許可のアイス売りのおばさんという人物とを引合わせて、後の私をしてこうして回想させるための伏線だったのかという気もします。あのアイスクリーム売りのおばさんに出会ったのは、その後の私と増本家の関係性が変わっていく転換点だったのかもね。
これはさすがに、私のこじつけかもしれないけど。
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「それがこじつけかどうかは私の口からはどうこう言えないしそう言えるだけの根拠も見いだせないけど、アイスクリーム売りの人なんて、よく覚えていたものね」
「いやあメル姉、あれは強烈に覚えている。さっき述べた、急行列車で普通に車内販売があったのと同じ感覚のようで、実はかなり違和感のあるものでしたから。ただ昭和の時代というのは、ああいうファジーな世界もなんだかんだ言われながらもどこかで認められていたようなところがあったのは確かよ。
正式なルートじゃないかもしれないけど、必要に迫られてか応じてかはともあれ、そこにある、ってもの。それこそ、国鉄の労組がやった「スト権スト」と同じような理屈ではあるけど、とにかく、そこにあるのだからある、って」
作家氏は、ふと、窓の外を見る。対手の女性も、後を追って外に目を向けた。
時刻は15時までもうしばらくのところ。宇野線の普通列車が高架を上がっていくのが見える。このところ新製された「URARA」と名付けられている電車。
二人は揃って、目の前のお茶を飲んだ。
「メル姉、ルームサービスの珈琲頼もうか?」
「ええ。じゃあ、せーくん、お願い」
作家氏が部屋の電話でレストランに電話をかけた。
程なくして、2人分のホットコーヒーがやってきた。ウエイターは銀色のポットからカップに珈琲を注ぎ、中身の残ったポットを置いて退出していった。
彼らはどちらも、砂糖とミルクを入れて飲む。
「こういうときは、砂糖とミルクがどうしてもいるわな」
いつもはブラックで飲む作家氏だが、根詰めたことをしているときやその前後には、砂糖やミルクを入れて飲むことも多い。大学教員の女性は大抵の場合砂糖やミルクは控えめに入れるそうだが、今日は目の前の作家氏並に入れて飲んでいる。
時計の針はやがて15時を幾分回った。
先ほど新型電車が走り去った高架の上を、今度は高松までのマリンライナーが高松に向けて走り去る。
それとほぼ同時に、これまた42年ぶりに新車に置換えられた特急「やくも」が宇野線高架の下をくぐって山陽本線を疾走し始めている。ここから10分とせぬ間に倉敷、3時間少々で終着出雲市に着くという。
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