飛び込もう、愛情の海へ!

第2話 いざ、里親さん宅へ!


 あの日は確か、昼飯までは某園で済ませて、昼過ぎに準備をして、それから公用車で緑色のボンゴに乗せられて、増本さん宅まで行きました。

 いつも歩いて学校に行く道とは必ずしも同じではないけど、まあ、クルマは動き出したら速いからね。特に渋滞に巻き込まれたりもせず、すんなりと増本さん宅に着きました。増本さんのお宅は、たまに「近道」と称して学校帰りに通るような、決められた通学路から少しずれた路地の途中にあった。その路地は狭いから近くの駐車場に停めていったか、あるいはその路地に何とか乗り入れていったか、そこは覚えていませんが、とにもかくにも、増本さん宅に着きました。


 早速、茶室を兼ねた部屋に通され、児童指導員の方と一緒に御挨拶しました。

 なんせそのお宅の母親は、裏千家だったか表千家だったか、お茶の教室をされていてね、私も何度か茶席を設けていただいたことがあるけど、嗚呼、こういう風流なことをされている方なのかと、今思えば、そうだわな。


 日本の茶道って、千利休の弟子が創設した「裏千家」「表千家」「武者小路千家」という3つの流派が主流で、この他にも、武士の茶道で「江戸千家」というのもあるようです。大学時代に知り合った弁護士の息子さんで、私より10歳少々年上の中央大学法学部出身の方は、高校まではバレーボールをされていて、なぜか大学ではその「江戸千家」をする茶道部におられたと伺ったことがあります。

 とにかく、茶道と言ってもいろいろ流派があるが、その家の母親はいずれにせよ千利休系列の茶道の師範さんをされていたってことになります。

 そういうこともあって、着物も着慣れたものでしたよ。普段着のときも茶席をされているときも、実に和服が板についた、そうですね、ビジュアル的に言うならば、サザエさんの波平さんの妻のフネさんを品よくしたような、そんな方でした。

 私の周りって、そんな品のある女性はいなかったと言ったら当時の関係者やその周りの人に怒られかねないけど、当時にとどまらず今に至るまで、和服系の品のある女性という点に絞れば、その方が一番ではないかな。

 和服じゃなくて洋服のほうであれば、某園には山上さんという保母さんがおられてね、この方は当時でもう50歳近い年齢でしたけど、こちらはなんと言うか、昭和初期の「モガ」、モダンガールのことですが、その流れをくむ、ちょっと時代が違うような気もしないではないが、そんなことを超越した位置におられるような、実に品のある服装をされていた方がおられました。

 和服なら増本夫人、洋服なら山上先生。このお二人が、今の私らの年齢くらいの当時の女性で最も品のある女性の代表格でしたね。少なくとも、私にとっては。


 家の中を案内されたりもしたか、詳しいことはもう覚えておりませんがね、そうこうしているうちに夕方になりました。その頃には、御家族の皆さん帰って来られまして、皆さんの前で御挨拶。

 増本さん宅は、今でいう典型的な核家族でした。

 父親は裁判所の書記官。旧制商業学校を卒業され、戦時中は大陸の国策会社にいらしたものの、戦後は日本に戻って裁判所の職員になられた方でした。私が最初に会った当時で50代。今の私たち50代と違って、かなりお年を召されたように見えましたね。さてこの方、実にしっかりとされていました。なんせ旧制の商業学校卒業者です。教養にもあふれているばかりか、この家庭を静かに見守っているような、そんな印象が強かったです。酒は一切飲まれませんが、煙草はよく吸われていました。あと、甘いものがお好きだったと伺ってもいます。このお宅は母親が賑やかし遺憾のある人でしたが、父親はものすごく物静かな方でした。後にいろいろお話を伺いましたが、こういうにぎやかな過程で育ったわけではなかった。その反動でにぎやかな家庭になっていたのかと思われますが、どうもそうでもないようでして、ともかく、母親と3人の子どもさんたちの醸し出すにぎやかしさには一定の距離を置かれていたのが、今も印象に残っています。

 母親は先ほども申した通りでお茶の師範をされている他、一時期学校給食の仕事にも出られていたと聞いていましたね。そうそう、今思い出した。私と同学年のH君とか、3学年上のK君なんかも御存知でした。なんせ私の通っていた半田山小学校の給食室で調理のパートに出られていたようでして、ただ、私が通い始めた頃には退職されていたみたいです。その後どこか働きに出られたかどうかは、詳しくはわかりません。ひょっと夫の扶養の範囲内に収まるよう、今でいうパートの仕事をされていたのかもしれませんね。

 核家族というくらいですから、子どもさんは3人。当時の厚生省がモデルとしていた子ども2人の典型家族よりは一人多いが、そこは誤差の範囲ということ。

 一番上の息子さんが私よりちょうど干支一回り上の方で、当時浪人生でした。その後この方は四国の大学に進まれて後に薬剤師になっておられます。薬剤師なら、少々大学に入学するまでの期間や卒業までの時間が長くなっても、就職先はいくらでもありますからね。私が大学生の頃には結婚されて、奥さんと生まれてきた子どもさんとともにその家におられましたけど、やがてあることが原因となって、一家そろって岡山市の西方面の郊外に転居されました。そのことは、あとで話します。


 一番上の息子さんの下が娘さんで、私より10歳ほど上。商業高校から短大に進まれていました。後に就職されましたが、結婚を機にこの家を離れられました。確か、岡山市の東の郊外に行かれたと思います。増本家の初孫は、この娘さんの息子さんでした。確か私が大学に入る前くらいに生まれていましたね。直接お会いしたことはないですが、その時の少年、今はもう30代後半に差し掛かっているはずです。この人の後に夫になられた方は私の進んだ大学の先輩で、公務員をされていました。もう定年で退職されているでしょう。


 一番下は私より8歳上の息子さんで、このときはまだ高校生でした。中学校を卒業した段階で1年浪人され、また公立高校を再受験されたもののこれまただめで私立高校に進まれていました。この方、当時はいろいろあったようですね。その後大学に行ったみたいですが、中退されたようで、結局この家に戻って来られました。確かスーパー系の会社に勤めに行かれていたと記憶しています。その後結婚されたかどうかはわかりません。ただ、何かの折に母親より釣りガキと称するものを見せられた記憶もありますから、縁談は少なくともあったのでしょう。この方、今は60代前半ですよね、お元気なら、まだお仕事に出られているのではないかな。


 皆さん、本当にやさしくていい人たちばかりでした。子どもと言われる頃、そうですね、中学生になってしばらくの頃までは、特に下の息子さんや娘さんには、本当に、本当に、お世話になりました。

 上のお兄さんもいい人でしたね。父親が一切酒を飲まれない方でしたが、この人は飲むようになりました。一緒に飲んだことはありませんけどね。最初は親父さんに幾分小言は言われたようですが、さほど問題ないとわかった段階で、何も言われなくなったとおっしゃっていたのが今も印象に残っています。

            

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